慧眼
首相官邸の一室。重苦しい空気が部屋を満たしていた。国家安全保障省の遠藤大臣が、久保首相に街頭演説の中止を強く求めている。
「首相、どうか街頭演説は中止してください。警察内部に内乱罪に問われかねない人物がいる可能性が極めて高いのです。現在、その裏付けとなる証拠を懸命に集めておりますので、どうか今しばらくお待ちいただきたい」
同席していた警察庁長官の花田も、顔を真っ青にして何度も謝罪を繰り返していた。証拠集めには全力を尽くすと誓い、遠藤大臣と同じく、街頭演説の中止を懇願する。
しかし、久保首相は強気の姿勢を崩さなかった。「ここで中止をしたら、相手の思うつぼだ。奴らはじわじわとこの国を侵食し、自分たちに都合の良いように事を運ぼうとするだろう。もし、私を暗殺しようとした者を捕らえることができれば、芋づる式にその組織を壊滅させられるのではないか?」
「それは危険すぎます!万が一、警備に失敗すれば、取り返しがつかなくなります!」
花田長官が血相を変えて叫んだ。遠藤大臣も、花田長官に同意するように深く頷く。
「警備を失敗しないようにするのが、君の職務ではないのかね?」
久保首相は、諭すような口調で花田長官に言った。
花田長官は、自身の管理不足が招いた事態であり、もう何も言い返す言葉が見つからなかった。
遠藤大臣は、久保首相と花田長官の顔を交互に見た。
「軍の情報局員を一般聴衆に紛れ込ませ、警備支援を行いたいのですが、これだけはぜひ認めてください」
花田長官は、軍が警備に関わることを快く思わなかったが、今回は背に腹は代えられないと、しぶしぶ承知した。久保首相の承認も無事に得られた。
「私からも、もう一つ提案がある」
と、久保首相がさらに言葉を継いだ。
遠藤大臣と花田長官は、一体何だろうかと、固唾を飲んで耳を傾ける。
「別の世界から来たあの二人も、警護につける」
花田長官は驚きのあまり、「それは危険すぎます!」と声を上げた。
「心配するな」
久保首相は、遠藤大臣に目配せをした。
「軍の方で、彼ら二人はしっかりと管理します」
と、遠藤大臣が言うと、花田長官は諦めたような顔で言った。
「そういうことですか。もう、すでに決まっていたことだったのですね」
「気を悪くしないでくれ。私も最初は驚いたが、主上がそう仰せになったら、断りきることはできん」
久保首相は、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「主上からでございますか……。主上が慧眼をお持ちであることは承知しております。きっと良い方向に向かうのでしょう」
花田長官は、いくらか気持ちが楽になったようで、警備体制の具体的な構築と、内乱罪として逮捕できるだけの証拠収集の方法について考え始めた。
街頭演説まで、あと八日と迫っていた。




