泣かせてばかりだね。
手にした紙袋を持ち上げて、手首を捻り、首を傾げてから手を下ろす。
それだけの動作をさっきから何度も繰り返している自分自身に、ふと苦笑する。
友人との待ち合わせだと平気で30分は遅れるのに、気の持ちようというものは偉大だ。
重度の万年遅刻魔の私が、早めに到着して待ちぼうけとか何の冗談だと、付き合いの長い友人には感心されるか笑われるか、それともその両方か。
間違いなく、私は浮かれていると思う。
年甲斐もなくと、笑われても。
その誰かに私の人生を笑う権利なんてないと思う。
要するに。
浮かれて、何が悪いのだと。
この日の私は珍しく開き直る気分になっていた。
不意に、手の中で携帯が震える。
「はい」
「あ、ごめん。今どこ?」
ん?
なんか、聞こえ方おかしくない?
携帯越しの声が、何だか妙に近く感じて思わず首を傾げる。
「ええと、崎陽軒の売店の前に居ますけど」
「ん?俺もそこ居るんだけど……あー、分かった。そのまま動かないでね」
What?!
「あー、やっぱり!」
二重に聞こえた声に思わず顔を上げれば、スマホを耳元から離しながら笑う待ち人。
「俺さ、10分ぐらい前からずっと待ってたんだけど、もしかしてその前から居たよね」
頷いた私に、あなたは破顔一笑。
見たこともない無邪気な笑顔に、言葉が続かなくなったのを誤魔化すように口の中で呟く。
これ、絶対顔の赤さはトマト級。うへぇ。
根暗系ニートの赤面顔って、誰得ー。
うん、イケメン様のご尊顔は文字のまんま尊いですが。
うん、尊い。イタダキマス。もうお腹いっぱい、胸いっぱい。
だから腹が出てる訳でも胸部が分厚い訳でもありませんけど何か?
そこの女子、チラ見しない、ヒソヒソしない。クスクスは以ての外だ!
私の視線が微妙に自分から逸れていることに気付いたらしい無駄に有能な元上司様が、すすすっとさり気なく視界の真ん中に入り込んで来る。
何その動き。
忍者か?
それとも、写りたい系男子か?
あ、いや、ごめんなさい。
ちゃんと会話しますよ?
だから、お願い、公衆の面前でそれ以上密着しようとしないでください。
「ええと、気が付きませんでした」
若干仰け反った私の動きに満足した様子で、前のめりだった姿勢を元に戻す原嶋氏。
「うん。っかしーね、俺たち。柱のあっちとこっちで待ってるとか、漫画かって思ったよ」
何事もなかったかのように会話を続けるその心臓強すぎでしょ、って、違うか。
焼けない体質らしい原嶋氏の、白い肌がうっすらと赤い。
多分、きっと、間違いなく。
良い歳の社会人が揃いも揃ってくだらないミスをするほどには、緊張して、いっぱいいっぱいで。
心をふわふわとくすぐる感情に、笑みがこぼれる。
私と同じか、それ以上にあなたが緊張していることに、不意に泣きたくなるぐらい安堵した。
嘘でも勘違いでもないことを必死に確認しながら、真っ暗な道をソロソロと歩むように存在する私に、気がついたりなどしなくて良い。
いつか、この時間が潰えたら。
私はきちんと笑ってこの手を離せるのだろうか。
信じ難いほどの深い傷を負ってもいつしか、何事もなかったような顔で生きていけることを私は知っているけれど。
その傷は些細なきっかけで叫び出したいほどの痛みを伴って開くことがあることも、私は知っている。
あなたは、私に何をくれるのだろう。
私は、いつからか人間関係に痛みと苦味しか感じなくなってしまったから、それ以外のものを今更思い出せないけれど。
だけど、勝手に期待してしまう自分を必死に抑え込みながら。
私の心はあなたの方向に否応なしに傾いていく。
馬鹿みたい。
本当に、馬鹿みたい。
馬鹿みたいで、とても、本当にとても、幸せだから。
だから、いつかこの時間が私の消えない傷になっても、私は。
私は、泣いてもいいと思う。
今、あなたの前で笑えるなら。
「さて、何食べに行こっか?」
「原嶋さんは、何食べたいですか?」
当たり前のように手を取られて、その温かさにいつの間にか自分が冷え切っていたことを知る。
「冷たっ。……うーん、何かあったまる物とかが良いかな」
同意を求めるように視線を向けられて、遠い目になる。
そういえば、私ってば原嶋さんの好きな食べ物ひとつ知らないじゃん!
安定の地を這う女子力乙。
っていうか意味不……ふふふ。
こういう時ってどうやって会話繋ぐんだっけ。
どうしよう、言語能力が死滅していま〜す。
ここまでの内容を瞬時に心の中で叫び終えて、現実へと強制帰還する。
「えーと、えーとですね。私は基本好き嫌いないので、何でも大丈夫ですけど」
だからお願いです、そんなに見つめないでください。
穴開きますっていうか茹だります。
「うん。……ごめん、本来の目的を忘れそうだから、どっか移動しようか」
一瞬、呟かれた言葉に何か引っ掛かりを感じたけれど、引かれる手の大きさに、意識も引っ張られていく。
女性としては大きい私の手を、すっぽり握り込んでしまう大きな手。女性の手とは、厚みも骨格も違う。
そんな些細なことにふと泣きたくなる私は、ちょっと、だいぶ変だ。
「泣かせてばかりだね」
立ち止まったあなたに、そっと頰を擦られて。
その指先が拭っていく濡れた感触に、自分が泣いていることに気づいた。
私には、自分の心がよく見えない。
幸福なのか、悲しみなのか、恐れなのか。
何が私を涙させるのか、それすらも私には、よく分からない。
あなたはとても綺麗に微笑むのに。
私の心は笑い方を忘れたままなことに、私は愕然としたまま立ち竦んだ。




