第6話 悪魔の代償
ロンメル元帥のアフリカ装甲軍は敗色が濃厚となりつつあった。
一時は第666SS装甲大隊によるアウトレンジ攻撃でイギリス軍司令部の心胆を寒からしめ、数の劣勢を覆して快進撃を続けていたのであるが、その『指揮官』である超能力者ヨハン・シュヴァルツSS少佐が、もう一人の超能力者ジェームズ・ブラックにより一時無力化されるに及び、モントゴメリー中将指揮下のイギリス軍は本来の力を取り戻して全面反攻を開始した。元来数の上で劣勢であったアフリカ装甲軍はそれまでの攻勢から一転して守勢に転じ、やがては当初のイギリス軍がそうであったように、地雷原を張り巡らせた防御陣地で守りを固める事を余儀なくされるようになっていた。しかし、それさえもが時間稼ぎに過ぎず、踏みとどまっていてはイギリス軍の圧倒的物量の前に殲滅される危険性が大である。ロンメルは葛藤の末、西方への退却許可を求める連絡をベルリンに打電していた。
しかし、そんなロンメルにも、『戦果』と言えるものが一つだけあった。イギリス軍の反撃を受けて退却する途中で、意識を失って砂漠の大地に横たわっていた超能力者、ジェームズ・ブラックを虜囚とする事に成功していたのである。ジェームズ・ブラックから見れば、最初に己を発見したのが味方のイギリス軍ではなく彼らであったのは、不運としか言いようが無い。
ロンメル元帥とその幕僚達が立ち並ぶアフリカ装甲軍の仮設司令部。ジェームズ・ブラックはそのただ中で意識を失ったまま、両手両足を座している椅子へと拘束されていた。そしてその頭部には、陸軍のヘルメットに酷似した金属製のヘッドギアが装着されており、そのヘッドギアから伸びた電線が、リュックサックのように背中に背負わされたバッテリへとつながっていた。
やがてジェームズ・ブラックは目を覚ました。ヨハン・シュヴァルツとの死闘の記憶が蘇って来ると共に、自身を取り巻く状況、取り分け、頭部に被らされている異様なヘッドギアの存在を認知する。すかさず瞬間移動を発動してこの場を脱しようと試みたが、脳内で彼方の空間へと飛び移る自身を想起したまさにその瞬間、ヘッドギアから稲妻のように激しい電撃が放たれて脳天を直撃した。ブラックは悲鳴を上げ、もう少しで再度意識を失いそうになる。
「Perfekt Sklaverei Instrument(完全奴隷化装置)、略称PSI。あのいかれたDr.Kの素晴らしき発明品だ。超能力者が能力発動直前に見せる脳波の動きを検知して電撃を叩き込み、能力発動を無効化する。私もこれにはずいぶんと泣かされた。」
いつの間にかブラックの目の前に来ていたヨハン・シュヴァルツが、嗜虐的な笑みを浮かべて語りかける。その傍らには、シュレディンガー中尉と呼ばれていた謎の少女の姿もあった。
「貴様はあらゆる意味において生かしてはおけぬ男。本来即刻抹殺する予定であったが、Dr.Kが貴様の身柄を実験体として所望した。だが決して助かったなどとは思うな。あの男の残忍さは私が一番よく知っている。貴様はここで私に殺されなかった事を何度も後悔する事になるだろう。」
シュヴァルツのその言葉に、傍らのシュレディンガー中尉は心なしか震えているようであった。
「Dr.Kには貴様を五体満足な状態で引き渡す必要があるが、それさえ達成できれば、それまでの貴様に対する扱いには一切干渉しないとの事だ。この間のお礼はたっぷりとさせてもらう。」
そう言うとブラックに右手のひらを差し向け、その先から念動力を放った。
念が見えない拳となり、ブラックの腹部から顔面へと、全身のありとあらゆる場所を袋叩きにする。
その打撃は数を重ねるごとに威力を増していき、やがてはブラックの顔面を強烈なアッパーカットが襲う。
「クソッ!」
唇から血を垂れ流したブラックは、怒りと防衛本能から、思わず時空の切れ目へと飛び込む自分自身の姿を脳内で想起してしまう。PSIから再度稲妻が放たれ、ブラックの悲鳴が室内全体に響き渡る。
シュヴァルツはそれに呼応して高笑いすると、再度ブラックを念動力の拳で滅多打ちにし始めた。ブラックは能力発動の衝動を懸命に抑えて顔を引きつらせる。
「いいぞ、その顔だ。一方的に攻撃を受けながらも、能力の発動は必死で堪える事を余儀なくされる。
これを後10セットも繰り返せば、貴様の心は完全にへし折れ、文字通り『奴隷』のそれとなるのだ。」
いつ終わるかとも知れずに続く念動力の殴打。ブラックがまたしても思わず能力の発動を試みてしまい、PSIから3度目の電撃が放たれる。
「やめて!」
その絶叫はブラックではなく、シュヴァルツの傍らのシュレディンガー中尉から発せられたものであった。シュヴァルツが驚いて見やると、中尉は真っ青な顔をしてブルブルと全身を震わせていた。
「申し訳ありません、少佐殿。しかし私は...私はこれ以上....」
言葉にならぬほどの動揺を露わにするシュレディンガー中尉。そんな様子を見たシュヴァルツは、中尉に負けず劣らずうろたえた様子であった。
「済まない、シュレディンガー中尉。」
先程までとは別人のような優し気な口調でそう言うと、即座にブラックに対する攻撃を中止する。
その時、一人の伝令が仮設司令部内へと飛び込んで来た。その手には通信文を携えた紙片が握られている。
「ベルリンからです。総統閣下より返信が届きました。」
『総統』の語句を聞いた司令部の人間達は、皆雷に打たれたかのように硬直する。そして、その内容が読み上げられるにつれて、顔面蒼白となっていった。
「貴下が置かれた状況にあっては、不屈の闘志を以て寸土といえども敵に譲ることなく、持てる全ての兵器と人員を戦闘に投入して戦うこと以外には考えられない。兵力で勝る敵に対し、意志の力が勝利を得た事例は、歴史上数多く存在する。貴下は、指揮下の将兵に対し、勝利かさもなくば死以外に道はないことを示されたい。」
それはあまりにも現実を無視した死守命令であった。しかし、最高司令官である総統アドルフ・ヒトラーに対する絶対的服従を宣誓したドイツ軍人にとって、その命令はどれほどの無理難題であっても絶対であったのである。ロンメル元帥は、職務と責任の狭間で激しく苦悶した。そんな最中、シュヴァルツがロンメル元帥の前へと歩み出る。
「総統閣下のご命令の遂行のためには、私の部隊も速やかに再編する必要がある。直ちに中戦車45両を私のために供出頂きたい。ここに至っては、型落ちのIII号戦車でも構いませぬ。」
ただでさえ欠乏している戦車をさも当然のように要求するばかりか、それらを『型落ち』と腐して見せる。シュヴァルツの言動は控えめに言っても、この場の全員に対する宣戦布告に等しかった。幕僚達は皆揃ってシュヴァルツへの敵意を顕にする。そんな中、ロンメル元帥だけは感情を取り乱す事なくシュヴァルツの言葉を静かに聞いていた。
(総統命令に従うのであれば、この男の要求を受け入れる以外に我々が生き残る道はない。)
今更言うまでもない、敵に対する絶望的なまでの数の劣勢。それを覆しうる唯一の可能性こそが、シュヴァルツの持つ念動力なのである。『兵力で勝る敵に対し、意志の力が勝利を得る』可能性を少しでも高めたいならば、他の何よりも優先してシュヴァルツの戦闘力を万全なものとすべきなのであった。
(しかしそれをすればその瞬間、他の将兵達の不満は許容限度を超えて爆発し、全軍の士気が崩壊すること疑いない。)
それだけは決して許容出来ない。シュヴァルツは決して無敵ではなく、その他多数の通常部隊の存在があってこそ強力な切り札となり得るのだから。先日の戦闘において、シャーマン戦車の大軍を前にしたシュヴァルツが、配下の車両を犠牲にしてまで撤退を選んだ事が、何よりもそれを現わしている。であるならば、シュヴァルツの戦闘力を強化するあまりに士気崩壊を招くなど、自らの死刑執行命令に署名するが如き愚行である。ロンメルは決断し、絞り出すような声で言葉を発した。
「申し訳ないが少佐、もはや貴官の要望を容れるだけの機甲戦力は残されていない。甚だ遺憾ではあるが、以後は後方に下がって、損傷車両の回収と修理に貴官の能力を用いてもらう事とする。」
シュヴァルツの顔に挑発的な笑みが浮かんだ。
「実に興味深い事をおっしゃいますな閣下。たかが一個大隊ですぞ。いかに我が軍が危機的状況にあると言えども、全軍からかき集めて用意出来ぬはずがありますまい。」
そのあまりに高圧的な物言いに、ロンメルも遠慮を捨てる。
「これは命令だ、少佐!貴官1人で戦争をしている訳ではないのだぞ!」
ロンメルの言葉を受けて、一部の幕僚達の間で賛同の声が挙がる。それらはやがて、シュヴァルツに対する非難罵声へと転化していった。
「敵を前にして戦車を捨てて逃げた奴に、貴重な戦車を渡せる訳が無いだろ!」
その言葉を聞いたシュヴァルツの顔に激しい怒りが浮かぶ。やがてそれを醜悪な笑みへと転化させると次のように吐き捨てた。
「私が今まで仕えた司令官は皆、戦場で不審な死を遂げてきた。ロンメル閣下も不幸な前例に加わらなければ良いのだが。」
その言葉を聞いた幕僚達が顔色を変える。次々と拳銃を抜いてシュヴァルツを取り囲んでいった。
シュヴァルツは両腕を大きく広げ、取り囲む幕僚達にその両手のひらを向ける。シュヴァルツに向けられていた銃口が、見えない力に引っ張られてあちこちに逸らされる。続け様シュヴァルツが手のひらを開いて腕を押し出す動作をすると、それら銃口から立て続けに発砲炎が生じた。放たれた弾丸は互いに交差しつつも全てシュヴァルツの身からは反れ、幕僚達の頭から足までのありとあらゆる部分を抉って辺り一面を血の海に変えた。
「『力』を抑えたまえ、シュヴァルツ少佐!これは命令だ!」
ロンメルは精一杯の威厳を込めてシュヴァルツを怒鳴りつける。しかし、その『力』を剥き出しにした今のシュヴァルツの前には、司令官の権威など何の意味も成さなかった。
「再度お願い申し上げます、ロンメル閣下。一個大隊分のIII号戦車を私にご提供下さい。それとも閣下は、死せる英雄となることをお望みか!」
あろう事か、露骨に上官を脅迫さえして見せる。それはロンメルにとって正に、覚めることのない悪夢であった。
(自らの手柄を欲するあまり、数々の悪名に目をつぶってこの悪魔を重用し続けた。その代償がこれだ。全ては私の責任なのだ!)
常に自分を敬愛し、無茶な命令にも献身的に従ってくれて来た有能で忠実な部下達。その彼らが血を流してもがき苦しむ姿を前にしてロンメルは、ただ自らの愚かさを呪い責めるばかりであった。
「誰でも良い、誰かこの悪魔を止めてくれ!」
日頃の心労も相まって精神が限界に達したロンメルは、いつのまにかそう叫んでいた。そしてあろうことか、PSIの鍵を取り出して、拘束されているブラックへと歩み寄っていく。
「ロンメル貴様、どういうつもりだ!」
遂に形ばかりの敬称さえをも忘れて怒号を発するシュヴァルツ。ロンメルはそれに構わず、ブラックの頭部のPSIの鍵穴に鍵を差し入れて『カチリ』と回す。PSIのヘッドギアが頭から外れ、背中のバッテリから電線で垂れ下がった状態で床へと落下して行く。ヘッドギアが床に叩きつけられそうになるその直前で、椅子のブラックは背中のバッテリを装着したまま何処かへと消えていた。
シュヴァルツの丁度真後ろへと姿を現わすブラック。シュヴァルツが振り向くよりも早く、背中のバッテリから垂れ下がったヘッドギアをシュヴァルツの頭部へとはめ込む。ヘッドギアが『カチリ』と音を立てて、シュヴァルツの頭部に固定される。
「貴様!」
逆上したシュヴァルツが、振り向き様ブラックに両腕を向けてあらん限りの念を放った。それは発動する事なく、代わりにヘッドギアから放たれた稲妻がシュバルツの脳天を撃つ。シュヴァルツは悲鳴を上げてその場へと崩れ落ちた。
「少佐殿!」
シュレディンガー中尉が慌ててシュヴァルツの元に駆け寄り、必死にヘッドギアを外そうとする。しかし、それはブラックの頭部にはめられていた時にそうであったように、完全に接着されたようにびくとも動かなかった。やがて落ち着きを取り戻したシュヴァルツがPSIの鍵の存在を思い出し、保管していた胸ポケットからそれを取り出そうとするが、そこにあるはずの鍵はブラックの手元へと握られていた。
「貴様いつの間に!」
シュヴァルツが激高し、再度危く念動力を発動しそうになったその時、ブラックは手元の鍵諸共、司令部から跡形も無く消えた。その間、ロンメル元帥と彼の幕僚達は、一切ブラックに攻撃を加える事なく静かに見送っていた。