第26話:狡猾なるゼノンと指揮官の覚悟
「わたくしは、ゼノン。以後、お見知りおきを。……と言っても、貴方がたが、わたくしの名を覚えている時間は、そう長くは、残されていませんがね」
『深淵』の幹部、ゼノン。
その優雅な物腰とは裏腹に、彼が放つ魔力圧は、これまでの敵とは比較にならないほど、冷たく、そして強大だった。
ユウトとカリスタは、完全に、袋のネズミだった。
「古代兵器『星喰らい』……。あなたたちの目的は、それですのね」
カリスタが、剣を構えながら、ゼノンを睨みつける。
ゼノンは、心底楽しそうに、肩をすくめた。
「おやおや、もうそこまで調べ上げましたか。感心、感心。そうですよ。我々は、この歪んだ宇宙を、一度、更地に戻すのです。そして、我々『深淵』に選ばれた、優れた種だけが生き残る、真に調和の取れた、美しい世界を、創造するのですよ」
その狂気に満ちた演説の間も、俺の思考は、止まっていなかった。
ハッキングは、まだ終わっていない。あと少し。あと少しで、この船のシステムを、完全に掌握できる。
「カリスタ」
俺は、キーボードを叩きながら、背後の彼女に、静かに、しかし、有無を言わさぬ口調で、告げた。
「時間を稼げ。俺が、この船のシステムを、完全に掌握するまで、誰も、俺に近づけるな」
それは、非戦闘員の自分を守らせるという、指揮官として、あるまじき命令。
だが、今のこの状況で、勝利を掴むための、唯一にして、最善の策だった。
カリスタは、一瞬息を呑んだ。だが、彼女は、その指示の意図――自分を信じ、全てを託すという、ユウトの覚悟を、瞬時に理解した。
「……フン、仕方ありませんわね。あなたに死なれては、寝覚めが悪いですから!」
カリスタは剣を水平に構え、その刀身に黄金の炎を纏わせる。ブリッジの冷たい空気が、彼女の放つ聖なる熱気で揺らめいた。
海賊兵たちが、雄叫びを上げて一斉に襲いかかってくる。前衛の二人が構えるのは、魔導障壁。その後ろから、三人が火炎魔法を連射してきた。
「小賢しいですわ!」
カリスタは、迫り来る火炎弾を、最小限の動きでいなし、弾き、そして切り裂く。炎を纏った彼女の剣は、まるで優雅なダンスを踊るように、死の軌跡を描いていく。一瞬の隙を突いて前衛の一人の懐に飛び込むと、盾ごと胴体を真一文字に焼き切った。
だが、敵は一人ではない。一人が倒れれば、即座に後方の兵がその穴を埋める。その連携は、ただの烏合の衆ではないことを示していた。
そして何より厄介なのは、後方で優雅に佇むゼノンだった。
「おっと、そこはがら空きですよ、お姫様」
カリスタが二人目の盾兵を崩そうとした、まさにその瞬間。ゼノンの指先から放たれた、針のように鋭い風魔法の刃が、彼女の右肩を正確に狙って飛来した。
「くっ……!」
攻撃を中断し、咄嗟に剣で弾くカリスタ。だが、その一瞬で、海賊兵たちは体勢を立て直し、再び彼女を包囲する。
ゼノンは、直接戦闘には加わらない。だが、彼の魔法弾は、常にカリスタの攻撃の起点、動きの繋ぎ目、呼吸の合間といった、最も効果的なタイミングで、最も嫌らしい場所へと撃ち込まれる。それは、彼女の華麗な剣技の流れを、的確に、そして無慈悲に断ち切っていく。
じりじりと、しかし確実に、カリスタは追い詰められていく。肩で息をし、額には玉のような汗が浮かぶ。聖炎の輝きも、徐々に勢いを失い始めていた。
「(このままでは……! ユウトは、まだですの!?)」
焦りが、彼女の剣筋を、わずかに鈍らせる。その一瞬の隙を、ゼノンが見逃すはずがなかった。
彼の唇が、愉悦の笑みに歪む。
その時、俺のハッキングが、完了した。
「――終わりだ」
俺がそう呟くと同時に、ブリッジ内の人工重力発生術式が、停止した。
ふわり、と、全てのものが、宙に浮き上がる。
突然の無重力状態に、訓練されていない海賊兵たちは、完全にバランスを崩し、混乱に陥った。
その直後、ブリッジの天井にあるメンテナンスハッチが、内側から、凄まじい力で、吹き飛ばされた。
「お待たせ、ボス!」
「ユウトー!」
現れたのは、ゴーレムを倒し、無重力のダクト内を突き進んできた、アステラとオリビアだった。
形成が、完全に、逆転した。
「……やれやれ。どうやら、今日のところは、幕引きのようですね」
ゼノンは、舌打ちすると、少しも慌てることなく、自らの、機械仕掛けの魔導義腕を、ブリッジの強化ガラスに、叩きつけた。
バリン! という轟音と共に、ガラスが粉々に砕け散り、船内に、真空の嵐が吹き荒れる。
「うわっ!」
俺たちは、咄嗟に、床のコンソールや、手すりに、必死にしがみつく。
だが、体の大半が魔導具で構成されているゼノンは、真空の中でも、平然と立っていた。
「今日は、ご挨拶まで。この船は、くれてあげますよ。せいぜい、この鋼鉄の棺桶で、宇宙の藻屑となるがいい」
彼は、そう言い残すと、宇宙空間へ身を躍らせ、待機させていた小型艇に乗り込み、悠々と去っていく。
直後、砕け散ったガラスは、船の自動修復魔法によって、光の粒子が集まり、再生を始めた。
俺たちは、一瞬、安堵した。
だが、ゼノンの、最後の言葉が、俺たちの脳裏に、不吉な影を落としていた。




