第31話 出来損ない少女と女の戦い
マナは珍しく一人で王宮内を歩いていた。
一人で、というのは語弊がある言い方。
マナの背後にはロンとスズランが付き添っている。
けれど、使用人の立場である彼らは数には含まれないのが通例。
だから今目の前にいる人物からも絡まれてしまうのだ。
「貴女、何処のご令嬢なのかしら?」
「貴女みたいな平凡な女は、親の力を使ってでしかアシュトラル様をモノに出来ないものねぇ?」
「アシュトラル様が嫌々お付き合いしているのに、気づいていないのかしら?」
「気づいていたら図々しく今も付きまとったりしてないわよ」
令嬢の勘に障る笑い声が通路に響く。
王宮内というのは、いや、世の中というのは何処に誰の目があるのか分からないものだ。
口にした言葉は誰かに聞かれているのだと、常に思っていなければならない。
自分の取った行動も、誰が見ているのか分からない。
マナの目の前に居る令嬢達は、背後の者達に気づいているのだろうか。
王宮というものはそれなりに人の行き来が多いものだ。
何処の家の者が居るかも分からないところで、人に絡んでくるとは。
マナは心の中でため息をついた。
野心があることは結構。
自分と関係なければ大いに人を罵っていても、マナは気にしない。
更に言えば、自分の事でも普段は気にならない。
キリュウの事でなけば、だが。
「アシュトラル様も気に入らないならさっさとこんな子突き放してしまえば良いのに」
ピクッと、無表情で聞いていたマナの眉が反応する。
「そうよね。だって、アシュトラル様の引き立て役にさえならないんだから。役立たずは捨てるに限るわ」
「使用人みたいに切れば良いのよ」
散々罵るのに夢中なのか、マナの顔を見ているようで見ていない。
だから気づかない。
マナの目が段々据わっていくのに。
マナがキリュウの事を悪く言われるのを良しとするわけがない。
自分の容姿のことは生まれ持ったものだ。
どうにか出来るものではないし、今はもう亡き父から受け継いだ容姿だ。
マナ自身は誇っているし、この容姿もキリュウは受け入れてくれている。
毎晩綺麗な瞳だと言って口づけてくれる。
綺麗な髪だと言って頭を撫でてくれる。
柔らかくて好きだと言って抱きしめてくれる。
彼女たちはそんなキリュウを馬鹿にしているのだ。
彼が好きだと言っているマナの容姿を貶しているのだから。
「大体愛されているとか思ってるんじゃないでしょうね?」
「勘違いもそこまでいけば哀れね」
「それとも、政略結婚でも愛が生まれるかもしれないとか夢見ているのかしら?」
「残念でした。アシュトラル様は誰も愛さないわ。だから諦めて別れることね。より相応しい者がアシュトラル様の妻になるのだから」
勘違いも甚だしい。
キリュウは愛を知っている。
誰かを愛せる素敵な男性だ。
政略結婚?
マナとキリュウの間にはそんなものはない。
二人の間にあるのは正真正銘愛だ。
他人に壊せるわけがない。
「………言いたいことはそれだけでしょうか?」
「なんですって?」
「そんなくだらない話にいつまでも付き合っている時間はありません。そこを通して下さい」
マナはこれから女王との謁見がある。
何よりも最優先される事だ。
目の前に居る令嬢 如きが邪魔できることではない。
「あんた、調子に乗っているんじゃないわよ!」
「どちらがですか。私はキリュウと別れるつもりなんてありませんし、これからも別れません。ご理解して頂けましたら通して下さいませ」
「アシュトラル様を呼び捨てにするなんて、あんた何様のつもり!?」
「妻です」
キッパリと言い放った言葉は、通路に不思議な程響いた。
その理由はすぐに分かった。
ひそひそと令嬢の後方で、こちらを見ていた野次馬達の声がなくなったから。
そして野次馬が割れ、コツコツと歩いてくる人物が通れる道を作った。
その人物を見て、マナは眉を潜めた。
何故貴方がここに、と言いたい。
邪魔をしないで欲しい。
まだ文句を言ってくるようであれば、実力行使で避けさせようと思っていたからだ。
「マナ」
その声はよく通る。
マナの大好きな声。
「キリュウ」
マナの元に歩いてきていたのはキリュウだった。
キリュウが来たのならもう絡まれることはないから、眉を潜めることはないではないか。
普通ならこう思うだろう。
だが、マナはこれから何度もキリュウの存在で令嬢を退かせる訳にはいかない。
自分で対処する事が大事なのだ。
でないと、こういうのはなくならない。
マナ自身を認めさせる必要があった。
なのにキリュウは…
「俺のマナに何をしている」
マナの前に立ち、令嬢達を睨みつける。
これがマナが絡まれていたら最終的になる構図。
キリュウは何処かでいつもマナを監視しているのではないかと思う程、タイミング良く現れるのだ。
そして物語のヒーローの如く、マナを救う。
どこからかこの情報が外に漏れているらしく、平民には美化されて語られているらしい。
“キリュウ・アシュトラルは妻を溺愛”
“病弱な妻を守る王子様”
“貴族の中の貴族”
“大恋愛の末、身分差婚”
“貴族と平民の許されざる駆け落ち婚”
などなど。
最初以外全く当てはまらない情報が、夢物語として書籍化もするとも聞く。
一体誰の話なんだと言いたいぐらいに捏造されているらしい。
ちなみに情報源はシュウとヘンリー。
二人ともニヤニヤと笑って聞かせてくるものだからタチが悪い。
そんな事を思いながらキリュウの背を見上げる。
キリュウは過保護になりすぎている。
マナに誰も近寄らせない。
誰にも触らせない。
部屋から出そうとしない。
王宮魔道士の仕事も、王女としての仕事もあるから最後のは免れている。
けれど、片時も離そうとしないキリュウには困りものだ。
お披露目が終わったらどうなるか。
人前でベタベタするのは好まないと思っていた。
それはキリュウを冷血の貴公子としてしか見てなかった頃の話で。
キリュウもマナと出会うまで知らなかっただろう。
けれどシュウにアシュトラルの習性という話を聞いてから、納得してしまうようなキリュウの行動の数々を、受け入れてしまいそうになる。
受け入れてはいけないのだけれども。
マグダリアだった頃だったならそれでも良かった。
でももう、マナはマナ・リョウランだ。
キリュウだけを見ていれば良い立場ではない。
キリュウに睨まれて硬直している令嬢をどうにかしないといけない。
このままではいずれ、時間になっても来ないマナを探しに女王まで来そうだ。
「キリュウ。大丈夫だから」
「マナ。お前を傷つける者を放っておけというのか」
「そんな事一言も言ってないでしょう?」
苦笑するマナに、キリュウはブスッと不機嫌な顔を見せる。
最近はマナとヘンリーだけでなく、他の者に分かるような表情を見せるようになってきている。
嬉しいと思うと同時に寂しいと思うのは、我が儘だと分かっている。
自分だけに分かる表情をして欲しいと思う。
それが、自分だけの特権だと誇らしく思えるから。
そんな感情を心の中だけに留め、マナは令嬢達を見た。
「先程の言葉は、もう仰られないのですか?」
「っ!」
「なっ…」
「散々仰っていたではないですか。私の容姿が醜いと。私はキリュウに愛されていないからさっさと別れろと。引き立て役ですらない私ではキリュウの傍に居る事自体罪なのだと」
「そ、そんな事言ってませんわ!」
「そうですわ! 私達はただ、アシュトラル様の事を想って!」
「そうよ! 自分に釣り合ってないアシュトラル様と一緒に居るのに苦悩しているのだと、親切に―――っ!?」
令嬢達の言葉にキリュウの周りに黒い魔力が出てきた。
その魔力に、何の訓練もしていない令嬢に絶えられるわけがない。
真っ青になる令嬢の顔を見ながら、マナはキリュウを横目で見る。
「キリュウ。ダメよ」
「こいつらはマナを侮辱した。生きている価値はない」
「価値はあるわよ。彼女達も一応は貴族。生きていれば平民の盾ぐらいにはなるわ」
キリュウの放出されている魔力をものともせず、普通に会話するマナに令嬢達は目を見開く。
そして悟る。
マナもキリュウと同等の魔力を持っており、それを制御しているのだと。
リョウラン国の者なら知っている。
キリュウの桁外れの魔力の事を。
魔力が少なければ最悪その者の前で息をすることも出来なることを。
魔力の多い者は魔力の少ない者に対して、魔法を使うことなくやろうと思えば魔力の放出だけで人を殺せる。
ここでようやく悟る。
マナは只の政略結婚でもなく、マナが強引に結婚したのではなく、キリュウの横に立つ者として相応しいから結婚したのだと。
本当はそうではないのだが、無関係な人間に事情を話すことはない。
勝手に勘違いして納得してくれ、絡んでこないようにすればいい。
「キリュウ。魔力放出を止めなさい」
鋭い視線で命令される。
キリュウはぞくりとした。
恐ろしかったわけではない。
王女らしく命令できるようになってきたマナに痺れたからだ。
嬉しさに身を震えさせた。
王女のマナが欲しいのではない。
新たなマナの表情を見て惚れ直しただけ。
キリュウのマナフィルターはもう既に壊れかけているのだと思う。
愛おしそうな顔でマナを見るキリュウの周りからは、いつの間にか魔力が消えている。
「貴女たちも、二度とキリュウの事を悪く言わないでちょうだい。私は何を言われても構いません。ですがキリュウを悪く言うことだけは許しません」
「俺とてマナを悪く言う奴は許さん。二度と顔を見せるな」
令嬢達は我先にと早足で去って行った。
流石令嬢だ。
こんな時でも走ったりなどしないのだから。
「………って、キリュウの場合、次会ってもあの人たちの顔を覚えてないでしょ」
「だが、向こうは二度と会わないように勝手に逃げるだろ」
やはり覚える気がないようだった。
「それよりキリュウ。二度と邪魔しないでよ?」
「何故だ」
「一人で対処したいの」
「ダメだ」
「なんで?」
「俺のマナを長時間見せるわけにはいかない」
「………そっち!?」
絡まれて怪我をするとか、危険だということではないらしい。
信頼されていると喜ぶべきかどうか分からず、マナは苦笑いでキリュウを見る。
「それより女王との謁見は終わったのか?」
「そんなわけないでしょ!」
ハッと気づいたマナは、早足で女王の執務室まで向かった。
キリュウと共に。
マナ達が去った通路の一角に、一人の女が立っている。
「………許さない」
一言だけこぼし、その場から立ち去っていった。




