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よろしいですよね?

 込み上げて来る薄いインスタントコーヒー臭がする空気を飲み下しながら、私は待ちくたびれて死んだ魚のような気分になっていた。

 到着から40分。

 そろそろ悪い方向性の想像で、胸焼けしそうだ。

 帰っちゃダメかなぁと、本気で腰を浮かしかけた私の考えを見透かしたかのように会議室の扉がノックされる。

 応答する間もなく扉が開かれ、慌てて姿勢を正す。


「あ、どうもー。ごめんね、待たせちゃって。事務所長、まだ来客が終わらなくて。あ、私事務局長のカメヌマです」


 目の前にぬっと出て来たおっさんに、半分閉じかけていた目が全開になる。

 でかい。

 そして、てっぺん付近の輪郭が眩しい。

 なんか頭頂部のヌメッとした光り方が何とも言えない。何の根拠もなく、黒い悪魔のぬめり方を思い出す。

 胡散臭い笑顔と、妙に威圧感のあるがっしりした体格に何となく距離を取りたくなる。

 ん? カメヌマ? カメヌマってどういう字、書くの?

 カメヌマっていうより、カメヌメ……なんか、絵面(えづら)にすると途端に卑猥な感じになる気がするの、気のせい?

 ……オエ~ッ。想像してしまった。

 この人、生理的に苦手だ。

 なんつーか。

 あれだ。

 なんか、海坊主っぽい。そう、海藻に紛れて海に棲んでる妖怪っぽい感じの。

 上手く説明できないが、人間じゃない系の妙な生臭い感じがあるのだ。

 っていうか、事務局長って何? 事務所長とどう違うのさ。紛らわし過ぎて意味不。

 一瞬思わず顔に出てしまったのか、亀沼氏こと海坊主がわずかに身を引く。


「ああ、すみませんねー。お待たせしちゃって。総務課のシロナガです」


 海坊主氏の後ろから、妙にぷにっとしたフォルムのおじさんが出て来る。

 シロナガって……以下略。

 シロナガさん。見た目の柔らかさを裏切る、感情のこもらない死んだような目が印象的。

 このおじさんに位置取り譲っただけか。あぶなっ。

 つーか、私の扱い雑だな!

 いや、勝手に呼び出しといてこれだけ待たされた時点で知ってたけどさ!!


「はじめまして。坂上優子と申します。こちら、ご指示のありました履歴書と職務経歴書です」


「ああ、私の方でお預かりします」


 すかさずシロナガさんが受け取ってくれて、私は内心ホッと息を吐く。

 これである意味目的は達したし、いつ帰っても文句を言われるような筋合いはないと思う。

 ここでそう思った自分が甘かったと、私はすぐに思い知ることになった。


「事務所長にお渡しして来るので、もう少し待っていてください」


「ああ、コーヒー用意するように言っておいて」


「分かりました」


 当然のように私の対面に座ったカメヌマ氏の言葉に、貼り付けた笑顔を崩さなかった自分を褒めたい。

 またあの死ぬほどまっずい悪夢のようなインスタントコーヒーフレーバー的お湯を飲まされるってこと?

 って思ったのは、笑顔で飲み込みましたとも。

 緑茶で良いです、本気で緑茶で構わないから!って言えたら良かったのにさ。

 無理だよね。知ってる。

 だってなんかさ、目の前でコーヒー出すのは特別な客だとか、このコーヒーカップはそれなりの品だとかしゃべり続けてるんだもん。

 これ、完全に断れないフラグじゃん!

 だけどさ、それなりの品って何?

 どう見てもウェッジウッドとかミントンとか、そういうのじゃなさそうだけど?

 一般的な国産品、例えばノリタケさんとかですらなさそうなんだけど。

 反応に困り、当たり障りなく口元を隠しながら控えめに微笑んだ私に、カメヌマ氏は満足そうな笑みを浮かべる。


「いいね、上品そうな感じだね」


 相手の反応に虚を突かれた私は、一瞬動きを止める。

 ……それってどういう反応なの?

 この場合口元を隠しているっていうことは、意図して表情を隠しているってことだよ?

 他意があります、っていう婉曲な意思表示を読み取れないのか。そうか。

 どうしたもんかな。

 考え込んだ私の思考を断ち切るように、シロナガさんがノックと共に入室して来る。

 さっきも思ったけど、ノックしてから入室が早いな。

 気にしても仕方ないけど、色々と違和感が積み上がっていく。

 この人たちとは、きっと常識が違う。

 その思いに蓋をして、私は無理矢理笑みを浮かべ続ける。

 我慢だ、我慢。

 全てはお父さんの顔を立て、母上を安心させるため。

 そして、原嶋さんにプー太郎を恋人としてご両親に紹介させないため。

 そのために、ここにいるんだ。

 自分のためじゃないとはっきりしていれば、我慢できる。

 私は、膝の上で組み合わせた手を色が変わるほど握り締めた。


 ワガママヲ、イッテハイケナイ。

 オマエニ、センタクケンハナイ。


「ありがとう、ございます」


 込み上げてくる吐き気を飲み下して、笑う。

 出来るだけつまらない人間に見えるように軽薄な笑みを浮かべ、相手を満足させるために笑う。

 まだ、大丈夫。

 これぐらいなら、平気な顔で乗り切れる。


「お待たせしましたー。事務所長が、今なら良いらしいので」


「え? お客は? 帰ったの? あっちも急に呼び出したんでしょ?」


「別件で、打ち合わせしてから帰るらしいんで」


「大丈夫なの?」


「問題ありません」


 カメヌマ氏とシロナガ氏が、目の前で堂々と全然大丈夫じゃなさそうな現状を晒し中。

 いや、それって呼ばれてきてみたら予定がバッティングしたからって追い返される羽目に陥ったから、自分を押しのけた相手を見てやろうって話じゃないの?

 全然大丈夫じゃ無いヤツじゃん!

 内心のツッコミを表面に出さないように笑顔の仮面を張り付けながら、あまりの事態に心の中で帰りたいコールが鳴り止まない私。

 原嶋さん、本気でろくでもないんですが、まだ私、最終目的地に到達すらしてないんですけど!

 私に拒否権ってないんですよね?

 むしろ家を出る前に、母上に粗相がないようにって念押しされて出てきてるんですけど!

 無理無理無理無理。

 この職場だけはイヤだ!

 他を紹介してくれるんじゃなかったら、本気で嫌過ぎる。

 帰らせてぇぇぇぇ~。


「事務所長、失礼します」


 事務所内の全ての人の視線を集め、さらし者になりながらパーテーションで区切られた簡易迷路みたいな通り道を通って短くて長い時間を掛けて辿り着いた、事務所長の執務室らしき部屋の扉をノックしたカメヌマ氏の後ろから恐る恐る室内を覗き込み、私はとっさに無の境地に至った。

 無駄に立派な、木製の重厚な執務机の向こうに、なんかちっちゃいおじさんが座っている。

 無駄に偉そうな革張りの椅子に埋もれている、そのサイズ感に是非ご注目いただきたい。

 顔面は、ガ〇ツ石〇氏と凶悪犯を混ぜ合わせて割らなかったみたいな、強烈な印象の凶悪ジャガイモ的おじさん。

 精一杯ふんぞり返って大物感を演出しているが、明らかに足が下についていない。


 ………シーン。


 あ、うっかり想定外の事態に放心して挨拶忘れたせいで妙な間が開いちゃった。

 だって、絵面が。

 凶悪ジャガイモ顔のリアルハンプティダンプティとか、全力でマザーなグース案件ですね。

 やばい、さっきまでの状況をスコンと忘れて、顔が思わず変な具合にニヤケそうになる。ぷくく。

 全力でメンチ切って来るけど、全然怖くないんだけどー。


「恐れ入ります。本日はお時間をいただきまして、ありがとうございます。坂上優子と申します」


 外面を念入りに貼り付けて、にっこりと微笑む。

 背筋を伸ばし、美しいと就職指導の先生に絶賛された完璧なお辞儀をする。

 私は、これよりももっと怖い存在を知っている。

 だから、あなたを恐れてなんかやらない。

 深々とお辞儀をして顔を上げた私の前で、凶悪なハンプティダンプティが顔を上気させて放心している。

 狙い通りだ。


「この度は、就職先をご紹介いただけるということで、有難く万事繰り合わせて参りました。お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」


 紡ぎ出す言葉にこれでもかとまぶされた嫌味を理解できない人間など、恐れるに足らないのだ。

 上辺だけの笑顔に隠された真意を見抜けなければ、しゃぶりつくされる恐怖を味わったことなどないのだろう。

 奪われるものを持たない、ある意味羨ましい人たち。

 だけど、この人たちの目には、私こそが何でも持っていてこの上もなく恵まれた、美味しそうなご馳走に見えるのだろう。

 きっと、分かり合えない人たち。

 だけど、今だけ乗り切ればただの通過点として通り過ぎるだけの人たち。


「そのことだけど」


 凶悪なハンプティダンプティの視線が泳ぐ。

 とても、非常に、この上なく嫌な予感がする。


「君のことは、ここで引き取ってやることにしたから」


 は?

 ……は?

 ………はぁっ!?


 馬鹿も、休み休み言えよ!


「どこも君の引き取り手がなかったんでな、有難く受けるように。カメヌマ君、条件説明しておいて」


「お言葉ですが、最初の話と違うのではありませんか?」


 カメヌマ氏が言葉を発するよりも早く再起動した私が反論したことに、事務所長が目を剥く。

 反論など思いもよらなかったかのように。


「俺の顔をつぶす気か?」


 声を抑え、それでも凶悪な顔を歪めて凄む事務所長のことを、私は妙に醒めた気分で見下ろしていた。

 恐らく、彼の周りにはこうして抑え込める人間しか存在しないのだろう。

 それでも、どうしてか凄んでいる彼の方が追い込まれているようにしか見えない。


「そういうことではありません。ですが、それでは前提条件自体が覆るかと思います。父から聞いていた話とは違うようなので、父にも相談いたしませんと、私の一存ではお答えいたしかねますので申し訳ございませんが少し時間をいただきたく……」


 言葉を切り、深々と頭を下げる。

 こうすれば、大抵の表情は隠れる。

 不満も苛立ちも、隠してこその社会人だ。

 だけどさ。

 本音を言おう。

 こんな、人の時間を割かせることを何とも思わない、約束を違えることを何とも思わないような人間は、相手にする価値もないと思うんだ。

 ここで屈しても、良いように毟られる未来しか見えない。

 今すぐソッコーで断りたいが、最低限父の顔を立てる自分は配慮が出来る良い娘だと思う。

 っていうか、親父殿案件は相変わらずろくでもないな!

 人が良いにもほどがあるでしょう、お父さん!!


「よろしいですよね?」


 にっこりと、しかし一歩も引かない意志を込めて微笑む。

 多分、この攻撃は有効なはずだ。


「あ、ああ。仕方がないな」


「それでは、今日はこれで失礼いたします。お時間をいただき、ありがとうございました」


 かなり腹が立ったので、思わず笑顔で凄み返す形になった私に気圧された様子で、ハンプティダンプティ氏が後ろに控えたままのカメヌマ氏に顎をしゃくる。

 指示の仕方まで、小者臭がプンプンするんですけど。

 席にすらつかず、踵を返す私をあっけに取られた様子でカメヌマ氏が見る。

 無作法だと思われようが、知ったことか!

 私は内心最高潮に不貞腐れ、開き直った気分になっていた。

 そのまま、慌てて出て来たシロナガ氏に先導されて謎の通路を抜け、入り口までたどり着く。


「あ、そうでした。私の履歴書と職務経歴書もご返却ください。必要でしたら、再度用意いたしますので」


 大切な書類を、忘れずに取り返す。

 笑顔に圧を加えれば、弾かれたようにシロナガ氏が走って行って取って来る。

 あなたに恨みはないけど、今の私は本気でムカついている。


「それでは、失礼いたします」


 もう、呼び出すなよ。

 お前ら全員、豆腐の角に頭ぶつけてなんとやらだ!

 心の中で親指を首に突き付け、勢いよく横に引く。

 そんな感情を隠すために、私は笑顔で深々と頭を下げた。

 目の前で、あれだけ開けたくなかった扉がやっと閉まった。

 どうかこれで縁が切れますようにと、鎌倉付近の古刹に向かって全力で祈っておいた。

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