第5話 エル・アラメインの戦い(後編)
シュヴァルツがブラックを視界に捉えた時、ブラックの方もまた、その抹殺すべき男の顔を網膜に焼き付けていた。最も今は、能力発動後のインターバルが経過していない無防備な状態であり、シュヴァルツの念動力と正面からぶつかっては勝ち目がない。ブラックは早る気持ちを抑え、いつの間にか手にしていた閃光手榴弾を真下に放り投げる。耳をつん裂く爆音と共に白い閃光が広がり、辺り一面から視界を奪い去る。
「チッ!」
シュヴァルツは人知れず舌打ちをした。念動力の透明な腕でブラックを捕らえる寸前で、思わずその存在を見失ったのである。砲塔へと顔を伏せてその視界を閃光から遠ざけるが、それでもその両眼両耳はチクチクと痛み、軽いめまいすらを感じる。そして程なくして、手榴弾の着弾音に少し遅れてまたしても戦車の爆発音が響き渡った。
「劣等人種め、よくも!」
怒りを顕にしたシュヴァルツは、顔を伏せたまま砲塔を叩きつける。自身が搭乗するそれを含む全車両の車載機銃が上空へと向けられる。まるで雷鳴のような咆哮と共にMG34機関銃の銃口が一斉に光を放ち、空中一帯が恐ろしい数の7.92mm弾で覆いつくされた。ブラックが再度同じ手で空中から攻撃を仕掛けて来れば、その位置が何処であれ、弾幕に捉えられて蜂の巣となるはずである。
やがてシュヴァルツは視界と平衡感覚を回復させ、濃密な弾幕が張られている上空一帯を見やった。しかし、四方のどこを見渡してもブラックの姿が見つからない。シュヴァルツは再度砲塔を叩いて車載機銃の一斉射撃を停止させたが、それでもブラックを発見することが出来なかった。
「どこに消えたと言うのだ。まさか?!」
シュヴァルツの脳裏に最悪の可能性が浮かんだまさにその時、これまでになく大きな爆音が響き渡り、シュヴァルツのわずか一つ右隣に位置するV号戦車が炎に包まれた。破壊された車体の破片が高速回転しながらシュヴァルツに襲いかかったが、すんでの所でシュヴァルツの発動した力によって逆方向へと弾き飛ばされる。
ジェームズ・ブラックが身を隠していたのは、シュヴァルツが想像した通りの最悪の場所、戦闘中のV号戦車の車内であった。本来であるならばそこには、砲手や無線手といった戦車の乗員が搭乗しているはずである。しかし実際にそこで目につくものと言えば、砲塔の真下に山積みされた砲弾くらいのもので、一切の人影が無かった。にも関わらず、その主砲は轟音と共に火を噴き続けており、その度に山積みされた砲弾の一つが、見えない力で引っ張られるかのように砲塔内部へとせり上がって行ったのである。
「もう少し早く気付くべきだった。『力』で恐怖させる以外に他人との関係の築き方を知らぬあの悪魔に、大隊規模の部下を従える器量などあるはずが無かったのだ。」
ブラックは辛辣に吐き捨てると、山積みにされている砲弾の隙間へと手榴弾を差し込み、信管の時限装置をセットした。そして、既に十分な余裕を持って回復していた能力を用いて、別のV号戦車の内部へと瞬間移動する。しばらくして信管が作動し、そのブラックが元いた戦車、今度はシュヴァルツの一つ左隣に位置する戦車が内部から誘爆して四方八方へと爆せ飛ぶ。シュヴァルツはまたしても、襲い来る車体の破片を念動力を用いて弾き飛ばさねばならなかった。
「どこまで私を不愉快にすれば気が済むのだ劣等人種?!楽に死ねると思うなよ!」
シュヴァルツは砲塔を爪で引っ掻きながら歯ぎしりする。
その両目はもはや狂気で血走っていた。
武装SSにおいて、持ち前の強力な超能力を武器に、異例の速度での昇進を遂げたシュヴァルツであるが、そのキャリアは最初から順風満帆であった訳ではない。本来階級が上昇すれば、その指揮下に入る部下の数も比例して増えて行くものである。しかし、いくらシュヴァルツがその『力』を持って人間兵器としての価値を周囲に示そうとも、彼の指揮下で戦いたいと望むSS隊員は皆無であった。ブラックが辛辣にも評した通り、SS隊員にとってのシュヴァルツは『恐ろしい化け物』でしかなく、間違っても信頼に値する上官では無かったのである。
SS隊員のこのような態度に直面したシュヴァルツは、人心掌握に努める代わりに、ただひたすら己の持つ力を鍛え上げる事のみを選んだ。部隊を指揮する器量が無いならば、自分一人で部隊と同じ戦闘力を発揮できれば良い、と考えたのである。武装SSに初めて装甲部隊が導入された際、シュヴァルツはすかさずその『指揮官』となる事を志願した。例え自身に従うSS隊員が皆無であっても、戦車であれば自身の念動力を用いて手足のように操る事が出来る。戦車5両を操れれば小隊長に、15両を操れれば中隊長になれるのだ。
シュヴァルツのこのような主張は、当然ながら周囲のSS隊員からの反感を買ったのであるが、彼の『力』を寵愛するSS長官ハインリッヒ・ヒムラーは直ちにこれを受け入れ、SS少尉の階級を与えた上で1個小隊の『指揮官』に任じた。その初陣となった対ポーランド戦においてシュヴァルツは、自身が成約した通り、与えられた5両の戦車をまるで手足のように操り、ただ1両としてかすり傷の一つすら負わせる事なく、ポーランド兵の死体の山を築き上げた。この功績でSS中尉へと昇進したのを火切りに、対フランス戦の途中でSS大尉へ、ロンメル将軍への援軍として北アフリカに派遣される頃にはSS少佐へと、同世代のSS将校の誰よりも早く階級の階段を駆け登った。相変わらずその指揮下で戦うSS隊員はただ一人の例外を除いて皆無であり、念動力を用いて操る戦車の数が大隊規模まで膨れ上がったに過ぎなかったのであるが、それを問題視する者はSS内部においては既に皆無であった。通常の部隊の何倍もの戦果を挙げる上に、マンパワーの供給が一切必要ないとなれば、コスト・パフォーマンスの観点からは文句の付けようがない。そして何よりも、SS長官ハインリッヒ・ヒムラー自身がシュヴァルツの持つ『力』に魅入られ、可能な限りの支援を惜しまなかったのである。
かくしてシュヴァルツの第666SS装甲大隊は、『組織図に存在しない、神憑り的な強さを持つ伝説の部隊』として、常に最新鋭の装備を供与され、数少ない戦線を共にした将兵達からは、その化け物じみた戦果から、畏怖と崇拝の念をもって迎えられるようになった。対外的にはあくまでも、通常の装甲部隊と同様に生身の人間が車両を操縦しているかのように装っており、その秘密を知るのは、SS内部でも将官クラスの者に限られた。ましてや敵には絶対に知られてはならない秘密である。シュヴァルツにとって、ブラックを決して生かしては帰せぬ理由がまた一つ増えたのだ。
「伏せられたマグカップの内の1つには、ジャガイモが隠されています。これから中を確認する事なくそのマグカップを当てて御覧に入れましょう....フン、私であれば大勢の観客の前で何度も実演して見せたことだが、果たして貴様にも同じ事が出来るかな!?」
既に4両のV号戦車の破壊に成功して気分が高揚していたブラックは、身を隠している車両の中で、シュヴァルツへの挑発を1人つぶやいた。もっとも、ブラックが実演して来たマジックには実際にはトリックがある訳だから、同様の振る舞いをこの場でシュヴァルツに求めるのは酷な話と言えよう。事実シュヴァルツは、ブラックが身を隠している戦車の位置について、全く見当を付けられないでいた。最初の不意打ちでは真横に位置する車両を左右双方ともに破壊される醜態を晒したが、まさか3度目までもそのような目と鼻の先に潜んでいるとは考え辛い。しかし、そう思わせておいて裏をかき、今度は真後ろの戦車を破壊するような芸当も、あのマジシャンであればやってのけかねない。それ以上の根拠の無い憶測を続けた所で堂々巡りに陥るだけであり、残り約40両の戦車の中から『正解』を選び当てるなど、ESPの持ち主でも無い限りまさに無理難題であった。
無論ブラックがこのまま戦車の破壊を続け、40両が30両に、30両が20両にとその数を減らしていけば、ブラックが身を隠す場所の選択肢もそれに合わせて少なくなり、結果的にブラック自身の首を絞める結果となる。しかしそうなれば、シュヴァルツの『大隊』の戦闘力もそれだけ失われ、この戦場における本来の任務を遂行する事が不可能となる。これ以上の戦力喪失を防ぎつつブラックを抹殺する事が、どれだけ困難に思えてもシュヴァルツにとって至上命題であったのである。
「薄汚いドブネズミが!いつまでも穴倉に隠れていられると思うな!」
シュヴァルツは残りの全車両に向けて念を送り、エンジンの冷却装置を停止させた。忽ちの内にエンジンはオーバーヒートを起こし、車内を灼熱の地獄へと変えて行く。ブラックの野戦服も、全身から噴き出した汗で瞬く間にぐしょ濡れとなる。
このようなオーバーヒートは、エンジンに与えるダメージも深刻であり、長く続けば最悪爆発さえをも引き起こしかねない。しかしそれと同じくして、ブラックの肉体にもたらされるダメージも深刻であった。噴き出す汗の量に反比例するかのように冷静な判断力が失われていき、今すぐにでも外に飛び出したい衝動に駆られる。ブラックはその衝動を懸命に抑えつつ、最後の切り札を発動させるべく、蒸し風呂と化した車両内で静かに指パッチンをした。
次の瞬間起こった現象に、シュヴァルツは言葉を失った。
どの車両のハッチからブラックが飛び出して来るのかと血眼になって警戒していた矢先、またしても爆音が響き渡り、前後左右バラバラに位置する車両が4つ同時に、黒い爆煙と共に火の玉に包まれたのである。無論、爆薬に時限装置を用いているのであれば、4つが同時に起爆するようにセットする事も理論的には可能なはずである。しかし、ブラックの能力発動が可能なインターバルを考慮すれば、4つの車両間を飛び回って爆発物を仕掛けて回るのに必要な時間などはとてもでは無いが経過していないはずなのだ。それとも、今までの能力の発動の仕方がプラフであり、実際にはもっと短いスパンでの瞬間移動が可能であったとでも言うのであろうか。
混乱と動揺を隠しきれなかったシュヴァルツは、つい気づくのに遅れた。爆煙がたち込める車両群の中で、いつの間にか右真後ろに位置する車両の砲塔に出現していたジェームズ・ブラックの姿に。その右手には拳銃が握られており、銃口をシュヴァルツの心臓部に向けようとしている。
「愚か者め、私に銃弾などが効くものか!」シュヴァルツの口元に獰猛な笑みが浮かぶ。いかにシュヴァルツと言えども、銃弾の速度で飛翔する物体の軌道を見切る事が出来る程の動体視力はない。しかし、最初から前方から発砲されると分かっているのであれば、前方の広範囲一帯に念動力を展開する事で、銃弾もろとも発砲者を吹き飛ばすことが出来る。銃声と共にブラックの持つ拳銃の銃口に発砲炎が生じた時、シュヴァルツの方もその右腕を前方へと伸ばし、あらん限りの念を送り込んでいた。その強大な念を受けて、ブラックの全身が右手の拳銃もろとも木っ端みじんに砕け散った。そう、人体というよりは、まるで一枚の板がそうなるように。
シュヴァルツがその不自然さに気付いた時、背中に火鉢を押し込まれたような鋭い痛みが走った。
そのまま口から血を噴き出させ、砲塔内部へとうつ伏せに倒れこむ。それを真上から見下ろしていたのは、先ほど木っ端みじんになったはずの男、ジェームズ・ブラックであった。
「...鏡か。」
ブラックが見せた『マジック』のトリックに、シュヴァルツはその時ようやく気付いた。シュヴァルツが念動力で粉砕したのは、ブラックの姿が映る一枚の鏡でしかなかったのである。
本物のブラックは、シュヴァルツの後ろへと姿を現わしており、ちょうど鏡に映るように、その左手に持った拳銃をシュヴァルツの背中へと向けていたのだ。鏡に映る姿を本人と見間違うなど、平常時ではまず犯しえないミスである。戦車を4両同時に破壊されたシュヴァルツの動揺に加えて、立ち込める爆煙が視界を著しく悪くしていた事が重なり、この『マジック』を成功させたのだ。
「...あの『爆煙』自体、今考えれば量が多すぎる。4両同時に爆発した時点で気が付くべきだったが、それらは全て貴様が用意した、ダミーの車体だったのだな。我が軍のロンメル将軍ですら、ハリボテの戦車部隊を作って幾度もイギリス軍の目を欺いて来たのだ。同じ事をマジシャンである貴様が実現できたとしても、決して不思議ではあるまい。」
ブラックには、種明かしをしてやる義理などなかった。シュヴァルツの断末魔の問いかけに答える代わりに、とどめの銃弾を叩き込むべくその銃口をシュヴァルツの頭部へと向ける。再度銃口に発砲炎が生じて9ミリ弾が撃ちだされるが、今のシュヴァルツには、念動力を発動出来るような余力は無かった。そのままシュヴァルツの頭部へと命中するかに思われたが、突如車内から飛び出してきた少女がシュヴァルツの前に立ち塞がる。
「少佐殿に手を出すな!」
シュヴァルツと同じく武装SSの野戦服を身に着けたその少女は、ブラックの銃弾を胸元へと受けていた。しかし、先程のシュヴァルツのようにその場で倒れこむ事は無く、その銃創はみるみるうちに修復されて行き、やがては何事もなかったかのように消え去る。続けざま今度はシュヴァルツを抱き起すと、野戦服のボタンを外し、血のあふれ出す傷口に、常人と比べてずいぶんと長いその舌を這わせる。そこにあった傷跡が跡形も無く消えて行く。その少女の横顔は、年相応のあどけなさよりもむしろ妖艶さを漂わせており、事態が飲み込めないブラックも、思わずその艶めかしさにしばし見とれていた。その間にも少女の舌はシュヴァルツの血を吸い続け、やがて傷口が塞がったかと思うと、今度はその唇をシュヴァルツの口元へと押し付けた。シュヴァルツの顔がみるみる生気を取り戻していく。
「ありがとう、シュレディンガー中尉。君にはいつも助けられるな。後は私に任せて休みたまえ。」
少女の肩を借りて起き上がったシュヴァルツは、見たことも無いような優しい口調で少女へと語りかける。シュレディンガー中尉と呼ばれた少女は、妖しげな微笑を浮かべつつ敬礼し、またしても車両の内部へと戻っていく。
そんな少女を見送ったシュヴァルツは、瞬時に別人のような獰猛な目つきに変貌してブラックへと向き直る。
「驚いたか、彼女は私に仕えてくれる唯一の部下だ。貴様には指一本触れさせはしない!」
シュヴァルツはブラックへと右腕を向ける。ブラックは慌てて瞬間移動を発動しようとするが、シュヴァルツの念動力はその暇も与えず、薙ぎ払うような勢いで全身に強烈な打撃を食らわせた。ブラックの身体が車両から転げ落ち、全身を砂漠の大地へと打ち付けて意識を失う。そのブラックを車両の上から見下ろしたシュヴァルツは、更に追撃をかけるべく両腕を伸ばすが、その目と先に着弾した砲弾が巻き上げた土煙に視界を遮られて中断せざるを得なかった。シュヴァルツが砲弾の飛んで来た方向へと目を向けると、土煙を巻き上げて進撃して来る、米国製のM4中戦車シャーマンの隊列が見て取れた。今のシュヴァルツが一人で相手にするには手が余る大軍である。
「ロンメル将軍め、しくじったのか!」
シュヴァルツは残りの配下の車両へと念を送る。約40両のV号戦車が、75mm砲弾を前方へと撃ちだしつつ、シャーマンの大軍へと向かいゆく。シュヴァルツはその隙に、自身が搭乗するV号戦車を全速力で後退させてその場を離脱していった。