第26話 出来損ない少女と役目
「マナ、ちょっといい?」
マナの部屋に入ってきたホウメイ。
刺繍をしていた手を止め、マナは入り口に立っているホウメイを見る。
「どうぞ」
マナは机の上を片づけ、対面側のソファーにホウメイを促す。
ホウメイが座ったのを確認し、侍女に紅茶を用意するように伝えてから真っ直ぐに見やる。
「ごめんね? 寛いでるのに」
「いいえ。どうかなさいましたか?」
現在マナは王女教育の休憩時間。
キリュウは魔導士訓練中でここにはいない。
「この後のダンスの授業はお休みしてもらったの。急ぎで伝えたくてね」
困ったように笑うホウメイに、マナの目が鋭くなる。
絶対に厄介なことを持ち込んでくる顔だ、と。
侍女が紅茶を持って来、ホウメイが下がらせた。
部屋に二人きりになると、ホウメイが本題を切り出した。
「実は…」
「………」
「マナのお披露目を先延ばしにして欲しいの」
「構いませんが?」
「え?」
「え?」
ホウメイの言葉に即答したマナにホウメイは唖然とマナを見、マナは首を傾げる。
「元々私はお披露目は気が進まないとお伝えしているはずですが…」
「でも、キリュウとの結婚も周知できないのよ? 周知できないって事は、キリュウに群がる蝶を追い払うことは出来ないわよ」
「………それはそうですが…」
実際キリュウは目を離すとすぐに王宮に出入りしている令嬢に群がられているのはもう日常だ。
けれどマナを見つけたキリュウはさっさとマナの元に来る。
そういう態度を見ているから妬いたりはしない。
キリュウが令嬢と話していたりしたら別だろうが、キリュウは一切無視している為に妬く必要もない。
キリュウ的には早々に公表したいのだろうが、マナ的には現在は問題ない。
「………それで? その理由は?」
不満気にしているホウメイからこの話題をさっさと進めようとマナは聞く。
自分から言っておいて本題が促さないと出てこないのは、ホウメイも一人の女性という事だろう。
「あ、そうだったわ。ホウライ国の動きが活発になってきたの」
「………動いたんですか」
活発、という事は戦に持ち込んでくる動きが出てきたという事だ。
潜入させている影からの情報だろう。
「ええ。だから、こちらの警戒が緩んでいるという情報を与えたくないの」
「………普通は逆でしょう。緩んでいると見せかけて誘い出す作戦は定例会議で出なかったんですか?」
「勿論出たわよ。でも却下したわ」
「………何故?」
「だってマナのお披露目をしたらホウライ国にも筒抜けになる」
「襲撃があった時点で向こうは知っているでしょう」
「ええ。でもマナの実力は知らない。アルシェイラの娘と知っていても、今のところはアルシェイラと比較して脅威と捉えられてはいない可能性が高い。だから最重要視されている可能性はないと思うわ。今の最重要暗殺対象はまだ私でしょう」
「………」
「でもお披露目し、そしてアシュトラル家を身内に持つことも公になってしまえば、その暗殺順位が変わってしまう可能性が高い」
「………キリュウの……アシュトラル家の実力は知られているものね…」
マナは紅茶に口をつけ、目を細める。
紅茶が変だ……と、口には出さなかったが顔に出てしまう。
「………紅茶には口を付けない方が良いかと」
「あら。毒?」
キョトンとした顔でホウメイが聞く。
毒と疑ったのなら慌てろと普通は思うけれども、二人とも王族として毒に体を慣らしてある。
動揺などしない。
特にホウメイの娘だと分かった日からキリュウと再会するまでの二ヶ月、マナは死ぬような思いで毎日毒を飲んでいた。
死んでしまう…と思いながら床に就いていた。
王家が持っている毒を全種接種し生き残ったマナは、もう普通の人間ではないのでは…と毎日思っていたのが懐かしい。
「いえ……渋いです」
「………練習不足ねぇ…侍女の教育がままならないわ」
「結構な人数を処分しましたものね」
魔導士長がアルシェイラを消しマナの命をも奪おうとして捕らえられた後、魔導士長の記憶を見たシュウが魔導士長の仲間だった部下や侍女たちを処分した。
記憶を見られるということは嘘誤魔化しが一切出来ない。
抵抗する魔法がないわけではないが、魔力が使えないようにする拘束魔導具を付けられれば魔法自体が使えない。
それにより結構な人数が魔導士長の買収にあっていることが分かり、少しでも加担した人物を一斉処分したのだ。
過激すぎると思われたが、「ホウメイの愛する人を殺め、更にマナ殿下の命を奪おうとした人間と接点を持った時点で罪人ですから」とマナが止めようとするのをシュウはバッサリ拒否した。
ホウメイだけに愛情を向けているシュウの事だから、ホウメイが危険に合わないように危険だと思われる人を一斉に処分したかったのだろう。
そう思っていたらシュウに「マナ殿下はもう私の愛する義娘。貴女の為にも危険は一切無くさないといけないのです」と言われ、照れ臭かった。
侍女長から長く勤めていた侍女まで処分の対象になったものだから、まだ若手と呼ばれる侍女ばかりが残り、ベテランの教育係がいないのだ。
ベテランの侍女はお茶や必要な物資などを主人に言われずともタイミングよく出せるものだ。
でも今は先ほどのように頼まないと出てこない。
これは困る。
マナとて王族だ。
王女としての執務中に一々手を止めて指示するのも案外時間を取られて自分のペースを乱される。
「………いっそ、フィフティ家の侍女を招集したい…」
王宮の侍女より気安いのは当たり前で。
フィフティ家と同じ業務とは言えないが、王宮の今の若手侍女を使うよりよっぽどスムーズにいきそうだ。
「あら? 必要ないから連れて来なかったのよね? まぁ、今から務めてもらってもいいけど」
「………え?」
「え?」
「………フィフティ家との縁を切れと言ったのはそちらでは…」
「私、そんな事一言も言ってないわよ?」
「で、でも、フィフティ家の義父はお母様からの手紙を読んで、もう私はフィフティ家と縁はない、と……」
「おかしいわね? 私は、『マナは私の娘だから王宮で育てたい。本当の名前に戻してマナをこちらへ来させて欲しい』とだけ書いたのだけれど…」
「………」
マナは呆気にとられた。
何にと言われればホウメイの簡易手紙の内容に、だ。
王から直で手紙が来て娘をよこせと書いてあれば、どこの家でも娘だけを差し出すだろう。
他に侍女を付けてもいいとか、家族も来ていいとか書いてれば、フィフティ家もそれなりに献上品も含めて世話係をつけただろう。
こんな抜けている女王でこの国は大丈夫だろうかとマナは心配してしまう。
縁を切れとの命令だと思っていたから、今までマナもフィフティ家に手紙の一つも送っていないし、街にお忍びで出かけた時にもフィフティ家に関わる土地には一歩も踏み入れていない。
今までの苦労は何だったのだと言いたい。
育ててもらった恩を返せず、会いたいと思う気持ちを隠していたのに。
「………分かりました。連絡してみます」
「ええ」
「………話を戻しましょう」
「何の話だったっけ?」
「………ホウライ国との戦の件です…」
「あ、そうだったわね」
本当に大丈夫なのだろうか、とマナは心配してしまう。
定例会議の時もこうなのだろうか……とマナは思わずシュウ達重役に同情してまった。
「ということで、お披露目を先延ばしにし、魔導士・剣闘士両方の強化をしようと思うの」
「………両方も粛清しましたから数が減ってますもんね」
「ええ。だから減った分、少数精鋭でなければ。戦が近いということで両方の学生達も教師が優秀と思った在校生を寄越すように言い、特例で王宮勤務とすることになったわ」
「特例すぎませんか。新人魔導士から文句が出ないと良いですが」
「言うなら王命に逆らったということで処分できる。流石に何もないうちからシュウに心を読んでもらうこと出来ないもの」
ホウメイは先程までの天然女王の顔から、怖いことを平気で口にするこの国の最高権力者の顔になっていた。
思わずマナは怪訝そうな顔を向けてしまう。
「マナが許可も出ないうちから訓練に混じっているんですもの。私が注視していないわけないでしょ。マナ1人に対して不満を持つ連中に、在校生と折り合いが付くとは思えないわ」
「…と言いつつも、私を利用して彼らの動向を伺ってたんでしょうに…」
「流石に成人したての彼らが謀反を起こすとは思えないけど、学生の中から選ばれた者しか入れない王宮魔導士剣闘士の扉が開いた彼らが、有頂天になって他の者を見下さない保証がどこにあるの」
「確かに」
間違ってはいない。
間違ってはいないのだが…
さっきまでの能天気な女王は何処に…と口に出かけ…飲み込む。
「じゃあ、お母様は私を実験台に使っていたということで」
「怒った?」
「いえ、流石だなと思っただけです」
「?」
やはり女王は女王なのだと改めて認識した。
「引き続き私は魔導士訓練に混ざりますね」
「ええ。もうとっくに魔導士長には許可もらってるから」
「…それはいつ?」
「マナが実践訓練に混ざった初日から」
「…………………そうですか」
もう何を聞いても驚くまい…
マナはため息を飲み込んだ。
「キリュウにもそう報告しても?」
「構わないわ。どうせキリュウも指導側に回ってもらうし」
「………指導?」
また無茶振りをしてくるのでは……とマナは警戒する。
「今の在校生は1年を除けば全員キリュウの実力を知ってるでしょ? だから強化するにあたって指導員になってくれれば少数精鋭が早くできると思わない?」
「それはそうですが……」
「当然マナも指導員やってくれるでしょ?」
なぜ聞かれているのに強制みたいなニュアンスに聞こえるのだろうか。
「………やれと言われればやりますけど……どうなっても知りませんよ。キリュウには従えても私には従えないっていうのも出てくるだろうし」
「だからそれも見極める材料になるでしょ?」
にっこり笑って言われれば、返す言葉が見つからない。
堂々と利用すると言われれば、逆に清々しく任務として受け入れられるものだな……とマナはゆっくりと立ち上がった。
「最近何故魔導士訓練に剣闘士の訓練も混ぜてきているのかようやく疑問が解けましたよ。魔導士長に聞いても曖昧にされていたので」
「マナとキリュウが優秀で助かるわ」
「………まぁ、学生時代にキリュウとヘンリーと体動かしてましたからね…少しは出来ますよ」
魔法制御用に杖をオーダーし出来上がるまでと、出来上がってからの放課後などに訓練に付き合ってくれていたキリュウとヘンリーに感謝だ。
それに魔法が使えなかったときに、せめて体だけでもと体力作りをしていたおかげで運動神経が鍛えられ、他の魔導士程剣を持っての戦闘訓練に悪戦苦闘はしていない。
元々の男女の差を除いて、キリュウとヘンリーの成長について行けていると思う。
「他にはありませんか? 最初に聞いていた方が対処しやすいんですが」
「今のところはないわね。ホウライ国が戦を本格的に仕掛けてくる動きが出てくるまでは。だからそれまでに強くなって」
「御意」
マナはホウメイに向かって了承の礼をした。




