第十二話 帰ってきたランタンと新たな仲間
「──ああ、しまった。ランタン探すのを忘れてたぜ……。だが、フェロモンをぶっ放しちまったし流石にもうどこかにいっちまっただろうな…………まあ仕方ないか」
家に帰って少しした頃、ジョージは自分が外出したのはランタンを探すためだったことを思い出した。
しかし、もうリビングのソファにくつろいでしまっていて動きたくない。
「プルリリ?」
頭をかかえるジョージの元にスライムが寄ってきた。
先日森で仲間になったスライムの『ぷるち』だ。
ぷるちは森育ちのグリーンスライムで、ジョージの家に来てからは身体の粘着性と丸洗いのしやすさを活かして手の届きにくい所の掃除と、森育ちのサバイバルスキルを活かして庭の草抜きと留守の番を主にやってくれている。
「いや、いい。もしあったとしてもフェロモンで粉砕されちまってる可能性が高いからな。それに……ぷるちは水に濡れると膨張するだろ? 行くまでに雨で入れなくなるか……もし仮に入れたとしても、下水をたらふく吸って臭くなった上に、膨らんで地上に出られなくなっちまう」
ついでに膨張したスライムが穴をふさいで下水が詰まってしまうかもしれない。
「プウルルっ!?」
下水を吸ってブラウンスライムになった自分を想像したのか、身震いをしてジョージのふところに飛び込む。下水に向かうのは取りやめだ。
「それに、エリンがくれたラベンダーのオイルをつけたばっかりだし、ここで臭くするのはもったいねえもんな」
エリンは実はハーブでスキンオイルとか香水を作るのが得意で、自分で使うのはもちろん、お近付きになった相手にプレゼントするのだ。
本人いわく、お隣さんにも評判がいいとか。
「プリル。…………プル?」
ぷるちが外に気配を感じたようだ。
「──ただいま〜!」
紙袋を抱きかかえてニッコニコなエリンが帰ってきた。
「ルルプ」
「どうやらお目当てのお菓子が手に入ったみたいだな」
ジョージはエリンを迎えながら、少し濡れてしまった肩をポンポンっと優しくタオルで拭いた。
「あそこのチョコが染み込んだラスクは絶品じゃからな〜。いつもはこの時間にはすでに売り切れてるが、雨のおかげか1個だけ残っていたんじゃっ。
あと、新作のフランボワーズのチョコ!
味見させてもらったところ、とっても美味しくての。人数分買っちゃった! 前も似たのがあったが、今回はより深みが増してチョコとの相性も良くなっていてなっ。これはジョージもアメリアさんもぷるちも今日来る子も喜ぶと思って」
エリンは雨模様など微塵も感じさせないくらいにゴキゲンだった。それほど新作のチョコが美味しかったのだろう。
「エリンがそこまで言うんだからきっと素晴らしいチョコなんだろうな。期待しちまうぜ。
みんなが揃ったら一緒に食べよう」
「うんっ。あ、そうじゃ……そういえば帰りにちょっとした騒ぎがあってな」
エリンはダイニングのテーブルにチョコを置いたところでまた口を開いた。
「ルル?」
「どうやら下水に誰かが落ちちゃったらしくての。誰も怪我はしてないらしいけど、アメリアさんがそこにいたからもしかすると少し遅くなるかも?」
教会側として事故の聴取か、目撃者としての証言か、どちらかは分からないが足止めをくらったようだ。
「一応立ち入り禁止の看板は出ていたはずだが、風で飛ばされたか? ま、怪我人がいないなら良いか。アメリアが帰ってきたらホットミルクでもいれてやろう」
「ホットミルクいいの。チョコにも合うし、うちのもいれて」
「もちろんだ」
● ● ●
それから20分か少し経った頃だった。
「ただいま戻りました〜」
少し疲れた様子のアメリアがようやく帰ってきた。
「アメリアおかえり。下水に誰か落ちたらしいな、お疲れ様。それで例の………………ん?」
ジョージがアメリアを出迎えると、横に茶色いような黒いようなベチャベチャの何かを見つける。雰囲気からして人ではあるが、もし人型モンスターだと言われれば信じてしまいそうなくらいだ。
もしモンスターでないのなら、泥か何かを全身に塗りたくって今から儀式でもする予定なのか、もしくは……それこそ下水にでも落ちたのでなければ、これほどまでに『臭い茶色』をまとわせる人間はそう居まい。
「ああ、そうです。この方が──」
──瞬間。
「来る──!!」
冒険者の経験? 生まれ持っての本能? 理由は分からない。だが、何かを察したジョージは音速に迫るスピードでボタンを全解放。
「……ジョージぃいい〜!?」
「──フェロモンンンッシールドォォォオオ!!!!」
超凝縮されたフェロモンが結晶化し前方に展開。その頑強な盾はジョージに迫る脅威を弾き返した。
「ぶにゃっ!?」
──べしゃっ。
勢いよく弾かれたそれは、高速回転しながら床にダイブする。
「あぁ、しぶきが……飛沫が飛びます!!?」
アメリアはそう言いながらもどこからともなく傘を取り出し、冷静にしぶきから自分を守り切った。
「ふぅ〜、危なかったぜ。とは言えここ数日でゴブリン、下水、なんか臭えやつ……さすがに高頻度すぎやしないか?」
ジョージがひと仕事終えたと言わんばかりに額の汗をぬぐう。
瞬間的に高位のフェロモンを出せば、フィジカルモンスターなジョージといえど汗のひとつもかいてしまうのだ。
「それで、アメリア……例の冒険者はどこだ?」
気を取り直して仕切り直しだ。
「……ジョージ様、ええっと……」
アメリアが言いにくそうに目を背ける。……いや、信じたくはないが目線の先は確かにそれがいた。
「……まさか」
「そうです。この方が"イリーナ・ミャウ"様。ジョージ様のお察しの通り『例の冒険者』です」
「なっん……だと……?」
あまりの衝撃にジョージは一瞬の隙を作ってしまう。そして、その隙はとてもタイミングが悪かった。
「……ん? あ、ジョージぃ〜、ジョージくん〜! 会えて嬉しい!」
アツい抱擁。
臭い泥さえなければあたたかい一幕になったのかもしれないが、残念ながら臭い泥はそこにあったのだ。
「しまったぁああ!!? ──ああ……もう風呂に入ったのに……!」
人生で初めて敗北の味を思い知るジョージなのであった。
「大きな声でどうしたのじゃジョージ…………って臭いっ!?」
● ● ●
ONE HOUR LATER…(1時間後)
それぞれが風呂に入って着替えを済ませた後、ふたたびリビングに集まって新入りさんを歓迎していた。
「──ごめんにぇ、ジョージくん! キミに会えて嬉しくにゃっちゃってさぁ……つい!」
猫耳がついた獣人の少女は、少しバツの悪そうに……でも嬉しそうにしながら謝った。
「まあいいさ。行くところがないなら来いって言ったのは俺だし、俺もあんたに酷いことしちまったからな……」
先ほどフェロモンシールドで弾き飛ばしたのもそうだが、実は下水でエンカウントした顔面も実はイリーナであった。
つまり、不可抗力とはいえ同じ日に2回もフェロモンでぶっ飛ばしちゃったとあれば、さすがのジョージも申し訳なさが出てきてしまう。
「それにしてもイリーナさんってこんな見た目だったんじゃねぇ」
エリンがイリーナの姿をまじまじと見つめる。
初対面は森で古い重装鎧の姿、2回目は玄関で茶色まみれの姿。
だが、実際は髪も猫耳も尻尾もふわふわで真っ白、スカイブルーの大きな瞳で、ひと懐っこく可愛らしい雰囲気の少女であった。
ちなみに身長こそ150そこそこで一見として華奢な印象だが、さすがネコ型獣人族というべきか脚力は本物で、直角の崖も体力が尽きるまで登れるし、ジャンプひとっとびで軽く二階建ての屋根に乗れるそうだ。
「あたしはイリーナ・ミャウ。職業はマジックシーフで、補助魔法とかトラップ解除と〜ちょっとだけ攻撃魔法ができるよ。
オズワルドはお父さんの名前だにぇ」
「イリーナ様はお父様の身分を使ってこの国に渡ったそうです」
アメリアが補足をいれる。
「だから依頼書と名前が違ったのじゃな」
「それで、イリーナはなんでそうまでしてこの国に渡ったんだ? おおかたフェドロ軍だと思うが……」
「昔お父さんとお母さんがリーズン教の結婚式をしてたからって理由で逮捕されちゃってさ。その時子どもであるあたしも同罪だって捕まりそうになったけど、最後にお父さんが逃がしてくれたんだ。
それで、ひとりで行動してたし、しばらくはバレずに過ごせたんだけど……慣れたところで油断しちゃって」
森でモンスター討伐をしていたところ瘴気発生の予兆を見逃し……そこからはジョージたちの知るところであった。
「そうか……。なにか事情がありそうだと思って誘ったが、どうやら正解だったみたいだな」
「へへへ……あの時、ジョージくんが誘ってくれて、嬉しかったよっ……! ……あっ、ええっと、そだっ! これをジョージくんに渡すんだった! 忘れてた忘れてた!」
イリーナは照れ隠しと言わんばかりに大きな声で話を切り替えた。
「ん? これって」
「そう、ランタンだよっ」
イリーナが取り出したそれは、先刻ジョージが下水に落としちゃったランタンであった。しかも傷ひとつついていない。
「まさか帰ってくるとは思わなかったぞ……」
イリーナが掃除してくれたのか、下水に落ちたとは思えないくらいピカピカだ。
「ここに来る途中でにぇ、ジョージくんの匂いが近くにあるにゃ〜って思ったら、下に落ちちゃって! それでも会いたいって思ったら、ジョージくんが上にいてさ〜。そのあとちょっと憶えてないけど……近くに落ちてたこのランタンからジョージくんの匂いを感じたから、もしかして……って持ってきたよっ。……どうかにゃ、ジョージくんの落とし物?」
イリーナはジョージの元へ向かう途中で下水に落ちてしまったようだ。
ちなみに獣人族は個体差はあるが、基本的に嗅覚が優れていて、イリーナの場合ニンゲンの100万倍近い鋭さがある。下水はさぞかし辛かっただろう。
「……そうだ。ありがとう」
イリーナの部屋に置く予定のランタンであったが、下水に落ちたものだし、それに善意でキレイにしてくれたものを受け取らないわけにはいかない。いや、ジョージはイリーナの優しさを受け取りたかった。
イリーナの部屋には自分の部屋にあるものをキレイにして置けばいいだろう。
「そっか、良かった! ジョージくんのお役にたてたにぇ〜」
イリーナは嬉しそうにぴょんぴょん跳ね回る。ついでに横にいたぷるちも跳ね回る。
「そうだな」
「ジョージ、そろそろ食べよう」
話が一段落したところで、エリンがテーブルの紙袋からチョコレートを取り出した。
「ああ、そうだったな。すぐにいれる」
ジョージがホットミルクをいれるためにキッチンに向かった。
「これはの〜イリーナさんが来るからってことで、うちのオススメのチョコラスクと新作のチョコを買ってきたんよ」
エリンはそう言いながらみんなの所に買ってきたお菓子を配っていく。
「このラスク美味しいですよね〜! 私も毎回買っちゃうんです。……あ、これって新作のフランボワーズのですか? ちょうど気になってたんですよ!」
アメリアは小箱を見ただけで中身が分かったようだ。
「おおあたり〜! よく分かったのアメリアさん」
「実は私もよくこのお店に行くんです。
ちなみに、私のオススメはホワイトいちごですね。ドライいちごをホワイトチョコでコーティングしたもので、いちごの酸味とチョコの甘味が絶妙なんです」
「ほう、それはまだ試してなかった! また食べてみようかの〜」
お店の話で意気投合したふたりだったが、イリーナは違うベクトルでテンションが上がっていた。
「……チョコ? これが? …………あたし、1ゴールドチョコしか食べたことにゃいよっ? ほんとに、食べていいにょかにゃ?! うふふ……」
1ゴールド(1円相当の金貨)の形を模したチョコで、だいたい10ゴールドで買えるフェドロ王国で売られる安価なチョコである。
ちなみにエリンが買ってきたチョコは、ラスクが1袋500ゴールド、フランボワーズチョコは1500ゴールド。
「プルチ、プルチ……!」
「あ、キミも初めてなんだ! 仲間っ!」
「ここのチョコ初めてか。ではイリーナさん、覚悟して食べるのじゃぞ。なんたって、ここのチョコはと〜っても美味しいからの〜。気を抜くと美味しすぎてくちびるが腫れちゃうかもしれんぞ」
「くちびるがっ!?」
イリーナは驚いて口元を隠す。
「おいおいエリン、イリーナをあまりからかってやるんじゃない。本当に信じてしまったらどうするんだ」
そう言いながら、ホットミルクの乗ったトレイを持ったジョージが帰ってきた。
「え、じょうだん?」
「冗談だ、美味しいのは本当だが口は腫れないぞ」
「そ、そっか〜。ビックリしちゃったにゃ〜もう」
「ごめんな、イリーナさん。うちの故郷のテッパンネタなんじゃ。ほれ、お詫び」
エリンは少し申し訳なさそうにしながら、自分の分のチョコをひとつイリーナの口に運んでやった。
「ん!? ……おいし〜っ!!?」
そのフランボワーズチョコを噛むや否や、よほど美味しかったのかイリーナは足をジタバタさせながら喜んだ。
「口に合ったようですね」
「イリーナを見てたら俺も早く食べたくなっちまった。さあ、ふたりも食べようぜ」
「じゃのっ!」
「はい!」
こうして、新たにイリーナが仲間に加わったのだった。




