あなたがいてくれるから、
一瞬、頭が真っ白になった。
行手を遮るように現れた相手に、笑顔のままフリーズする。
「原嶋かちょー、奇遇ですねぇっ!」
何も反応出来ずにいる私もマルっと無視して、駆け寄って来る相手を思わず凝視する。
アレは、確か藤川さんだっけ。確か、陰険女子トイレーズの一角。
宮下さんの友人という名の同類ちゃんだったはず。
うん、ケバい系便所おん……すみません、自重します。
「藤川さんと、飯田さんと、寺崎さん? お疲れ様、本当に奇遇だね」
スッと半歩横にズレてさり気なく相手の視線から私を庇った原嶋さんの動きに、我に返る。
意識して形作られている優しげな笑顔と声色に反して、背中が強張っているのを感じて、冷静になった。
「わたしたちもぉ、これからゴハン行こうって話しててぇ、一緒にいかがですかぁ?」
相変わらずねちっこい、全力で媚びる口調と声音と存在の全てに、思わず背筋が伸びた。
女の敵は女と言うけれど。
この、女の敵め!
あんた達みたいなのがいるから、女性の地位が上がらないのよ!って、何度思ったことか。
楽して旨みを得ようとするこの手の子たちに、何度となく仕事を押し付けられ、下らない嫌がらせをされ、濡れ衣を着せられた。
自分自身の怠惰と無能さを隠蔽するために男に媚び、女を陥れる女がいるからいつだって真面目に頑張っている人間が割を食う。
だけど私は、泣き寝入りなんてしないと誓ったから。
「あら、お久しぶりです。皆さんお元気そうで何よりです」
原嶋さんの横をすり抜けて、出来るだけ余裕そうに見えるように背筋を伸ばして立つ。
ヒールを履いた私は、右側から順番に視線を合わせて見下ろす。
どの子も、小作りで可愛らしいこと。
精一杯思わせぶりに、余裕たっぷりに微笑んで威圧する。
パワハラだと騒がれない立場というのは、非常に気分が良い。あの会社を辞めて良かったと、改めて思う。
傍らに立つ原嶋さんの腕に、フリーズしたままの3人に見せつけるように腕を絡めて、見上げる。
「柾志さん?」
首を傾げて見せた私に、原嶋さんは心底楽しげな笑みを浮かべた。
実は私、やられっぱなしは性に合わないの。
だけど貴方のお気に召したようで、何よりです。
後はお願いしますの意味を込めて、ニッコリ笑みを浮かべる。
原嶋さんは小さく頷いて放置されっ放しの3人に向き直る。
「ごめんね。俺は仕事以外の時間は、自分のために使う主義なんだ」
呆気に取られて立ち尽くす3人に向けて、原嶋さんは実に爽やかに言い切る。
仕事以外で関わる気がないことを、ハッキリと名言。
この手の人たちはご都合主義だけど、伝わるかな?とかチラッと思ったけれど、表情がビックリ顔から微妙に変化して愕然顔になっているから、伝わっているみたい。
さすがデキる男。このスッキリ感、惚れ惚れするわ!
ま、事実を受け止めて信じるかどうかは不明だけど。
「やっと口説き落とせたんだから、感謝しないとだね。……じゃ、川原によろしく」
爽やかなはずの微笑みが、氷の微笑みに変化する瞬間を体感しました。
わー。ブリザードの幻が見えそう。ダイヤモンドダストが綺麗だわぁ。
それにしても、トイレーズにどっから漏れたのかと思ったら、そこかい!
相変わらずユルイなぁ。そしてチョロいんだろうなぁ。
だからモテないって、そろそろ気付いたら良いと思うよ、川原さん。
それはそうと川原さん、明日無事かなぁ。
だけどそもそも口は災いの元って事で、身から出た錆ですねー。そうですねー。
うん、裏切り者は罰しよう!
やっちゃってください、旦那!!
心の中で全力でサムズアップしながら、原嶋さんを見上げる。
瞬間解凍された微笑みに小さく頷いて、踵を返す。
「それでは皆さま、ごきげんよう」
思いっきり相手の神経を逆撫でするために、あえて選んだ芝居がかった言葉はクリティカルヒットした模様で、トイレーズは般若の形相で顔を斑に赤く染めて睨み返してきた。
会心の反撃がバッチリ決まった様子に、思わず笑みが漏れる。
私はこの先も、ずっと彼女たちが嫌いだし、あちらも同じだろうと思う。
嫌いなものは嫌いです。悪しからずご了承ください。
「……ごめん」
ただ遠ざかるためにだけに宛もなく歩いていると、不意に原嶋さんが小さく呟いた。
「俺が不注意だったばかりに、嫌な思いさせたね。本当に申し訳ない」
立ち止まった私の前に、深々と下げられた頭。というか、つむじ。
目の前にあると、何でか押したくなる。
しばらくぼんやりとつむじを見ていると、沈黙に困惑した様子の原嶋さんが頭を上げて私の様子を伺う。
「なんで、謝るんですか?」
チャプチャプと、小さく音を立てて揺れる黒い水面が夜景の光を映し込んで時折煌めく。
ここからは、喧騒も少しばかり遠い。
私の言葉に困惑する原嶋さんと、2人。
思わず斬り込んだ体になった言葉に、もう少し柔らかな物言いが出来ないのかと自分でも内心頭を抱える。
思っていたよりもずっと、緊張していたらしい。
相変わらず、誰かと渡り合うのは苦手だ。
必要だと分かっていても、不毛に傷付け合い、探り合い牽制し合う、そういう遣り取りはどうしても好きになれない。
それでも、ひとつだけ分かったことがある。
「私は、良かったって思ってます。だって、私、しっかり言いたいこと言えましたし、案外スッキリしてるんです」
私の言葉に、ゆっくりと原嶋さんは瞬きを繰り返す。
「やられっぱなし、言われっぱなしなんて、悔しいじゃないですか。……だけど、あの時は言い返せなかった。やっと言えたのは、原嶋さんのお陰です」
暗闇の中で、じっと見つめ返してくる瞳にどんな感情が浮かんでいるかなんて、私には見えない。
でも、私に分かっているのは。
「あなたがいてくれるから、私は悪意に負けない自分でいられる」
あなたの手を取ると決めた時から、私は、簡単にへし折られて踏みにじられる存在になんかならないと決めたから。
あなたがそうであるように。
「だからお願い、謝らないで」
しっかり背筋を伸ばして言い切った私に、原嶋さんは小さく息を吐く。
「……ヤバイ、痺れるなぁ」
そう言って原嶋さんは、心底楽しそうに笑った。
ご飯がひたすら遠い。。。




