第十九話:地盤沈下
あの一件、つまり俺が腰を抜かしている間に魔物の大群が巨大なクレーターの底に吸い込まれていった不可解な現象は、結局のところ、原因不明の大規模な地盤沈下と原因づけられた。
つまり、魔物の大群の殺到が引き金となった、偶発的な自然災害、として結論されたのだ。
あの時、興奮冷めやらぬ野営地で開かれた緊急の事情聴取――と呼ぶにはあまりにも一方的なクラリッサによる俺への弾劾会による原因追及は、完全な空振りに終わってしまった。
「ありえない!あれは自然現象などでは断じてない!あの男、タカトがスキルを行使した結果だ!」
クラリッサは、今でもそう息巻いていることだろう。あのとき、彼女の細く綺麗な白い指は、俺という存在を指し示し、その碧い瞳は「こいつが犯人だ」と鋭く告発していた。
だが、彼女のその確信に満ちた直感も、あまりにも圧倒的な『事実』の前には、何の効力も持たなかった。
こうして、この日を境に、俺の『莫大な魔力を持つだけの史上最弱の腰抜けBランク』という、大変不名誉な、しかし俺にとっては都合の良い評価は、この合同訓練参加者の中で、揺るぎないものとなったのである。
やったぜ。
俺は内心、誰にも見られないように、ガッツポーズを取っていた。
◇
訓練の残り日数は、幸いにも淡々と過ぎていった。
あの大規模な魔物退治が、よほど魔物たちの縄張りに影響を与えたのか、あれ以来、野営地が直接的な脅威に晒されることは、ほとんどなくなった。たまに聞こえてくる遠吠えも、以前のような切迫したものではなく、どこか遠くで鳴いている、といった程度のものだ。
おかげで、俺たち設営チームは、本来の任務である『野営地の構築』という名の、地味な土木作業に再び集中することになった。
そして、俺もまた、俺の本来の任務――『役立たずを演じ切る』という、極めて困難なミッションへと、全神経を集中させていた。
「う、ぐぐぐ……っ!」
ある日の午後。俺は、野営地の水源として掘られた井戸の横で、バケツ一杯の水を持ち上げようとして、盛大に膝から崩れ落ちていた。
「お、重い……! だめだ、水が、水が俺の腕の筋肉を破壊しようとしている……!」
「タカトさん! だ、大丈夫ですか!? だめですよ、そんな重いもの持っちゃ! 私がやりますから!」
俺の迫真の演技に、リーナが慌てて駆け寄ってくる。彼女は、俺の手からバケツをひったくると、よいしょ、と、その小さな体で軽々と持ち上げてみせた。
「ほら、こんなに重いんですから! タカトさんは、あっちの日陰で休んでてください!」
「す、すまない、リーナ……。俺は、なんて、無力なんだ……」
俺は、わざとらしく額の汗を拭い、リーナに支えられるふりをしながら、よろよろと木の切り株へと腰を下ろした。
その一連の主従のやり取りを、遠巻きに見ていた他の冒険者たちが、またしても憐れみの溜息をついている。
「おい、見たかよ、今のアレ」
「ああ……。Bランク様が、水一杯も運べねえってよ」
「あの従者の子、健気だよなあ。あんな役立たずの主人に仕えて、苦労が絶えねえだろうに」
「魔力だけあっても、これじゃあな。何の役にも立ちやしねえ」
よし、よし。
実にいい感じだ。
俺への評価は、もはや地の底を突き破って、マントル層にまで達しているに違いない。
もちろん、これも全て、計算ずくの演技である。
俺は、今しがたリーナが運んでいった井戸の水に、こっそりと意識を集中させていた。
(……さて、と。あの水、さっき調べたら、有害な成分が溶け込んでいたな。このままだと、全員、腹を下す。もちろん、リーナに飲ませるわけにはいかない)
俺は、切り株に座り、疲労困憊でぐったりしているふりをしながら、そっと、地面に手のひらをついた。
『イメージしろ。あの水瓶に注がれた、全ての水。その水以外の不純物。毒性のある成分。それらを『加工』し、無害な成分へと分解する』
俺の体から、ごくごく微量の魔力が、誰にも気づかれないように、大地を伝って、水瓶へと流し込まれていく。
数秒後、水瓶の中の水は、見た目は何一つ変わらないまま、飲料水へと『加工』されていた。
「ふう……。タカトさん、お水、どうぞ」
何も知らないリーナが、その水で濡らした手ぬぐいを、俺の額に当ててくれる。
ああ、なんと地味で、なんと報われない、孤独な戦いだろうか。
全力でワイバーンを倒すよりも、ドラゴンを砂に変えるよりも、遥かに、神経をすり減らす作業だった。
また、別の日には、見張り櫓の建設作業にも、もちろん『役立たず』として、参加した。
「おい、Bランク! ぼさっと突っ立ってないで、お前も、そこの柱を支えろ!」
「は、はいっ!」
リーダー格の斧使いに怒鳴られ、俺は慌てて、数人がかりで持ち上げようとしている、巨大な丸太の柱へと駆け寄った。
そして、その柱に、そっと、手を触れる。
「う、うおおおお! せえええのっ!」
冒険者たちが、掛け声と共に、柱を持ち上げようとする。
俺は、もちろん、一切、力を入れない。
それどころか、わざと、ふらふらと、足元をよろめかせてみせた。
「わ、わわっ! す、すみません! 手が、手が滑って……!」
「この野郎! 邪魔だ、どいてろ!」
「ちぇっ! 本当に使えねえな、お前は!」
俺は、あっさりと、その作業の輪から、弾き出された。
そして、柱から離れた場所で、「すみません、すみません……」と、ひたすら、情けなく、頭を下げ続ける。
(……よし。今だ)
彼らの注意が、柱を持ち上げることだけに集中している、その一瞬の隙。
俺は、先ほど、手を触れた柱に、こっそりと魔力を流し込んでいた。
『イメージしろ。あの柱の、内部構造。木の繊維、その一本一本を、鋼鉄のワイヤーのように、強靭なものへと『加工』する。見た目は、ただの木材のまま。だが、その強度は、オークの体当たりくらいは、数十発も耐えられるレベルまで、引き上げる』
俺の魔力が、見えない力となって、柱の内部構造を組み替えていく。
ズシン、と。
冒険者たちが、ようやく、その柱を所定の穴へと立てた。
「ふう……。で、でけえ。けどさ、こんなんで、本当に大丈夫かよ。魔物がぶつかってきたら、一発で、折れちまうんじゃねえのか?」
「まあ、気休めよりは、マシだろ。ないよりはな」
彼らが、そんな不安そうな会話を交わしているのを、俺は、遠くで申し訳なさそうな顔をしながら聞いていた。
(大丈夫ですよ。その柱、今や、そこらの鉄柱よりも、よっぽど頑丈ですから)
などと、口が裂けても言えるわけがなかったが。
こうして俺は、日中は徹底的に『無能な役立たず』を演じ続け、周囲の嘲笑と侮蔑を一身に浴びながら、その裏では、誰にも気づかれない、地味すぎるサポート作業を、黙々と、こなし続けていった。
◇
ただ一人、あの高慢な騎士の少女、クラリッサを除いて。
クラリッサは、掃討任務の合間に野営地に戻ってきては、遠巻きに、じっと値踏みするような鋭い眼光で、俺の情けない、その一挙手一投足を監視していた。
俺が石ころ一つ運ぶのに、ぎっくり腰のふりをしてへたり込む姿を。
俺がリーナに甲斐甲斐しく世話を焼かせている姿を。
俺が見張り櫓の柱から、邪魔者扱いされて、弾き出される姿を。
彼女は、その全てを腕を組み、木陰に寄りかかりながら、眉間に深い皺を刻み込んだ、険しい表情で見つめているのだ。
彼女の中では、まだ、俺への疑念が晴れていないのだろう。
(あの男が……。あの、クレーターを引き起こした、張本人……?)
彼女の碧い瞳が、そう語っているようだった。
(だが……。そんな男が、なぜ、あんな……。あんな、みっともない、ナメクジのような真似を……?)
俺があまりにも『役立たず』を演じ続けるため、彼女は、苛立ちと混乱を、ますます募らせるばかりのようで。
そんな彼女の混乱っぷりが手に取るように、伝わってくる。
そして、その彼女の鋭い視線が、俺の背中に突き刺さるのを感じる。
「わあ!?」
「タカトさん!? だ、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だ、リーナ……。ちょっと、地球の重力が、今日は、俺にだけ、強く働いているみたいでな……」
「地球……? 重力……?」
きょとんと、小首をかしげるリーナと、そんな俺たちのやり取りを、遠くから「……っ!」と、歯ぎしりでもしそうな顔で睨みつけている、クラリッサ。
なんだか、この状況が、少しだけ楽しくなってきたかもしれない。
いや、楽しくはないな。
早く、家に帰りたい。
◇
そして、訓練最終日。
七日間にわたる、俺の地獄の偽装工作は、ついに、その終わりを告げた。
俺たち設営チームと、俺の地味すぎるサポートの血と汗と涙の結晶である野営地は、無事に、その完成を見た。
見張り櫓がそびえ立ち、強固に見える防御柵が周囲を囲み、井戸の水も安全も、食料庫も、完備されている。
まあ、俺が本気を出せば、半日もかからずに、これの十倍は立派な拠点を作れたわけだが。
そんなことを言っても、仕方がない。
訓練の最後を締めくくる、閉会式と呼ぶには、あまりにも簡素な集会が、完成した野営地の広場で開かれた。
髭のギルド幹部が、やけに、ふんぞり返った態度で、集まったBランク冒険者たちの前に立つ。
「うむ! 諸君らの働き、見事であった! この七日間で、Bランク冒険者同士の連携も深まったことだろう! これにて、合同訓練は、閉会とする!」
その、高らかな宣言に、冒険者たちから、「おお……」「やっと、終わりか……」「疲れた……」と、安堵と疲労が入り混じった、様々な声が上がった。
俺も、心の底から、安堵のため息をついた。
長かった。本当に長かった。
「……ああ、そうだ」
解散、という言葉が出かかる、その直前。
髭の幹部が、まるで、今、思い出したかのように、俺の方をちらりと見た。
その顔には、どう扱っていいか、心底、困り果てている、という表情が、あからさまに浮かんでいる。
「……ええと」
彼は、数秒間、言葉を選び、そして、何とも言えない微妙な顔で、こう言った。
「リーフェル村のタカト君。……君は……まあ、そのなんだ。……従者共々、ご苦労だった」
それだけ。
労いの言葉、というには、あまりにも、歯切れが悪く、中身がない。
まるで運動会で、何もしていないのに、無理やり参加賞を渡された、みたいな雰囲気だ。
だが、俺にとっては、それが最高の賛辞だった。
「は、はいっ! あ、ありがとうございましたっ!」
俺は、これ以上ないくらい、どこまでも情けない笑顔で、深々と頭を下げた。
周囲の冒険者たちから、またしても、くすくす、という、最後の最後まで俺を馬鹿にしきった、笑い声が聞こえてきた。
こうして、俺は。
当初の目的であった、『スキルを完全に隠し通し、無能な役立たずとしての評価を、この演習林にいる全員の脳裏に、確固たるものとして、焼き付ける』という、極めて困難で地味すぎるミッションを、見事に、やり遂げたのだった。
勝利だ。
そう、これは完全なる勝利だ。
俺は、意気揚々と、帰りの地獄の荷馬車へと乗り込んだ。
もちろん、広場の隅で、クラリッサだけが、この世の全ての理不尽を、一人で背負い込んだかのような凄まじい形相で、俺のことを睨みつけていた。その刺すような視線だけは、背中にビリビリと感じ続けていたのだが。
まあ、いい。
俺は帰る。
愛する我が家、リーフェル村へ。
あの丘の上へと。
俺の心は、この七日間で、初めて、青空のように晴れ渡っていた。




