第三話:家が生えてきました
翌朝、差し込む光で目を覚ました俺は、しばらく天井の木目をぼんやりと眺めていた。
見慣れない天井。
ああ、そうか。
ここは異世界で、俺はリーフェル村の集会所に泊めてもらっているんだった。
この清潔なベッドのおかげで、ここ数年で一番ぐっすりと眠れた気がする。
「……ん、起きたか」
体を起こすと、部屋の隅の椅子に腰かけていたグレン村長が、穏やかな声で言った。
いつからそこにいたんだろう。
「村長さん。おはようございます。すみません、お待たせしてしまったみたいで」
「いや、わしが勝手に来ていただけだ。旅の疲れは癒えたかな?」
「はい、おかげさまで。こんなにしっかり眠れたのは久しぶりです」
俺がそう言って頭をかくと、グレン村長は満足そうに頷いた。
「それはようござった。さて、タカト殿。昨夜、少し村の者たちと話をしてな。君さえよければ、なのだが……この村に、住んでみる気はないかね?」
その申し出は、あまりにも唐突で、そして、俺にとっては望外のものだった。
「住む、ですか? 俺が、この村に?」
「うむ。君は、静かに暮らせる場所を探していると言っていたな。ここは見ての通り、何もない辺境の村だ。静かさだけが取り柄での。それに、君のような腕利きの魔法使いがいてくれれば、我々としても心強い」
村長は、俺の返事を待つように、じっとこちらを見ている。
その真剣な眼差しに、俺は少し気圧された。心強い、と言われても、俺のスキルは戦闘向きじゃない。
いや、使い方次第ではとんでもないことになるのは昨日、身をもって体験したが、それをアピールするつもりは毛頭ない。
それは俺のスローライフ生活では邪魔になってしまうからだ。
「……ありがたいお話ですが、俺はそんな、皆さんの期待に応えられるような人間じゃありませんよ。治癒魔法も、昨日はたまたま上手くいっただけでして」
「はっはっは。謙遜するでない。リーナのあの喜びようを見れば、君がどれほどの力を持っているかは、よう分かるわい」
どうやら、ごまかしは利きそうにない。
だが、村に住むという提案は、俺の『スローライフ計画』にとって、これ以上ないほど好都合な話だった。
「もし、タカト殿がこの村に住んでくれるというのなら、家を建てるための土地を無償で提供しよう。村の北側にある、少し小高い丘の上だが、日当たりも良くて、いい場所だ。家が建つまでは、今お使いの集会所の部屋をそのまま宿として使ってくだされ。どうだろうか?」
土地を無償で提供してくれる上に、家が完成するまでの寝床まで確保してくれるという。
前世では、二十八歳になっても、小さなマンションの一室すら持てなかったというのに。
異世界に来て二日目で、俺は土地持ちになれるかもしれない。
「……本当にいいんですか?」
「もちろんだ。君は、我々の恩人なのだからな」
グレン村長の言葉に、俺の心は固まった。
この村で、俺は新しい生活を始める。
誰にも搾取されない、俺だけのスローライフを。
「ありがとうございます。そのお話、ぜひ、お受けさせてください」
俺が深々と頭を下げると、グレン村長は「そうか、そうか!」と、顔中の皺をさらに深くして笑った。
◇
「ここです! ここを、村長さんがタカトさんにって!」
元気いっぱいの声で、リーナが指さした。
彼女に案内されてやってきたのは、村から歩いて十分ほどの距離にある、なだらかな丘の上だった。
周囲には適度に木々が茂り、鳥のさえずりが聞こえてくる。村全体を見渡せる、見晴らしの良い場所だ。
確かに、ここなら静かに暮らせそうだ。
「いい場所だな。本当に、ここを自由に使っていいなんて」
「はい!それで、タカトさんのお家を、これからみんなで建てますよ!」
彼女は周囲を見ながら、話を続けた。
「……と言っても、この村にはちゃんとした大工さんもいないので、みんなで木を切って、組んで……小屋みたいなのができるまで、何ヶ月もかかっちゃうかもしれませんけど。でも、それまでは村長さんが用意してくれた集会所の部屋がありますから、安心ですね! 実は、私も普段はそこの物置部屋で寝起きしてるんです。」
リーナは申し訳なさそうに言う。なるほど、この世界での建築というのは、それくらい時間のかかる大事業なのか。
前世のプレハブ工法みたいな便利なものはないんだろう。
「大丈夫。家なら、すぐにできるさ」
「え?」
俺の言葉に、リーナはきょとんとした顔で小首をかしげた。
「すぐに、って……。まずは、地面を平らにして、石を積んで基礎を作って、それから森に入って、太い木を何本も切り出して……。あっ、レンガも作らないと! 窯で焼くのに、すごく時間がかかるんですよ? 一つ作るだけでも、泥をこねて、乾かして、焼いて……もう、一日がかりなんです!」
一生懸命に説明してくれるリーナ。
その心配してくれる気持ちは、すごく嬉しい。
前世では、俺の心配をしてくれる人なんて、もはや誰もいなかったからな。
「ありがとう、リーナ。でも、本当に心配いらないんだ。俺には、これがあるから」
俺はそう言って、自分の手のひらを見つめた。
スキル『加工』。
この世界では『外れスキル』とされている、俺だけの切り札。
「見ててくれ。ここが、俺たちの家になるから」
「……俺、たち……の、家……」
リーナが、ぽっと頬を赤らめる。それはただの照れだけではない。
まるでずっと心の中で描いていた夢の言葉を、不意に聞かされたかのような、そんな雰囲気。
ちょっとムズ痒い。
「あ、いや、もちろん俺の家だけど、その……いつでも遊びに来ていいっていうか……。とにかく、今からすごいものを見せるよ」
俺は気を取り直して、意識を集中させた。
どんな家にしようか。平屋でいい。
部屋は、リビングと寝室、それからキッチンと……そうだ、お風呂とトイレも欲しい。
前世では当たり前だった水洗トイレとユニットバス。この世界にあるとは思えないけど、俺の『加工』スキルなら、構造をイメージすれば作れるんじゃないか?
頭の中に、簡単な設計図を描く。
間取り、柱の位置、壁の厚さ、窓の大きさ。
前世で、営業の合間にぼんやりと眺めていた住宅情報誌の知識が、今ここで役に立つとは思わなかった。
「よし、まずは基礎からだな」
俺は地面に手をかざした。
「えっ、タカトさん? 何を……?」
リーナの戸惑う声を背中に聞きながら、俺はスキルを発動させる。
『地面を、水平に、固く。コンクリートの基礎みたいに、平らで頑丈な土台になれ』
ぶわり、と体内から魔力が溢れ出し、地面に吸い込まれていく。
すると、俺たちの足元で、信じられない現象が起こり始めた。
ごごごごご……、と低い地響きと共に、雑草が生い茂っていた地面が、まるで粘土のように形を変え始めたのだ。
土くれや石がひとりでに混ざり合い、圧縮され、みるみるうちに平坦になっていく。
そして、設計図通りに、家の基礎となる部分が、一段高くせり上がってきた。
表面は、まるで綺麗に研磨された石のように、つるつると滑らかだ。
「なっ……ななな……!?」
隣で、リーナが小さな悲鳴を上げるのが聞こえる。うん、いい反応だ。
「次は、壁と柱と、床だな」
俺は近くに生えている、手頃な太さの木に視線を移した。
『あの木を、建材に加工する。角材に、板材に。必要な形に、必要な数だけ』
再び、魔力を解放する。
俺のイメージに応えて、数本の木が、ミシミシと音を立て始めた。
枝葉がばさばさと落ち、樹皮がするりと剥がれる。そして、丸太だったはずの幹が、まるで巨大な機械で製材されたかのように、正確な四角形の柱や均一な厚さの板へと、その姿を変えていった。
加工された建材は、ふわりと宙に浮き、基礎の上に寸分の狂いもなく、自動的に組み上がっていく。
トントン、カチリ。
まるで、目に見えない大工が、高速で作業を進めているようだ。
床が張られ、柱が立ち、壁がはめ込まれていく。俺はただ、頭の中で設計図を思い描き、魔力を流し続けているだけ。それだけで、目の前で、家がみるみるうちに形作られていくのだ。
「あ……あ……」
リーナは、もう言葉を発することさえできず、ただ、あんぐりと口を開けて、目の前の光景を呆然と見つめている。
その琥珀色の瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれていた。
「窓は、ガラスがいいな。この辺の砂を『加工』すれば、透明な板になるはずだ」
地面の砂を集め、魔力を注ぎ込む。
『砂を、透明で頑丈なガラスに』
砂の粒子が、熱せられたように赤く輝き、一瞬で溶け合って混ざる。
そして、次の瞬間には、透き通った一枚のガラス板へと変化していた。
それが、壁に空けられた窓枠に、すうっと吸い込まれるように、ぴたりとはまった。
「キッチンは、水道が欲しい。空気中の水分を集めて、金属の管を『加工』して……」
空気から水を作り出し、地面の鉱物から金属を精製して、蛇口とパイプを『加工』する。
作ったパイプを地面に埋め、排水の処理までイメージする。
「お風呂は、陶器のバスタブがいいな。これも、土を『加工』すれば……」
白い粘土質の土を、滑らかな曲線を持つバスタブへと『加工』し、お湯と水の蛇口を取り付ける。もちろん、排水管も完備だ。
「トイレは、もちろん水洗で。汚物を分解する機能もつけておこう」
もはや、やりたい放題だった。
俺の『加工』スキルは、物質の構造をイメージ通りに作り変える能力。
そして、それを実行するためのエネルギー源である魔力は、俺の中に無限に近いほど存在する。
この二つが組み合わさった時、それはもう、生産スキルなんていう地味なカテゴリーには収まらない。
これは、ほとんど『創造』に近い、神の領域の御業だ。
最後に、屋根を組み上げる。一枚一枚、丁寧に加工した瓦を並べ、雨漏りしないように隙間なく配置していく。
そして、わずか数時間後。
丘の上には、一軒の立派なログハウス風の家が、まるで最初からそこにあったかのように、堂々と建っていた。
「……できた」
俺は額の汗を拭い、満足のため息をついた。
魔力は、まだ半分以上残っている。燃費は最悪だが、俺の魔力タンクが異常なだけだ。
「ど、どうかな、リーナ?俺の新しい……」
隣にいるリーナに、感想を求めて振り向く。
彼女は、先ほどから一歩も動かずに、完全に固まっていた。
口を半開きにしたまま、焦点の合わない目で、目の前の家を見上げている。
「……リーナ?」
声をかけても、反応がない。まるで、石像になってしまったかのようだ。
「おーい、リーナさんやーい」
目の前で手をひらひらと振ってみる。すると、彼女の瞳が、ようやく、ゆっくりと、俺の顔を捉えた。
「…………タカト、さん」
「ん? どうした?」
「あれは……何ですか……?」
リーナは、か細い、力のない声で尋ねた。
彼女の指さす先には、もちろん、たった今、俺が建てたばかりの家がある。
「何って、家だけど……。ちょっと、やりすぎたかな?」
「やりすぎ、とか、そういうレベルの話じゃない、です……」
彼女は、ぜえぜえと、息を切らしながら言った。
走ったわけでもないのに、その肩は大きく上下している。
「だって……家が……生えてきました……。木が、勝手に板になって、飛んで行って……砂が、ガラスに……。村の誰に話しても、絶対に信じてくれません……。夢、ですよね? これ、私の見てる、都合のいい夢なんですよね……?」
「夢じゃないぞ。ほら」
俺はリーナの手を取って、玄関のドアノブに触れさせた。
ひんやりとした金属の感触に、リーナは「ひゃっ!?」と小さな声を上げた。
「さ、入ってみよう」
「あ、はい!」
リーナが気を取り戻して、木のドアを開けると、ギィ、という心地よい音がした。
中に入ると、新しい木の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。
床も壁も、滑らかに磨き上げられており、素足で歩いても気持ちよさそうだ。
リビングには、大きなテーブルと、数脚の椅子。奥には、先ほど作ったばかりのキッチンがある。
蛇口をひねると、勢いよく綺麗な水が流れ出した。
「み、水が……!?」
「空気中の水分を集めてるんだ。飲み水としても使えるはずだよ」
寝室には、ふかふかしてそうなベッド。
もちろん、これも木材と、植物の繊維を『加工』して作ったものだ。
そして、一番の自信作である、バスルーム。
「こ、ここは何ですか……? 真っ白でつるつるの……これは、お風呂……?」
「ああ。お湯も出るぞ」
蛇口をひねると、温かい湯気が立ち上る。
リーナは、自分の村の生活とはかけ離れた、未知の文明を前にして、ただただ、目をぱちくりとさせている。
「すごい……すごすぎます、タカトさん……。これじゃあ、まるでお城です……。王様が住むお城みたいです……」
一通り、家の中を見て回った後、リーナはリビングの椅子にへなへなと座り込み、ぽつりと呟いた。
その顔には、驚きと、混乱と、そして、ほんの少しの畏れのような感情が浮かんでいた。
「タカトさんのスキル……『加工』なんですよね……?」
「ああ、そうだけど」
「私の知ってる『加工』スキルは、泥をこねて、質の悪いレンガを、一日がかりで一個、作れるか作れないか、くらいの……そういうスキル、なんですけど……」
リーナの言葉を聞いて、俺も、ようやく自分の置かれている状況を、客観的に理解し始めた。
やっぱり、そうだよな。
俺の『加工』は、この世界の常識から、完全に逸脱している。ブラックウルフを倒した時も、リーナの怪我を治した時も、薄々感づいてはいた。だが、こうして、無から有を生み出すようなことをやってのけて、いよいよ確信に変わった。
俺のスキルは、世間で知られている『加工』とは、もはや名前が同じだけの、全くの別物だ。
原因は、おそらく、俺の持つ『莫大な魔力』と、もう一つ。
前世で得た、現代日本の科学知識や、豊かな発想力。
『コンクリートの基礎』『製材された建材』『ガラス』『水道』。
この世界の人間が、誰も想像できないような具体的なイメージを、俺は設計図として頭の中に持っている。
その設計図に、規格外の魔力というエネルギーが注ぎ込まれることで、俺の『加工』スキルは、その本来のポテンシャルを限界を超えて発揮しているんだろう。
それは、もはや『物質の構造を分子レベルでイメージし、それを自在に再構成する』という、神の御業に近い現象。
そして、この力はあまりにも危険すぎる。
もし、この力のことが、どこかの国の王様や野心的な貴族の耳に入ったら、どうなる?
間違いなく、俺はただでは済まないだろう。
軍事利用、兵器開発、便利な道具として、死ぬまでこき使われるに違いない。
そうなったら、俺が夢にまで見た『スローライフ』は終わりだ。
前世と同じ、いや、それ以上に過酷な搾取されるだけの人生が待っている。
それだけは、絶対に避けなければ。
俺は、この異常な力を隠し通さなければならない。
静かに、目立たず、この村で、穏やかに暮らしていくために。
「……なあ、リーナ」
「は、はい!」
俺が真剣な声で呼びかけると、リーナはぴしっと背筋を伸ばした。
「俺のスキルが、ちょっと普通じゃないってことは、分かってくれたと思う」
「は、はい……! 普通じゃないどころか、神様の御業みたいです……!」
「だから、お願いがあるんだ。この家のことも、俺のスキルのことも、あまり他の人には、詳しく話さないでほしい」
俺はリーナの目をまっすぐに見て、頼んだ。
「どうして、ですか……? こんなにすごい力、みんなに自慢すれば、タカトさんは、もっとすごい人だって、尊敬されますよ?」
「俺は、尊敬されたいわけじゃないんだ。ただ、静かに暮らしたいだけ。目立つのは、ごめんなんだよ」
俺の切実な訴えに、リーナは何かを感じ取ってくれたようだった。
彼女は、しばらく黙って俺の顔を見つめていたが、やがて、こくこくと、力強く頷いた。
「……分かりました。タカトさんが、そうしたいなら。私、誰にも言いません。この家のことも、タカトさんのスキルのことも、私の胸の中に、ぜーんぶ、しまっておきます!」
リーナはそう言って、自分の胸をとんと叩いた。その動きが、なんだかとても頼もしく見えた。
「ありがとう、リーナ。助かるよ」
「いいえ! タカトさんは、私の命の恩人ですから!」
きらきらとした瞳で、彼女は言い切った。
俺はほっと息をつき、時計のない部屋で、外の光の加減から、そろそろ夕暮れ時だと察した。
「さて、もう遅いし、村まで送っていくよ。リーナも家に帰らないとな」
俺がそう言うと、リーナは一瞬、ぱっと顔を輝かせたが、すぐにその表情が曇り、俯いてしまった。
「……家」
ぽつりと、か細い声で呟く。
「私の家は、村の集会所の物置みたいな小さなところなんです。……ずっと、一人ですし」
その言葉に、俺はハッとした。
そうか、彼女は薬草採りを一人でしていた。
村人たちも心配はしていたが、家族が迎えに来るような雰囲気ではなかった。
前世で、誰にも看取られず、孤独に死んでいった自分の最期が、脳裏をよぎる。
この子も、ずっと寂しい思いをしてきたのかもしれない。
俺は、目の前に建てたばかりの、広々とした家を見回した。
寝室も余分に一部屋作ってある。
俺自身、この異世界で、知り合いといえる知り合いは、今のところこの村の人間、さらにいえばリーナだけだ。
これから始まるスローライフ、一人で過ごすよりは、誰かと食卓を囲む方が、ずっといいだろう。
「……なあ、リーナ」
「……はい」
「よかったら、この家に住まないか?」
「え……?」
顔を上げたリーナの琥珀色の瞳が、信じられないというように大きく見開かれた。
「俺も一人じゃ、この家は広すぎるし、この世界のこともまだよく知らないんだ。リーナがいてくれると助かる。家事とか、色々教えてもらいながら、さ」
俺がそう言うと、彼女の瞳から、ぽろり、と大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……い、いんですか……? 私が、ここに……?」
「もちろん。……嫌か?」
「嫌なわけ、ありません!」
リーナはぶんぶんと首を横に振ると、堰を切ったように泣きじゃくり始めた。
「う、うれしい……です!私でよかったら!タカトさんの身の回りのお世話、全部します!この命の恩返しをさせてください……!」
しゃくりあげながら、必死にそう言う彼女の頭を、俺はそっと撫でた。




