チェストいけ令嬢! ~南方辺境伯サツマディア家のジゲン魔法~
「まあご覧になって?」
「あらあら、相変わらず垢抜けない……いえ、芋臭いと言うのかしら」
「だめよそんな、いくら芋が名産だからって」
王立魔法学園を一人の少女が歩けば、さざ波のようにそんな陰口が囁かれる。
視線の先にいる少女は、腰の強い黒々とした背中まであるストレートヘアを揺らしながら我関せずの顔だ。
なお、ツヤツヤしっとりなその髪は特産の椿油にて手入れされているため、そんじょそこらの令嬢など足下にも及ばない髪質なのだが……彼女を下に見ている令嬢達にはわからないらしい。
やや日に焼けた肌、キリリとした意志の強そうな太めの眉は、確かに王都に住む令嬢達の美意識とは真逆で、それを押し通している様子は垢抜けないように見えるのだろう。
彼女は戦の多い南方辺境伯家のご令嬢、キリカ・サツマディア。
女の身ではあれどもサツマディア家の薫陶を身に刻み込んだ彼女は、王都でぬるま湯のような生活を送っている彼女らとは価値観が違うようで、普通であればあちこちから囁かれる陰口に気が滅入りそうなものだが、まるで気にした風もない。
以前、数少ない友人から『気にならないのですか』と聞かれたことがあったのだが、その際彼女はこう答えたという。
『サクラジマの灰の方が余程気になります』と。
なお、この場合の灰とは毎日のように噴火する火山サクラジマから吹き出す火山灰のことなのだが、友人は何かを燃やした後の燃えかすだと思ったらしい。
更にはそれをこっそり聞いていた別の令嬢も同じ勘違いをした上で言いふらしてしまったため、まるで気にされていないと誤解した令嬢達の反感を一層かうようになった。
……よくよく考えれば、気にしていないのは事実なので誤解ではないかも知れないが。
ともあれ、彼女はこの魔法学園における異物として避けられ、あるいは敵視されている。
キリカ自身も可能ならばこんな場所からさっさとおさらばしてしまいたいのだが、残念ながらそうはいかない理由があった。
「キリカ・サツマディア! 貴様、相変わらず野暮ったい服装ではないか!」
いきなりなご挨拶をかましてきたのが、まさにその理由である。
ヨシヌフ・エドゥ・トゥックガー、この国の王太子であり……キリカの婚約者だ。
政略によって結ばれた婚約によって必要となった王子妃教育もあり、キリカは遠く故郷を離れこの王都に来ているのである。
そのため、この王都に縛られた形になっているのだが……肝心の王太子がこれでは、出てきた甲斐もないというものだろう。
思わず溜息を零しそうになった口元を手にした扇で隠したキリカは、王太子ヨシヌフへと静かに目を向ける。
「これは王太子殿下、ごきげんよう。本日のわたくしの装い、残念ながらお眼鏡にかなわなかったようで」
キリカの答えに、くすくすと辺りで笑いが漏れるのだが……果たしてそれはどちらの意味か。
彼女が来ているのは落ち着いた藍色のドレスであり、地味と言えば地味だろう。
しかしそれは、オッシマーツムギという高品質なシルクで織られた逸品で、王妃も愛用しているものである。
だが、そんなことには気付かずキリカを嘲笑う王太子ヨシヌフとその取り巻きや令嬢達。
それを遠巻きにしている、見抜けるだけの目を持つ者達はキリカの言葉の意味を理解している。
『オッシマーツムギもわからないとは、あなたの目は節穴ですか』
遠回しにそう言われたというのに、王太子ヨシヌフはまるで気付いておらず……意味がわかった者達からすれば、その笑い顔は随分と間抜けなものに見えて仕方ない。
故に、そういう意味での失笑もかなりの割合で含まれていた。
そして、もちろん彼はそれにも気付いていない。
「はっ、それで着飾ったつもりか!? ここにいるシュガーと見比べてみろ!」
「やだっ、殿下ってばそんな、キリカさんが可哀想ですよう!」
ヨシヌフがそう言いながら、その腕にしがみついている少女を指し示せば、クネクネとした動きを見せるシュガーと呼ばれた少女。どうやら、照れている動きらしい。
見れば、確かに派手な色合いで華々しく、愛くるしい顔立ちのシュガーに似合っていると言われればそうなのかも知れない。
だがその染めは三級品、糸も大して良いものではない。
それをこうも自慢げに見せてくるということは、恐らく王太子ヨシヌフが贈ったものなのだろうが……。
『またボッタくられましたわね、あのボンクラ王子』
そう心の中で呟き、小さく溜息を零すキリカ。
ヨシヌフという男は、大体につけてこんな感じであった。
尊大に振る舞いながら、その実あちらこちら抜けている。
王都にやってきてから常にこれでは、流石にキリカも愛想が尽きていた。
政略結婚に不満なのはわかるが、それはキリカとて同じ事。
であれば王族として飲み込んで欲しいところだが、その度量すらないとなれば、そろそろ見切りを付けるべきだろうか。
そう思ったのは幾度目か、もう覚えることも放棄した程脳内で繰り返した言葉が頭をよぎったその時だった。
「貴様のような地味女が我が栄光ある王国の王妃になるなど耐えられぬ!
貴様との婚約を破棄し、俺はこのシュガーと新たな婚約を結ぶことをここに宣言する!!」
「は?」
唐突な宣言に、キリカがぽかんとした声を漏らし、周囲の取り巻き達は歓声を上げて盛り上がる。
逆に、遠巻きに見ていた生徒達は一気に静まり返り、青い顔をしている人間も少なくない。
彼ら彼女らはわかっているのだ、この婚約の意味を。
そしてわかっていなかったのだ、婚約の片方の当事者である王太子や、その側近になるはずだった取り巻き達は。
はぁ~~~……と、長い長い溜息が漏れる。
「殿下、何をおっしゃったかおわかりですか? そもそも、この婚約の意味をおわかりで?」
「はっ! 父上は貴様等のことを妙に恐れているが、所詮貴様等は突撃しか取り柄のない蛮族まがいの一族ではないか!
おまけになんだ、次元魔法だとかいう地味な魔法は! ただの移動魔法と何が違う!
そんな魔法よりもシュガーの聖魔法の方が余程国のためになるというもの!」
「やだ殿下、そんなほんとのことをはっきり言わなくてもぉ~」
ベラベラとしゃべる王太子に、媚び媚びなシュガー。
ピクリ、とキリカの眉が小さく跳ねる。
二人の態度が気に食わない、のもあるが、肝心なのはそれではない。
「今、何と?」
「なんだ、どれのことだ? 突撃馬鹿の蛮族ということか? 役に立たん魔法しかないということか?
何か間違ったことを言ったか?」
ヘラヘラゲラゲラ。王族にあるまじき下卑た笑い方だが、取り巻きも同様なために誰も窘める者がいない。
これはやばい。
遠巻きにしていた生徒は、一歩、二歩、と距離を取るも、まだ逃げ出さない。
キリカがどう出るか、それを確かめるまではこの場を離れられない。
大きな岐路に立っていることを、彼らはわかっている。
「それは、王家のお言葉ですか?」
静かに、静かに。キリカが、問いただす。
それを聞いて王太子ヨシヌフと取り巻き達はどっと笑い、遠巻きにしている生徒達は首筋に冷たい鋼の刃を当てられた心地になった。
これは、最後の問いかけだ。
生徒達が固唾を呑んで見守る中で、それがわかっていないヨシヌフは軽く口調で答えた。
「当たり前だ、王家の人間、王太子である俺の言葉なのだから!」
言ってしまった。
逃げたい。
生徒達はそう思うも、まだ足を動かさない。
万が一、もしかしたら、いやしかし。
キリカの反応を確認するまでは目を逸らすわけにはいかない。
悲壮な決意を固める生徒達の前で、キリカがついに口を開いた。
「よかど」
「……は?」
聞いたことのない響きの言葉に、ヨシヌフは間抜けな顔で聞き返す。
今、彼女はなんと言った?
ぽかんと口を開けたままのヨシヌフを、ひたり、静かな視線でキリカは見据える。
「よかど。そいが王家の言葉じゃちゆっどなら、婚約破棄の受けもんそ」
「え? は?? な、なんて?」
いきなり聞こえてきた聞き慣れない言葉遣いに、ヨシヌフは間抜けな顔のまま聞き返す。
それは、周囲にいる生徒達も同じで……いや、サツマディアの隣に位置するヒューガルダナの令息だけは意味がわかったらしく、顔色が真っ青になった。
わかったのだ、彼は。
彼女は、南方辺境伯サツマディアの令嬢キリカは、婚約破棄を受け入れた。それも、お国言葉で。
これが意味するところが、彼以外の誰もわからない。
「婚約破棄の受けるち言うちょっと。よかよか、こいであては自由の身、もう好きにすっどな」
「いや、だから、なんて? き、気でも触れたか!?」
「お嬢様は、『これで私は自由の身、もう好きにしますから』と申しております」
「お前誰!?」
突如キリカの隣に現れた侍女風の女性が通訳すれば、それにも驚いたヨシヌフは危うく腰が抜けそうになる。
「ないごっね、そげにいっだましいの抜けちょっごつ顔のしちょって」
「『どうしたのですか、そのように魂の抜けたような顔をなさって』と申しております」
「な、なんだと!? いや、どっちにどう驚けばいいんだこれ!?」
混乱するヨシヌフが助けを求めるように左右を見るも、驚きの事態に取り巻き達も硬直している。
そんな混乱をよそに、泰然自若とした様子のまま、キリカがずいっと一歩足を前に進めた。
「ほいでそいが王家の言葉じゃちゆっどな、サツマディアへの侮辱にごたる。
そいなぁば、恥の漱がんとサツマに戻れんごた」
「これは翻訳の必要はございませんね」
「いや割とそうでもないぞ!? っていうかなんだか不穏なこと言ってないか!?」
ようやっとキリカの言っていること、何よりその纏う雰囲気に気がついたのか、ヨシヌフが慌てる。
そう、彼の言う通り、キリカは不穏な空気を纏っていた。
魔力と殺気の混じり合った、独特なプレッシャーを。
もっとも、ろくに稽古もしていなかった彼にはそこまでわからないのだが。
「おはんのゆっちょった地味な魔法。サツマのジゲン魔法のお披露目のし、お別れの挨拶にしもんそ」
「『あなたの言っていた地味な魔法、サツマのジゲン魔法のお披露目をして、お別れの挨拶といたしましょう』と申しております」
「は? はっ、あんな地味な魔法で一体何をっ」
侍女の説明を聞いて、一瞬戸惑うも、理解すればヨシヌフは鼻で笑う。
笑った。
その音が消えるよりも早く、目の前にキリカがいた。
「は?」
「サツマジゲン魔法、『運足』」
運足、それ自体は武術用語として普通に使われる言葉である。
だが、サツマジゲン魔法の『運足』は、それとは文字通り次元が違う。
遠く離れた間合いから一瞬で距離を詰め、必殺の一撃を放つのがサツマディアの流儀。
その『運足』は一種の瞬間移動魔法であり、達人ともなれば100m以上離れたところからでも届くという。
まして会話も出来るようなこの程度の距離、キリカほどの腕であれば近づくなど呼吸をするよりも簡単なこと。
そしてこの距離は最早キリカの間合い。
キリカはいつの間にやら高々と肩の上に掲げていた右腕で天を示しながら、厳かに宣言する。
「サツマジゲン魔法、『雲耀』。チェストォォォォォ!!!!」
猿の雄叫びのような声を上げながら振り下ろした手は、さながら剣の一撃のように鋭く。
ヨシヌフは、斬られたわけでもないのに斬られたような感覚を覚えた。
いや、ある意味斬れていた。
「う、うわぁぁぁぁ!? な、なんだこれは!?」
彼が狼狽えるのも仕方のないところ。彼の身体は、左肩から右腰にかけて袈裟懸けに両断されていた。
だというのに、痛みがない。血も出ない。
しかし確かに身体が繋がっていない実感もある。
あり得ない感覚にパニック状態になりながら己の身体を見下ろせば、更なる混乱が引き起こされた。
確かに身体は両断されている。
しかし血は流れていない。
そして、身体と身体の間、切断部分に何も見えない。
何か闇としか形容のできない空間が、そこには存在していた。
「サツマジゲン魔法に斬れぬものなし。殿下の身体を空間ごと斬っちょっと」
「は? 空間ごと?? はぁぁぁぁぁ!?」
言われたことが理解しきれず、悲鳴のような声を上げるしか出来ないヨシヌフ。
しかし、頭ではなく感覚は理解していた。
生物学的、物理的な意味でなく、もっと上の段階で分かたれている、ということを。
それこそが、空間すら操るのが次元魔法。
その中でも戦闘に特化したのが、サツマディアのジゲン魔法なのだ。
「ま、まて、助けろ、これでは俺は!」
「こんままじゃったら、けしんどな」
必死なヨシヌフへと、涼やかな声で笑うキリカ。
その声だけは鈴を転がすような美しい響きだというのに、それが一層言葉の違和感を強くしてしょうがない。
さらにそこへ告げられる、その内容。
「お嬢様は『このままだったら、死にますね』と申しております」
「洒落にならない!? ま、まじでか、本気、じゃないよな!?」
必死な形相のヨシヌフへと、向けられるのは微笑み。
それはもう、背筋が寒くなるようなそれで。
『あ、終わった』とヨシヌフは絶望したのだが。
「あてはどっちでんよかど、こげんやっせんぼの命を取るもぐらしかで、勘弁のしょっか」
「『私はどちらでもいいのですが、こんな腰抜けの命を取るのも可哀想なので勘弁しましょうか』と申しております」
「ど、どっちでもいい!?」
彼にとっては衝撃の発言に、勘弁してやろうと言ってもらえたことすら耳をすり抜ける。
この女は、自分に嫁ぐために必死こいて南の辺境から出てきたのではないのか?
今となってはバカバカしい問いが彼の脳内を駆け巡る。
混乱の極みにあるヨシヌフなどそれこそどうでも良いとばかりに気にしないキリカが軽く右手を振るえば、両断されていたヨシヌフの身体が空間ごと元に戻った。
その実感に、死なずに済んだという実感に、完全にヨシヌフの腰は抜けその場にへたり込む。
「ほんなこつやっせんぼな。肝練りのすっどね?」
「『本当に腰抜けですね、肝練りでもしますか?』と申しております」
「なんだよその肝練りって!? い、いやだぞ、絶対ろくでもないことだ!」
腰が抜けていても、声だけは出るらしい。
ちなみに、『肝練り』とは確かにろくでもないことなので、こんなどうでもいい時ばかり彼の勘は当たっていた。
だが、最早興味も失せたのか、肝練りとは何か、説明する気はないらしい。
「婚約破棄のしちょごな、もう用のなか。こいにて暇のさせっもらっど」
「はい、お嬢様」
そう告げれば、キリカと侍女は淑女の礼を見せた後、くるりと振り返って学園から出て行こうとする。
「なっ、逃がすか! 俺にこんな真似して、ただで済むと思うなよ! 衛兵ども! あの女を捕らえろ!」
先程まで死にかけていたことをもう忘れて、ヨシヌフが叫ぶ。
……今もキリカの間合いの中、彼女がその気になれば今度こそ真っ二つだというのに、そんなことは頭にないらしい。
そして、そんな彼に今更斬る価値などない。
「よかよか、敵中突破のしもんそ」
「はい、お供しますお嬢様」
笑うキリカに、平然とした顔で頷く侍女。
彼女達の前には、数十人に及ぶ衛兵達。
何しろ王侯貴族が通う魔法学校なのだ、警備にこの程度の人数は当然いる。
そして、キリカもそのことはわかっている。
その上で彼女は笑うのだ。
「サツマディア辺境伯が息女キリカ、死地に参る! きえぇぇぇぁぁぁぁぁ!!」
腰が抜けそうな程の雄叫びを上げながら、キリカは吶喊。
群がり来る衛兵達の槍を掻い潜ってはドン! ダン! と豪快な音を響かせながら衛兵達を吹き飛ばし、侍女がその周囲を固めて撃ち漏らした衛兵を寄せ付けない。
そのまま女二人の身で見事衛兵達の真ん中を突破、その壮絶な戦いぶりに生徒も飛ばされた衛兵達も絶句である。
「お嬢様、先にお進みください! サツマジゲン魔法、『捨てがまり』!」
侍女が魔法を発動すれば、その身が輝き、仁王立ちになった。
……ように見えた。
しかしそこに立つのは彼女の形をしたエネルギーの塊。
それを置いて彼女もまた後退、キリカの後を追う。
そして置かれたエネルギーの塊に衛兵達が追いつけば、いきなりその人型のエネルギーが大暴れ、そのエネルギーが消え尽きるまで足止めをする。
幾度もそれを繰り返せば距離も開き、衛兵達も早々に追いかける気力は尽き果てた。
こうして南方辺境伯家息女、キリカ・サツマディアは堂々逃げおおせたのである。
それから三日後。
「サツマディア辺境伯、この度は申し訳無いことをした」
王城の一室、非公式な会見に使われる部屋にて、国王が頭を下げていた。
元々この政略結婚は、南方辺境伯との繋がりを強めるためのもの。
それを王太子であるヨシヌフがぶち壊してしまったのだ、国王としては平謝りするしかない。
だが、聞いていた辺境伯は何も言わず、しばしの沈黙が部屋に訪れて。
どれほど経っただろうか、ゆっくりと辺境伯は口を開いた。
「陛下」
その響きだけで全てを悟った国王は目を見開き、それから天井を仰いだ。
ただ一言、『陛下』と言っただけのこと。
だが辺境伯は、陛下↓と最後を下げるように言うのではなく陛下↑と上げる、サツマディアお国言葉のイントネーションで口にしたのである。
それを聞いた国王は、それだけで理解したのだ。
最早サツマディア辺境伯と袂は分かたれた、と。
こうして、王太子の無責任な言動により内戦にまで発展、王太子ヨシヌフは罰としてサツマディアに向かう南征軍の一騎士として編入された。
その情報を得たサツマディア辺境伯軍の兵士達はは、たぎっていた。
「お嬢様に恥のかかせっやっせんぼの来ちょっげな!」(お嬢様に恥をかかせた腑抜けが来てるそうですね)
「まっこてよか機会じゃち、首の取っち、け死なさんと!」(誠によい機会です、首を取って死なせてあげませんと)
彼らの大事なお嬢様、キリカに恥をかかせた王太子への敵意は強く、首を取ってやろうと意気は上がる。
そこへと更なる燃料が投下された。
「わいたぁ聞いちょっとが! お嬢様のご出陣なさっと!」(あなた達聞きましたか、お嬢様がご出陣なさるそうです)
「そいはまこっか!」(それは本当ですか)
「まこっ! おいの耳でしっかと聞いたぁ!」(本当のことです。私の耳でしっかと聞きました)
それを聞いた兵士達は互いに顔を見合わせ、紅潮させる。
やがて高まった高揚は、彼らの心の象徴でもある活火山サクラジマのごとく噴火した。
「け死んどけ死んど! お嬢様のためにおいたぁけ死んど!」(死にましょう死にましょう、お嬢様のために我らは死にましょう)
「おうさ、け死んど! こいが命の捨てどこぞ! 捨てがまろうぞ!」(おうともさ、死にましょう。これが命の捨てどころです、捨ててまいりましょう」
婚約破棄という侮辱を受けた令嬢キリカが、自らの手で恥をすすぐべく出陣する。
そう聞けば彼らは猛り、吠え、盛り上がった。
よそ者が見れば異様な光景だが、サツマディアではよくあること。
南方の国々と戦いに明け暮れるサツマディアでは、特殊な死生観が育てられていた。
サツマディアの村落や集落などの各共同体に小さな学問所が備えられており、そこではサツマディア辺境伯領がもたらす恩恵と、それに報いるためにすべきことが教えられ、辺境伯領への帰属意識を高める教育がなされている。
更には、共同体が妻子の面倒をみるシステムを確立、例え戦死しても遺族に不自由のない暮らしをさせていた。
いや、むしろ勇敢に戦って名誉の戦死を遂げる方が遺族の扱いが良くなるくらいである。
これによりサツマディアの兵士、騎士は死を恐れぬ、むしろ死んでも勇敢に戦うことを優先する死兵の状態が通常状態になっていた。
そのため、通常であれば一割の被害が出れば崩れ出すのが常である戦争において、彼らは五割以上の被害が出ても崩れない、とも言われている。
こんな連中がジゲン魔法を駆使して突っ込んでくるのだ、敵としては恐怖しかない。
そこに更に、敬愛するお嬢様が指揮官として前線に出てくるのだ、恥ずかしい戦いなど絶対に出来ない。
「一人斬ってけ死ねば帳尻の合っど! 二人斬れば儲けもんぞ!」
「ならばおいは三人斬ってけ死んど!」
「わが三人ならおいは四人じゃ!」
互いに煽り合うような言葉を交わし士気を高め合う兵士達。
サクラジマのマグマかのごとく熱くなった彼らは、戦場へと向かった。
トゥックガー国軍五万を迎え撃つは、サツマディアの精鋭一万余。
五倍の敵を相手となれば、籠城を選択するのが常道。
しかし、援軍の来ない籠城など笑止千万、あの王太子のような腰抜けのすることだとサツマディア辺境伯は一笑に付して野戦を選択。
長い籠城戦を覚悟していたトゥックガー軍は、むしろほっとしたような空気すら漂ったという。
もっとも、それすらも戦術の一環だったのだが。
彼らは、サツマディア軍を知らなかった。知らなさすぎた。
それは、致命的だった。
「全軍進撃! サツマディアの田舎者どもに思い知らせてやれ!」
指揮官の号令とともに、オーソドックスな横隊陣に広がったトゥックガー軍は五分の一しかいないサツマディア軍に対して堂々たる横並びで進軍。
それに対してサツマディア軍本隊の指揮官であるキリカが命じたのは、同じく前進であった。
互いの距離が近づき、まずは弓を射交わすか、攻撃魔法を打ち込むかの距離。
そこに至った瞬間、キリカが大音声で号令を下した。
「総員突撃、ひっ跳べ!」
「「おおおおお~~~~!!!」」
地響きのような声で兵達が答えれば、彼らは次々と姿を消し。
次の瞬間には敵の前衛に接敵していた。
そう、サツマジゲン魔法『運足』である。
この移動魔法を、サツマディア軍は一兵卒に至るまで身に付けているのだ。
というよりも、むしろ身に付けていなければ栄誉ある切り込み部隊には入ることが出来ない。
指揮官が要求する戦術を遂行出来ないからである。
そんなことを知らないトゥックガー軍兵士達は、突如目の前に現れたサツマディア軍の命知らず達を前に、パニック状態に陥った。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!?」
「サツマジゲン魔法、『雲耀』!!」
「きぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
キリカの言葉にあわせて兵達は『雲耀』を発動、紙のようにトゥックガー軍を切り裂いていく。
その様は、非現実的で。
目の前で、隣で、仲間の兵士達が倒れていくのを、トゥックガー軍兵士達は呆然と見ているしかない。
そして、そんな彼らをサツマディアのぼっけもん達が見逃すはずもない。
「きぇぇぇぇぇ!」
「チェストォォォォォ!」
あちこちで、猿の雄叫びのようなかけ声が響き、その度にバタバタとトゥックガー軍兵士達が倒れていく。
何しろ弓が届くかという遠い間合いからいきなり踏み込んできた上に、鎧も関係なく切り裂いていくような連中である、とても人間とは思えない。
更には短距離で『運足』を幾度も発動、攻撃しようと思った時にはそこにいない。
彼らサツマディアの兵達は常日頃から『打ちまわり』という稽古によって心身を鍛えている。
地面に幾本も打ち立てた木の杭を、『運足』を使って駆け回りながら幾度も幾度も打ち据えていく訓練であり、これによって身体を鍛えるのは元より、幾度も『運足』を使うことにより魔力と胆力を練っていくのだ。
そこまでしなければ、短距離であってもそれなりに魔力消耗の大きい瞬間移動魔法を、実戦で使いこなすことは出来ない。
逆に言えば、それが出来るからこそ彼らはこうして切り込み部隊として五倍の敵相手に突撃する栄誉を得ているのだ。
当然、常人には理解出来ないが。
そして、常人ばかりで構成されたトゥックガー軍はあまりに理解の埒外な敵を相手に、硬直していた。
理解出来ない存在を前にした時、人間は動きを止めてしまうものだと、彼らは初めて知った。
そして、あっという間にトゥックガー軍中央は混乱状態からの崩壊が始まってしまう。
「い、いかん、両翼、包み込め!」
このままでは中央を突破され、両翼は分断、指揮官の居る本陣が無防備になってしまう。
そう悟った指揮官はすぐに指示を出して左右から挟み込もうとしたのだが。
「後退! 『運足』を二度!」
キリカの号令に、サツマディアの兵士達がすぐさま反応、二度跳んで、包囲の外へと抜け出していく。
徴兵によって集められたトゥックガー軍兵士は練度も士気も低く、命令を遂行する速度はサツマディア軍とは比べものにもならない。
そこにサツマジゲン魔法『運足』まで組み合わせれば、捉えることなど出来るわけもないのだが。
「追え! 敵は下がった、疲れがあるぞ!」
サツマディア軍が後退した、そのことを楽観的に捉えた前線指揮官が指示を出した。
出してしまった。
中央を挟み込もうとした状態から、隊列を整えることなく追撃。
数こそ居れども幅はなく、足並みも揃わず。
縦に伸びた形で、後退するサツマディア軍を追う。
ここで、逃走でも撤退でもなく、後退していると把握出来る指揮官がいたらのならば展開は変わっていたのだろう。
しかし、いきなり壊滅的に友軍が叩かれたのを見せつけられた両翼の指揮官は、ここで逃せば次は自分達だ、との恐怖があった。
それが、目を曇らせた。
「反転! 鬼ごっこはしまいじゃ、応戦のすっぞ!」
キリカの声が響けば、サツマディア軍の兵達が反転、迎え撃つ態勢を整える。
当然、打ちまわりで鍛えられた彼らはまだまだ意気軒昂。
そして、再度の激突、と思われたその時、左右の草むらから、伏兵が二千ずつ立ち上がった。
「サツマジゲン魔法『雷霆』! ってぇぇぇぇぇ!!!!」
「「チェストォォォォォ!!」」
号令と共に文字通り雷鳴のような轟音が幾度も響き渡り、近づいてきたトゥックガー軍兵士達が次々と吹き飛ばされていく。
実は、サツマジゲン魔法には二種類ある。
先程まで兵達が見せていた、一般兵用のヤックマージゲン魔法と、騎士階級の使うトゥゴージゲン魔法である。
トゥゴージゲン魔法は選抜された者にのみ伝えられる魔法であり、生じさせた空間の歪みをぶつけて敵を吹き飛ばす遠距離射撃魔法が一番の武器だ。
なお、この際に雷鳴のような轟音が鳴るために『雷霆』と名付けられた。
訓練された騎士階級が使う遠距離射撃魔法は、それだけでも脅威。
更に彼らは、それが最大限力を発揮するような運用を得意としている。
それが、トゥックガー軍をここまでおびき寄せ、半包囲からの十字射撃を食らわせているこの『釣り野伏せり』だ。
一列に並んでの斉射も十分恐ろしいが、更に二つの隊に分けて斜めに配置、互いの射線が十字に交わるように射撃すればその効果範囲は面状となって襲いかかることになる。
斉射であれば前から倒れていくが、十字射撃の範囲内にあっては等しく射撃が襲いかかり、逃げることは叶わない。
結果、普通の戦ではありえない勢いでトゥックガー軍兵士達は倒れていく。
「逃げ、逃げろぉ!」
「ばっ、邪魔だ、どけっ!」
そんな状況を見せられてしまえば兵士達が恐慌を起こすのも仕方の無いこと。
しかし、後退で無く逃走、それも全く統率が取れず逃げ惑う有様では、これだけの数がいる戦場において逃げることなど出来はしない。
トゥックガー軍は、五万というその数すら仇になったのだ。
「撃て撃てぇ! 撃って撃ちまくれぇ!」
「首ぞ、大将首の取っぞ!」
抵抗力を失ったトゥックガー軍相手に、しかしサツマディア軍は容赦しない。
逃げる背中から撃ち、斬り、散々に蹴散らしていく。
なお、この時王太子ヨシヌフはどこかで討ち死にしたらしいが、詳しくはわかっていない。
「やれやれ、敵軍はちんがらじゃ」
呆れたように言うキリカの目に、侮りの色はない。
いまだ油断なく戦場を見渡し、無慈悲に刈り取る指示を出していく。
その様は、さながら戦の女神のようであった。
こうして五倍の敵を相手に大勝利を収めたサツマディア軍は北上を開始。
支配域を広げていくだけでなく、特産の砂糖、畜産物の輸出制限を行って王都側の食事情を心理的にも実際的にも追い詰めていく。
王太子ヨシヌフの恋人であった男爵令嬢シュガーは「どうしてケーキが食べられないの!」などとこの期に及んでも世迷い言を言っていたそうだが、お前のせいだと周囲から散々に詰られ、やっと理解したらしく精神を病んでしまったという。
最早どうしようもないと悟った国王は降伏、トゥックガー王国の南半分をサツマディアへ割譲を打診。
サツマディア辺境伯もこの講和条件を受け入れた。
如何に精強なサツマディアといえども、文官の数には限りがある。
彼らが支配できる広さの限界は南側半分であろうと国王は読み、事実その通りであったため辺境伯は受け入れたのだ。
こうして、公衆の面前での婚約破棄という王太子の愚挙は、国が二つに分かれるという悲惨な結果で終わった。
このことは歴史書に残され、後々までの教訓となったという。
そして、当事者であったキリカは。
「結婚? あてより強かよかにせでんおれば考えっども」
「お嬢様、『私より強いイケメンが居れば考える』だなんて、いるわけないじゃないですか」
「んだもした~ん! そいならあてはおまんさぁと二人でのんびりすっど」
と、悠々自適の生活を送ったのだとか。
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