第4話 エル・アラメインの戦い(前編)
エジプト領内奥地の港町、エル・アラメイン。北アフリカにおける最後の軍港となるこの地に、イギリス軍は最終決戦の陣地を敷いた。
エルヴィン・ロンメル元帥率いるアフリカ装甲軍はこれまで、内陸部を経由した戦略的迂回を繰り返し、数に勝るイギリス軍の部隊を各個に包囲殲滅する事で勝利を重ねて来ていたのであるが、今回ばかりはその常勝策も使えそうにない。南方に広がるカッターラ低地は半ば乾いた湿地帯であり、その微細で底深い流砂は装甲車両の通行を著しく困難としていたのである。迂回機動が封じられた以上、ロンメルが取りうる選択肢も小細工抜きの正面攻撃に限られる。それは単純な消耗戦であり、これまでの戦闘により
手持ち兵力を大きく減じていたロンメルにとっては極めて不利な戦いとなるはずであった。ましてやイギリス軍が、地下壕と塹壕で入り組んだ完璧な防御陣地を築いているとなれば尚更である。
しかし、ロンメルには尚も切り札があった。ヨハン・シュヴァルツSS少佐率いる、第666SS装甲大隊である。北アフリカ戦線において、不意をついた突撃により度々イギリス軍を壊滅に追い込んで来たこの部隊は、今回は広く横列に展開し、エル・アラメインの陣地に向けて一斉に主砲を撃ち放った。イギリス軍の砲撃が到底届かない距離からの、一方的なアウトレンジ攻撃である。放たれた砲弾は、まるで見えない腕で操られているかのように空中でその軌道を曲げ、イギリス軍が本陣を敷いていたアラム・ハルファ高地へと集中的に降り注いだ。布陣していたイギリス軍戦車が次々と爆発炎上していく。
「『黒い悪魔の軍団』だと!奴らは本当に実在したのか!」
イギリス軍第8軍司令官、バーナード・モントゴメリー中将は、爆音が響き渡る地下司令部の机で頭を抱え込んでいた。西部に点在していた兵力を速やかに撤退させて各個撃破を防ぎ、強固な陣地を築いたエル・アラメインに終結させる。そして、米国製のM4中戦車を含む大量の戦力増援を取り付け、圧倒的な兵力優位の元での消耗戦に持ち込む。これらを実現してのけたモントゴメリー中将の手腕は、敵であるロンメル元帥のような派手さこそないものの、堅実で有能な司令官としての評価を受けるのに十分なものであった。
『黒い悪魔の軍団』について、前線の兵士達の間で様々な噂が飛び交っている事は認知していたが、どれもこれもが現実離れしたものばかりで、到底信用に足るものであるとは思われなかった。モントゴメリーはこれらの噂話を、「戦場で正常な判断力を失った兵士が語る与太話」と判断し、作戦立案にあたり一切考慮に値しないものとして無視して来た。極めて理性的な判断であり、賞賛されこそすれ非難される謂れは無い。現実にその『黒い悪魔の軍団』が出現し、噂話の中で語られた通り、射程と命中精度が狂った砲撃を放って来たのでなければ。砲撃はますますその勢いを増し、司令部の床を轟音と共に震わせ続けている。やがて一際大きな激震が司令部へと走り、モントゴメリーが思わず椅子から転げ落ちる。そのまま頭を床に打ち付ける所であったが、その直前、迷彩服に身を包んだ一人の男が彼の身体を支えた。つい先ほどまでは司令部にいなかったはずである謎の男である。その横には、大尉の階級章をつけたまだ若い男がいたが、こちらも司令部では馴染みのない顔であった。
「遅くなり申し訳ありません、モントゴメリー閣下。英国秘密情報部のマイケル・エヴァンズ大尉であります。」
大尉の階級章をつけた男が直立不動の姿勢を取り敬礼すると、迷彩服の男もそれに倣って一礼した。
「カニンガムの遣いがようやくのお出ましか。敵についての極秘情報があるとの事だが。」
「はい閣下。単刀直入に申し上げます。一部の兵士の間で『黒い悪魔の軍団』と恐れられている第666SS装甲大隊。その指揮官であるヨハン・シュヴァルツSS少佐は、超能力の持ち主です。『念動力』と呼ばれる力により戦車砲の軌道を自在に操り、異常な射程距離と命中精度を実現しているのです。」
エヴァンズ大尉の言葉を聞いたモントゴメリー中将は、忽ちの内に鬼の形相となった。
「なるほど。確かにそれに類する戯言を抜かす兵もおったな。しかし、仮にもMI6の情報将校の口から同じ言葉を聞くとは思わなかったぞ。今すぐ帰ってカニンガムに伝えろ!貴様が長官室で偉そうにふんぞり返っていられるのは、私が本国に戻るまでだとな!」
なおも罵声を浴びせようとするモントゴメリー中将であったが、程なくして言葉を失った。目の前にいた迷彩服の男が、突如消失したのである。そして肩を叩かれて振り返ると、そこには消えたはずの迷彩服の男が立っていた。
「俄かに信じられないのも無理はありません。しかし閣下、『超能力』は実在するのです。
こちらのミスタージェームズ・ブラックが、『瞬間移動』の能力を持つように。」
しばし唖然とするモントゴメリー中将。しかし、冷静さを取り戻すにつれて、少し前の記憶が蘇って来る。目の前のMI6の大尉と迷彩服の男は、確かにこの司令部に突如として出現していたのだ。それも、この砲撃の中でかすり傷一つ負う事もなく。確かに、本当に瞬間移動したとでも考えた方が辻褄が合う。
「し、しかし、そんな非科学的な事実を認める訳には・・・」
今度は酷く動揺し始めるモントゴメリー中将の言葉を、エヴァンズ大尉は祖父を諭す孫のような口調で遮った。
「分かっております閣下。閣下はイレギュラーな事態に滅法弱い。同時に、事前準備の緻密さにおいて右に出る者がいない事も、全て把握済みです。『超能力者』は『超能力者』を持って排除する。そのためにこそ我々がここにいるのです。イレギュラーは我々に任せ、閣下は閣下の戦をなさって下さい。」
「ヨハン・シュヴァルツはこの手で、必ず抹殺する。そのためだけに私はここにいるのだから。」
今まで沈黙を保っていた迷彩服の男、ジェームズ・ブラックがここに来てようやく口を開いた。
そしてエヴァンズ大尉の肩に腕を回すと、軽く地面を蹴る。次の瞬間には、ブラックはエヴァンズ大尉共々司令部から跡形もなく消えていた。
再度唖然とするモントゴメリー中将。しかし程なくして表情を引き締め、椅子へと座り直す。
「『黒い悪魔の軍団』については忘れたまえ。我々は所定の計画通りにロンメルを迎撃する。」
その声は、いつもの落ち着きを取り戻した威厳あふれるものであった。
ブラックとエヴァンズ大尉が次に姿を現したのは、エル・アラメイン沖に停泊する英国海軍地中海艦隊の戦艦、クイーン・エリザベスの砲塔であった。無論、艦長を始めとする乗組員一同には事前に伝達済である。ブラックは水兵に先導されて砲塔基部の給弾室へと向かい、打ち合わせ通りそこに用意されていた、
ブラック専用の『砲弾』の内部へと潜り込んだ。透明な樹脂で造られ、内部から外の様子が丸見えであるその『砲弾』は、通常の砲弾がそうであるようにスライドして上部の砲室まで押し上げられ、砲身内へと
装填される。ブラックが呼吸を整えて目を瞑り、両耳を手のひらで塞いだその直後、『砲弾』はこの世のものとは思えぬ轟音と共に、陸地の『黒い悪魔の軍団』がいる方向へと撃ち放たれた。
砲弾の速度が落ち始めた所で、ブラックは両目を開けた。マジシャンとして鍛え上げてきた動体視力で眼下を見据える。脳をフル回転させて情報を処理するにつれ、ぼんやりとしたシルエットに過ぎなかった視界が次第に鮮明なものへと変化していく。漆黒に彩られたV号戦車パンターの群れが、縦深を保った複数の横列に分かれて展開し、主砲の75mm砲を交互に絶え間なく前方に撃ち放っている。そして、最前列中央部の戦車の車長展望塔からは、忘れようもないあの男、ヨハン・シュヴァルツSS少佐が身を乗り出している。
ブラックは煮えたぎる感情を抑え、『砲弾』の内部から静かに瞬間移動をした。シュヴァルツが位置するよりもはるか後部の横列の真上上空へと姿を現し、そのまま地表へと落下して行く。ここから10秒間は『インターバル』の制約により能力が発動出来ず、ただ重力に任せた落下を続けるより他ない無防備な状態となる。しかし幸いと言うべきか、最前列のシュヴァルツは、撃ち放たれる砲弾の軌道を『力』を用いて制御する事に夢中であり、後方のブラックに気づいた様子が一切ない。そればかりか、そのブラックの直下に位置する戦車群でさえも、主砲である75mm砲が絶え間なく前方に向けて火を噴くばかりで、
車載機銃が上空に向けられる事もなければ、ブラックの存在に気付いた乗員がハッチから頭を出す事もない。ブラックは微かに違和感を覚えながらも、そのまま自由落下を続け、地表の戦車が目と鼻の先に差し迫った所で、これまで嫌というほど訓練を積んだとおりに手榴弾を投擲する。狙いたがわず砲塔の真後ろへと着弾する手榴弾。中のニトログリセリンが一面に広がり信管が作動した時には、ブラックは再度能力を発動してその場から消えていた。内部の弾薬へと誘爆し、その無機質な砲塔が赤い炎を噴き上げて吹き飛ぶ。
シュヴァルツの端正な顔に、初めて驚愕の表情が浮かんだ。かすり傷の一つさえついた事がなかった自身の配下の車両を破壊されたのだ。しかも、所在すら掴めぬ正体不明の敵によって。
爆発炎上するV号戦車を尻目に周囲一帯を血眼で見渡したシュヴァルツは、やがて目に留めた。再度上空へと姿を現し、地表への自由落下を始めるジェームズ・ブラックの姿を。かつて殺しそこなった同類の姿に、シュヴァルツは忽ちの内に怒りの形相となって雄叫びの声を上げた。
「あの時の劣等人種か!」
今度こそ決して生きては帰さぬ決意を胸に、シュヴァルツは空中のブラックがいる方向へとその両腕を向けた。