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出来損ない少女と冷血の貴公子  作者: 神野 響
第六章 王家篇Ⅲ
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第65話 出来損ない少女と分析と第Ⅱ




キリュウに任務を与え、帰ってくるのをラインバーク領邸の応接室で待っていた。

待っている間に、マナは当主からオラクルの昔の話を聞かされていた。

どんな愚息なのか、という。

別にマナはそんな事を聞きたくはなかったのだが。

けれど、心情は分かる。

マグダリアとしてオラクルの妻になっている時より、圧倒的にマナとしての時間の方が長い。

だから息子の夫婦生活を少しでも良くしようとしているのだろう。

マグダリアとしてオラクルを愛することはない。

それを感じ取ったのだろう。

マナとしての基本がある。

マグダリアの時だったときより、マナの時の方が濃い人生だった。

必然的にマグダリアだった時の記憶は薄れつつあった。

あの街での出来事により、マナは自分のルーツであるマグダリアを急激に思い出した。

学園生活、フィフティ家生活。

それもマナの人生。

マナとしても、マグダリアとしても、二重生活を送ることになるとは思わなかった。

しかもそれぞれの自分に夫が出来た。

自分が何者かを知らなかった時、優しくされた思い出がある。

それを返したいと思っている。

そして、マグダリアの夫になったオラクルにも、想いを返さないといけないだろう。

それが愛ではなく、友愛だとしても。

影武者が出来なければ、マナは彼をちゃんと見る事でしか、気持ちを返せないだろう。

本当に申し訳ないと思う。


「戻った」


キリュウの声がし、マナは思考を切り換える。


「どうだった?」

「屋敷の人間は白だ」

「そ。じゃ、犯人は外部犯に絞られたわね。念のために聞くけど、夫婦が出掛けた後に辞めた使用人はいないわよね?」

「はい」

「………じゃ、他の線を当たってみましょうか。誰かに恨まれていたことは?」

「ないですね。私の知る限りは――ですが」


マナは考え込む。

ホウライ国の捕まえた者達は既にこの世にはいない。

そしてフキョウ・リョウフウも。

話を聞くことは出来ない。


「夫婦が王都に向かったのは確認されてる?」

「はい。使用人が見送りましたから。方向が違うなら止めていたはずです」

「なら、ここから王都に行くまでに何か手がかりが残っているかもね。早速調べに――」


立ち上がろうとすれば、三者三様に肩を押さえられた。

三人とはイグニス以外の臣下だ。


「まさかとは思うけど、殿下が行くっていうことじゃ、ないですよねぇ?」


………ヘンリー、笑顔が怖いです。


「そんなまさか、ですよね?」


………オラクルも怖いです。


「………」


キリュウは無言で見下ろしてきてます。


「あ、はは…そ、そんなわけないでしょ? ちゃぁんと四人に指示しようかと思って、立ち上がろうとしたのよ」

「ですよね。早とちりしちゃった」


手が離れていく。

マナは内心冷や汗をかいていた。


「キリュウはここから王都まで馬で移動しながら各領に立ち寄って、領内の人間の心を読んで手がかりを探してくれる?」


この命令は聞かないだろうな、と思いつつもマナは言葉に出した。

マナはこれから王宮に戻らないといけない。

いつもの通り、一緒に戻ると言うだろう。

そうなれば時間のロスになるし、宰相であるシュウに頼まないといけないだろう。

それか、フィフティ家の心が読めるだろう影に。


「分かった」


けれどマナの予想に反して、キリュウはマナの命令に対して頷くだけだった。

他の――いつもの“マナと共にいる”という言葉が出てこない。

キリュウが、変……?

マナはそう思いながらも、王女としての命令を続けるしかない。


「負担が多くなるけど…」

「問題ない」


これにも即答する。

マナは少し眉を潜めた。

………どうなっているの、と。

けれどそれも言葉に出来ない。


「……イグニスはキリュウと共に行動して。もし犯人が気づいて剣を向けないとは限らないから」

「了解」

「何かあったら連絡を」


二人は頷いて出て行った。

扉の向こうに消えていくキリュウの背を、王女としては見つめることしかできない。

………何かあったの……?

心配になりながらも、問いかける言葉をマナは口に出来なかった。

しっかりしろ、と自分に言い聞かせる。

今は、マナ・リョウラン。

臣下は平等に扱う。


「オラクルは一度私とヘンリーと王宮に戻り、ここに戻ってきてくれる? 夫婦の事を私より知っている貴方の目線から、夫婦の部屋を探って欲しい。今探ると余計な騒ぎになりそうだから、休暇と偽って数日滞在を」

「了解」

「残るヘンリーは私の本日の担当として傍に」

「わかった」

「失礼ですが殿下、私が先に探ったときには何も見当たりませんでしたが」

「それは当主視点。オラクル視点から何か見つかるかもでしょ?」

「そう、ですね」


当主も頷き、マナ達はラインバーク邸を出た。

使用人達の見送りが見えなくなると同時に、マナはオラクルを見た。


「オラクル」


マナは秘密裏に邸に入るように指示する。

それはラインバーク当主を偽るということを意味する。

けれど、マナはそうまでしても、邸を探る必要があると思った。

夫婦がいい人だったのは間違いないだろう。

でも、誰ともトラブルがなかったとは言えない。

それを知る必要があった。

オラクルが時空間移動で消えるのを見届け、マナは馬車の天井を見上げた。


「ねぇ、ヘンリー」

「なに?」


キリュウの事を聞こうと思ったが、やめた。

それは自分で話さなければならない事。

ギュッと拳を握って、疑問は頭の隅に追いやった。


「………この件が終わったら、全て解決すると良いわね……ホウライ国の残した傷が」

「………そうだね。リョウランちゃんの心労がなくなると良いよ。元気な子を産むためにも」

「そうね」


ヘンリーが操る馬車で王宮への帰り道を行く。

暫く沈黙があり、次に口を開いたのはヘンリーの方だった。


「リョウランちゃん」

「何?」

「“二度と”ってどういう意味?」

「………? 何のこと?」


首を傾げるマナにヘンリーは顔を向ける。


「アシュトラルに言ってたでしょ。“もう二度と失えない”って」

「………」


ヘンリーはあの時こぼしたマナの言葉を忘れていなかった。

追求されないから忘れたと思っていた。

ならばこれ以上何も言わないで良いだろう、と。

言わなくていいことを言ってしまった。

失敗したと思う。


「ねぇ、リョウランちゃん。リョウランちゃんは僕らを信用してるの?」

「勿論だよ」

「じゃあ、隠し事はしないでよ。リョウランちゃんが隠すなら、僕らも相応な対応をしないといけない」

「………」

「勿論、臣下だから君を裏切ることはしない。でも、君から一時も離れられなくなる。僕たち四人は君を守るために存在しているんだ。君の体は勿論、君の心も」

「ヘンリー…」

「だからラインバーク様も、マグダリアちゃんに寄り添っているんだよ?」

「………ぁ」


彼らはマナの為に動く駒。

主のためならば何でも出来る。

マナは笑った。

複雑そうに。


「………キリュウの子を、私……殺してしまったの……」

「………いつの事?」

「………王宮魔導士の時に、お腹を刺された時……」


ガタンッ!

マナの言葉を聞いた瞬間、ヘンリーが馬車を操る手が狂った。

衝撃はなかった。

マナが咄嗟に魔法で体を浮かせたから。


「………ホントに?」

「………」


馬車を止め、ヘンリーが馬車の中に入ってきてマナを真っ直ぐ見つめてきた。

マナはそれを見返せず、視線を落とす。


「あーもう!」


ヘンリーが叫んだと思えば、マナの体を抱きしめてきた。

マナがヘンリーに出会ってから完全に触れられたのは、これが初めてだった。


「………ごめんね。気づいてあげられなくて」


耳元で囁かれるヘンリーの声が凄く優しく、マナの体にしみこんでいく。

マナの目にじわりと涙が溢れてくる。


「悔しかったよね。悲しかったよね。絶望したよね」

「………ヘンリー…」

「大丈夫。今度は大丈夫。僕が、アシュトラルが、皆が守るから」


マナはヘンリーの言葉に涙した。

一人で抱え込まなくて良いのだと言われたようだった。

王女としての国の問題も、マナとしての問題も。

皆が支えてくれることを改めて認識する。


「この事件を解決したら、ゆっくりしたら良い。大丈夫。直ぐに解決するはずだよ。リョウランちゃんの臣下が調べているんだから」

「………そうね」


ヘンリーのいつもの楽観的な言葉に、マナは笑顔になった。

やはり彼に臣下になって貰って良かったと改めて思った。


「………ヘンリーは、私のことを考えてくれていたんだね。キリュウに怒ってくれたことといい、今の言葉も」

「当たり前だよ。僕は君達が楽しいからってだけで一緒にいるわけじゃない。リョウランちゃんが信用に足る人物だと思っていたから臣下になったんだよ」

「でも私……王女の時はともかく、マグダリアの時もマナの時も失敗だらけで…」

「そうかな?」


首を傾げながらヘンリーは離れていく。


「失敗ってあれ? ラインバーク様と婚約者になって結婚したこと」

「………」

「必要なことだったんじゃない?」

「え……」


軽く言われて、マナはヘンリーを見上げた。


「あのままだったら、君はアシュトラルに合わせるだけで自分を殺してた」

「それは……」

「君の意見もアシュトラルと同じ方向系っていうのは分かってたけど、完全に一緒って事はなかったでしょ。君は女の子でアシュトラルは男なんだから。衝突しないことが夫婦円満っていうことじゃないよ。自分の意見を言わなければ、君は子供を二度と産めない体になったかもしれない。それは嫌だったんでしょ」

「………」


ヘンリーに指摘され、自分の罪だと思っていた心を、ヘンリーにそれは当たり前に思う事だと肯定されたようにマナは感じた。


「確かにラインバーク様と関係を持つことになるとは思っていなかっただろうけど、あのままリョウランちゃんが心を殺すぐらいだったら、二股なんて些細なことだよ」

「さ、些細……」

「そ。リョウランちゃんはアシュトラルに。マグダリアちゃんはラインバーク様に。どちらも必要なことだったんだよ。リョウランちゃんが立っているためには」

「立っている……」

「リョウランちゃんが完全に王女だけの姿になれば、僕は多分、君を元の君に戻すためにわざと裏切る道を選んだよ」

「ヘンリー!」


とんでもないことを言い出すヘンリーに、マナは慌てて立ち上がろうとする。

それをヘンリーは押しとどめる。


「僕はね、君が王女だから臣下になったんじゃない。君が君のままで王女とマナ・リョウランを使い分けていて、その使い分けに疲れたときに笑顔にする役目だと思って臣下に名乗り出た。君はあの時マナ・リョウランとして振る舞えないようになっていた。王女だけになろうとしていた。そんなのは、僕が知っているマグダリア・フィフティでもマナ・リョウランでもない。王女の君には全く魅力を感じない」

「………!」


ヘンリーの言葉にマナの顔色が悪くなっていく。

大事な友に見捨てられるような気がした。

王女の役目を全うしようとしていた。

それを友として受け入れられない、と。


「僕はマナ・リョウランもマグダリア・フィフティも好きなんだ。だからマナ・リョウランにキリュウ・アシュトラルが必要ならアシュトラルを。マグダリア・フィフティにオラクル・ラインバークが必要ならラインバーク様を。それぞれ宛がうことで君が君でいられるなら、全力でサポートする。それがセカンドⅡとしての僕の役目だ」

「………ヘンリー……」

「僕はマグダリアちゃんがラインバーク様を好きになれるように、愛せるようにしたい」

「ぇ……」

「マグダリアちゃんを一番大切にしているのはラインバーク様だ。だから二人を応援する。もちろん、リョウランちゃんを大切にするのならアシュトラルをこれ以上諫めることはないよ」


オラクルの本心を聞き出したのは他ならぬヘンリーだ。

そして、キリュウよりマグダリアを大切に出来ると判断できた。

だから応援する方向で動く。


「………ヘンリーは二股をするって事に抵抗はないの……?」

「ないよ。だって、それで僕の好きなリョウランちゃんの笑顔が見れるなら、どうってことないし」

「………」

「確かに僕はアシュトラルの友人だよ。でも、僕の一番の大切な人はリョウランちゃんだ」


そう言ってヘンリーは自分の杖を出してマナに見せる。


「君のためなら僕は何でもする。僕の忠誠は君の物。君のためになるなら僕はアシュトラルと敵対してでも君を守る」


ヘンリーの強い視線にマナは息を飲んだ。

彼の忠誠は、マナの想像以上だった。

ゆっくりとマナはヘンリーの杖を持つ手に自分の手を重ねた。


「ん。ありがとう。大好きだよ、ヘンリー」

「僕もリョウランちゃんが大好きだよ。だから、君は精一杯幸せになって僕を楽しませてね」

「…分かった」


最後は変わらないヘンリーの言葉に、マナは笑いながら頷いた。

オラクルの相手に影武者を用意しようとしている心は覆い隠して。

応援してくれるのは、味方をしてくれるのは純粋に嬉しい。

けれど、マナはオラクルを愛せない。

臣下としては勿論皆大好きだ。

でも、本当に一緒にいたい人は、たった一人だから――

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