第58話 冷血の貴公子と女心と男心
「はい、アシュトラル。最初から説明」
マナに実験室に飛ばされた三人。
ヘンリーは唖然としているキリュウに、冒頭の言葉をかけた。
学生時代と同じ言葉を。
「………」
「なんでリョウランちゃんをあんなに怒らせてるの! 仕事がし辛いじゃないか!」
「………わからん」
「だから! なんでこうなったか、原因の経緯を聞いてるんじゃないか!」
ヘンリーに詰め寄られ、キリュウはたじろぎながらマナとの街での通信の件を最初から最後まで話した。
街の入り口まで通信していたこと。
街の端まで行ってから通信機の不具合が無いか話したこと。
そして…
「ねぇ、アシュトラルってバカなの!? バカだよね!? バカって認めなよ!」
「俺はお前より賢い」
「勉学のこと言ってるんじゃないよ! 女心の話をしているんだよ! 今回の件では今までの寛容なリョウランちゃんとはいかないからね!」
「?」
首を傾げるキリュウに、ブチッと何かが切れるような音がした。
「子を身ごもったってリョウランちゃんから聞いたとき、なんで“隠し子か”なんて言葉が出てくるのさ!? リョウランちゃんが浮気してたとでも!?」
「いや……マナは俺が初めてだし、それからあまり離れて行動はないが…」
「だったらそんな言葉普通出てこないでしょ!? それになんでアシュトラルの子だってハッキリ言われたときに“そうか”だけなのさ!?」
「避妊しなけりゃいつかは出来るだろう。それが分かっただけの話で」
「だからバカだって言ってるんじゃないか! リョウランちゃんか子供に何かあれば母子共に生命の危険があるって事分かってる!?」
「………何?」
「精神的に弱くなったら流産の危険性があるし、誰かに攻撃されたらリョウランちゃん自身も死んでしまうこともあるだろうし、なにより!」
ガシッとヘンリーがキリュウの胸元を鷲掴んだ。
「なんで喜んであげないの!」
ヘンリーの言葉に、キリュウは暫く固まり、首を傾げる。
「………喜ぶ……?」
「アシュトラルが嬉しいとか、愛しいとか一言伝えていれば、リョウランちゃんが怒ることはなかったんだよ!」
「………何故その言葉が必要なんだ?」
「リョウランちゃんはアシュトラルが子供はどうでも良いって思ってるって思ったんだよ! 避妊しなかったのに子供が出来てもアシュトラルが喜ばないなら意味がないって! せっかく授かった命を大切に出来ない男なんだと、アシュトラルに失望したんだよ!」
「………失、望…」
唖然としているキリュウをヘンリーは解放する。
はぁっとため息をつくヘンリーを見つめるキリュウ。
そしてイグニスもまた、二人の会話を聞いて呆れていた。
「………おい、まさかとは思うが、こいつ、殿下の旦那に向いてないんじゃないか?」
「今更何言ってるんですか。アシュトラルに女心は元より、人間関係なんか分かりっこないですって」
「それを今までお前も殿下も放って置いたのか?」
「まさか。リョウランちゃんのおかげで、人間味が出てきたんですけど、この手の話だとやっぱりダメですね………」
「………女に疎い俺でも、流石に殿下に同情してしまうんだが……」
「………それが普通ですね……」
まだ首を傾げているキリュウに、二人はため息をついた。
マナが怒るのも無理はない。
この状態のキリュウといたくなかった、マナの心理状態も分かる。
事情を知っているだろうオラクルを残し、他を遠ざけたのも。
自分には安静が必要だと、マナは分かっていたから。
今、マナが寄りかかれるのは、キリュウじゃなく、オラクル。
更に、街でのウォール家の件のトラブルに巻き込まれたのなら、マナの精神はすり減っていると推測される。
オラクルと親密な関係に見せるために芝居までしたらしいと、調べている過程で察しはついた。
どんな芝居かは分からないが、手っ取り早い方法をヘンリーだけが思いついた。
そしてそれはキリュウには決して口にしない。
どんなことになるか分かったものではない。
またヘンリーはため息をついた。
街での出来事がマナとオラクルの信頼性を三人より上げたのなら、今マナの傍にいるのはオラクル以外の適任者がいない。
そう結論づけられてしまったから。
キリュウではなくオラクルを選んだマナの心理状態は、芳しくないと判断される。
あの状態でキリュウが傍にいられないのなら、夫婦間に亀裂が入り、早く修復しないと亀裂が段々大きくなる。
ヘンリーは考える。
どう修復しようかと。
二人の修復は簡単だと最初は思った。
だが…
『………ちょっと待って……二人って、喧嘩別れしたあの一回しか、衝突してなくない?』
常にマナがキリュウの意思に沿うような形で居たからあの前までも、あの後からも順風満帆に見えた。
意見が違っても、キリュウを諭すように話すマナだったから、喧嘩という喧嘩にはならなかったはず。
そして今回は、今までキリュウに賛同していたマナが自分の意思でキリュウを突き放した。
今度のはキリュウを守るためではなく、マナ自身を、精神を守るために。
『………これ、ちょっと、リョウランちゃんの気が済むまで、修復できなくない?』
その結論に達し、ヘンリーは頭を抱えた。
この状態のまま、暫くいなければならない事に気づいて。
そしてヘンリーはもう一つ心配事があった。
それを早急に確認しなければと、イグニスを見た。
「な、なん、だ…」
「ちょっと、協力してくれます?」
ヘンリーはニッコリ笑ってイグニスに言い、イグニスは冷や汗をかいて数歩後ずさった。
マナとキリュウが仲違いし、マナに追い出された翌日の午後。
ヘンリーはマナに許可を貰い、オラクルと共に城下の一軒である宿屋に来ていた。
個室がある酒場もやっており、その一室をヘンリーは借り、オラクルと飲んでいた。
現在マナの傍にはイグニスがついている。
イグニスへのお願いはこれだった。
「………で、話とは?」
ある程度たわいのない話で酒を飲んでいた二人。
先に口を開いたのはオラクルだった。
「前に――マグダリアちゃんと出かけましたよね?」
ヘンリーは例え密室であれど、マナの名前を家名であろうが出すのは危険と判断して、過去の名前で呼んだ。
「ああ、それが?」
「………確認したいだけなんです。………惚れてはいないですよね?」
ヘンリーの言葉にオラクルは傾けていたグラスを机に置いた。
そしてジッとヘンリーの目を見つめる。
「何故?」
「執務室で何度かマグダリアちゃんを見つめていた目が気になったもので」
「へぇ」
オラクルはまた酒を口に含んだ。
どう言うべきか考える。
「返事がないということは、そういう事と取って良いですか」
「主君に惚れるのは御法度、と思っているということは言っておく。主は既婚者だしな」
「では、マグダリア・フィフティには?」
ヘンリーが目を細めてオラクルに言った。
その真剣な目に、オラクルはため息をつく。
「同一人物だろ」
「いいえ。別人ですよ」
ヘンリーの言葉に眉を潜めるオラクル。
「街でのマグダリアちゃんは、仮面をかぶっていなかったはず。ウォール譲に対しては主の仮面だったかもしれません。でも、お忍びで出てたんです。あのブレスレットを選んでいたときとか、マグダリアちゃん本来の顔じゃなかったですか?」
鋭いヘンリーの推測に、オラクルはまたため息をついた。
「………成る程」
そして穏やかな顔をして笑ったオラクルを見た瞬間、ヘンリーは悟ってしまった。
オラクルが、マナ・リョウラン………いや、マグダリア・フィフティに想いを寄せてしまっていることを。
「………ぁぁ~…」
ヘンリーがグッタリと机に突っ伏してしまう。
悪い予感が当たってしまったと。
これ以上マナとキリュウの溝が深まると、オラクルの方へマナの心が偏ってしまうかもしれない、と。
それを見てオラクルは苦笑する。
「………悪いな。だが、最初にアンジェリカに会った時、マグダリアと芝居をして…気持ちが揺らいでしまった。その後に、あの件だ。キリュウの返答を聞いた後の……あの時のマグダリアの顔が忘れられない…」
オラクルの言葉にハッとヘンリーが顔を上げた。
マナの当時の表情を、オラクルだけが見ていたという事実を思い出す。
通信していたのは街外れ。
共に外出していたのはオラクル。
直で見たマナの顔は、どんなだったのか想像が出来ない。
だからこそ、オラクルの気を引いたのかもしれない。
ヘンリーが想像できないということは、ヘンリーの前で見せたことがない顔で。
それはキリュウも知らない顔かもしれないということ。
「………何とかして、あの顔を止めさせたかった。その時はまだ主君としてみていた――はずだったんだ。だが、あんな些細なことで笑ってくれるマグダリアが可愛く見えた」
「………」
「刷り込みかもしれない。アンジェリカの言葉や態度に辟易していたからな。………そう思ってここ数日マグダリアを見ていた」
「………そう、ですか…………で、確信になっちゃったんですね…」
「………」
ヘンリーの言葉にオラクルは返答しなかった。
口に出してしまうと、取り返しがつかないと分かっているから。
だが、オラクルの穏やかな顔でヘンリーは察してしまった。
「………今回はアシュトラルが悪いです。だから、貴方に責任はありません」
「大丈夫だよ。死ぬまで口に出さないから」
そう言うオラクルに、ヘンリーは困ったように笑った。
「――主はキリュウの物だ。俺は臣下としての立場を貫く。臣下としての主を想う心に変わりない。主とキリュウの仲は決して壊れないよ。それはヘンリーが一番分かっているんじゃないか?」
オラクルの言葉に、ヘンリーはハッとする。
「キリュウが主を手放すのなら俺は諦めないと言う。けれど、主もキリュウも互いに想い合っている。心配せずとも、主はキリュウ以外を愛することは無い。俺に気持ちが向くことは無いさ」
「ラインバーク様……」
「ヘンリーが余計な気を回さずとも、今は静観していいんじゃないか? 大丈夫だよ。キリュウの言葉を主は聞きたいだけなんだ」
「アシュトラルの言葉……」
ヘンリーが考え込むと、オラクルは口角を上げる。
喧嘩をした二人を仲裁する立場のヘンリー。
普段は軽口を叩いているのに、こういう時は真摯に考える。
良い関係だと思う。
その中に自分も入れるのだろうかと思うが、余計な事を考えない。
ヘンリーに零してすっきりした。
自分はマナの臣下なのだと、改めて思う。
そういう対象で一時的には見てしまったが、大丈夫だ。
まだ抑え込める気持ちだ。
第一、あの二人の仲に割り込めるわけがない。
ふとした瞬間に見せるマナの憂いの顔は、唯一無二の人物しか取り除くことは出来ない。
それが分かって、叶わぬ想いだと瞬時に思った。
だから、あの街の出来事は、一時の夢だと想い出にする。
そして絶対に口に出さない。
改めてそうオラクルは決意した。
「マグダリアちゃんが欲しい言葉……」
まだ悩んでいるヘンリーを見て、困ったように笑うオラクル。
そんなに難しい事ではないと思うのだが、と。
まだまだ仲直りするのは先かな、とオラクルは酒を仰いだ。




