第12話 出来損ない少女の頑張り
「私は、マグダリア・フィフティと申します」
マグダリアは学園から帰った後、夜遅くまで言葉の練習をしていた。
キリュウと約束してから早数週間、大分スムーズに声を出すことが出来るようになった。
こんな練習、他人からしたら馬鹿なことをやっていると思われるだろうが、マグダリアは至って真剣だ。
これは、王族や貴族の定めでもある。
マグダリアが舐められればフィフティ家の恥。
学園ならいざ知らず、社交界では致命的。
王族・貴族の名前を覚えるのは勿論、その家の家族構成や、どんなことをしているのかなど、知っておかないといけない事も山ほどある。
それは教養として身につけているが、それをしどろもどろに話していては、うろ覚えとなり、蔑みの対象となる。
そんな事は嫌だ。
両親の為にも、そしてマグダリアを伴侶として選んでくれたキリュウの為にも、何とか習得をと頑張っていた。
「失礼いたします。お嬢様」
ノック音がし、侍女が入室してくる。
マグダリアは中断し、侍女を見た。
「アシュトラル様がお見えですよ」
「ふぁ!?」
ビクッと体が跳ね、しかも予想していなかった事態にマグダリアから令嬢とは思えない声が出た。
それに苦笑するのは侍女だけではない。
侍女に案内されてマグダリアの部屋に来ていたキリュウもまた少し笑っていた。
「き、キリュウ様!? どうして!?」
今日学園では訪ねて来るなど一言も言ってなかった。
マグダリアは疑問に思いながらキリュウを招き入れる。
「ヘンリーが抜き打ちで行けば、新たなマグダリアの一面を見られるだろうと言っていたのでな。来てみた」
それは成功したと言えるだろう。
間抜けなマグダリアを見たのだから。
けれど、何故キリュウはヘンリーの言葉通りに行動するのか。
裏の支配者かと思ってしまうヘンリーの助言。
こういう事に疎いキリュウは素直に聞いてしまうのだろうが。
若干ため息をつきながら、机を挟んだ向かい側にキリュウを促す。
「紅茶、お願いできる?」
「かしこまりました」
言葉の練習には喉の渇きがつきもの。
マグダリアは学園から帰って来てから言葉の練習で、かなりの量の紅茶を飲んでいた。
ティーポットの中身はもう少ない。
普通は侍女が先に気付き、サッと紅茶を出すのが普通だ。
けれど、マグダリアにとってこれからは人に命令するのも必要になる。
だからあえてマグダリアは、先に用意しないようにと侍女にお願いしてあった。
自分が命令できるようになる練習に付き合ってくれと。
「あ、キリュウ様は紅茶大丈夫?」
このところのマグダリアはスムーズに話せるようになり、キリュウはそれを嬉しく思う。
「ああ。問題ない」
頷くキリュウを見て、マグダリアは侍女に視線で合図する。
お辞儀をして退室していく侍女を見てから、キリュウを真正面に見た。
「頑張っているようだな」
「約束…だから」
少し照れくさそうに返すマグダリア。
「そんなお前に、今日はこれを渡そうと思ったのだが、学園ではやめておけと言われた」
キリュウが何かを持っているのは分かっていたが、あえて聞かなかった。
マグダリアへの贈り物だったらしい。
学園で渡せない物とは何だろうかとマグダリアは首を傾げる。
机に置かれたのは長方形の宝石箱。
ペンダントを贈られた時のとは若干小さいようだが、それでも宝石箱だけでも相当な値がつくものだと思う。
どうしてそんな高価なものをマグダリアに贈るのだろうかと、キリュウの金銭感覚を疑う。
王族貴族の考えでは、マグダリアの方の感覚がおかしいのだが。
「開けてみろ」
言われるまま、マグダリアは箱を持ち開けた。
中には、ペンダント同じ銀の鎖、同じ飾り。
だが鎖は短く、ブレスレットだと分かる。
「………これ…」
「その飾りには特殊な細工を依頼してな。お前、まだ魔力のコントロール…魔力を抑える事が苦手だろう?」
「知っていたの…?」
「それを身につけていれば、多少だが魔力のコントロールを手助けしてくれる」
「ぁ、ありがとう」
マグダリアは嬉しそうにキリュウにお礼を言う。
その時侍女が紅茶を持ってきて、キリュウとマグダリアに紅茶を用意し傍に控えた。
「でも、どうして学園では渡したらダメってヘンリー先輩は言ったんだろう…?」
「嫉妬した奴らがマグダリアにちょっかいをかけるだろう、とな」
「ぁぁ…」
キリュウはモテるのだ。
怖いと恐れられていても、その容姿、魔法力、将来の地位、貴族の家系などなど、キリュウの魅力は、人それぞれ捉え方は違っても、お近づきになりたい令嬢は沢山いるのだ。
「何故俺に群がるのか気が知れんが、俺のせいでマグダリアが何かをされるのは我慢ならんからな」
キリュウは自分がモテる事を不思議に思っている。
自分の魅力に気付かないこの人が、他の女の物にならなくて良かったと思う。
キリュウが女に見向きもしていないのは知っているが、優しいキリュウを知っているのは自分だけ。
少しだけマグダリアは誇らしく思う。
この時だけは自分が魔法を使えなかったことを感謝した。
だからこそキリュウの探求心を擽り、自分を見てくれたのだから。
「大事にするね」
「ああ。俺のは何の細工もないがな」
そう言ったキリュウの右手にブレスレットが付いているのに気付く。
マグダリアのより鎖は大きく、男性用に作られている。
キリュウはお揃いにする事を忘れていなかったようで、マグダリアは嬉しく思う。
その嬉しさから、マグダリアはブレスレットと自分の右手を差し出した。
「つけてくれる?」
甘えるような仕草で言われ、嬉しく思うキリュウ。
前の遠慮するマグダリアでは、こんな事はなかっただろうから。
キリュウはマグダリアの右手首にブレスレットを付けた。
「明日は課外授業だったな」
「あ。そうだった……またキリュウ様と同じ班になれるかな…?」
「問題ない。教師が作っている所に出くわしてな。前のメンバーにするよう進言した。が、二年の数が少なくなったからな。俺とヘンリーとマグダリアの三人編成になるだろう」
前の事件で謹慎処分を言い渡されたクラスメイト達は、魔法禁止を三月言い渡されている。
それによって、今回の課外授業は不参加。
人数が少なくなった原因だろう。
マグダリアはキリュウの言葉が教師をも動かす事に、若干呆れてしまう。
彼は絶対にマグダリアと他の者を組ませたくないというだけで、教師に意見したのだろうと。
ヘンリーの誘導ではなく、自分の意志で。
それでもマグダリアは嗜めることは無かった。
自分の為に動いてくれる人がいる。
それだけで嬉しかった。
「今回は、役に立ってみせるから!」
「期待しているが、張り切りすぎるなよ? お前が怪我をすることだけが心配だ」
「大丈夫。結界もかなり練習したし、魔力感知も一週間なら森の中全体に展開できるし」
「そんな事はいい。見張っている時は交互でやるようにするしな。一人で気負うな。俺がいる」
「………うん」
残念そうな顔で頷くマグダリアに苦笑する。
何事も全力で行う必要はない。
勿論必要とされることはあるが、課外授業はその時ではない。
不測の事態や、国の危機、全力が必要とされる場面の為に、温存しておかないといけない力もまた必要だ。
「杖の調子はどうだ?」
「あ、いい感じなの。思ったように魔法を使えて」
「そうか。金を返してもらったが、本当は全額払うつもりだった。先に払ってしまってたから出せなかったが」
「そ、そんな……自分の物は自分で買うよ」
「お前は両親に遠慮し、自分の小遣いだけで何とかしようとしていた。だからこそ払いたかったのだが、それをきっかけに、両親と話が出来たのなら、いい」
「ぁ……」
キリュウに心配をかけていた。
その事に気付いたマグダリアは、少し微笑んで頷いた。
そして明日の課外授業の事で話していたのだが――
「怒ってたねぇ。アシュトラル」
「………ふふ。はい」
現在学園から出て班ごとに森へ別々に入っていた。
山道を歩きながら、ヘンリーとマグダリアは談笑していた。
昨日キリュウはマグダリアと同じ班になることを前提としていた。
けれど本日渡された班分けの資料を見た時、キリュウとマグダリアは別の班になっていたのである。
どこか心の隅で思っていた事なので、マグダリアはそんなに気にしてはいなかった。
だがキリュウの方は、そうではない。
班組で教師に進言したと言っていたから、自分の意見が反映されていない事に腹を立てたのだろう。
けれど大っぴらにそんな事を言えるはずもなく。
不正で班分けをしていたと言われれば、キリュウの立場が危うくなる。
不機嫌な顔でパートナーとなった二年を連れ、山に早歩きで入って行った時の事を思い出し、マグダリアは笑う。
「ヘンリー先輩も一枚かんでいるでしょう」
「あ。バレた? それよりフィフティちゃん、敬語になってるよ」
「ぁ…」
「ちょっとはアシュトラルと離れて行動しないとね? 万が一の時も、動けるように訓練するのが学園で学ぶことだからね」
「私には、ヘンリー先輩がキリュウ様で遊んでいるように見えるけど」
「それもあるけどねぇ。だから自分で提案した以上は、フィフティちゃんと組むのはアシュトラルが変な誤解をしないように僕がなるようには操作したけど」
「………それも不正だよ」
「そうだね」
にこっと笑うヘンリーに、マグダリアは苦笑する。
「アシュトラルは唯我独尊。自分が正しいと思えば迷わず突き進む。誰の意見も聞かない」
「………ええ」
「でも、フィフティちゃんに会ってから、自分以外の人に目を向けるようになった。アシュトラルはフィフティちゃんがどんなことをすれば喜ぶのか、そんな事を考えるようになった。アシュトラルを変えたのは君だ」
真っ直ぐに見られ、マグダリアは息を飲む。
茶化さず、真剣な顔で見られたから。
ヘンリーのこの顔は初めて見た。
「だからこそ、君は、アシュトラルの足枷となる」
「っ」
「君は強くならなければならない。アシュトラルの将来、弱点となる可能性がある君が弱いままではいけないよ」
「………はい」
「課外授業は、学園が決めているとはいえ不足な事態に巡り合う場所。前の課外授業のように。それに対応できるようになれば、君は強くなる。だからあえて離させるように進言したんだよ」
笑って止めていた足を動かす。
マグダリアはそれに続く。
「………ヘンリー先輩は、どうしてそこまでキリュウ様を…」
「僕ね、貴族だけど、最下の貴族だって知ってる?」
「………ぇぇ、でもその力をもって今の位置に…キリュウ様の次に優秀と言われ、認められていると」
「今の位置付けにある僕は、アシュトラルのおかげなんだよ」
「え……」
「アシュトラルは、僕に最初に会った時勿体ないって言ったんだ」
「勿体ない?」
「僕も最初は魔力をあまり扱えなくてね。魔力はあるのに魔法下手。勿体ないって言った後にアシュトラルは僕の事を眼中にないとも言ったんだ。話にならないとね。悔しかったから必死に練習して、ようやく認められてアシュトラルの背中を任せられるようになった」
ガサッと音がし、そちらを向くと魔物がいた。
魔力感知で知っていたが、二人とも無視をしていたのだが、あちらからやってきたようだ。
マグダリアは杖を掲げ、魔法を放った。
放ったものは魔物に当たり、魔物は倒れた。
「お見事」
「どうも」
「フィフティちゃんってさ?」
「なに?」
「アシュトラルの前でしか猫かぶらないよね?」
今さら何を言っているんだとマグダリアはヘンリーを見る。
「僕にはおざなりな返事をするからね。一応聞いておこうかと」
「そんなの、キリュウ様に嫌われたくないからの一言よ」
「だろうね。アシュトラルはそんな君を見たいと思ってるのになぁ」
「それも分かってる」
「流暢に話すようになってからホントに口悪いよね、フィフティちゃん」
「出せって言った本人が何を言っているのか…」
マグダリアは呆れた顔をする。
それに笑うヘンリー。
「まぁ、好きな人の前では見栄を張りたいのは分かるけど、そのままならアシュトラルの本当の信頼を得られないと思うよ」
「それも分かっているけど、キリュウ様に嫌われたら、私またダメな子に戻っちゃうから。両親に遠慮して、他の人に対して俯いて……あんな肩身の狭い思いをして…キリュウ様が引き出してくれた私を、もう闇の中に戻しちゃいけないの」
「フィフティちゃん……」
「キリュウ様が恥じるような子に……戻っちゃいけないの…でも、それはキリュウ様がいてくれたから…キリュウ様が見てくれてないと戻っちゃいそうで……キリュウ様がいなくなったら…私……」
マグダリアはそっと目を閉じた。
「………もう、喜びを知ってしまった……傍にいてくれる温もりを…知ってしまった……その原因はキリュウ様と貴方でしょ。別れる前提で付き合わなくていいって言ったから、本性を見せていいって言ったから………私は、戻るのに恐怖を感じてしまう」
「………感じなくていいよ。アシュトラルは決して裏切らない」
「裏切らなくても、離れていくことはあるわ」
「離れないよ」
「………キリュウ様に言われてないわ。ヘンリー様の言葉は安心の材料にはなり得ない」
「そうだね…」
ヘンリーは苦笑し、先を急ぐ。
長話で目的の場所までまだ遠い。
少しペースを上げる。
それに何も言わずマグダリアも後を追う。
二人はそれから会話はせずに目的地に向かった。




