第六話:冒険者ギルドと『加工』スキル
ワイバーンを討伐してから数日が過ぎた。
村はすっかり平穏を取り戻し、俺の生活もまた、念願のスローライフへと回帰する……はずだった。
「タカト殿。少し、話があるんじゃが」
ある日の昼下がり、俺が新しく作った畑で芋の世話をしていると、グレン村長が神妙な顔つきでやってきた。その手には、何やら分厚い革の表紙がついた本のようなものが抱えられている。
「村長さん、どうしたんですか? 改まって」
「うむ。実はな、君のこれからの身の振り方について、少し提案があってのう」
身の振り方。なんだか、嫌な予感がする。俺はただ、この村で芋を育て、リーナと飯を食って、静かに暮らしたいだけなのだが。
「君が、あのワイバーンを一人で討伐したという話は、すでに近隣の村や町にも伝わっておる」
「……やっぱり、そうなりますか」
ため息が出る。目立ちたくないと言っているのに、これでは真逆だ。
「君ほどの力を持つ者が、何の後ろ盾もなくこの辺境にいるとなると、かえって面倒な輩を引き寄せかねん。良からぬことを企む貴族や、君の力を試そうとする無法者……。そういう連中が、君の平穏を乱す可能性は十分にある」
「そこで、じゃ。一度、冒険者として登録してみてはどうじゃろうか?」
「冒険者、ですか?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。冒険者。それは、スローライフとは最も縁遠い職業の一つじゃないか。
「冒険者ギルドに登録すれば、最低限の身分が保証される。ギルドという大きな組織に所属しているとなれば、そこらのチンピラも、そう簡単には手を出せんじゃろう。それに、君は『外れスキル』持ちだということにしておけば、過度に注目されることも避けられるやもしれん」
「……なるほど」
村長の言い分にも、一理ある。俺のスキルが『加工』であることは、リーナを助けた時に村人たちに知られている。魔力量が異常であることは、ワイバーン討伐の件で広まっているだろう。『莫大な魔力を持つが、スキルが役立たずの男』。その評価は、ある意味、俺の力を隠すための、最高のカモフラージュになるかもしれない。
「一番近いギルドは、ここから半日ほど馬車に揺られた先にある、『ルーンヘブン』という町にある。わしからも、ギルド長に話を通しておく。ただ登録するだけでいい。面倒な依頼を受ける必要はない。どうじゃろうか?」
俺は腕を組んで、うーんと唸った。正直、気は進まない。町へ行くのも、ギルドへ行くのも、何もかもが面倒だ。
だが、村長の言う通り、このまま野良の魔法使いとして村に居座り続けるのは、リスクが高いのかもしれない。この村に、余計な災いを持ち込んでしまう可能性もある。
「タカトさん……」
隣で話を聞いていたリーナが、心配そうな顔で俺の服の袖をきゅっと掴んだ。彼女の琥珀色の瞳が、不安げに揺れ動く。この子や、村の皆に迷惑をかけるのだけは、避けたかった。
「……分かりました。そこまで言うなら、行ってみますよ。そのルーンヘブン、とかいう町に」
「おお、そうか! 決めてくれたか!」
俺が頷くと、村長はぱあっと顔を輝かせた。
「リーナも、一緒に行ってくれるか? 俺、一人じゃ道も分からないし」
「は、はいっ! もちろんです! どこへでも、お供します!」
リーナは、ぶんぶんと尻尾を振りながら、満面の笑みで答えた。
こうして、俺はスローライフを守るため、という、なんだか本末転倒な理由で、冒険者登録をすることになったのだった。
◇
翌日、俺とリーナは、村で一番頑丈な荷馬車を借りて、ルーンヘブンへと向かった。御者を務めてくれるのは、村の若い男だ。俺は、生まれて初めて乗る馬車に、ごつごつとした乗り心地の悪さを感じながら、荷台でリーナと並んで座っていた。
「町に行くの、私、初めてなんです! すっごく楽しみです!」
リーナは、まるで遠足前の子供のようにはしゃいでいる。その無邪気な様子を見ていると、俺の憂鬱な気分も、少しだけ軽くなるような気がした。
「そんなに、いいものなのかな。町って」
「はい! 村長さんから聞きました! リーフェル村とは比べ物にならないくらい、たくさんの家があって、お店もあって、いつも活気に満ち溢れてるって!」
「へえ……」
人混み、騒音、排気ガス。町というだけで言えば、前世では、うんざりするほど見てきた光景だ。思い出すだけで、頭が痛くなってくる。この世界の町が、どんなものなのかは分からないが、あまり期待しないでおこう。
◇
馬車で、がたごとと揺られること、半日近く。
やがて、道の先に、巨大な石壁が見えてきた。高さは十メートル以上あるだろうか。壁の上には、等間隔に見張り台のようなものが設置されている。あれが、ルーンヘブンの外壁らしい。
「着きましたよ、タカトさん! あれがルーンヘブンです!」
リーナが興奮したように指をさす。
馬車が町の門をくぐると、そこには、俺の想像をはるかに超える光景が広がっていた。石畳の道がどこまでも続き、その両脇には、レンガや木で造られた、三階建て、四階建ての建物が、所狭しと立ち並んでいる。道行く人々の数も、リーフェル村の全人口の何十倍もいるだろう。様々な人種が、活気のある表情で行き交っている。獣人、屈強な鎧を着込んだ戦士、ローブ姿の魔法使い。まさに、ファンタジーの世界の縮図のような光景だった。
「すごい……」
思わず、俺の口から、感嘆の声が漏れた。前世のコンクリートジャングルとは違う、温かみのある、それでいて壮大な街並み。食わず嫌いは、いけないな。
「冒険者ギルドは、この大通りをまっすぐ進んだ先、広場の隣にありますよ」
御者の青年に教えられ、俺たちは馬車を降りた。
目的の建物は、すぐに見つかった。周囲の建物よりも一際大きく、剣と盾を組み合わせた紋章が、大きく掲げられている。あれが、冒険者ギルドか。
「なんだか、緊張しますね……」
リーナがごくりと喉を鳴らす。俺も、同じ気持ちだった。できれば、一生、関わることのない場所だと思っていたのに。
俺は、観念して、重々しい木の扉を、ぎい、と音を立てて押し開けた。
途端に、もわりとした熱気と、酒と汗の匂い、そして、がやがやとした騒音が、俺たちを迎えた。
広いホールの中には、数え切れないほどの冒険者たちが、テーブルを囲んで酒を酌み交わしたり、壁に貼られた依頼書を眺めたりしていた。その誰もが、一筋縄ではいかなそうな、いかつい顔つきをしている。
「うわあ……」
完全に、場違いな場所に来てしまった。スローライフを愛する、しがない農耕希望の男が、足を踏み入れていい領域ではない。
俺とリーナがおどおどと入り口に立ち尽くしていると、ギルド内の視線が、じろり、とこちらに向けられるのを感じた。新顔を品定めするような、不躾な視線だ。居心地が悪いこと、この上ない。
「あ、あの、ご用件は?」
俺たちの様子を見かねてか、カウンターの向こうから、一人の女性が声をかけてきた。栗色の髪をポニーテールにした、そばかすが少しだけ目立つ、快活そうな女性だった。ギルドの職員なのだろう。
「えっと、冒険者の登録を、お願いしたいんですけど」
「はい、新規登録ですね。こちらの書類に、名前と、ご自分のスキルを記入してください」
彼女は、慣れた手つきで、一枚の羊皮紙と、羽ペンを差し出した。
俺は、名前の欄に『タカト』と、スキルの欄に『加工』と、できるだけ小さな字で書き込んだ。
「はい、ありがとうございます。タカトさん、ですね。スキルは『加工』、と……」
書類を受け取った受付の女性は、スキルの欄を見ると、一瞬、ほんの少しだけ、気の毒そうな顔をした。だが、すぐに仕事用の笑顔に戻る。
「では、次に、魔力量の測定を行いますので、あちらの台座までお願いします」
彼女が指さした先には、部屋の隅に、黒曜石のような、つるりとした黒い石が置かれた祭壇のようなものがあった。あれが、魔力測定器か。
「あの石に、軽く手を触れて、魔力を少しだけ流し込んでください。本当に、少しでいいですからね? 力を入れすぎると、測定器が壊れちゃうこともありますから」
受付の女性が、悪戯っぽく片目をつぶって言った。周囲にいた冒険者たちが、それを聞いて、にやにやと笑う。
「おいおい、新人さんよ。あんまり気張りすぎるなよ?」
「Fランクの奴が、魔力測定で石をピカッとさせるのが、年に一度の楽しみなんだからよぉ」
完全にからかわれている。まあ、無理もない。どう見ても、俺の外見は、ひょろりとした、ただの優男だ。凄腕の冒険者には到底見えないだろう。
「タカトさん、頑張ってください!」
リーナだけが、拳を握りしめて、純粋なエールを送ってくれている。
俺は、はあ、と一つため息をつくと、言われた通り、黒い石の前に立った。
少しだけ、か。
まあ、本当に少しだけ。指先から、ほんのりと魔力がにじみ出るくらいの感覚で……。
俺は、そっと、石の表面に指先を触れさせた。
その瞬間だった。
ピシッ、という、ガラスにひびが入るような、乾いた音がした。
「え?」
俺がそう思った次の瞬間には、黒い石の表面に、蜘蛛の巣のような亀裂が無数に走っていた。
まずい、と思った時には、もう遅い。
パアアアアアアアアアアンッ!!!!
轟音。
まるで、爆弾が破裂したかのような、耳をつんざくほどの凄まじい音が、ギルドホール全体に鳴り響いた。
魔力測定器の黒い石が、木っ端みじんに、粉々に、砕け散ったのだ。破片が、キラキラと光を反射させながら、周囲に飛び散る。
「…………」
「…………」
しーん、と。
あれだけ、がやがやと騒がしかったギルドホールが、まるで、時間が止まったかのように、水を打ったように、静まり返った。
酒を飲んでいた者は、ジョッキを持ったまま固まり、談笑していた者たちは、口を半開きにして、動きを止めている。
全ての視線が、ただ一点。俺の指先に。そして、台座の上に残された、黒い石の残骸に集中していた。
「あ……」
最初に声を発したのは、受付の女性だった。
「こ、こ、壊れちゃった……!?」
彼女の上ずった、信じられない、という声が、静寂を破った。
それをきっかけに、ギルド内は爆発したような、大騒ぎになった。
「な、なんだ今のは!?」
「測定器が、爆発したぞ!?」
「おい、あいつ、何をしたんだ!?」
「魔力量が、多すぎて、測定器が耐えきれなかった……のか……?」
どよめきと、驚愕と、そして、少しばかりの畏れを含んだ視線が、俺の体に突き刺さる。さっきまでのからかうような雰囲気は、どこにもない。
まずい。これは非常にまずい。
目立ちたくない、という俺のささやかな願いは、ギルドに来て、わずか数分で見事に打ち砕かれてしまった。
「ど、どういうことだね、これは!?」
カウンターの奥から、恰幅のいい、髭面の男性が、慌てた様子で飛び出してきた。おそらく、この支部のギルドマスターだろう。
「も、申し訳ありません、ギルドマスター!新人の方が、魔力測定をしたら、突然、測定器が……!」
「測定器が、砕け散っただと!? 馬鹿な!あれは、Aランクの魔力にも、余裕で耐えられる代物のはずだぞ!」
ギルドマスターは、信じられない、という顔で、俺と、測定器の残骸を、何度も見比べた。その目には、明らかに、警戒が浮かんでいる。
「君は……いったい、何者だね? これほどの魔力、ただ者ではあるまい」
低い声で、尋問するように、ギルドマスターが言った。周囲の冒険者たちも、固唾をのんで、成り行きを見守っている。
どうする。どう言い訳すればいい。
いや、待てよ。
これは、もしかしたら、チャンスかもしれない。
村長の言っていた、『莫大な魔力を持つが、スキルが役立たずの男』という評価を得るための。
俺は、受付の女性が持っていた羊皮紙を、指さした。
「あ、あの……書類に、書いた通りです。俺のスキルは、『加工』、ですけど……」
俺が、か細い声で、そう告げた、その瞬間。
ギルドホールを支配していた、張り詰めた空気が、ふ、と、風船がしぼむように、一瞬で、ゆるんだ。
「……え?」
ギルドマスターが、間の抜けた声を出す。
「か、『加工』……?ああ、あの泥をこねる……?」
「は、はい。そうですけど……」
俺がこくりと頷くと、ギルドマスターは、ぽかん、とした顔で、俺の顔をまじまじと見つめた。
そして、周囲の冒険者たちから、くすくす、という、失笑とも、同情ともつかないような、ざわめきが、少しずつ、広がっていった。
「なんだよ、『加工』スキルかよ……」
「ははっ、びっくりさせやがって。魔力量が、とんでもないだけか」
「あれだけ魔力があって、スキルが『加工』……。宝の持ち腐れ、ってのは、こういうのを言うんだな」
「ある意味、神様に嫌われてるとしか思えねえな。可哀想に」
さっきまでの、畏れの視線は、完全に消え失せていた。
代わりに向けられるのは、哀れみと、同情と、そして、侮蔑が、ほんの少しだけ加わったような、生暖かい視線。
よし、これだ。これこそが、俺が望んでいた反応だ。
「……ふむ」
ギルドマスターは、腕を組み、豊かな髭を何度かしごきながら、何かを考え込んでいる。
「魔力量だけなら、文句なしにAランク、いや、Sランクにさえ匹敵するかもしれん。じゃが、スキルが『加工』となると……戦闘能力は、皆無に等しい、と判断せざるを得ん……」
彼は、ぶつぶつと、独り言のように呟いている。
「どうしたものか……。ランクを、どう付ける……」
ギルドのランク付けは、本人の戦闘能力や、実績を、総合的に判断して決められるらしい。俺の場合、魔力量は規格外だが、スキルは最低ランク。実績は、ワイバーンを討伐しているが、それを証明するものは、何もない。リーフェル村の証言だけでは、正式な記録とは認められないだろう。
やがて、ギルドマスターは、何かを決めたように、パン、と手を打った。
「よし、決めた! 君のランクは、特例として、Cランクとする!」
「「「Cランク!?」」」
その決定に、今度は、別の意味で、ギルド内が、再びどよめいた。
「ギルドマスター! 正気ですか!? 新人が、いきなりCランクなんて、前代未聞ですよ!」
「そうだ! 俺たちなんて、Fランクから、死ぬ思いをして、何年もかけて、やっとDランクに上がれたってのによ!」
冒険者たちから、不満の声が上がる。
だが、ギルドマスターは、その声を、片手で制した。
「静かにせんか! これは、わしが判断したことだ! 確かに、彼のスキルは、戦闘には不向きかもしれん。じゃが、この莫大な魔力量は、それだけで、十分に脅威となり得る! それに……」
ギルドマスターは、ちらり、と俺の方を見た。
「『加工』スキルとて、使い方次第では、何かの役に立つやもしれん。例えば、土木作業や、陣地の構築……。大規模な依頼では、重宝される可能性もある。彼のランクは、そのポテンシャル、将来性を見込んでのものだ! 文句のある者は、彼のように、魔力測定器を破壊してから、わしの前に来い!」
ギルドマスターが、どう、と大声で言い放つと、冒険者たちは、ぐぬぬ、と押し黙ってしまった。
こうして、俺は、冒険者の新人としては異例中の異例である、Cランクという評価で、登録されることになった。
「はい、これが、あなたのギルドカードです。失くさないように、してくださいね」
受付の女性が、一枚の銅のプレートを俺に手渡した。そこには、『タカト』という名前と、『C』という文字が刻まれている。
こうして、俺は全く望んでいなかった、『冒険者』という、新しい身分を手に入れてしまった。
俺の、静かで穏やかなスローライフは、一体、どこへ向かっていくのだろうか。
ギルドの喧騒の中で、俺は、ただ手の中にある、ひんやりとした金属の感触を、確かめることしかできなかった。




