第68話 出来損ない少女とウォール領と母の愛
義母の勧めでウォール領の温泉に行くことになったマナ達。
馬車で一日かけてフィフティ家からウォール領にやってきた。
立て続けの移動で、マナは少し気分が悪くなっている。
オラクルに支えて貰いながら、宿に指定されているウォール邸へ入った。
本当はキリュウに支えて貰いたかったが、今のマナはマグダリアとして変装している。
オラクルでないとウォール当主にバッタリ会ったときに誤解させてしまう。
なのでオラクルに体を支えて貰いながら、キリュウの手をギュッと握り、二人に支えて貰う形となった。
「よ、ようこそおいでくださいました…」
邸の奥から足早に出てくる背が低く、少し小太りの男。
ハンカチで頬を流れる汗を拭きながら、ヘコヘコと義父に頭を下げている。
彼が当主。
ウォール家の使用人は少ない。
執事一人に使用人が三人、侍女が二人。
………あの件で使用人が辞めたのだろうか、とマナは気持ち悪い胸元を擦りながら思う。
「家族と、婿殿の友人も連れてきたんだ。良いだろう?」
「も、勿論でございます! 何もおもてなしは出来ませんが……」
この人数の使用人では仕方ないだろう。
「食事は温泉街の店で済ますから、心配ないよ。横になれる場所だけ提供してくれれば」
「は、はい。食事代もウォール邸に請求するようにおっしゃって頂ければ……」
「それは悪いよ。領の立て直しに財が必要だろう」
「い、いえ……食事代程度でなくなる財ではないので……」
そうは言っても何日滞在するのか聞いていない。
数日分ならともかく――
「そうかい? マグダリアが出産するまでいようと思うんだけど?」
「ひっ……!?」
義父の言葉に、ウォール当主は震えた。
約四月分の温泉代と三食の食事代。
結構な支払いになると思う。
「………お義父様、からかってはいけませんよ」
そもそもマナと義父は定例会議には出ないといけない。
ずっとここにいるわけにはいかないのだ。
「あはは。ごめんごめん。ウォール当主、すまないね。余りに君が恐縮しているから和ませようと」
逆に追い詰めるだけだと、マナは当主に同情した。
「は、はは……」
引きつり笑いを見せる当主に、マナはため息をついた。
「荷物を置いて早速温泉に行かせて貰うよ」
「は、はい。お気を付けて…」
ロンとスズランに荷物の整理を任せ、マナ達は温泉街へと向かった。
気持ちいい湯に体を癒やされ、マナの気分も良くなった。
今までの自分も清めてくれるような、そんな風に思った。
実際には決して許されてはいけないのだけれど。
でも、気分は勿論気持ちも整理でき、マナは感謝した。
いつ以来だろうか。
こうして時間を考えずにのんびり出来るのは。
王女として振る舞わなければならないことに振り回されて、自分の気持ちが――マナとしての自分が失われそうになっていたのに気づいた。
余裕を持つということは、大事なんだと、改めて思った。
「………お義母様」
隣で湯に浸かっている義母を見れば微笑まれる。
まるで全て分かっているという風に。
それにマナは微笑み返した。
母は偉大だなと、マナはもう一人の母のことも思う。
女王としての彼女は、マナをまるで赤子のように叱るような命令を出した。
つまらない失敗をしたマナに対して。
キリュウとの仲があれ以上拗れなかったのは、母が庇ったからだ。
夫婦の喧嘩を、母親に仲裁させてどうするのだ。
マナは本当に出来損ないだな、と改めて思う。
キリュウの言葉に頷けなかったマナの気持ちを、キリュウに分かって欲しかった。
ただ、それだけだったのに。
オラクルも巻き込んで、本当にどうしようもない。
二人に対して不誠実なのは分かってる。
キリュウの絶対に変わらないだろう子に対する思い。
それが悲しかった。
そして優しくしてくれるオラクルに逃げた。
マナは、キリュウとぶつかることが怖かった。
子供を失うことになれば、もうマナはキリュウの傍に――キリュウが好きという気持ちが失われるかもしれないと、怖かった。
だから絶対に子を守ってくれるだろうオラクルに縋ったのだ。
………でもその行為はまるで、マナ自身と子、二人を守ってくれる人じゃないとダメだという、マナの一方的な都合ではないか、と思う。
キリュウと話し合うこともせず、一方的に話を切ったマナに全ての原因はある。
キリュウも、そしてオラクルも、それに巻き込まれただけ。
「………本当に、情けない……」
「そうかしら?」
「………お義母様……?」
「貴女全部顔に出てるんだもの」
クスクスと笑われる。
「マグダリア、貴女は全て自分のせいだと思っているみたいだけど、キリュウにも問題があるって分かってる?」
「………ぇ……キリュウに……?」
「キリュウは貴女を溺愛するあまり、周りに配慮が欠けている。彼の性格だから仕方ないと諦めて、マグダリアが合わせることが、本当の夫婦なの?」
「………それは…」
ヘンリーにも言われた。
キリュウに合わせる事はない、と。
自分の意見も言わないとダメだと。
「オラクル殿との結婚。これは、女王とお父さんが貴女を守るために考えた処置よ」
「ぇ……私の失態を女王の命とするためでは……」
「違うわ。マグダリア、キリュウに合わせることが貴女の幸せなの? 子を産むことが許されず、王女としての責務を淡々とこなし、キリュウの籠の中の鳥になることが貴女の幸せ? 一方的に行動を制限されるのが、貴女の思う愛なの? キリュウが貴女を思いやる事ない行動を、ただ貴女を自分の物とするだけの言動を、違うと咎めることなくキリュウが言うからと受け入れるのが愛なの? あんなに顔色を悪くしてまで、笑顔を作ることが出来なくなるまで自分を追いつめてまで、キリュウに合わせるのが貴女の幸せなの?」
義母の言葉にマナは何も言えなかった。
キリュウの事は今でも大好きだ。
でも、キリュウの傍にいられることだけが幸せとは思えなくなった。
キリュウの子供を宿してしまった。
キリュウの子が欲しい。
そして家族で一緒に暮らしたいのだと。
何としてでもキリュウの子を産みたかった。
「マグダリアが無事に子を産める方法。それは、キリュウ以外と婚姻する以外無いでしょう? 王女が父親も分からない子を産むことは出来ないんだから」
「………っ」
「キリュウが子を守れない以上、女王は貴女を守るためにもオラクルとの婚姻を命令した。だから貴女はこの事に関してもう悩まなくて良いの」
「………お義母様…」
「貴女がオラクル殿に縋ってしまったのはどうして? キリュウの子を産みたいがため、ただそれだけだったんじゃないの? 確かに疲れた時に、傷ついた時に、あの優しさに惹かれてしまったのはあるでしょうけど、貴女が本当に欲しい愛情をくれるのは誰? 貴女が本当に隣にいて欲しい人は誰?」
「………それは、昔から……あの時から……一人だけ……」
マナの瞳が潤んでくる。
本当に自分はバカだ…と。
義母に言われてようやく悟る。
「確かに貴女も、そしてキリュウも初恋同士だもの。分からない事は沢山あるわ」
「でも、私はキリュウを裏切って……」
「貴女だけが悪いわけじゃない。キリュウも悪いところはある。なのに何故貴女だけが苦しむの。耐えるの。そんなもの、本当の恋愛でもないし夫婦でもない」
きっぱりと言われ、マナは俯いた。
「マグダリア、貴女の悪い所はキリュウと話し合う事もせずに、全て自分一人で解決する所。ずっとそうやってきたから、王女の貴女もマナとしての貴女も、キリュウの言葉を肯定する事だけとなり、反対意見はキリュウの知らない所で処理する。それはキリュウの顔色ばかりを窺って自分の意見を曲げてるって事でしょ。それがついに子供の事で爆発した。普段から話し合っていればこういう事にはならなかったんじゃないの?」
「………はい」
「第一、王女としてそれが正しいと本気で思っているの? キリュウの上司でしょう? キリュウを捻じ伏せる覚悟で命令しないでどうするの。許容ばかりして後で自分を追いつめて」
「………仰る通りです…」
マナは反論する言葉すらない。
やはり義母の言葉は重みが違う。
「キリュウの悪い所は貴女の意見を聞かない事。第Ⅰの仕事も夫としてもしなければいけない事は貴女を支えることなのに、逆に邪魔して追い詰めて。浮気されても文句は言えないのにマグダリアもマナも自分のモノだなんてよく平気で口に出来るわ」
「………」
容赦ない義母の言葉に、マナはますます縮こまる。
「………でも、マグダリアは彼が好きなのでしょう? 本当は彼にずっと隣にいて欲しいのでしょう?」
コクンと弱弱しくマナは頷いた。
それに義母は優しく微笑んだ。
「その為にはどうすればいい? 貴女が今考えるべき事は? それは過去ではなくて未来ではなくて? 今までの事を繰り返さない為にも。望むものを手に入れる為にも」
義母の言葉にマナは感謝しながら再度頷いた。
もう、過去のことは変わらない。
マナがしなくてはならないことは、過去になく、現在、未来だ。
キリュウとオラクルに悪いと思うなら、これからその罪を負いながらも、前を向いて正しいと思うことをし続ける事だ。
子供を産みたいなら、きちんとキリュウの子としてこの世に誕生させたいのなら、後悔ばかりしている弱い自分のままではダメ。
過去に解決策などないのだから。
命令に従う自分が、果たしてお腹の中の子の母親だと胸を張って言えるのか。
抗うだけ抗ってみよう。
キリュウに認めてもらえるように。
女王に認めてもらえるように。
マナとして行動できる時に。
マグダリアはオラクルの妻で、キリュウの妻ではない。
それはもう決まっている事。
それ以外の時間で…王宮に帰ったら出来ることをしよう。
キリュウとちゃんと話そう。
自分のダメだった所は、もう分かった。
キリュウの意見を肯定しているだけではダメだった。
夫婦としての時間だと思っていた時は、夫婦でもなくて、恋人でもなくて、ただキリュウの意見を肯定するだけのおままごとだったのだ。
ただ、恋愛という文字を宛がっていた、ただのお遊び。
子供同士の付き合いだったのだ、と。
想い合っている者同士がする付き合いではなかった。
マナの目に憂いの陰がなくなり、義母はそれに微笑んだ。




