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「え?魔王討伐はどうした??」

ひとり、麦酒の入った樽コップを傾け、今日血抜きをしたボアの肉を焼く。胡椒と塩を振っただけのその肉にニルは舌鼓を打っていた。


「肉って、こんなに美味しかったんだな…」


すんっと鼻を鳴らして、ひとり感動に浸り、まったりと時間を過ごす。森の中はニル以外人っ子一人居らず、小鳥の囀りと風で木々が揺れる音だけがニルの世界を包んでいる。



勇者に選ばれてから六年間。

ニルは食事の味すらまともに楽しめない程多忙だった。旅に出るまでは世界を守る為の鍛錬漬けで、食事は体を作る為の作業。旅に出てからは死闘の日々で、明日死ぬかもしれないという恐怖で味など分からなくなっていた。


魔王を倒すまで解放されない恐怖の日々は、没落という形で終わりを告げた。



突如なされた例の予言にニルも最初、半信半疑だった。しかし、実際になされた召喚の儀式から現れたのはまごう事なき、勇者の証を持った勇者。


自身はもう用無し。

神官達にも「魔王のまわし者め! 出ていけ。二度と姿を現すな」と言われたので、その日のうちに神殿からこの森へと魔法で転移した。



今日は何しよう。明日は何食べようかな?

使命から解き放たれたニルの心は羽が生えたかのように軽く、その足取りも軽い。

これから先、どうなるかなんて言われた通りにさっさと去ったので知ったこっちゃない。新しい勇者が魔王を倒せるのかも、死線を共にくぐり抜けた仲間も正直どうでもいい。


むしろ、清々している。

ニルにとって仲間は共に戦うだけの仲間であって、交友関係なんてなかった。パーティ内で唯一接する機会が多かった騎士とも戦闘に関する事以外話した記憶はほぼ無い。しかも、接する機会の多いこの騎士の事をニルは一番苦手としていた。


いや、正確には苦手というより恐れていたという方が正しいかもしれない。



あの騎士の事をつい思い出し、ニルは痛み始めた胃をさする。

折角、先程まで上機嫌に食べていた肉の脂で弱った胃がもたれて、ニルは食べていた肉を皿に置いた。


気持ち悪さに口を抑えながら、チラリっとニルの視線は玄関に向けられる。その瞳に映るのは靴置きに雑に立てかけられた剣。

それはパーティの仲間であり、剣術の師であったあの騎士から贈られたニル専用の剣。


『ニル。片時も剣を離すな』


射抜く様な鋭い灰色の瞳に、氷像の様にピクリッとも動かない表情。彼のつける鍛錬は一切の容赦はなく、鍛錬でぼろ雑巾の様にボロボロになったニルを何時も無表情で見下ろす。


ニルは込み上げてくる気持ち悪さを堪えて、剣を捨てようと手を伸ばす。だが、剣に触れる前に気持ち悪さが勝ち、自身を守る様に体を丸めて蹲った。


(大丈夫。勇者じゃない俺に価値はない)


きっと、あの騎士も新しい勇者と早々に神殿から旅立った筈。ニルの事なんか忘れて。



トントンッ。


不意に扉をノックする音が聞こえて、ニルはビクリッと体を震わす。

ここは人っ子一人居ない森の奥底。レベルは低いものの数多くの魔物が生息している為、誰も寄り付かない。それを知っていて、ニルはここを隠遁生活の場所に選んだ。


(誰だ?)


気配を消して、ドアノブに手を掛ける。少し扉を開けて、ニルは腰を抜かした。


「な、なんで…」


腰を抜かしたニルは立てないながらもズルズルと体を引き摺り、逃げる為に後退する。驚きのあまり、扉に鍵を掛ける事も、転移魔法で逃げるという方法も頭からすっぽ抜けたニルを開いた扉の隙間から灰色の瞳が見下ろしていた。


「なんでっ…、フラムがここに」


新しい勇者と旅をしている筈のあの騎士が何故か目の前にいる。


騎士フラムは扉を開け放ち、いつも通りの無表情でニルを見下ろすと、チラッと靴置きに立て置かれているニルの剣を見た。その瞬間、無表情で皺一つない眉間に深い溝を刻んだが、すぐに無表情に戻り、ニルに視線を戻した。


「帰るぞ」


一瞬浮かんだ何時もの彼らしくない表情にニルは疑問を抱いたが、その一言に疑問より恐怖が勝った。


何故、真の勇者が現れたというのにニルが帰る必要があるのか。やっと解放されたのに、またあの日々に戻るのか。

自身を連れて帰ろうと伸ばされるフラムの手をニルは振り払った。


「帰らないっ!」


それはニルにとって初めての主張だった。

今まで勇者として言われた事に対してイエスとしか答えてこなかったニルの初めての否定。勿論、フラムに歯向かった事も今日が初めてだ。


絶対に殴られる。無理矢理連れ戻される。それでもあの頃に戻るのは嫌だとニルは恐怖と戦いながらフラムを睨む。

フラムはそんなニルを見て、自身の振り払われた手を暫く無言で見つめ、再度手を伸ばした。そして、諦めてギュッと目を閉じたニルの頭にその手をポンっと置いた。


「分かった」


案外、簡単に通った意見にニルは信じられずに閉じていた目を見開き、瞬かせた。自身の意見が通った事を頭がやっと受け入れたのも束の間。


「ならば、俺もここに住もう」


「え……」


「ベッドは古ぼけたものが一つか…。早急に家具を揃える必要があるか」


何故か。さも当たり前の様に住む気でいるフラムは考え込む様に顎に手を当てて、小屋の中を見回す。

その言動の意図が分からず、ニルは困惑して謎行動を取るフラムを見つめていた。


(え? いや、魔王討伐は?? 勇者パーティはどうした!?)


ニルの疑問をよそにその日からフラムは住み着いた。

いつの間にやら家具が全て新調され、ベッドルームやバスルームなどが増築された小屋は立派な家へと進化して驚いた。だが、それより何よりニルを驚かせたのは…。



「ニル。朝だぞ」


「んんぅ…」


「まだ、眠いのか。…そうか。お前は朝に弱かったんだな」


柔らかな朝の日差しがカーテンの隙間からニルに降り注ぐ。

ニルはふかふかな枕を抱いてまだ半分夢の中にいた。寝返りを打ち、捲れたブランケットを誰かが掛け直し、ゴツゴツとした手がニルの髪を掬うように撫でる。


その心地よさに薄ら目を開けると、「起きたか」と声と共に上半身を抱き起こされた。そして、ようやく意識が完全に覚醒した頃にはニルは身支度が整えられて、朝食が並ぶ席にフラムと対面して座っている。


「えっと…。フラム…」


「おはよう」


「…お、おはよう」


ニルは当然の事の様にニルの世話をするフラムを前に表情を引き攣らせて、フラムが作った食事におずおずと手を付ける。


何故か、居着いたフラムはおはようからおやすみまで有無を言わさずニルの世話を焼く。

何故か、真の勇者とともに魔王討伐の旅に出ている筈のエリート騎士フラムが、一切離れず、偽物勇者だったニルの世話を焼く。


(や…。だから、何で!?)


表情はいつも通り動かない。世話を焼かれる理由も全く見当がつかない。


甲冑を脱ぎ捨てて、シャツとスラックスというフラムにしてはラフな格好にエプロンを纏い、家事をこなしていく姿に困惑し、ニルはひたすら慄いていた。

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