第51話 出来損ない少女の異変
領地の件が一段落し、マナはいつも通りの日常を過ごしていた。
臣下になった四人は交互に休息を取りながら、マナの傍に控えている。
今日はオラクルが休暇。
婚約者と親睦を深めてこいと王宮から出したのだが――
「………女って分からねぇ……」
オラクルは三時間もしないうちにマナの元へ戻ってきていた。
しかもマナに向かって敬語を使えない程に憔悴して。
まさかの事態に、マナは困惑していた。
喧嘩しても、休暇は休暇でちゃんと休み、マナの元に来るのは明日だと思っていたのだから。
「あーもう! あんな奴知るか! 元々親が決めた婚約者だ! 破棄してやる!」
やけになったのか叫ぶオラクルにギョッとする。
そりゃ気が合わない同士という者もいることは知っているが、こうも簡単に別れ宣言できるのだろうか。
「まぁ、落ち着いてオラクル」
「だって殿下! 会う度に「私と仕事どっちが大事なの?」「この間私が渡したプレゼントをどうして付けてないのよ!」「今度はあの店で装飾品を買ってって言ったでしょ!」「今私以外に見とれてたでしょ! 浮気者!」とか往来で色々言ってくるんだぞ!? あんな我が儘な女に付き合わされる俺の気持ちはどうなる!?」
「………うん、面倒なのは分かる」
マナはそんな事を言わない。
それは自分がそんな性格ではないこともそうだが、マナは愛する人を既に得ている。
例えキリュウにそんな事を思っても、口に出して困らせたくない。
それに他人事だとしても、どうして相手を思いやれないのかという疑問は出る。
現場を見てはいないが、半日もしないうちに別人みたいにやつれ、ゲッソリしてマナの元へ現れたオラクルの顔は、哀れで仕方がなかった。
さらに自分の臣下をこんなにした相手に、怒りさえ感じる。
マナは四人の臣下を得てから、誇れる主を目指そうと努力してきたつもりだ。
見捨てられないように、更に自分を律しようと。
彼らが大事だから。
だから、マナは許せなかった。
自分の臣下をこんな風にした相手を。
「元々俺は跡継ぎを作らなくてもいい次男なんだ。婚約者なんていらないのにあの親父が勝手に連れてきた。好きになる努力をしようとしても、相手があれではもう無理だ!」
「………って俺にいつも愚痴ってくる、んですよ」
イグニスがマナの耳元でそっと囁いてくる。
それを見てキリュウが眉を潜めこちらに来るのが見え、マナはそれを手で制する。
「で、これが何年?」
「あ~……確か………二年…?」
「あ、そ」
それだけの期間がありながら、相手はオラクルを蔑ろにしすぎている。
自分の気持ちだけを押しつけるのは愛ではない。
お互いに相手を思いやり、慈しむのが愛だと思う。
一方的な物言いは、相手を殺す。
言葉は凶器にもなるのだ。
魔導士はそれを良く知っている。
口に出したが最後、相手を傷つける場合もあるのだ。
「ヘンリー、ちょっとそこにある白紙の紙取って」
「これ?」
ヘンリーに執務机にあった用紙を取ってもらい、筆記具も同時に受け取る。
サラサラと記入した紙を、封に入れ、封蝋をしてからオラクルに差し出す。
「………殿下?」
吐き出して少しスッキリしたのか、幾分かオラクルの目に正気が戻ってきていた。
「これをラインバーク当主に渡してきて。今日は休暇でしょ。泊まって明日帰ってくれば良いよ」
「殿下…」
喜ぶと思っていたが、オラクルの顔は真っ青になっていく。
何故!? と逆にマナは焦る。
「殿下は俺を見捨てるのか!?」
オラクルはソファーから立ち上がって、マナに向かって前のめりになる。
机に両手をついて。
「なんでそうなる!?」
「俺が愚痴ったからか!? 俺が女一人蹂躙できない男だからか!?」
「蹂躙って別の意味に聞こえる! 使うな! って、そうじゃない! 見捨てるなんて一言も言ってない! オラクルは私の大事な人なんだから、手放すわけないっしょ!?」
「本当か!?」
「本当だ! ってか近い!!」
オラクルが机に乗り上げ、対面に座っているマナに顔を思いっきり近づけている。
その距離五cm。
焦りすぎだろう。
更にオラクルが壊れた、とマナはどうにかしていつものオラクルに戻そうとする。
『もしかしなくてもこれが素なのか!? ラインバーク当主が言っていたのはこれなのか!?』
とマナは多少混乱する。
ついでにキリュウの殺気が膨れ上がってるから!! と焦ってしまう。
オラクルを消されてはたまらないし、キリュウに臣下殺しをして欲しくない。
「明日戻って来いっつったでしょ!」
「………あ…」
やっと止まってくれたらしい。
オラクルを押しのけ、元の位置に座り直させる。
キリュウの顔を見ると、オラクルを睨みつけていた。
まだ手に杖を持っていないので、最悪な事態は避けられたようだ。
「し、失礼いたしました殿下!」
オラクルがハッとし、マナに頭を下げる。
どうやら落ち着いたらしく、いつもの口調に戻っている。
臣下の本性を見れたことは、マナにとって良かったのかもしれない。
「手紙の内容は当主と共に見ればいい」
「え、良いんですか?」
「うん。見てから帰っておいで。まぁ、オラクルの事を考えたら、私的にゆっくり休んで明日来て欲しいけどね」
「………それは、早急に帰還する内容であるかもしれない、という事ですか………?」
「そんな不安そうな顔をしないでよ。オラクルにとって悪い話じゃないよ」
マナの言葉と笑顔に、オラクルはホッとする。
「………多分」
「多分!?」
その後呟かれたマナの言葉にまた気を揉んでしまうが、そのままマナに追い出されてしまう。
時空間で無理矢理飛ばされるか、自分の足で行くか選べと言われ、オラクルはマナをチラチラ見ながら出て行った。
「全く……」
「殿下、何と書かれた、んですか?」
「オラクルが帰ってきたら聞いてみな」
イグニスの言葉に、マナは答えなかった。
「でも、オラクルのあれって素なの?」
「学園に居たときはああだ…でしたね。王宮魔導士になった時から、段々あの胡散臭い性格を作り上げ、て、ました」
「胡散臭いって」
「殿下は今のオラクルしか知らね…なかった、からそう思うんだ…でしょうが、成人前のオラクルを知ってる奴からすりゃ……すれば、気持ち悪い、ですよ」
「………私には今のイグニスの喋りも滅茶苦茶気になるけど」
「ぐっ……」
マナは言葉に詰まるイグニスに苦笑する。
「まぁ、オラクルの素を知ったから、これからは素で居て欲しいけどね」
「何故だ…あ…ですか」
「だって臣下って要は私の手足でしょ。自分の手足に気を使う?」
「………使わねぇ、ないです、ね」
「いつも気を張っていると疲れるでしょ。適度に気を抜かないと倒れるわよ。だからオラクルもイグニスもヘンリーみたいに図々しくいたらいいのよ」
「ちょっとリョウランちゃん。さり気なく僕を貶さないで」
今まで部屋の隅で笑いっぱなしのヘンリーを出せばすかさず言い返してくるヘンリー。
それに笑い返すだけでマナは執務机に行こうとする。
その時、体に異変を感じ足を止めて自分を見下ろした。
「………どうした」
いつの間にかキリュウがマナの背後に立っており、すぐにマナに触れられる位置で聞いてくる。
「………なんか、へ……ん……」
目に映っていた光景が、グルッと回った気がした。
フラついたマナを即座にキリュウは抱きとめる。
「マナ!?」
「ごめ……なん、でも……」
何でもない。
そう言いたいのに言えなかった。
何故ならキリュウがマナの体を、有無を言わせず素早く横抱きで抱え上げたから。
「ちょっ……キリュウ……?」
「顔色が悪い」
「………ぇ」
先程までなんともなかったはずだ。
オラクルと言い合いをしていたのだから。
「ヘンリー、医者を呼んでこい」
「分かった!」
「エンコーフは仮眠室のベッドの用意を」
「ああ!」
キリュウの指示に異論を出さず、二人は走って行く。
「マナ、目を閉じてろ」
「………キリュウ…」
「疲れが出たのかもしれん。今日は急ぎの書類はないんだろ。休め」
「………分かった」
こうなった以上キリュウはマナに仕事をさせない。
抵抗は諦めてゆっくりとマナは目を閉じた。




