第十話 瘴気の先で
ジョージがスライムとたわむれている間、アメリアとエリンは情報の整理をしていた。
「──今回捜索する方は、50代獣人のベテランファイターですね。名前はオズワルド・ミャウ様です。野宿で寝ている間に瘴気に取り囲まれたんでしょうか?」
瘴気の発生は段階的に濃くなるものの、音も出ず紫色なので夜だと判別し辛く、ベテラン冒険者でもこうしてたまに閉じ込められることがあるのだ。
洞窟とか森みたいな場所だと、トラップや遭難、強力なモンスターとのエンカウントとリスクが大きく、下手に突っ切ることも難しいので、救難信号を出してできるだけ動かずにいるのが最善である。
「現在行方不明になってから2日経過で、ガスマスクを持っていったらしいから瘴気でやられていることはないかの。でも、怪我とかモンスターとの遭遇は気がかりじゃな」
「20年ぶりに冒険者を復帰したばかりな上に、瘴気内という不利な状況でのモンスター戦……。見つからないようなら、上級神聖魔法で一帯の瘴気を一気に晴らした方がいいかも知れませんね。少々リスクはありますが」
瘴気(毒素を含んだ魔力)を吸ってしまった者が高位の神聖魔法を受けると、体内にある魔力が一気に枯渇して重度の貧血のような症状が出てしまう。悪いと数週間寝込んだり、しばらく魔法が使えなくなってしまうのだ。
「じゃあ、急ぐとするかの。……ジョージ、いつまでスライムと遊んでおるのじゃ?」
スライムにぐるぐる巻きにされているジョージに声をかける。
「んあ? すまねえ……なかなか意思疎通のしかたに苦戦してな。だが、もう万事解決だ!」
全身ベタベタのズルズルだとは思えないくらい爽やかな笑顔だ。輝く白い歯が眩しい。
「プルリリ!」
スライムも満足したのか、大人しくジョージから離れてエリンに返事をする。どうやら、本当に敵ではなくなったらしい。
「何が万事解決かは分かりませんが、冒険者の方を早く見つけたいですし出発しましょうか」
「待ってくれ」
歩き出そうとするアメリアをジョージが引きとめる。
「どうかしましたか?」
「さっきスライムがその冒険者らしきやつの居場所を教えてくれたんだ。疲弊してるが無事みたいだ」
「本当ですか?!」
アメリアはジョージの言葉に思わず大きな声を出してしまう。
まさかたまたま遭遇したスライムから有益な情報を得られるとは思っていなかったのだ。そもそも、人語を話さず、基本的に目の前の有機物を手当たり次第に取り込もうとするスライムと意思疎通できるなんて思ってもみなかった。
「ルルッチュィ!」
スライムもとい、ぷるちが元気よく跳ねて返事をする。肯定の意味だ。
「さすがジョージじゃのっ。では、その方向の瘴気をさっさと晴らして進むか! じゃ、アメリアさん神聖魔法をうちの弓に付与してくれ」
「……ん? 晴らすだけなら聖歌だけでもできますが、どういうことですか?」
普通の神聖魔法(聖歌)でも音が届く範囲の瘴気を晴らせるし、範囲的に届かなくても歌いながら歩いていけば良い。
ちなみに中級なると魔法の効果で音が届く範囲も広くなり、上級は範囲はもちろん威力も桁違いに上昇する。
「それじゃ時間がかかるじゃろ? それに、うちも活躍したいんじゃ! やらせてやらせて!」
だだをこねている口ぶりのエリンだが、弓を構えるその姿はほれぼれする程美しかった。実戦はよわよわだが技能は本物なのだ。
「そこまで言うなら、分かりました。 ──ラララ〜…………」
アメリアが歌うとエリンの黒い弓が神々しく輝き、同時に周囲の瘴気も一部かき消える。
「よし! 見ててねジョージ、アメリアさん……とぷるちさん!」
矢をつがえ、息をスッと取り込み、ヘーゼルナッツ色の瞳は猛禽類のように鋭く前を見据える。
「……スネークショット」
フッと放たれる矢。たなびくライトブラウンの髪。きらめく神聖な光。ゆっくりと下される弓。
「達人……だな」
その一挙手一投足はジョージも見惚れるほど美しかった。
だが、エリンの矢は美しいだけで終わらない。
その矢は木々の間を縫うように突き進み、神聖な光で瘴気を浄化しながら、音速を超えるスピードで迷いなく目的地まで突き進んでいく。
「そろそろじゃの……」
スネークショットは岩も木も生物もまるで生きているかのごとく避けていき、そして……。
──ブォオオオ……。
目的地に達するやひとりでに自壊して、何ひとつも被害を出さずにその場所までの瘴気を晴らしてしまった。この間0.5秒である。
「すごい…………あっ! 見てください、あそこ!」
アメリアが指差す方向に、遠くて分かりにくいが人かげとそれを囲む何者かが見えた。
「鎧を着た人がゴブリンに襲われそうになっておる!」
ゴブリンは醜悪で凶悪な顔をした小鬼型モンスターで、モンスターも動物も人間も同種も、縄張りに入った者を片っ端からコテンパンにしようとする血の気が多いヤツだ。人間には劣るが火を起こしたり、簡単な道具を使う程度の知能を持つ。めっちゃ臭い。
「ぷるちもエリンも活躍したし、アメリアはこれから活躍するから……俺の番だな! いくぜぇっ!!」
言うが早いか、ジョージは爆発でもしたんかというくらいの勢いで地面を蹴り、ものすごいスピードで冒険者の元へと走っていった。
「ああ、ジョージ様! あまり木は倒さないでっ! 一応ここは教会の保護区でもあるんです!」
爆発みたいなスタートダッシュで周囲の木々がボーリングみたいになぎ倒される様子に、次々にできあがる倒木に、アメリアはもう頭を抱えるしかできない。
モンスター討伐とか植物の採取をする以上、多少の草木がなくなる分には問題ない。ただ、ジョージが暴れ回れば良くて生態系の変化、悪けりゃさら地になってしまうだろう。
「──おっとすまねえ!」
ジョージは振り向かずに軽く謝ると、ようやく障害物を回避しながら走り出した。とは言え、既にもう数十m分くらいの道が出来上がっていたが。
● ● ●
「──はぁ……はぁ……。もう、腕が上がらない……目も霞んできたし……」
フルメイルを着た冒険者は、バスタードソードで身体を支えなければ立つのもままならない程に疲弊していた。
目の前に倒れるゴブリンは10体。瘴気を吸ってまともに動けない身体でよく頑張った方だ。
「ケヒャアっ……!」
「ケヒヒヒヒヒ……」
「キシャー!」
だが、まだ目の前にはその倍の数のゴブリンがヨダレを垂らして迫ってきている。
「なぜか瘴気は晴れたけど……」
目も霞んでまともに見えないし、生きるのに必死で瘴気がいつ無くなったのかは分からない。
ただ、もう身体の限界はすぐそこまで来ていた。
冒険者はせめて、1体でも道連れにしてやろうと最後のチカラを振り絞る。
「はぁああああああっ!!」
「ガナッシュ!?」
「ケフィアァアア!?」
薄れゆく意識の中でゴブリンの叫びが聞こえる。
何体か巻き込めただろうか?
いや、そもそも本当に当たったのだろうか?
混濁した意識が見せた夢だったかも知れない。ただ、全力で戦ったのは事実だ。
「お父さん、お母さん……ごめんにゃ」
故郷に残してきた両親を想いながら力尽きる。もう指一本動かすこともできない。
折れた剣。迫り来るゴブリン。倒れゆく身体。
『結婚、したかったな……』
悔しさとか悲しさはあったが、冒険者は妙な安心感のようなものに包まれる。『最期とはこういうものなんだろうか?』と思った……その時──
「──え?」
「間に合ったみてえだな」
低音イケボによって引き戻された。
同時に自分のいだく安心感が、この男の腕に包まれているがゆえの事だと理解する。
「だ……れ?」
かすれる声でなんとか尋ねる。
「俺はジョージ・ハレムンティア。そして、あんたを助けるために来た」
ジョージは優しい声でそう答える。
「ありが……と、う」
「気にするな。冒険者は助け合い……だろ?
それにしても、よくここまで頑張ったな。瘴気はもちろんだが…………身体のサイズに合ってねえ鎧に、使い慣れねえ武器でゴブリン12体倒しちまうなんてよ」
『バレた?』
冒険者の背中に冷たい汗が流れる。
そう、この冒険者はオズワルドではなかった。
ジョージは遠目に疲労がある状態の戦いを一瞬見ただけなのに、この冒険者が装備している武具が使い慣れていないものだと看破したのだ。しかも、新調して慣れていないのではなく、元は別の武器種を使っていることまでである。
「……安心しな。事情は知らないが、あんたを衛兵とか冒険者協会に突き出すつもりはねえ」
「なん……で?」
「あんたからは吐き気のするような薄汚れた匂いがしねえからな。悪意があって身分を隠しているわけじゃないんだろ?
何か事情があるんだったら俺が聞いてやる。ゴブリンも片付けてやる。それが終わったら町まで連れてってやる。だから今はゆっくり眠りな」
「でも……」
ゴブリンは20体近くいる。
自分の失態で、この優しい人を危険にさらすことになるなんて。と、冒険者は罪悪感にさいなまれてしまう。
誰かを守りながら戦うのは、熟練した冒険者でも時に難しい。
「……逃げ……て」
自分は放っておいていい。
ジョージがバラさなくとも、いつかは身分がバレてしまうだろう。それに、どうせ自分は行くところなんて無い。
だから、せめて優しいあなただけでも逃げて欲しいと願ったのだ。だが、ジョージは断った。
「そりゃ無理だ」
「なん……で」
「俺はあんたを助けたいからだ。
それに、あんたは今が辛いから生きるのをあきらめているだけで、本当は幸せに生きたい……だろ?
声から伝わってくるぜ。だから……その本当の願いを叶えてやる」
ジョージは冒険者を優しく地面におろすと、ゆっくり立ち上がる。
「借りを作るのがスッキリしないなら、今度美味い飯でも食わせてくれ。そこでこれまでのことと、それからのことでも話そう。
それと……もし行くところが無いなら、あんたさえ良ければ俺のところに来ても良い。だから、まだあきらめるな。良いな?」
ジョージが微笑みかける。
「……はい……!」
それを聞いて肩の荷が降りたのを感じた冒険者は、得も言えぬ幸せを感じながら眠りについたのだった。




