少しずつ、積み上げていければ良い
結論から言うと、夕飯のチョイスは最高だった。
野菜がたっぷり入った豆乳鍋のお出汁も、出てきたおばんざいも好みのど真ん中過ぎてびっくりした。
鍋の湯気で眼鏡が真っ白に曇ったりとか、それを外して拭く原島さんの様子に違和感を感じて、伊達眼鏡だって分かって二度びっくりだったりとか、しかもその理由が、ねぇ。
私が眼鏡男子好きだってバレた結果だったりするらしいからどうしようかと思ったよ。
情報提供元、誰だよ。
とりあえずOA機器からの目の保護も兼ねているらしいから、実用性もあるみたいだけど。
「だって優さん、好きなんでしょ? 眼鏡男子」
って真顔で訊かれた時はどういう回答が正解なのか本気でフリーズしちゃったよ。
お酒入ってたから、たぶん多少は酔っているんだろうとは思うけどね。
いや、別に隠さなきゃいけないようなことじゃないけどさ。
男どもが胸だの尻だの脚だの言ってるのより健全だと思うけど。そもそも体のパーツじゃないし。
セーフだよね? アウトだったとしても私の知ったことじゃないけどね!
むしろアウトなのは原嶋さんの方だと私は声を大にして言いたい。
だってさ、眼鏡、私が好きだからって理由だけで作ったとか言い出したら本気でアウトでしょ。
何その恋する乙女も真っ青な謎理論。
しかも無駄にイケメン度かさ上げしてるのが質が悪すぎるでしょ。
ちょっと冷たい系の頭脳派男子がメタルフレーム(いぶし銀)を装備とか、勇者にエクスカリバー持たせたレベルの最終完成系以外の何でもないでしょ?
似合い過ぎなんだよ、コンチクショウ!
私をキュン死させる気かって、初めて見た時に思ったのは間違っても原嶋さんには言えない。
折角、顔面の筋肉と培った社会人スキルを駆使して平静を保つことに成功したのに、今更暴露してたまるか!
「一石二鳥」
涼しい顔をして、唇についたお酒を舐めながら呟いた原嶋さんに、私は自分の敗北を悟った。
だから誰だよばらしたの!
「隠してるつもりかもしれないけど、バレバレ。だってさ、一番知りたい反応を見逃すはずないよね?」
ニヤリ。ちょっと黒い感じの笑みが、私のチキンなハートを撃ち抜く。
って、私か!
むしろストレートにもろバレか!!
やっぱりこの無駄に有能なイケメン、勝てる気がしない……。
もう嫌だ、心臓に悪い。
お鍋と少量のお酒の効果以上の何かで、全身から発火しそう。
思わず両手で顔を覆った私の手を、原嶋さんが掴む。
「はぅあ……」
強制的に手をどかされて、顔を覗き込まれる。
いやいや、強引だよね。
確かに個室だから衆目はないけどさ、グイグイ来るよね、わざとか!
「良い感じに赤いけど、お酒のせいじゃないよね?」
「っあ、お酒のせいです! お酒のせいですとも!!」
思いっきり動揺が乗りまくった声色に、自分でもあまりの説得力のなさに更に体温が上がるのを感じる。
何これ、どういう羞恥プレイですか?
何そのイイ笑顔。腹黒か?!
思わず涙目になってきたあたりで、原嶋さんが堪え切れなくなったらしく笑い出す。
私、いい加減いいように弄ばれてるな。
完全に掌の上でコロコロされてるでしょ、これ。
「相変わらず、いい反応するなぁ。……癖になりそう」
笑いながら呟かれた言葉に、視線に含まれる熱に当てられて心臓が跳ねる。
思わず目の前にあった頭に手を伸ばし、髪に触れた。
整髪料で固められた髪の毛の固い感触を、指先で感じる。
この髪に指を埋めて乱したら、あなたはどんな顔をするだろうか。
不意に、その表情を見てみたくなった。
「優さん?」
思い掛けない私の行動に、原嶋さんは目を瞬く。
ぐしゃぐしゃと手を動かして整えられた髪型を崩す私に、原嶋さんの目が丸くなる。
何の意味もないはずのその行動に、怒るでも咎めるでもなく、されるがままに指の感触を味わうかのように目を閉じて肩の力を抜く。
意外なような、想定内なような、不思議な感覚に自然と笑みが浮かぶ。
あなたに触れていることに、それを許されている事実に、こんなにも心が温かい。
こうしていると、嫌でも気付く。
今までずっと、欠けた虚ろを抱えていた自分自身に。
心の一番中心、深くて重要な部分に空いた穴が、じわじわと私を侵食し続けていた虚ろを、あなたは満たしてくれるのだろうか。
ありとあらゆる言葉を、願いを、約束を、思いを詰め込んでも埋まらなかった穴をあなたの存在は埋めてくれるのだろうか。
もしも、そうだとして。
あなたの存在を失ったら、私の心は今度こそ粉々になってしまうのではないかと。
振り払っても湧き上がる怯えが、私の手を止める。
「髪の感触は、気に入った?」
「あ、ごめんなさい。乱れちゃいましたね」
笑いを含んだあなたの声があまりにも温かだから。
私は、その温もりを逃さないために何事もなかったかのように微笑む。
息をつく間に、瞬きをする間に、心を整える。
痛みに触れさせることがないように。
傷つけ合うことがないように、触れられたくない傷を、隠す。
そんな私に何を思ったのか、あなたは何を言わずに私を抱き寄せて、やんわりと軽い力で抱き締める。
その気になれば振り払えるような抱擁に、私は身を固くしたまま思う。
私の心に根を張ってしまった恐怖は、どうしたら消すことが出来るのかと。
きっと、こんな感情さえも見透かされているのだろう。
全てを分かるはずなどないのだろうけれど、それでも私が心の深い場所で全ての他者を等しく拒否し続けていることを、原嶋さんは感じているはずだという確信があった。
それでも無理やり踏み込むことなく待っていてくれると分かる距離感に、わずかに肩の力が抜ける。
少なくとも今はまだ、この関係が壊れることはないのだろうと。
それが、その事実がゆっくりと心に染み込む。
「少しずつ、積み上げていければ良いと俺は思っているから」
腕をほどかれて思わず見上げたあなたの目は、温かな光を宿して微笑みの形に細められていて、それだけで私は、少しだけ自分のことを許しても良いような気がした。




