第09話 出来損ない少女の実力
キリュウとデートしてから一月。
作ってもらっていた杖が出来、マグダリアは上機嫌だった。
杖は学園の制服の内ポケットに入る大きさだ。
ブレザーの内ポケットは、元々杖が入るように細工されており、縦三十cm、横五cm程に作られている。
マグダリアが作ってもらった杖は、握り部分を黒、他は紫。
杖のトップは月のような形に掘られており、その中心にオブシディアンが付いている。
初めての杖で気も漫ろになっていた自覚はある。
けれど、どうしてこうなった……とマグダリアは現実逃避していた。
現在、マグダリアはクラスメイトに囲まれている。
男女比は八:二くらいだ。
校庭の一角でそうなったものだから、遠い所から野次馬が出来ていくのを視界の隅で捉えた。
「調子に乗ってるんじゃないぞ!」
杖を突きつけられ、マグダリアは視線を戻した。
目の前で怒りを顕わにしているのは、前にキリュウに助けてもらった時に絡んできていた貴族の男子学生。
懲りずに来るという事は、頭は少し残念らしい。
虐めてくる時点で残念な思考回路なのはわかっていたが。
「アシュトラル先輩に今回も助けてもらえるとは思うなよ! 先輩は今日遠征だ! 守られなきゃ何もできない女が、堂々と学園を歩いてんじゃねぇよ!」
「………」
うん、こいつは授業真面目に受けてないな、とマグダリアは思った。
コントロールがまだ上手く出来ないとはいえ、マグダリアは魔法実戦訓練でA判定を取れるようになった。
この学園の評価はS~Fまである。
Sが最優秀。
それからA、そして段々落ちていき、最下のFは落ちこぼれ。
一年の時からずっとF判定を取っていたマグダリア。
その延長でまだ彼はマグダリアを見ているという事。
魔法を使えなかった時ならいざ知らず、マグダリアはもう自分の身は自分で守れると思っている。
キリュウと付き合い出してから、放課後はキリュウとヘンリーに魔法訓練に付き合ってもらっている。
頼んだわけでもなく、最初のデートをしてからすぐに次のデートに誘われていたのだが、魔法テストが近い事もあり断れば理由を聞かれ、話したらキリュウが率先して付き合ってくれたのだ。
そして何故か面白そうだからという理由でヘンリーまでついてきた。
その結果、A判定を取れたので感謝している。
だからちょっとやそっとでは負けない自信もついた。
ただ、A判定を取れたと言ってもキリュウやヘンリーには当然勝てるわけがなく。
自分の実力が今どれぐらいなのかはわからない。
けれど少なくとも、目の前の生徒たちには負ける要素が見当たらず。
絡まれても、もう対処は自分一人で出来るだろう。
そんな事を考えていると、男子生徒がグッと魔力を込めているのに気付いた。
「澄ましてんじゃねぇよ!」
どぉっと彼の杖から水がマグダリアに向かって放たれ、マグダリアの体を包み込んで、空に向かって渦を巻いた。
全長3mといったところだ。
魔法が使えなかった頃のマグダリアだったなら溺れ死ぬだろう。
なんて魔法を相手にかけるんだ! と思わず怒鳴りたくなった。
だが、
「お、おい! 死んじまうぞ!?」
「ちょ、ちょっと! 人殺しは嫌よ!?」
男子生徒を止める声が相次ぐ。
そこまでするつもりではなかったのだろう。
ただ、脅せればそれでいいと。
「と、止まらねぇんだよ!」
魔法をかけた張本人も驚いていることから、力が入ったのが伺える。
彼も少し水を浴びせるだけのつもりだったのだろう。
前にマグダリアの頭上から水をかけたみたいに。
だがあまりにもマグダリアが無表情で、無反応で、それが彼を刺激したのだろう。
魔法は術者の感情にも左右される。
怒りで魔法を放てば、コントロールが出来ないのも頷ける。
「ど、どうすんだよ!?」
周りがどんどん煩くなっていく。
さて、とマグダリアはゆっくり自分の杖に魔力を集めて行った。
大丈夫、私は出来る。
自分に言い聞かせながら集中する。
周りの声が聞こえなくなった。
「何をしている」
喚いていた生徒たちの耳に届いた言葉。
決して大きくない声。
けれど辺りに響き渡る。
野次馬たちの囲いが割れた。
そこにいたのは四年生。
遠征から早くも帰って来たらしく、クラス単位の移動だったようで集団。
言葉を発したのは引率していたキリュウだった。
「ひっ!」
男子生徒が腰を抜かした。
キリュウは他人に対して容赦がない。
それは学園全員が知っている。
そして彼がキリュウに会うのはこれで二度目だ。
何を言われるか分かったものではない。
「校庭で中級以上の魔法の使用は禁止のはずだよ? 早く消さないとアシュトラルだけでなく、僕たちも君たちを処分しなきゃいけなくなるんだけどなぁ…」
「す、すみませっ……」
ヘンリーはキリュウを刺激しないように優しく男子生徒に言った。
涙目になった男子生徒は、さらに焦って魔法が暴走した。
「「「「きゃぁぁあ!」」」」
周りにいた女生徒が悲鳴を上げる。
渦が横に広がり始めたのだ。
周りをも飲みこもうとしていた。
「! いけない!」
キリュウやヘンリー、四年生が一斉に自分の杖に手をかけた。
その時、ブワッ!っと渦の中から別の魔力が噴き出してきた。
「!?」
「まさか……中に人を閉じ込めたのか!?」
「なんてことを!」
キリュウが男子生徒を睨み付けた。
ヘンリーも顔を青くして男子生徒を見た。
「あ……ぁぁ…」
男子生徒は涙を流して怯え、何も考えられなくなっている。
男子生徒のバッジには二とあり、二年生だと分かったキリュウとヘンリー。
おそらく閉じ込められているのは二年か一年。
何をしているんだと怒鳴りたくなった。
一年や二年では、この魔法を解除できないだろう。
救出に行こうと足を踏み出した瞬間、水の渦が一気に蒸発した。
周りに煙が立ち込め、驚きに目を見開いていると、風が下から上に吹き出し視界をクリアにした。
その中心に立っていたのは、杖を掲げているマグダリアだった。
それを見て、キリュウとヘンリーは驚きで固まる。
マグダリアは伏せていた目をゆっくり上げ、男子生徒にその瞳を向けた。
「ひっ!?」
男子生徒がマグダリアを見て、怯えた。
無理はない。
マグダリアに表情はなく、だが、目に見えてマグダリアのどす黒い魔力が彼女を覆っていた。
その魔力は、マグダリアの持っている魔力の半分も出ていなかった。
けれど、男子生徒の魔力よりも遥かに上。
それが男子生徒にも、周りの生徒も分かった。
そして悟る。
自分たちが敵う相手ではないという事を。
平民と馬鹿にしていたのが間違いだったと。
彼女はまさしく、王族の血筋に入ることを許された人物。
それを、認めざるを得なかった。
ポタポタと滴り落ちる水をそのままに、ゆっくりと男子生徒の方へ歩いていく。
「ぁ…ぁぁ…ぁ…」
何かを言いたかったのだろうが、言葉にならない。
「………人を殺しかけたんだ。自分も、殺される覚悟があるでしょう?」
普段の彼女から絶対に出ないような言葉。
それもまた、キリュウとヘンリーを動けさせなくなる原因だった。
「………一度、死ぬような目に合ってみる…? 人が大人しくしていたらいい気になって。人を蔑んで、楽しい?」
ゆっくりと男子生徒の前に膝をついて至近距離で見つめた。
杖を彼の顎につけて。
「ぅ……ぁ…」
「………言葉を発せないなら、その舌…要らないんじゃない? 処分してあげるわ」
ゆっくりと口角を上げたマグダリアを見て、男子生徒は悪魔を見たと錯覚する。
「ゃ……ゃめ…」
恐怖からボロボロと涙を流す男子生徒を見て、マグダリアは舌打ちをした。
「………泣くぐらいなら最初からやるな。やられる覚悟もなくてやってたの?」
視線だけで男子生徒の仲間を見ると、皆怯えてマグダリアを見ていた。
「………こっちは貴方達がやってたことを我慢して、受けてあげてたんだよ。魔法が使えない負い目もあったしね」
そっとマグダリアは立ち上がる。
「でも、これは許せない。私じゃなきゃ死んでいた。……前の私だったら即死だったでしょうね。貴方達は自分が他人を死なせることができるって事を自覚しろ。魔法を私怨で使うんじゃない!」
マグダリアが怒鳴ると、皆ビクッと体を震わせ、俯いた。
「………私が気に入らないならそれでいい。でも、魔法を虐めに使うな。コントロール次第で取り返しのつかない事になる。それは私より貴方達の方がよく知っているでしょう!」
誰もマグダリアの言葉に返すことは出来なかった。
「そうだよねぇ。まさにフィフティちゃんの言葉通り。君達は自覚がなさすぎ。これは教師に報告せざるを得ないから、反省してね」
突然雰囲気を壊すのほほんとした声がして、カチンとマグダリアは固まった。
フッとマグダリアを覆っていた魔力が拡散する。
ギギギッと顔を後ろに向けると、ニッコリ笑ったヘンリーと目が合った。
さぁっと顔が真っ青になる。
今、自分は何を口走ったのか。
怒りで自分の本性が出ていなかったか。
「はい、フィフティちゃん逃げない逃げない」
逃げ腰になったマグダリアは、ガシッと肩を掴まれ動けなくなった。
笑っているのに肩を掴んでいる手の力は強い。
どこにそんな力があるのか、とマグダリアは現実逃避をした。
「取り敢えず、フィフティちゃんを危険に晒した君たちは拘束させてもらうよ?」
ヘンリーの言葉に四年生が男子生徒を含め、マグダリアを囲んでいた生徒を連行していった。
それをボーっと見つめていたが、ハッと何かに気付いて辺りを見渡した。
そして、居なければいいという淡い期待は打ち消される。
「………先輩……」
キリュウが連行されていく生徒を視線だけで見送ってからマグダリアに視線を向ける。
ビクッと体が反応し、反射的にヘンリーの手を振り切って、彼の背に隠れた。
「フィフティちゃん? どうしたの?」
どうしたの、じゃない! とマグダリアは心の中で突っ込んでしまう。
自分の本性をさらした上、周りが見えず、そんな様子を好きな人に見られた。
逃げたくならないわけがない。
「………マグダリア、何故ヘンリーにくっついている」
え………とマグダリアは目を見開き、そぉっとヘンリーの陰からキリュウを見た。
そこには不機嫌です、という顔でマグダリアを見ているキリュウがいる。
「離れろヘンリー」
「え? 僕何もしてないよね?」
両手を上げてマグダリアに触ってないアピールをしているヘンリー。
軽蔑してないのか、と不安だがヘンリーからそっと離れると、すぐさまキリュウはマグダリアの腕を引き、自分の腕の中に収めた。
「え………?」
「お前の居場所はここだろう」
上からかけられた言葉に、そっとマグダリアは顔を上げた。
すると、キリュウはマグダリアをいつも通り見つめていた。
そこに軽蔑など見えない。
本当に、いつも通りだった。
どうして……とキリュウを見ていると、後ろから声がかかる。
「よかったねアシュトラル。フィフティちゃんの新たな一面が見られて」
「ああ」
即答するキリュウの言葉に目を見開く。
「これでまた一歩前進だねぇ。アシュトラルはフィフティちゃんに距離を取られているのが不安だったもんねぇ」
「………きょ、り?」
「うん。僕から見ても、フィフティちゃんは一歩引いてる感じがしてたからね。ああ、フィフティちゃんがアシュトラルの事が好きって事は分かってはいるけど、なんていうかなぁ…」
一度言葉を切ってヘンリーはマグダリアを見つめた。
「…いつか別れても大丈夫って感じ?」
「っ……」
ヘンリーの言葉に息を飲んだ。
その顔を見て、キリュウも、そしてヘンリーも、その言葉が間違っていない事を悟る。
「どうして? アシュトラルがフィフティちゃんを捨てるとでも思ってるの?」
「………ヘンリー」
「アシュトラル。これは今聞いておかないといけない事だよ。ここを逃したら、フィフティちゃんは二度と答えない」
ヘンリーがマグダリアの退路を断つ。
嫌な人……と、マグダリアは思わずヘンリーを睨み付けた。
それに良い笑みを返すヘンリー。
逃がさないよ、と目が語っている。
彼はどうしてそこまで突っ込んでくるのだろうか。
キリュウだけなら逃げられたのに。
マグダリアは唇を噛んだ。
「フィフティちゃん」
「………」
ヘンリーとキリュウに見られ、マグダリアは逃げられないとため息をついた。
隠しもせず。
それにキリュウは目を少し見開き、ヘンリーは逆に笑みを深めた。
「………わかり、ました」
「あれ? まだその口調?」
「………仕方ない、ですよ。喋り、慣れてません、から。さっきは、その……怒ってた、から」
「じゃあ、僕たちと話して慣れたら問題ないね」
これからの事を思うと憂鬱になる。
マグダリアは濡れた体を拭く為にタオルを取ってくると言ったが、それはヘンリーが風の魔法ですぐさま乾かした。
本当に逃がすつもりはないようで。
マグダリアはまたため息をついたのだった。
「で、何を……話せば…」
濡れた地面を避け、校庭に腰を下ろした三人。
何故かマグダリアは胡坐をかいたキリュウの足の間に座らされているが。
「アシュトラルと別れる前提で付き合ってるのは何故?」
「………前提……」
「前提でしょ? 別れても困らないようにしているって事は」
「………そ、れは……」
ちらりとキリュウを見上げると、キリュウも気になるようでジッと見下ろされている。
「………わ、たしは、ともかく……先輩…は……宰相候補…で……宰相に、なったら……王に…婚約者、紹介される、と思って……」
「「………は?」」
「わ、たしは……卒業したら…多分……地方へ…行くことに、なると……」
「それでなんで別れるの?」
「………え、っと……多分…会えなくなって……先輩に…婚約者が、出来たら……別れないと…って」
目の前のヘンリーはそっとマグダリアの上に視線を向ける。
キリュウがどんな顔をしているのか、見られないマグダリア。
当然だと言われたら、やっぱり別れる前提で今まで通りしないと、と思う。
そう思っていると、グイッと顎を持ち上げられ、無茶な体制でキリュウと視線を交わすことになった。
「………そんな事を考えながら俺といたのか」
「………」
無表情に見えるキリュウの目に、少し寂しさを感じてしまうマグダリア。
自分で考えていた事を言ってしまったのだ。
呆れられて今別れを切り出されても仕方ない。
卒業後にきっぱりとフラれるのが確定したかもしれない。
でも、後悔しないように大事にキリュウと過ごしてきたつもりだ。
だから、泣かないようにしないとと、思う。
「………すまない」
「………っ」
終わった。
これで、終わりなんだと、マグダリアは顔を伏せようとする。
が、それはキリュウの手に阻まれて顔は動かない。
「不安にさせていたなら謝る。俺は王から女を紹介されても断る。お前がいるからと」
「………ぇ?」
マグダリアは伏せようとした目を上げ、キリュウを見る。
「心配しなくても大丈夫だよフィフティちゃん。アシュトラルはフィフティちゃんにベタ惚れだから」
「で、でも……先輩には…もっと、いい子が……」
「どんないい子がいても、どんな美人がいても、今まで全部一言で切り捨ててきたんだよ。それがフィフティちゃんだけは、僕にまで嫉妬する程好きになってるから、別れる心配はしなくていいんだよ」
真っ直ぐに見てくるキリュウと、笑って頷くヘンリーを見て、目が潤んでくる。
「だからフィフティちゃん。アシュトラルとずっと一緒にいてあげて。フィフティちゃんの心、全部見せてやって。アシュトラルは、フィフティちゃんしかいないから」
涙がこぼれ、マグダリアは思わずキリュウに抱き付いてしまった。
キリュウは驚き、固まってしまったが。
そんなキリュウを見て、ヘンリーは声を上げて笑った。
「………先輩……」
「………なん、だ」
顔を赤くして、視線を少し逸らしながらマグダリアの背に腕を回し、返事をする。
「………ずっと、いて……いいん、です…か?」
「………ああ」
「………もし、両親が、婚約…者……候補…連れて、来て、も……先輩の、こと……言っても…」
「むしろ今すぐにでも言いに行きたいんだが…」
「わ、たし……ホント……は…いい子じゃ……ない…それ、でも…」
「さっきのは、むしろ良かったな」
「………え……」
そぉっとマグダリアはキリュウの体に埋めていた顔を上げる。
不安そうな顔で。
「俺好みだ」
「え? じゃあ今までのフィフティちゃんはダメだったの?」
「そうじゃない。今までのは仕草が可愛かったんだ。さっきの対応は、やっとマグダリアの裏の顔が表に出てきたから嬉しかったんだ」
「どっちも好きなんだ」
「当たり前だ。俺はマグダリアがいればいい。どんなマグダリアでも受け入れる器量はあるつもりだ。まぁ、いい奴や大人しい奴が護衛を撒いて俺との待ち合わせ場所に来るわけないからな」
いい子じゃないとバレていたのだと、マグダリアは顔を赤くする。
「マグダリア」
「は、はい……」
「敬語」
「う……」
「気負うな。俺はマグダリアを嫌いになったりしない。むしろ、色んなマグダリアを見る度に惚れていっている」
「………先輩……」
「キリュウだ。そう呼べ」
キリュウがマグダリアの頬を撫でる。
「………キリュウ……様…?」
「敬称を付けるな。ただのキリュウでいい」
「む、無理っ」
「無理じゃない」
「無理っ!」
「ふっ……その調子だ」
思わず強い口調で言ってしまうが、キリュウは嬉しそうに笑う。
それを見てマグダリアは照れ、顔を俯かせていく。
「おーい。僕もいるのを忘れないでよ~?」
「っ!」
「邪魔するな」
「ちょっ! 僕のおかげでフィフティちゃん捕まえられてるんでしょ!?」
「それはそれだ」
「ひどっ!」
言い争いながら、三人はしばらく校庭で過ごした。