新学期の出会い
これは、私、羽戸村 祐二が高校生の頃の話だ。現在では小児科医の私だが、高校生の頃は順当に反抗期を迎えており、進んだ高校が県内でも有数の進学校だった為に悲しい青春を過ごしてしまった事は今でも非常に後悔している。
だが、もし私が反抗期を迎えていなかったら私は大切な親友に出会うことすら出来なかったのだろうと思う。それはそれで甚大かつ深刻な問題である。
私は彼との出会いから多くを学び、そして現在の小児科医に至るまでは、彼無しでは到底不可能であったといえるだろう。
彼の名はシャーロック・ホームズ。
勿論、本名ではない。だが、彼は多くの者からこの名で呼ばれ、自身でも本名よりもこちらの方がしっくりとくる様だそうだ。ちなみに本名は西山 家厨。
西は麻雀の要領でシャー。山と家はロックとホーム。厨はそのままズと読んでシャーロック・ホームズと半ば強引なもじりである。だが実際、彼の推理は本物のホームズに負けず劣らずの推理力であることは私自身が身をもって体験済みである。
そこでやはり、最初は私が彼とであった話を記そうと思う。
出会いはそう。桜咲く春の季節。高校二年の最初の登校日であった。私の一人称はその頃はまだ俺であった・・・
朝、憂鬱な気分で学校の門をくぐろうとした俺には、遅刻という悲しい事実を突きつけられていた。遅刻といえどもたったの二分程のもので、別に不良のようにわざと遅刻して悪ぶっている訳ではない。
「新学期早々、遅刻とはいい度胸だな羽戸村。言い訳があるなら聞いてやろう。」
と怒りを露にした表情を浮かべた生徒指導の景山が言うのでそれならば言い訳を聞いてもらおうと俺は口を開いた。
「いや~、歩道橋を上ろうとしていたおばあさんがあまりに階段を辛そうに上っていたので、上までおんぶしてのぼってあげてたら遅刻しました。元々ギリギリの時間に家を出たのですが、あれが決定的でしたねぇ。」
笑って誤魔化そうとする俺に対して、そんな嘘付く位なら何も言わん方がましだと言いたげな景山の表情は目を閉じていても容易に想像ができた。
「はぁ。もういい。ともかく後で生徒指導室に来い。遅刻の手続きをしとくからな。こなければ後日草むしりだからちゃんと休憩中か放課後に顔を出せよ。ついでにつくならもっとまともな嘘をつくんだな。」
「景山先生。もしかしたら、彼は嘘などついてい無いかもしれない。」
その男は制服を纏っていることから生徒であることがうかがえ、俺の視界の左外から不意に姿を現した。その男はちらりと俺の外見を一見すると「ふむ。」と間をおいて語り始めた。
「景山先生。僕は今、彼をチラッと一見しただけだが、それだけでも多くの事実を見つけ出した。まずは制服の胸元についた謎の粉。そして、ズボンの左ふくらはぎ側面辺りに集中した汚れ。更にはシャツにしみた汗に不自然に靡いた髪。これらから彼は充分に嘘をついていないと言えるだろう。」
何を言っているんだこいつは。そんな内心の俺はほったらかしで景山はその男の話を「それで?なぜそれだけの証拠でそう言い切れるんだ?」と、ぞっこうさせた。
「まず、シャツに染みた汗。これは簡単でしょう。まだ春とはいえど気温は低く、少し体を動かした程度では汗など出ません。このことから、まず彼は急いで有る程度の距離を走った、もしくは激しく早歩きをしたことが推測されます。いくら汗かきであってもまだ気温の低いこの時期にただ歩いてるだけで汗が出るとは思えませんから。」
これに対して景山は「それで?」と続ける。
「つぎに制服の胸元についている謎の粉ですが、これは恐らく柿ピーではないかと予測できます。ほらっ、彼のシャツの首元らへんにそれらしき破片が。」
と男は俺の首元に手を伸ばし、それらしき破片を景山に見せる。
「柿ピーは美味しいが、ベタベタと引っ付くのが難点だ。だが、今回君はこれで助かったとも言えるな。」
そう男はこちらに向かって語り再び景山に向かって説明を始める。
「さて、何が言いたいかというと、家で食事をしてもし、柿ピーが出たとしてだ、出かける前に制服が汚れてい無いか確認をしないものだろうか、また、親もそれを指摘しないだろうか?そもそも朝、柿ピーを高校生が好き好んで食べるだろうか?僕はむしろお礼としておばあちゃんから貰った。そして、うちの校則ではお菓子類の持ち込み禁止が定められている為、天を仰ぐようにして袋から口へ丁度この様な体勢で一気に柿ピーを口に流し込み食べた。服の胸元の粉はその時についたのだが、焦っていて気付かなかった。と言うほうが正しいのではないだろうか。」
景山は「ふむ。」と彼の説明についていっているようだ。俺は付いていくのがやっとであった。だが、そんなのお構い無しにその男の説明は続く。
「そして、ズボンについている左ふくらはぎ側面に集中した汚れが、もっとも説明力がある。この約三センチほどの汚れが複数ぽつぽつとついていることから、おばあさんは本当に足が悪く杖をついており、おんぶをした際、彼が杖を右手で持ち、その先端が彼自身の左ふくらはぎ側面に当たっていた。だが、丁度ズボンだけを小刻みにかするだけだったので、これまた彼が気付く事ができなかったのでしょう。」
「ほぉなるほど。そして、最後の髪型からは何が読みとれるのかな?」
その男は「あぁ、それはですね。」と言うと俺のほうをみて意地の悪そうな笑みを浮かべて話し始めた。
「僕の観察からくる推理で彼はおばあさんをおんぶして歩道橋の上まで上り、降ろしたあと急いで来たと言うことになるのですが、それにしては髪が整い過ぎている。恐らくこれは家を出る前に整髪料を使用しているからだろうと予測できますし、同時に、整髪料を使っているからこそ、彼の後頭部の右下部分が不自然に靡いている事からもそこにおばあさんの頭があったことを読み取る事ができます。」
景山は「ほほぉ~。」と言って俺の頭頂部へ手を伸ばした。そしてワシャワシャと髪を触ると、にっこりと不敵な笑みを浮かべた。
「恐らくは、今日のお昼にでも感謝の一報が来ることでしょうから、この際、遅刻は見逃してあげてはどうでしょう。その代り、と言っては難ですが、整髪料の件は別件ですので厳重な処罰をどうぞ。」
このとき、俺は自身の放課後草むしり決定よりも、一見冗談に聞こえる真実をさらっと一見しただけで全て的確に言い当てたその男のほうに気をとられてしまっていた。
「あぁ、そう言えば自己紹介がまだだったね。僕は西山 家厨。皆からはシャーロック・ホームズなんて呼ばれてたりもする。」
痩せこけた体つきで酷い猫背の男。彼はそういい残すと校舎の方へと消えて行き、俺はというと景山とのむなしいやり取りの末結局水道で見取られながら頭を洗い、放課後もきっちり草むしりをしたのであった。
だが、ホームズのお陰で遅刻のほうは免れたのであった。まぁ、どうせなら整髪料のほうは黙っていて欲しかった。ついでにその日のお昼には例のおばあさんから感謝の電話があり、俺は少し景山に褒められた。
これが、ホームズとの出会いである。私とホームズが一緒に謎に当たり始めるのはこの一件からは少し間が開くのだ。