第二十一話:高潔なる女騎士の再訪
リーフェル村には、俺にとっては真実の平穏が戻ってきていた。
「んしょ、んしょ……!」
「おお、リーナ、頑張るな。だが、そんなに力を入れなくても、土は柔らかいから大丈夫だぞ」
「はいっ! でも、なんだか気合が入っちゃうんです! このお芋さんたちが、タカトさんの美味しい料理になるんだーって思うと!」
丘の上、俺の家の隣に広がる、俺専用の芋畑。
そこで俺は、すっかりお気に入りの作業となった鍬を手に、新しい畝を作っていた。リーナも、小さなスコップを両手に握りしめ、目をきらきらと輝かせながら、芋の苗の周りの雑草を抜いてくれている。
太陽の光が、土の匂いを運んでくる。
遠くからは、村の子供たちのはしゃぐ声が微かに聞こえてくる。
なんて、素晴らしい。
なんて、穏やかなんだ。
これだ。これこそが、俺が血反吐を吐くような思いで、どうしても手に入れたかった、スローライフそのものだった。
あの訓練の後、村人たちの俺を見る目からは、以前のような息が詰まる「タカト様(畏敬)」という重圧は、すっかり消え失せた。
代わりに向けられるのは、「Bランク冒険者っつっても、色々いるんだなあ(生暖かい目)」という、適度な距離感を伴った、ご近所さんとしての視線だ。
もちろん、俺がワイバーンを倒した(と彼らは思っている)という事実は残っているため、最低限の尊敬は払ってくれているようだが、それ以上に『腰抜け』という圧倒的なマイナスイメージが、俺という存在を、絶妙に『無害』なものへと中和してくれていた。
「あ、タカトさん! 今日も精が出ますなあ!」
丘の下の道を通る農夫のおじさんが、にやにやと、親しみのこもった笑顔で、こちらに手を振ってくる。
「は、はは……。おかげさまで……。腰、やらないように気をつけます……」
俺が、わざとらしく腰をさすりながら、情けない笑顔で返すと、おじさんは「がはは!」と豪快に笑いながら、去っていった。
完璧だ。村人とのコミュニケーションが、完全に成立している。
そして、何よりも。
あの『知的好奇心の怪物』こと、エリスが、今はここにはいない。
ルーンヘブンのギルドに戻っていった彼女は、「近いうちに研究の継続を」などと、実に不吉な置き土産の言葉を残していったが、きっと気のせいだ。
あんな忙しそうな人が、こんな辺境の村の芋畑に、そう何度も来るはずがない。いや、来ていいはずがない。だから、来るはずがないのだ。
そう。
全ては、元通りになったのだ。
俺とリーナ。
二人だけの、穏やかで、静かで、誰にも邪魔されない、このスローライフが。
……そう確信していた。
この平和が永遠に続くと、本気で信じ込もうとしていた、その時だった。
「わ、わ、わ、わ……!」
穏やかな午後の空気を引き裂くように、村の方角から、何やら、切羽詰まったような叫び声が聞こえてきた。
それも、一人や二人ではない。
村全体が、急に沸騰した湯のように、がやがやと騒がしくなっている。
「……ん?」
俺は、鍬を持つ手を止めて、怪訝な顔で、村の中心部へと視線を向けた。
畑仕事の手を止め、右往左往している村人たちの姿が豆粒のように見える。
「……なんだろう?」
「さて、随分と慌ただしいな……」
リーナが、不思議そうに小首をかしげた、その時。
その喧騒の中心から、一つの人影が凄まじい勢いで飛び出して、俺たちのいる丘に向かって、坂道を駆け上がってくるのが見えた。
息を切らし、何度も転びそうになりながら、必死の形相で。
その見慣れた、豊かな白髭の姿は。
「……村長さん?」
そうだ。グレン村長だ。
いつも、冷静沈着で、どっしりと構えている、あの村長が狼狽した様子で、こちらへ向かってきている。
「た、タカト殿ーっ!タカト殿はおられるかっ!?」
地響きのような、切迫した声。
俺の胸の中に、ずぶり、と、冷たい鉄の杭でも打ち込まれたかのような、猛烈に嫌な予感が急速に広がっていく。
平穏が終わる音。
面倒事が、向こうから全力疾走で、こちらに突っ込んでくる音がした。
「はあ……っ、はあ……っ!」
数分後。
俺の家の前に、文字通り、転がり込むようにしてたどり着いたグレン村長は、両手を膝につき、ぜえぜえと、今にも倒れそうなほどの荒い息を繰り返していた。
その顔は、血の気が引いて、真っ白になっている。
「村長さん!? ど、どうしたんですか、そんなに慌てて!ま、まずは、お水を……!」
「はあ……っ、はあ……。い、いいや、水は、いい……!」
リーナが慌てて家の中に水を汲みに行こうとするのを、村長は片手で制した。
そして、ぜえぜえと途切れる息の合間に絞り出すように、こう言ったのだ。
「た、タカト殿……!き、騎士が……!騎士の一団が、村に……!」
「騎士……?」
俺は、思わず、間の抜けた声で聞き返した。
騎士。
その単語は、俺の頭の中で、ただ一人の面倒くさい人物の顔と直結していた。
「そ、それも、ただの騎士ではない……! あ、あの、アルベルト騎士爵家の、ご紋章を掲げた、立派な一団じゃ……!」
アルベルト騎士爵家。
ああ、もう、間違いない。
合同訓練の時、エリスが言っていた。
あの、高慢ちきで、プライドがエベレストよりも高い、少女騎士の名前。
確か、クラリッサ・フォン・アルベルト、とか、言ったか。
「……はあ」
俺の口から、もはや、諦めと絶望と疲労が、混ざり合ったような、深くて、重たい、ため息が漏れ出た。
ああ、なんでだよ。
なんで、あいつが、こんな辺境の芋畑しかない村に、わざわざやってくるんだ。
「そ、それで、そのアルベルト家のご一行様は、今、どちらに……?」
俺が尋ねると、村長は、顔を真っ青にしたまま、丘の下、村の入り口へと続く道を指さした。
「それが……!『村の北側にある、丘の上の小屋にBランク冒険者がいると聞く。案内しろ』と……! 今、まさに、こちらへ向かって、おられるところじゃ……!」
カツ、カツ、カツ……。
村長の言葉を、裏付けるかのように。
丘の下から、複数の馬の蹄の音と鎧が擦れ合う、冷たい金属音が、近づいてくるのが聞こえてきた。
もう逃げ場はない。
俺は天を仰いだ。
憎らしいほどに青く澄み渡った空が、そこにあった。
◇
数分後。
俺の家の、みすぼらしい外観とは、あまりにも不釣り合いな一団が、その前に、ずらりと並んだ。
先頭に立つのは、見間違えようもない。
純白の馬に跨り、磨き上げられた白銀の鎧に身を包んだ、あの女騎士。
クラリッサ・フォン・アルベルト。
彼女の後ろには、同じく、立派な鎧兜に身を固めた、いかにも精強そうな女騎士たちが、四、五人、馬上で、一糸乱れぬ隊列を組んで控えている。
その一団が発する、冷たい鉄と規律の匂い。
ぴりぴりとした、威圧感。
それは、リーフェル村の、のどかな空気とは、完全に合っていない。
クラリッサは、馬の上から、俺の家を、じろり、と一瞥した。
その碧い瞳が、「これが、あの『生きている家』とやらか。噂に違わぬ、みすぼらしさだ」と、言外に語っているかのようだった。
そして、彼女の視線は、家の前で鍬を持ったまま、呆然と立ち尽くしている、俺の姿を正確に捉えた。
彼女の形の良い美しい唇が、ふと、わずかに吊り上がる。
それは、笑み、と呼ぶには、あまりにも冷たい。
獲物を見つけた、猛禽類のように獰猛な、それでいて、どこか歓喜に満ちた表情。
「……ほう。随分と、精が出るようだな。芋掘りか?」
鈴が鳴るような、澄んだ声。
だが、その声色には、隠しようもない、あからさまな侮蔑が、たっぷりと含まれていた。
「Bランク冒険者殿が、土いじりとは。……実に貴様らしい、卑しい姿だ」
うわあ。
来たよ。
開口一番、それかよ。
相変わらず、人の神経を逆撫でさせたら、天下一品だな、このお嬢様は。
「こ、これは、クラリッサ様。ようこそ、こんな辺鄙な村まで……。はは……」
俺は、またか、とうんざりしながらも、身体に染み付いた『役立たず』スマイルを顔面に貼り付けた。
鍬を、そっと、地面に置き、卑屈なまでに、腰を低くして、ぺこり、と頭を下げる。
これでいい。
俺は、ただの腰抜けBランク。
彼女の、退屈しのぎの罵倒の的になってやれば、満足して、帰ってくれるだろう。
「……タカトさん」
俺の背後で、リーナが悔しそうに、俺の服の裾を、ぎゅっと握りしめているのが分かった。
すまんな、リーナ。
これが、大人の処世術というやつなんだ。
だが。
今日のクラリッサは、いつもと何かが違った。
俺の、その情けない笑顔と卑屈な態度を見ても、彼女は、それ以上、俺を罵倒しようとはしなかった。
それどころか。
彼女は、すっ、と白馬から軽やかに、地面へと降り立った。
カツ、カツ、カツ……。
白銀のブーツが、土の地面を規則正しく、踏みしめる音。
彼女は、俺の目の前、ほんの数歩の距離まで、近づいてくると、ぴたり、と、足を止めた。
間近で見ると、その美しさは人形のようだった。
だが、その碧い瞳は、人形とは程遠い。
燃えるような、強い意志の光が、その奥でゆらめいていた。
「……タカト」
今度は、呼び捨てだった。
その声には、侮蔑ではなく、もっと、こう……真剣なモノがあった。
「貴様は……。あの訓練で、あの場にいた、全員を見事に欺き通したな」
「……は?」
俺は思わず、間の抜けた声で聞き返した。
貼り付けた笑顔が、顔の上でひきつるのが、分かった。
「な、何を、仰いますやら……。欺く、だなんて……。俺は、ただ、腰が抜けて、泣きじゃくっていただけで……」
「まだ、とぼけるか」
クラリッサの声が、一段、低くなる。
「あのクレーター。あれが、ただの地盤沈下などでは、断じてないこと。……この私が見誤るはずがない」
彼女は、そう断言した。
いったい、彼女の自信は、どこから来るんだ。
「訓練が終わった後、私は、あの場所を徹底的に再調査させた」
「……!」
再調査だと?
この女、暇なのか?
「あの巨大なクレーター。その断面は、まるで熱した刃物で切り取られたかのように、滑らかだった。自然の地盤沈下で、あのように人為的な『加工』の跡が、残るはずがない」
加工。
彼女は、今、確かにそう言った。
「そして、あの場所にいた、Bランク冒険者の中で。あの現象を引き起こしうる、唯一の可能性を持つ者」
彼女の碧い瞳が、まっすぐに俺を射抜いた。
「『莫大な魔力』と、『加工』スキル。ちぐはぐな、二つを併せ持つ、貴様。……タカト、お前だけだ」
しん、と。
その場の空気が、凍りついた。
リーナが、息をのむ、気配がした。
村長が、ごくり、と、固唾をのむ音が聞こえた。
まずい。
まずい、まずい、まずい。
俺の、血のにじむような、偽装工作。
俺が、必死で、築き上げてきた、『腰抜け』という、平和の砦。
それが、今、このプライドだけが高そうな、女騎士の直感に従った、しつこい推理によって、ガラガラと音を立てて、崩れ落ちようとしていた。
「……い、いやあ、クラリッサ様。そ、それは、いくらなんでも買いかぶりすぎ、と、言うか……。俺のスキルは、本当に泥をこねる、くらいしか……」
俺は、まだ諦めない。
最後の一縷の望みをかけて、ひきつった笑顔を浮かべ続ける。
だが。
クラリッサは、そんな俺の哀れな抵抗を、ふん、と、鼻で笑い飛ばした。
「その見え透いた芝居は、もう結構だ」
彼女は、きっぱり、と言い切った。
「私が、今日、ここへ来たのは、貴様のふざけた化けの皮を剥がすためだ」
「ば、化けの皮……」
「そうだ。貴様は、あの訓練で何を隠そうとした? あの神の御業とも、悪魔の所業ともつかぬ、天変地異。あれが、貴様の真の力だというのなら。……それを隠して、我々をあざ笑い、侮辱した、その真意を聞かせてもらおうか」
彼女の、その碧い瞳は、もはや、怒りではなかった。
それは、純粋な『真実』への渇望。
彼女の信じてきた、『騎士道』という、世界の常識。
それを、根底から揺るがした、俺という理解不能な存在。
その、正体を彼女は、自らの、手で、暴き出し、そして、理解しなければ、気が済まないのだ。
ああ、こいつも結局、エリスと同じ人種かよ。
俺のスローライフの天敵は、どうして、こんなにも、好奇心旺盛で面倒くさい、美人ばかりなんだ。
「……あの、クラリッサ様。本当に、何かの勘違いだと……」
俺が、どうやって、この絶体絶命のピンチを切り抜けようか。
脳みそをフル回転させて、次なる言い訳を必死で組み立てようとしていた。
まさにその時。
彼女が、俺の最後の言い訳を許すまじと、さらに、一歩、踏み込もうとした、その瞬間。
村の方角から。
これまで、聞いたこともないような、地響きが響き渡った。
ドシン……!
ドシン……!
ドシン……!
それは、合同訓練の時に感じた、あの魔物の大群の足音。
いや違う。
あれよりも、もっと重い。
もっと、巨大な何かが、大地を踏みしめている、音。
「……!?」
クラリッサが、はっ、とした、鋭い顔で音のした方角を振り返った。
彼女の部下である、女騎士たちも、一斉に、馬上で剣の柄に手をかける。
そして。
「「「ぎゃあああああああああああああっ!!」」」
「に、逃げろぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「ま、魔物が……! と、とんでもねえ、でけえのが、村に……!」
村の中心部から。
村人たちの恐怖に引きつった、阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡ってきたのだった。




