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外れスキル『加工』は最強だった!スローライフ希望の元社畜、英雄に祭り上げられて困惑中  作者: 速水静香
第五章:高潔なる女騎士の訪問

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第二十四話:美味と監視宣言

 俺が最後の村人の腕に手を当て、その複雑に折れていた骨をあるべき形へと『加工』し終えた時、リーフェル村の広場は、まるで時間が止まってしまったかのような不自然な静けさに満ちていた。

 ほんの数分前まで、オーガ・ロードというAランク級の化け物が大地を揺らし、村人たちの恐怖に引きつった絶叫が聞こえていたのが、まるで遠い昔のできごとのように思える。

 今はただ、広場の中心に突き立った俺が大地から生やした巨大な石の槍。その穂先に、まるで無残なオブジェのように磔にされたオーガ・ロードの巨体が、沈黙のままこと切れている。

 その化け物が振り下ろしたはずの巨大すぎる棍棒が変質した黒い炭の粉だけが、春の終わりの雪のように静かに地面へと降っていた。


 助かった村人たち、怪我を治された若い衆、そして村長さん。

 誰もが言葉を発することができないでいた。

 彼らの視線はもはやオーガの死骸には向いていない。

 感謝や畏れ、そんな生易しい感情を通り越して、何か人ならざる、理解の範疇を超えた存在を見るような、そんな眼差しで、ただ俺の姿を遠巻きに見つめている。

 クラリッサの部下である、あの精強そうな女騎士たちも同じだった。

 彼女たちは吹き飛ばされたダメージで肩や腕を押さえながらもよろよろと立ち上がり、剣を下げたまま、目の前で起きた天変地異と、その原因である俺と、そして未だに盾を構えたまま微動だにしない自分たちの上官とを、困惑した表情で交互に見ている。


 そして、当のクラリッサ・フォン・アルベルト。

 彼女はリーナと村長さんを守るように盾を構えた、あの騎士としての立派な姿勢のまま、ぴくりとも動かずにそこに立っていた。

 その美しい顔はわずかに上を向いている。

 彼女の輝くような金色の髪と白銀の鎧に、オーガの棍棒が変質した黒い炭の粉が、静かに静かに降り積もっていく。

 彼女の、いつも自信と怒りにあふれていた碧い目。

 その目から今は一切の感情が消えていた。

 怒りも侮蔑も驚愕すらも超えて。

 ただ、純粋な『無』。

 まるで魂だけがどこかへ行ってしまった、精巧な硝子細工のようだった。


 ああ、やっちまった。

 俺はその光景を見て、自分のこの先の運命をはっきりと悟った。


 スローライフ、終了のお知らせ。


 それも、これまでで最大級のどうしようもないやつだ。

 バレた。

 よりにもよってこの村で、いやこの世界で一番俺のことを疑っていた、あのクラリッサに。

 彼女の目の前で。

 Aランク級の魔物を指先一つで瞬殺するという、あまりにもあからさまな形で。

 俺のこの『加工』スキルとかいう規格外の力の、その神髄をこれでもかと見せつけてしまった。

 もう言い訳はできない。

 「地震が怖くて腰が抜けました」なんていう三文芝居が、今度こそ通じるはずもなかった。


 俺は大地についていた手のひらをゆっくりと持ち上げた。

 まだ魔力を行使した熱がわずかに残っている。

 俺は、もうどうにでもなれという諦めと絶望が一緒になった巨大なため息を、心の底から本当についた。


 バレたからには、もう仕方ない。

 俺はゆっくりと、クラリッサの元へと近づいていった。

 カツ、カツ、カツ。

 以前彼女が俺を詰問しに来た時に鳴らしていた、あの忌々しい鎧の音は今はしない。

 ただ、俺のみすぼらしい靴が土を踏みしめる乾いた音だけが、やけに大きくこの静まり返った広場に響いた。


「……あの、クラリッサさん?」


 俺が声をかける。

 彼女は反応しない。

 まだあの不気味なほど静かな、炭の粉が降る空を見上げたままだった。


「クラリッサさん。……終わりましたよ」


 俺がもう一度、今度はもう少し強く声をかけると。

 彼女の体が、まるで錆びついて油が切れた古い仕掛けのように、ぎこちなく俺の方を振り向いた。

 その碧い目がゆっくりと俺の顔を映す。

 焦点が合っていない。

 その目に浮かんでいるのは、やはり何の感情もなかった。

 ただ、俺という『理解不能な現象』をそのまま映しているだけ。


「……見られたからには、もう仕方ないです」


 俺は諦めて口を開いた。

 もう隠すことも取り繕うこともやめだ。

 どうせ全て終わったんだ。


「あんたの言う通りでした。……いや、あんたが想像してたよりも、もっとひどいことだったかもしれないけど」


 俺は両手を軽く上げて、降参のポーズを取った。


「これが俺の本当の力です。……あの合同訓練の時のクレーターも、もちろん俺がやりました」

「…………」

「あんたが俺のことを『卑怯者』だとか『騎士道への侮辱だ』とか罵ってくれたあの時も。俺はあんたのその真っ直ぐな言葉に、内心舌を出して笑ってたんですよ。……いや、笑ってはいないか。ただ面倒くさい、としか思ってなかった」


 俺はもう、全部話してしまおうと思った。

 どうせこの女騎士は、俺のことを王都なりギルドの本部なりに引き渡すに決まっている。

 だったら最後に、俺のささやかな本音をぶちまけたってバチは当たらないだろう。


「俺は、ただ静かに暮らしたいだけなんだ」


 俺の声は自分でも驚くほど、痛切なものがあった。


「あんたたちみたいに正義だとか騎士道だとか、そんな立派なもののために戦いたいなんて、これっぽっちも思ったことはない。……誰かのために自分をすり減らすなんて生き方は、もう嫌なんだ」


 俺は目の前の美しい女騎士の、感情のない瞳をじっと見返した。


「だから、頼む。……いや、もう頼んでも無駄なんだろうけど」


 俺はそれでも言わずにはいられなかった。

 これが俺のスローライフへの、ささやかな願いだった。


「頼むから誰にも言わないでくれ。……今のこの出来事も、俺のこの力のことも。全部あんたの心の中だけに、しまっておいてくれないか」


 俺はその場で勢いよく土下座した。

 泥と炭の粉が混ざった汚れた地面に、額をこすりつける。


「俺はただ……! この村でリーナと畑を耕して、芋のことだけを考えてのんびり暮らしたいだけなんだ……! それ以上は何も望まないから……!」


 惨めな声だった。

 Aランク級の魔物を指先一つで瞬殺した男とは、到底思えない。

 だが、これが俺の嘘偽りのない心からの叫びだった。


 しん、と。

 広場が再び静かになる。

 俺は頭を下げたまま、彼女の返事を待った。

 「ふざけるな!」という怒りの罵倒か。

 それとも「分かった、王宮へ連行する」という冷たい判決の言葉か。

 どちらにせよ、俺の平穏な日々はこれで終わりだ。


「…………貴様は」


 やがて。

 頭上から降ってきたのは、しわがれた今にも消えてしまいそうなか細い声だった。


「貴様は……。自分が何をしたのか……。何を言っているのか……。……分かっているのか……?」


 俺はゆっくりと顔を上げた。

 クラリッサはまだそこに立っていた。

 その顔は相変わらず、何の感情も浮かんでいない。

 だが、その白銀の鎧に包まれた小さな体が、カタカタと小刻みに動いているのに俺は気づいていた。


「力ある者は……」


 彼女はまるで壊れたぜんまい仕掛けが、同じ言葉を繰り返すかのように言った。


「力ある者は……民のためにその力を行使すべきだ……。それが騎士の誇り……。アルベルト家の教え……。それが私の信じてきた全て……」

「…………」

「だが……貴様は……。貴様はなんだ……? 神にも悪魔にも等しいその力を持ちながら……。それを隠し……? 腰抜けのふりをして……? 芋を育てたい、だと……?」


 彼女の碧い目が初めて、俺以外の何かを見ているようだった。

 それは純粋な『戸惑い』。

 彼女がこれまで生きてきた、十数年間の信念。

 彼女の信じてきた、世界の当たり前。

 その全てが今、目の前の俺という理解不能な存在によって、根本からひっくり返され、めちゃくちゃにかき乱されていた。


「理解が……できない……。貴様という存在が……。貴様のその生き方が……。私の騎士道では、到底……!」


 彼女の言葉が悲鳴のようにかすれる。

 俺はかける言葉を見つけられないでいた。

 その、あまりにも張り詰めた広場の空気を破ったのは。

 意外にも俺の胃袋の音だった。


 ぐうううううううう……。


 ……え?


 俺は思わず自分の腹を押さえた。

 信じられないくらい盛大な腹の虫の音が、この静まり返った広場に響いた。

 そりゃそうだ。

 あのオーガ・ロードが現れたのは、ちょうど昼飯時。

 俺はリーナが作ってくれた、あの美味そうな芋の味噌バター炒めを楽しみにしていた直後だったのだ。

 あれだけの騒動があってとんでもない魔力を使って。

 腹が減らないはずがなかった。


「…………」

「…………」

「…………」


 俺とクラリッサとリーナと村長さんと、女騎士たちと村人たち。

 全員の視線が俺の腹に一瞬だけ集中した。

 最悪だ。

 これ以上ないくらいシリアスな場面だったのに。

 俺の、このあまりにも場違いな生理現象。

 クラリッサの、あの虚ろだった碧い瞳に、わずかに「は?」という光が戻ってきた。


 俺は、もう、やけくそだった。


「……あー。もう、いいや」


 俺は立ち上がった。

 そして自分の服についた泥と炭の粉を、ぱんぱんと手で払い落とす。


「クラリッサさん」

「……な、なんだ」

「あんたも、あんたの部下の人たちも、腹減ってるでしょ」


 俺の、あまりにも突拍子もない問いかけ。

 クラリッサは面食らったという顔で、ぽかんと口を半開きにした。


「……は、腹が、減って、いる……? 貴様、今この状況で何を……」


「いや、だって、もう昼飯時とっくに過ぎてますし。あんたたちもあの化け物とやり合って疲れてるでしょ。……俺も腹が減って死にそうだ」


 俺はきっぱりと言い切った。


「話はそれからだ。……うちに来てください。何か食わせますよ」

 俺はそう言うと、彼女の返事も待たずにくるりと踵を返した。

 そして、まだ呆然と立ち尽くしているリーナと村長さんに向かって声をかける。


「リーナ! 村長さん! もう大丈夫です! 帰りますよ!」

「あ、は、はいっ!」

「お、おお……」


 俺は二人を促し、丘の上の我が家へと歩き始めた。


「お、おい! 待て! タカト!」


 背後から、クラリッサの慌てたような、焦ったような声が飛んでくる。


「話はまだ終わっていないぞ! 貴様のその力の説明を……!」

「説明は飯の後だ!」


 俺は振り返りもせずに、そう怒鳴り返した。

 もう知ったことか。

 どうせバレたんだ。

 だったらまずは腹ごしらえだ。

 腹が減っては戦もスローライフもできやしない。


 俺は、このとんでもない状況下で、なぜか無性に腹が立って、そして無性に腹が減っていた。


 ◇


 丘の上にある俺の家。

 外見はあの合同訓練の後、カモフラージュのために『加工』した、みすぼらしい石造りのボロ小屋だ。

 クラリッサと彼女の部下の女騎士たちは、あまりにも貧相な建物をいぶかしげな表情で見上げていた。


「……ここが貴様の家だと?」


 クラリッサが怪訝そうに尋ねる。

 あの『生きている家』の噂は聞いていたのだろう。

 だが、目の前にあるのはただのボロ小屋。


「ええ、まあ。外見は気にしないでください。ちょっと事情があって」


 俺はそう言うと、家の粗末な木の扉を、ぎいと音を立てて開けた。

 そして彼女たちを中へと促す。

 クラリッサたちはまだ何か警戒しているように、おずおずとした様子で一歩家の中へと足を踏み入れた。

 そして。


「「「…………っ!?」」」


 彼女たち全員が、はっと息を詰めた。

 無理もない。

 外見の、あのみすぼらしさとはかけ離れた、清潔で明るい近代的な内装。

 滑らかに磨き上げられた板張りの床。

 歪みのない壁。

 奥には金属製の蛇口まで備え付けられた、機能的なキッチン。


「な……!? こ、これは……!? 外と中がまるで違う……!?」


 クラリッサの部下の一人が狼狽の声を上げる。

 クラリッサ本人も、その碧い瞳を驚きに見開いていた。

 彼女の混乱はさらに深まったことだろう。


「さ、どうぞ。適当なところに座ってください。……ああ、リーナ、すまないが手を貸してくれるか? 急いで飯の支度をするぞ」

「は、はいっ! お任せください!」


 俺は騎士たちがリビングで呆然と立ち尽くしているのを横目に、さっさとキッチンへと向かった。

 もう彼女たちの前でスキルを隠す必要も意味もない。

 俺は貯蔵庫から猪の魔物の塩漬け肉の塊と、畑で採れた新鮮な野菜を手早く取り出した。

 そして包丁を手に取る。


「……タカトさん。その刃物……」


 いつの間にかキッチンの入り口に、クラリッサが立っていた。

 その視線は俺が手にしている黒光りする包丁に釘付けになっている。

 エリスとまったく同じ反応だ。


「……ああ、これも俺が作ったやつです。その辺の石ころを『加工』して」

「石、ころ、を……?」


 彼女の理解が追いついていない。

 俺はもう構わずに調理を始めた。

 トントントンと、小気味良い一定のリズム。

 ありえない切れ味の包丁が、硬い塩漬け肉をまるでバターのように薄切りにしていく。

 野菜もあっという間に、同じ大きさに切りそろえられていく。

 リーナも俺の隣で、慣れた手つきで芋の皮を剥き、スープの準備を始めていた。


「……見事な手際だ……」


 クラリッサがぽつりと呟いた。

 それが俺の包丁さばきに対してなのか、それとも俺の包丁の切れ味に対してなのかは分からなかったが。


 俺は熱した鉄板に油をひき、切りそろえた肉と野菜を一気に投入した。

 じゅわーっ!

 小気味良い音。

 肉の焼ける香ばしい匂い。

 そこに俺は取り出した特製の、黒い液体の入った小瓶。

 『醤油』。

 それを鍋肌にそって、さっと回しかけた。

 じゅわわわわわわわわっ!

 先ほどとは比べ物にならない、一段と甲高い音。

 そして、爆発的と表現するしかない芳醇で香ばしく、食欲を根こそぎ刺激する未知の匂いが、キッチンからリビング全体へと一瞬で広がった。


「……っ!?」


 クラリッサの肩が、びくりと大きく動いた。

 彼女の、そのすっと通った鼻筋が、くんとかすかに動く。

 その碧い瞳が信じられないというように、鉄板の上で照り輝いている肉野菜炒めを凝視していた。

 リビングにいた他の女騎士たちも同じだった。

 彼女たちはそれまで騎士としての規律を守り、直立不動で立っていたはずなのに。

 今や全員が、無意識のうちにキッチンの方へと顔を向け、その未知の、あまりにも暴力的なまでに美味そうな匂いに、完全に意識を奪われていた。

 ぐうと、誰かの腹の虫が盛大に鳴る音がした。


 俺はもう一つの鍋で、リーナが準備してくれた芋と野菜のスープに、特製の『味噌』を溶き入れていく。

 ふわりと、今度は醤とはまた系統の違う、優しく、そして深い、発酵した穀物のような香りが立ち上った。


 数分後。

 テーブルにはほかほかと湯気を立てる肉野菜炒めと、具沢山の味噌汁。

 そして、ふかした芋が人数分並べられた。

 見た目はどこにでもある素朴な田舎料理だ。


「……さあ、どうぞ。熱いうちに。まあ、こんな粗末なものしか出せませんけど」


 俺がそう言うと。

 クラリッサたちはまるで金縛りにでもあったかのように動かない。

 ただ、目の前の料理から立ち上る未知の香りに翻弄されているようだった。


「……クラリッサ様。こ、これは……?」


 部下の一人がごくりと喉を鳴らしながら、上官の顔色をうかがう。

 クラリッサは、はっと我に返ったようだった。

 その美しい顔がわずかに赤く染まっている。

 自分としたことが、こんな得体の知れない田舎料理の匂いに我を忘れていた。

 そんな羞恥と葛藤が、その表情から読み取れた。


「……っ! た、食べるぞ!」


 彼女は自分に言い聞かせるようにそう短く命じると、ぎこちない手つきでフォークを手に取った。

 そして、ためらうように肉野菜炒めの一切れを突き刺す。

 それをゆっくりと自分の口元へと運んでいく。

 毒見でもするかのような真剣な眼差し。

 小さな形の良い唇がわずかに開かれ、その一口が彼女の口の中へと消えた。

 数回、もぐもぐと咀嚼する。

 そして。

 ぴたりと、彼女の全ての動きが止まった。

 俺はその瞬間を待っていた。

 エリスの時とまったく同じ反応だ。

 彼女のあの碧い瞳が、これ以上ないというくらいカッと大きく見開かれた。


「なっ…………!」


 か細い声が漏れる。

 彼女は自分の舌の上で今起きている、爆発的な味の奔流が信じられないというようだった。

 肉の旨味。

 野菜の甘み。

 それをあの黒い調味料が、絶妙な塩加減と深いコクで一つにまとめ上げ、高次の味わいへと昇華させている。

 口の中に広がる、幸福な味の洪水。


「こ……!」


 彼女の口が、わななく。


「こ、こんな味…………!」


 彼女はフォークを落としそうになるのを必死でこらえ、そして叫んだ。


「王宮の晩餐でも……! 食べたことがない……!」


 騎士としての威厳もプライドも何もかもが吹っ飛んだ、素直すぎる驚愕の声だった。

 その一言を皮切りに。

 彼女はもう我を忘れていた。

 夢中でフォークを動かし、肉野菜炒めをその小さな口へと次々と運び込んでいく。


「お、おいしい……! なんだこれは!? この黒い味付けは!?」

「こ、こっちの汁物も……! なんだ、この優しくて深い味わいは……!? 体が芯から温まる……!」


 部下の女騎士たちも同様だった。

 彼女たちはもはや騎士としての威厳も何もかもをかなぐり捨て、泣き出さんばかりの勢いで目の前の料理をかきこんでいた。


 規格外の戦闘能力。

 神の御業のごとき治癒の力。

 そして、王宮のどんな晩餐よりも美味い、未知の料理。

 その全てを、この目の前の情けない、芋畑を愛する一人の男が生み出している。

 この圧倒的すぎる現実。

 その計り知れないギャップ。

 クラリッサの価値観は今この瞬間、俺の肉野菜炒めと味噌汁によって、粉々に打ち砕かれた。


 ◇


 嵐のような食事の時間が終わった。

 テーブルの上にはあれだけ山盛りにあった料理が、綺麗に跡形もなく消え失せていた。

 クラリッサと彼女の部下たちは、満足感とそれ以上の混乱に満ちた、とろんとした顔で、ほうと熱いため息をついていた。


「……ごちそう、さま……だった」


 クラリッサが我に返り、慌てて口元をナプキンで拭いながら咳払いをした。

 その美しい顔は、自分が騎士にあるまじきはしたない振る舞いをしてしまったという羞恥で、真っ赤に染まっている。


「……タカト」


 彼女は俺をまっすぐに見据えてきた。

 だが、その碧い瞳にもう以前のような怒りや侮蔑の色はなかった。

 そこにあるのは、ただ深い深い混乱と、そしてほんのわずかな畏れ。


「……貴様の力は、あまりにも危険すぎる」


 彼女は絞り出すように言った。


「戦闘、治癒、そしてこの……食すらも。常識を逸脱している。……そして貴様の生き方は……。それを持ちながら、芋を育てたいなどと……。……騎士として断じて理解ができない……」


 彼女はそこで一度言葉を切った。

 その小さな拳をテーブルの下で、ぎゅっと強く握りしめているのが見えた。

 彼女は今、自分の信じてきた全てと目の前の現実との狭間で、必死に葛藤している。

 そして、やがて。

 彼女は顔を上げた。

 その碧い瞳に、一つの新しい光が差していた。


 それは、彼女なりの『答え』。


「……だが!」


 彼女は椅子から勢いよく立ち上がった。


「だがこの目で確かめねばならぬ! 貴様のその規格外の力が、本当に世の害悪とならないか! 貴様のそのゆがんだ生き方が、どのような結末を迎えるのか!」


 彼女は俺をまっすぐに指さした。


「騎士の誇りにかけて! この私、クラリッサ・フォン・アルベルトが! 貴様を……!」


 彼女はそこで一瞬だけ言葉に詰まった。

 そして、ちらりと空になった肉野菜炒めの皿を見た。


「……貴様の作る料理と、その力を、生涯をかけて監視することを宣言する!」


 高らかに彼女はそう宣言した。


「……は?」


 俺の口から、間の抜けた声が漏れた。

 監視?

 生涯をかけて?

 今、なんつった、この人。


「聞いただろう! お前たち!」


 クラリッサは俺の困惑などお構いなしに、自分の部下たちを振り返った。


「お前たちは先に拠点の村へと戻れ! そしてギルドと騎士団本部に、オーガ・ロード討伐の詳細を報告しろ! ……討伐したのは、あくまで我々アルベルト騎士団の活躍によるものとしてな! この男の異常な力については他言無用だ! いいな!」

「し、しかし、クラリッサ様! それでは、クラリッサ様お一人だけがここに……!」

「決定だ! これはアルベルト騎士爵家、次期当主としての命令である!」


 彼女のその有無を言わせぬ剣幕に、部下の女騎士たちはぐっと言葉に詰まり、最終的には不承不承ながらも敬礼するしかなかった。


「「「……はっ!」」」


 こうして。

 俺のスローライフの拠点である、この丘の上の小さなボロ小屋に見える家に。

 クラリッサという名の新たな監視役。

 いや、十中八九、俺の作る飯が目当てのとんでもない居候が、一人強引に加わることが決定してしまった。


 俺のスローライフは、一体どこへ向かっていくのだろうか。

 俺は高らかに腕を組んでふんぞり返っているクラリッサと、その横で「や、やりましたね、タカトさん……?」と困惑しながらも嬉しそうにしているリーナの顔を、交互に見比べながら。

 もう何度目か分からない、深くて長いため息をつくことしかできなかった。

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― 新着の感想 ―
素晴らしい。大変面白かった。是非とも続編を読んでみたい。
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