日本國 1、
山の中で言葉を交わす林田と石田。その頃、遠く離れたこの国の心臓部——国家首相官邸では、静かな緊張感が漂っていた。
国家安全保障省大臣、遠藤邦洋は、重厚な扉を叩き、首相の執務室へ足を踏み入れた。室内は、整然としながらも、どこか張り詰めた空気に満ちていた。
「失礼いたします、首相」遠藤は深々と頭を下げ、報告を始めた。
「先程、通常とは異なる地脈の乱れを観測いたしました。同時に、その地点付近に二つの新たな存在の出現を確認しました。海からの侵入ではなく、突如として現れたものです。現在、風軍の小隊と地軍の兵士一名を現場へ派遣しております」
首相は、眉をわずかに顰め、「いきなり出現とは、一体どういう状況だ?」と問い返した。その表情には、隠しきれない訝しみが浮かんでいた。
「出現地点が海岸線ではなく、深い森の中であることから、上陸という可能性は低いと考えられます。現状では、空から、あるいは別の場所から、文字通り『出現した』としか考えられません」
遠藤は、慎重に言葉を選びながら答えた。
首相の脳裏には、過去の報告が蘇る。「風の一族が飛んできたのではないか?」
「地脈の波動を詳細に分析した結果、今回の反応は、我が国の国民のものとは明らかに異質なものでした」遠藤は、否定するように首を振った。「まるで、これまで観測されたことのない、全く新しい波動です」
「外国人、という可能性はあるか?」首相の声には、警戒の色が濃くなった。
「可能性は十分にございます。特に、欧羅巴においては、空中浮遊や瞬間的な空間移動を可能にする魔法が存在すると聞いております」
遠藤は、憂慮の色を滲ませた。
「魔法、か……」
その言葉を聞いた瞬間、首相の表情は険しくなった。
この世界において、自然科学以外の科学技術は発展の途につかなかった。蒸気機関による産業革命も、複雑な機械化も存在しない。その代わりに、人々が生まれながらに持つ潜在能力を引き出す研究が、長年にわたり国家の重要な方針として推進されてきた。欧羅巴で魔法が隆盛を極めているのは、彼らが異なる方向性でその潜在能力を開花させた結果に他ならない。
我が国もまた欧羅巴同様に自然科学以外の科学技術の発展は無く自然科学のみ発展した。しかし、その探求のベクトルは、魔法とは一線を画すものだと自負している。自然界に遍在する力を己の身に取り込み、自在に操る。それは、異国の力とは根本的に異なる、この国の神々が与えた独自の力なのだ。
「いずれにせよ、だ。むやみに殺傷沙汰は起こすな。もし相手が外国からの来訪者であるならば、外交問題に発展するような事態は避けたい」
首相は、強く念を押した。
「承知いたしました」
遠藤は、改めて深く頭を下げた。
執務室を辞した遠藤は、足早に自室へと戻った。そして、すぐさま風軍と地軍の最高責任者を呼び出した。
間もなく、精悍な顔つきの風軍大将と、屈強な体躯の地軍大将が、遠藤の前に姿を現した。二人が揃ったのを確認し、遠藤は重々しく口を開いた。
「現場の進捗状況を報告せよ」
風軍大将が進み出た。
「はっ。出現した二名の存在を捕捉し、現在、尋問を行っております」その声には、任務遂行への自信が滲んでいた。
遠藤は、風軍大将、そして地軍大将へと、交互に鋭い視線を向けた。
「念のため確認する。貴官らは、部下に対して、むやみな殺傷は厳に慎むよう、明確に指示しているな?」
風軍大将と地軍大将は、それぞれ力強く「指示済みです」と答えた。
その時、執務室の扉を控えめにノックする音が響いた。
「入れ」遠藤が 言うと、入室したのは風軍大将の部下だった。
「風軍大将閣下にご報告申し上げます。先程、接触した二名について、第三大隊の富山中将より風通信が入りました。詳細な状況について直接ご報告したいとのこと。また、通信への同席を強く希望されております」
「わかった」
風軍大将は返事をすると遠藤に向き直り、
「通信内容を確認し、詳細が判明次第、改めてご報告させていただきます」
遠藤が頷くと風軍大将は、一礼し、急ぎ足で執務室を後にした。後に残された遠藤と地軍大将の間には、重い沈黙が流れていた。