第35話 出来損ない少女の目覚め
マナが意識不明になってから一週間が過ぎた。
それまで目覚めることなくマナは眠り続けていた。
意識がないだけで他に異常はなく、待つしかなかった。
キリュウは魔導士剣闘士訓練を休み、マナの仕事を引き継いで行い、それ以外はずっとマナの傍にいた。
「キリュウ様、次はこちらの書類をお願いします」
「………ああ」
机に向かって黙々と作業をするキリュウの顔には生気がなく、真っ青だ。
こんなキリュウを見るのは初めてで、ヘンリーが心配している。
ヘンリーも毎日マナの様子を見に来ては、キリュウに声をかけ気持ちを浮上させようとするが効果がない。
キリュウをこんな風にできるのはマナだけだと毎日零す。
コンコン
「失礼するよアシュトラル」
「………なんだ」
「訓練の予定を変更した書類を持ってきたよ」
「………そこに置いておいてくれ」
視線を上げることなく返事をするキリュウに、入ってきたヘンリーはため息をつく。
「ちゃんと食べてるの?」
「………」
無言のキリュウに返答は期待できず、ヘンリーは部屋を整えているスズランを見る。
「スズラン」
「スープと飲み物だけ食しています。固形物は喉を通らないようで」
「そう」
無理矢理食べさせても吐いてしまうだろう。
ヘンリーはまたため息をつき、机に書類を置く。
「ちょっと付き合ってよアシュトラル」
「………無理だ」
書類を書き終わり、後方に待機していたロンに書類を渡して提出して来てもらう。
「書類は終わったでしょ。それを見計らってきたんだから」
ヘンリーは毎日ロンにキリュウの予定を聞き、その時間に合わせて訪問している。
忙しいはずはない。
「………マナの傍に…」
そう言って立ち上がったキリュウが床に膝をついた。
「アシュトラル!」
「キリュウ様!」
ヘンリーとスズランが駆け寄る。
「アシュトラルも休んだ方が良いよ」
「………いや、マナが…」
「………スリープ」
「!」
ヘンリーがやむを得ずキリュウに眠りの魔法を使った。
精神的に疲れていたキリュウは抵抗も出来ず、そのまま床に倒れる。
覗き込むと眠っていた。
普段のキリュウがこんな魔法にかかるわけがない。
よほど堪えているのだと、ヘンリーは寝室の扉を見る。
早く目覚めてキリュウを安心させて欲しい。
動かないマナを見るのも、衰弱していくキリュウも見れたものではない。
それに、マナも一週間飲まず食わずで、随分やせ細った寝顔に見える。
二人ともこのまま命を落としてしまうのではないか、とヘンリーは拳を握る。
フルっと頭を振って、弱気な考えを飛ばす。
そんな事は有り得ない、と。
やっと幸せになりそうな二人を、こんな事で不幸にしたくない。
「寝室まで運ぶから、布団捲って」
「はい」
スズランは寝室に早足で向かう。
ヘンリーはキリュウの体を魔法で浮かせ、寝室へ向かう。
キリュウをマナの隣に寝かせ布団をかぶせると、夫婦が仲良く眠っているようにしか見えない。
事情を知らなければ。
「アシュトラルが起きたら何が何でも食事させて。このままじゃアシュトラルちゃんが自分を責めちゃうから」
「畏まりました」
スズランに言い、ヘンリーは部屋から出て行った。
それから数時間後、すぅっとマナの瞼が持ち上がった。
ゆっくりと何度か瞬きする。
自分が今どこにいるのか暫く把握できなかった。
「………ぁぁ、刺されたんだっけ…」
自分の声がかすれ、喉が痛い。
大分眠っていたのだと推測する。
ゆっくりと起き上ると、体が重く力が入らない。
凝り固まっている体をゆっくりと動かす。
「………キリュウ…」
隣に寝ているキリュウに気づく。
そしてそっと髪を撫でる。
「ゴメンね…」
やつれているキリュウの顔に悲しくなる。
自分の不注意でこんな事になってしまって申し訳ない。
でも、まだ自分の隣にキリュウがいる。
呆れられて離れて行ってしまってない。
それが何より嬉しく、自然に微笑む。
「………大好き」
そっとキリュウの額に唇を落とす。
そしてベッドから出た。
自分がどれだけ寝ていたのか。
今どうなっているのか。
確認しないといけない事が山ほどある。
寝室から出て自分が執務をしている机に向かう。
スズランとロンは部屋にいない。
言葉で確認は今は出来ない。
机の上には書類が置かれている。
王女としての仕事が溜まっていない。
誰かが代わりにしてくれていたのか。
女王ではないだろう。
「………ありがとう、キリュウ…」
自分以外に仕事をするとすれば、キリュウだけだ。
マナは感謝しながら、王女への書類ではない書類を目にとめる。
魔導士剣闘士訓練の修正した日程。
それでマナは自分が一週間ほど眠り、その間にキリュウの担当訓練はなく、魔導士長とヘンリーの日程になっているのを確認する。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
だが、起こった事は仕方がない。
これから挽回するのみ。
マナは椅子に座り、日程を一部変更していく。
キリュウの日程は三日組み込まず、マナの日程をヘンリーの後に入れる。
「………確か、この辺りで一回入れるって話してたから…ここが…こう、で…」
マナの担当訓練の日程も削除されており、予定日がガラリと変わっている。
キリュウが担当訓練を無くしたのは恐らく王女の書類仕事の為。
前はマナが訓練の後夜分にやっていたのを、キリュウはマナを見舞うのとともにやってくれていたのだろうと推測する。
「………………………よし。出来た」
チリリン
机にあった呼び鈴を鳴らす。
これでスズランかロンが来るだろう。
マナは引き出しからいくつかの書類を取り出す。
それはマナ以外が記入してはいけない書類で。
何かあればここに収納するようにロンに言っていた。
彼はそれを忠実に行ってくれていたようだ。
その書類を読みながら、来訪者を待つ。
そうこうしているとノック音がし、入室してくる者。
「お嬢様!?」
動揺しているのか、スズランはマナを昔の呼び方で呼んだ。
「おはようスズラン。心配かけてごめんね」
「動かれて大丈夫なのですか?」
「大丈夫。それより、ロンを呼んで来て欲しいのだけど」
「畏まりました」
スズランが慌てて出て行く。
そんなに慌てなくてもいいと思うが、それだけ心配させてしまったのだろうと、マナは苦笑する。
やっぱりまだまだ自分は出来損ないだと思う。
あんな攻撃にやられるなど。
まだ自分は学生気分なのだと痛感する。
王女の自覚がない。
そう言われても仕方がない。
自分が希望した王宮魔導士なのに、油断してその身が危うかった。
女王の子として、一番に守らなければいけないのがこの身だ。
今の所、マナが次期国王候補なのだから。
マナがいなくなれば次の候補は恐らくキリュウ。
キリュウには国王になって欲しくないという思いは変わらない。
大事な人に国は背負わせない。
キリュウを守る為にもマナは傷ついてはいけない。
「失礼いたします!!」
慌てて部屋に入ってきたのはロン。
その慌てぶりに、マナは困った表情をする。
一度もそんな姿を見たことがなかった。
自分がロンをそうしてしまったのだと思うと、また申し訳なく思う。
「マナ様っ」
ロンの瞳が潤んでくる。
ギョッとして慌ててマナは立ち上がった。
「心配かけてごめんなさい。申し訳ないけど、早速仕事を頼みたいの」
「畏まりました!」
満面の笑みで頷くロンに、マナは困る。
いつも淡々と仕事をこなすロンは、表情を崩したことはない。
そのロンがこんな風になるのだから、本当に申し訳ない。
「訓練場まで行って、魔導士長かヘンリーにこの書類を渡してきて。そして私が目覚めたことも、その書類について話したいと言っていたと伝言してきて。そしてその足で女王と宰相にも私が目覚めたと。もう大丈夫だ、心配かけてごめん。と言っていたと」
「畏まりました。行って参ります」
ロンが部屋を出て行く。
その背中は嬉しさを表しているように明るく見えた。
「スズランは食事をキリュウの分も含めて用意しておいて。紅茶は先に。恐らくもうすぐヘンリーの魔法が切れると思うから起きるよ」
「よくヘンリー様がかけているとお気づきになりましたね?」
「ん。キリュウからヘンリーの魔力が感じられたから。そうでないとこの時間にキリュウが寝ているなんてあり得ないからね…」
チラッと窓の外を見る。
太陽の位置が真上から少し下がっている所で、昼過ぎだと分かる。
「流石でございます。では、暫く傍を離れさせて貰います」
「うん。スズラン心配かけてごめんなさい」
「いいえ。マナ様が目覚めただけでわたくしは嬉しいですから」
スズランは微笑んで退出した。
ゆっくりとマナは椅子に座り直し、書類に手を付けた。




