悪名高き異端の魔女ニーナの殺害命令について
私の家が、真っ青な炎に燃やし尽くされていく。
幾重にもかけておいた結界をいとも容易く打ち破り、立派な業火を生み出したその人。
背後から漂う懐かしい魔法の気配に、私は笑みをたたえて振り返った。
「あら、なんて物騒なご挨拶かしら。英雄の大魔法使いさま」
「君の殺害命令が出たよ、異端の魔女殿」
真っ白なローブに身を包み、手に炎を携えた黒髪の男が私を見据える。
学院時代となんら変わらぬ無表情っぷりからは、どんな感情も読めやしない。
「まあ、貴方に私を殺すことができて? 学院時代、一度も勝てたことがないでしょう」
「あの頃は、君を殺すつもりはなかったからね」
言いながら、数多の炎の矢を私の頭上へ振り落とした。
もちろんそんな些末なもの、わざわざ避けたりなどしない。
何故なら私は異端の魔女。魔法使いでありながら、一切の魔法が効かないのだから。
「今も殺す気がない、の間違いじゃないかしら」
「殺す気ならある」
炎の矢を潜り抜けるようにして、加速魔法で一気に近づいた彼が私に刃を向ける。
「首を掻っ切ってしまえば、さすがの君も死ぬだろう」
「そうね、一息ならば私の回復魔法も間に合わないわね」
学院時代は剣術などからっきしだったくせに、いつの間に学んだのやら。
私を除けば、この世で『英雄』や『大魔法使い』の名をほしいままにする彼だ。
そこに剣術まで加わってしまえば、おおよそ人の形をしたもので彼に勝るものはいなくなるだろう。
(そもそも筋力だけは、昔からゴリラ並みだったのよね)
ずがん、と私を刺し損ねた彼の剣先が、あっさりと岩を砕いてしまうのを見てこっそり青ざめる。
あれでは、触れさえすれば私の細い首などすぐに吹き飛んでしまうだろう。
(鬼に金棒。ゴリラに剣術。ああ、どうか当たりませんように)
内心を悟られないよう、あくまで余裕の態度で彼の魔法と剣術から、ひらりと逃げる。
「先ほどから逃げてばかりだな。悪名高い魔女殿。君も俺を殺すつもりできたらどうだ」
「そしたら1秒ともたないでしょう。そんなのつまらないもの」
「やってみなければ、わからないだろう」
一気に距離が詰められて、慌てて張った結界に彼の剣が打ち付けられる。
重いくらいの彼の力が結界を通じて私に響いて、破壊されないよう魔力をさらに込めた。
彼もまた結界を破らんと力を込めて、否応なく見つめ合いの時間となる。
久々に見た、彼の宝石のような赤目が表情もなく私を捉えていた。
(ああ、こんな顔をしていたわね)
戦いの勢いでフードが外れたのか、艶やかな黒髪が風になびく。
きれいな髪なのに、砂ぼこりをかぶってしまっていてもったいなく思えた。
いつからだろうか。
艶やかで、少し柔らかそうなその髪に、触れてみたいと思ったのは。
(本当に、いつからかしらね)
幼いとき、師匠に紹介されたときか。
はたまた、学院に入学したときか。
それとも、別々の道を歩むと決めたときか。
果たして、いつだったか。
(……ずっと、なのかもしれない)
異端の魔女として生を受けて、監視をされながら日々を暮らし、学院では生徒達に避けられながら過ごし、卒業後は自ら人を避けて生きていたというのに、下された殺害命令。
世界で唯一の魔法無効化体質。
特別も、行き過ぎると異端として忌み嫌われるのだ。
味方であれば良い。しかし敵に回るものなら命を奪ってしまえ。
お偉いさま方の小鳥よりも小さな脳みそが考えそうなことだ。
その命令を実行するのが、かの英雄の大魔法使いさまとは。
「皮肉なものね」
「……」
異端の魔女を唯一怖がらず、避けず、友として過ごしてくれた人。
好敵手だといって、何度も魔法で立ち向かってきた人。
(だって私、貴方になら殺されても良いと思ってしまっているんだもの)
決心して結界を解くと、力のバランスが崩れて地面へと倒れこむ。
彼は躊躇うことなく私を組み敷いて、首の真横へ剣を突き立てた。
「血迷ったか、魔女」
「いいえ。正気よ」
悪名高い魔女を前に、気を抜くなんていけない。
そんな思いをこめて笑顔を作ると、彼に静止の魔法をかけた。
瞬間、無表情が崩れて、彼の顔に動揺が滲む。
「無理に動こうとしても無駄よ。私の合図がないと、動けないはずだもの。ああ、口は動けるようにしてあげるから、お喋りはお好きにどうぞ」
「逃げるつもりか」
「まあ、とんでもない。私、どうしても最期にしたいことがあったの」
私を見下ろす彼の髪に、手を伸ばす。
驚く彼の表情が新鮮だと思いながら触れた髪は、想像したよりも柔らかくなかった。
「あら、意外とコシがあるのね。見かけにはよらないものだわ」
「君は、なにを」
「ずっと、貴方の髪に触れてみたいと思ってたの」
「……」
「それが叶ったから、もう死んでもいいわ。一思いに、どうぞ」
思えば、こうして彼に見つめられ、彼を見つめて死ねるなんて、なんと幸せか。
殺しの方法などいくらでもあっただろうに、彼を選んでくれたことを私は感謝しなければならない。
もう少し見つめていたいと名残惜しい気持ちを置いて、魔法を解く。
その刹那、剣が振りかざされた。
「さようなら、エルヴィス」
愛しい英雄の大魔法使いさま。
そして、大切な友人。
ざく、と首が掻っ切られた感触がした。
間違いなくしたはずなのだけど。
「……あれ?」
見渡すと飛び散った私の血しぶきが、辺りに広がっている。
けれど、首は傷ひとつなく繋がっていた。
どういうことかと首に触れながら見上げた先で、エルヴィスが涙を浮かべている。
「え、ええと、どうかして?」
「ふざけるな」
真っ赤な瞳から、一筋の雫が滑り落ちる。
状況も忘れて、きれいだと思ってしまった。
「なにを、やすやすと、死のうとしている!」
「まあ、だって、貴方が殺すと」
「殺すとは言っていない」
そうだっただろうか、と記憶を遡ると、確かに『殺す』と宣言はされていないかもしれない。
似たようなことを言われたし、実際に襲い掛かられているのだから、とんでもない詐欺に遭った気分だ。
「それで、貴方はつまり、どうしたいのかしら」
「君を殺したくない」
「まあ、でも命令が出ていると」
「命令なら、遂行した。先ほど、君の首を切った。直後から魔法で修復したので傷はないが」
血しぶきと繋がった首の真相が分かって納得する。
切った直後から修復など器用な真似をするものだと感心してしまう。
「どうしてそんな回りくどいことを?」
「これだ」
言いながら彼が自身の胸元をはだけさせる。
剣術を学んだ影響か、学生時代よりは明らかに引き締まった胸の心臓のあたりに、それはあった。
「お偉いさまがたは、やることが違うわね」
「でももう、これで終わりだ」
『命令』を完遂せねば『死』をもたらす。
異端などよりもずっと腐った魔法を施された真っ赤な誓約魔法の証が、音もなく消えていく。
「君の首を切り落とすことが条件だった」
「それで切ってすぐになおしたということ」
「……そうだ。それでも俺は、君の首を切りたくなどなかった」
涙は既に拭われていた。
けれど無表情だと思っていた彼の顔には、悲痛の色が滲んでいて、何故だか私の心臓までが痛いほどに軋む。
「それなのに君は、俺に殺されようとする」
「だって私、本望だと思ってしまったんだもの」
「俺の髪に触れることができたからか?」
「ええ。それに、貴方に見つめられて死ねるなんて、最高の死に場所だわ」
「どうせなら、俺に見つめられて生きたいとは思わないのか」
エルヴィスの手が、私の頬に触れた。
男の人にしてはきれいな手で、触れたら滑らかだろうと思っていたのに、予想していたよりずっとかさついていて、硬い感触だった。
思わず、彼の手に自分の手を重ねる。
「見つめられて生きる、なんて考えたことなかったわ」
「考えろ。死ぬことが本望なんて言うな」
「……生きても、いいのかしら」
「当たり前だ。君に生きていてもらわないと、俺が困る」
生きてほしいと誰かに願われたのは初めてだったかもしれない。
胸の奥がぽっと灯りがともったように温かくて、思わず頬に笑みがにじむ。
「この数年で、君を守れるくらい強くなったつもりだ」
「それで、ゴリラに剣術?」
「……? よくわからないが、君と俺がいれば、どんな相手も敵ではない」
「それは、そうね」
「だから、俺と生きてくれ」
色がないと思っていた瞳が、まるで炎のように熱く私を見据える。
後ろでは私の家が未だに燃えていて、それでもその熱気よりもずっと熱く感じるほど、彼の眼差しは熱を帯びていた。
その熱の正体は、まだよくわからない。
けれど、彼にそんな瞳で見つめられるのは心地がいい。
「その瞳で、ずっと見つめてくれるなら」
「ああ。君がいつか死ぬ時までずっと、見つめていよう」
相変わらずの筋力で抱き起こされて、そのまま力いっぱいに抱きしめられる。
男の人にしては線が細いと思っていたけれど、私の体と違って少しも柔らかくない彼の体は、かたくて、抱かれ心地が悪くて、けれども安心する。
髪、手、体。
知りたい彼のほとんどを知れた。
そのどれもが想像と違っていたけれど、あそこはどうだろうかと思い至る。
めいっぱい体の感触を満喫したあと、その耳元へ強請るように声をかけた。
「ねえ、唇の感触も知りたいの」
やっぱりその感触が私の想像と違うとわかるのは、数秒固まった彼が、幸せそうに顔を近づけてきたあとのこと。