第79話 出来損ない少女と貴公子の絆⑤
「それから今まで臣下の仕事をしていた」
「………端折りすぎでしょう…」
キリュウが真顔で話を割愛するものだからマナは突っ込んだ。
「理由はくだらないものだった。ヤギョウがマナを恨んだ原因はキキョウだった。王宮魔導士の怪しい動きをしていたのは学園推薦組。つまり、俺に対する恨みだった」
「………ということは、正規王宮魔導士の中では、今回のことに関わった者はいないのね?」
「ああ。学園の推薦組のみだ」
「剣闘士は?」
「いなかった」
「そう」
取りあえずマナが動かずとも、もう解決済みだと言われ息を吐いた。
「民からの意見箱に入っていた案件は、複数に分けてキキョウ達三人に振り分け、定例会議は俺がマナの代理として出ていた。出産するまでこのままの体制で行く」
「………ぇ、大丈夫だよ…?」
「ダメだ。今度何かあれば子の保証は出来ない。お前は無事に産むことだけを考えろ」
「………」
キリュウの言葉に、マナは目を細めた。
キリュウがちゃんと臣下している。
ちゃんと夫している。
「………キリュウは凄いね」
「? 何がだ」
「ちゃんと出来てるから。………私は自分の仕事も、キリュウを支えることも出来てないのに。やっぱりキリュウは凄い人だね」
「それはお前だろうが」
「………ぇ」
キリュウがマナの方に上半身を傾ける。
「今までお前は努力してきた。学園に居たときは魔法を。王宮魔導士としての任務を。王女の仕事を。俺の子を守りながらお前は今まで頑張っていた。なのに俺はお前を支えられなかった」
「そんなこと……」
「だから今度は俺がお前を支える番なんだ。お前は今は何も背負うな。何も考えるな。ただ俺に寄りかかっていれば良い。俺の子を育てているだけで良い。ここで今まで作れなかったマナ・リョウランの時間を過ごしてくれないか?」
「キリュウ……」
「………ダメか? お前は俺の意見を、願いを、もう聞きたくない、か?」
キリュウの言葉にマナはふるふると首を振った。
「………その願いは、今の私なら叶えられる、よ……」
瞳が潤んできて、マナはゴシッと目元を拭った。
「………ね、キリュウ?」
「何だ」
マナは迷ったが、キリュウに言うことにした。
ずっとマナの中で巣くっていた罪悪感を。
「ごめんなさい。私、一瞬オラクルへ気持ちが揺らいだの」
「………」
「……ごめんなさい」
何故そうなったのか、とか関係ない。
そんなのはマナの都合の良い言い訳でしかなく、キリュウに対して言うことでもない。
キリュウとちゃんと向かい合いたいと思った今、謝罪の言葉以外は要らない。
マナはソッと目を閉じた。
思いっきり叩かれても文句は言えない。
キリュウに距離を置くと言われても、仕方がない。
何を言われても受け入れようと、気持ちを落ち着かせる。
暫く沈黙があったけれど、キリュウが近づく気配があり、唇が温かくなった。
ハッと目を見開くと、温もりが離れていく。
「知っていた」
「! な、んで……」
「顔見ただけで分かった」
「………そ、う…」
マナは気づかれているとは思っておらず、キリュウを真っ直ぐに見られなかった。
ずっと前から、知られていたのだと…
でもそれを責められたことはない。
凄くキリュウを傷つけていただろう。
ギュッとシーツを握る。
「仕方ないだろう。俺はお前をマナとしてしか見てなかったのだから」
「………ぇ…」
「王女であるマナ、俺の妻としてのマナ。どっちもマナだが、使い分けているマナに対して俺は俺のマナなのだからとマナを囲い込んで自分の思い通りに動かそうとして…」
「………ぁ……」
「ラインバークはそんなマナと接し方を変えられる大人だ。キキョウもだがな。………負けて当然だろう。俺は夫も臣下も失格だったのだからな」
「キリュウ…」
そんな事はない、とは言えなかった。
それが原因で拗れたものだった。
「またお前の心を俺に向けさせる。そう思いながら動いていた。………あのことがなければ俺は一生気づかなかった」
「一生って……」
「お前が取られる。いや、実際にマグダリアをラインバークに取られて初めて気づいたんだ。………俺の怠慢を。あの状態になる前にお前が俺を説得してきても、俺は変わらなかった」
「そ、そんなこと!」
「分かるんだ。自分の心だからな。前の俺では言葉では変わらない男だった」
確かにキリュウは自分のことも冷静かつ客観的に見れる人物だ。
その機会があれば。
「俺が変わるためには、あの出来事が必要だった。経験しないと分からなかったんだ。言葉はあくまで知識であって経験ではない。言葉だけでは体験は出来ないんだ。だから本当の意味で理解出来なかった。だから謝るな。俺もお前を苦しめていた。お互い様なんだ」
「キリュウ…」
キリュウの言葉に胸が詰まる。
涙が止まらなかった。
離縁されても仕方がないと思っていたのに。
まだキリュウと夫婦でいられることが、一番近くにいられることが、嬉しかった。
「ラインバークと関係は持たなくて良くなった。だから寝るなよ?」
「寝ないよ!!」
いつもの声色で言われたものだから、マナは思わず突っ込んでしまう。
それにキリュウは口角を上げた。
「それと――俺を追い込むために色々してくれたんだってな?」
「………ぇ……」
「キキョウの入れ知恵だって分かっているが」
「………」
「確かにあれだけでは俺は変わらなかったしな」
「………因みに、何を聞いたの……」
「子を報告される前にラインバークに触れただろ」
「………ぁ~…」
オラクルが休暇で出たのに三時間以内で帰って来て、手紙を渡してラインバーク領に行かせ、戻ってきた時に慌てていたオラクルの顎に触れ、オラクルが顔を赤くしていた時のことだろう。
あのオラクルが頬を赤く染めたのは演技だったりするのだ。
あの時の首謀者はヘンリーで、オラクルは協力者だった。
キリュウの心を揺さぶり、独占欲を出させることは出来たのだが、何故他の男に触れるのか、何故マナのモノだというのか、何故マナはキリュウ以外に目を向けたのか。
臣下としての行動が出来、優秀な者を優遇する、という方程式を作るためのヘンリーの策だった。
実際にはそんな小細工はキリュウに一切通用しなかったのだが…
だが、その後の演技ではない出来事のイレギュラーによって、キリュウの行動が変わった。
『下手な小細工より実際に取られた方が心が揺らぐんだねぇ……』
ウォール領でヘンリーと宿に戻る時に、ヘンリーが雰囲気を柔らかくするために色々言っていた時の言葉を思い出す。
「その他にもラインバークを傍に置き続けたり、キキョウを置いたり」
「………」
「俺がマナと居ると言ってばかりだったからな」
「………ごめん」
「だから謝るな。俺が気づかなかったのが悪い。何度もお前にやんわり言われていたのにな。あの時は理解できなかった」
キリュウがベッドから立ち上がり、マナの方に体全体を向けた。
「我、マナ・リョウランを主とし、我が命尽きるまで主の身を守り、決して裏切らぬ事をここに誓う」
杖をマナに向かって掲げ、キリュウは忠誠の言葉を紡いだ。
それに対して、マナは泣きそうになってしまった。
キリュウはヘンリーへの対抗心ではなく、本心から忠誠の言葉を述べたのだ。
ゆっくりと起き上がり、マナはキリュウの杖に手を添えた。
「マナ・リョウラン。王女の名の下に、キリュウ・リョウランの忠誠を受け取る」
今度こそ、キリュウの主として、妻として、正しいと思える事をやっていこう。
マナはそう決意した。
「今度こそマナの臣下として、夫として、マナを支えられるように努力する。だから――マナ・リョウラン。俺と共に生きてくれますか」
ハッとマナはキリュウを見上げた。
そこには穏やかな顔をしたキリュウがいて――
「………はい」
マナも笑ってそう答えることが出来た。
ソッと優しく口づけされ、マナはまた泣きそうになった。
キリュウとの関係を壊れることが怖かった。
でもキリュウはまだマナを見てくれている。
共に生きたいと思ってくれている。
「今度はちゃんと話を聞く」
「うん。私も話すことを諦めないようにする」
「ああ」
コツンと額を合わせてくるキリュウ。
「愛している」
「………私も」
二人しかいない寝室で、互いに幸せそうに微笑んでいた。




