普通、ドキドキするでしょ。
いつの間にか設置されたクリスマスツリーの前で、待つ。
今回は遅刻しないように、携帯片手にお互いを待ち続けないように、時折周囲を見回しながら待つ。
いつぶりだろう、誰かと待ち合わせなんて。
待つ時間が幸せだと思ったのは、どれぐらいぶりなのだろう。
ちょっとだけ、感傷的な気分になる。
人と会うことを楽しめたのは、いつまでだったのか思い出せない。
気づいたら人を避け、付き合いを断ち、手帳の予定が真っ白になっていた。
忙し過ぎて、毎日起きるトラブルに対処するだけで精一杯だった。
私にとって生きていくことは、果てしない砂漠をたった一人で歩いていくことに等しかった。
光も、水も、食べ物もない、ひどく寂しくて乾いた世界を果てしなく歩く。
終わりの見えない旅路は、ゆっくりと確実に、私の心を蝕んでいく絶望そのものだった。
友人もいたはずだった。趣味もあったはずだった。
だけど、気づいたらほとんどの関係を自分で断ち切っていた。
ひとつひとつ、断ち切った関係には理由があって、間違っていないと今でも思うけれど、気づいたら私の世界は閉鎖されて孤立していた。
あなたがいなければ。
振り払った手を、それでもつかんでくれる人がいなければ、私は今も、果てしなく暗くて孤独な道を、まるで罰のように黙々と歩き続けていただろう。
その苦痛さえも、感じる心さえなければないのと同じだと自分自身に言い聞かせながら。
あなたに、気づかされてしまった。
暗い方へとフラフラと歩いていく私は、それでも光を求めて手を伸ばしていたのだと。
伸ばした私の手を包み込むあなたの手は、大きくて、泣きたくなるほど温かだった。
私は、私自身を哀れんだりしないと決めたけれど。
ふと気づくと耐え難くなる孤独ぐらい、誰だって抱えているのだろうと思うけれど。
心にザックリついてしまった傷は、そこからありとあらゆる希望や気力を流れ出させて失わせる、私にとっては致命傷に等しい傷だったのだと最近気づいた。
ひとりでいることに慣れ切って、麻痺した感覚ではわからなかった。
この傷は、自分自身では治すことが出来ないのだと。
あなたが傷ついて、誰かを必要とした時に気づいたのが、私で良かった。
私は神様なんて信じないとずっと前に決めたけど。
もしも運命というものがあってそれが今の私に繋がっているのだとしたら、珍しく感謝しても良いような気分になっていた。
色を失った世界は、あなたがいるだけで再び華やぎ始めるから。
私は、自分自身が生きている今という時間をもういちど尊べる気がするから。
人混みからあなたを見つけ出して、私は笑顔になる。
生きている感覚を、私は思い出す。
「随分早いね。俺の方が絶対先だって思ったのに、残念」
全然残念じゃなさそうに柔らかな笑顔で微笑む原嶋さんは、今日も文句なしに素敵だ。
流石に、気合が入っている。
スーツにも、ネクタイにも、よれや乱れなんかないし、髪も丁寧に撫でつけられ、例の伊達眼鏡も綺麗に磨かれて、いぶし銀がいつにも増して艶やかに感じられる。いぶし銀なのに。
濃紺のスーツに、白いシャツ、濃紺の地にモノグラムが染め抜かれたネクタイ。白、ブルーグレー、黒。散りばめられた文字の色を何気なく追う。
色数少なくまとめられたスタンダードで、抑え目な装いに、高好感度間違いなし。鉄板だと思う。
年齢相応の、落ち着いて知的な印象を引き立てる服装。
流石だと思う。本当にため息が出そう。
靴はスタンダードな、黒革のビジネスシューズ。紐靴で、もちろん尖っていない。
磨き抜かれた艶が、ホテルの床に映える。
360度隙なく纏められた、いかにも仕事が出来そうなザ・ビジネスマンって感じ。
対して私は、細かい白と黒と灰色のチェックの、遠目には灰色っぽく見えるワンピース。
シンプルで、そのまま参観日だって行けそうな優れもの上品ワンピに、黒のパンプス。
お散歩ぐらいはするかもしれない可能性を考慮して、パンプスはベルト付きにした。疲れにくいの、大事。
黒い金具がついたちょっとカジュアルな水色のハンドバックにバルトをつけてショルダバックにして、灰色のウールのコート。
取りあえずお出掛け仕様です。
「うん、優さんのビジネスでも普段着でもない服装ってなんか新鮮」
「原嶋さんはなんか、変わりませんね。いつも通り出来る男って感じで落ち着いてて、なんかちょっとズルいです」
「まぁ、男なんてそんなもんでしょ。キチンとした服装しようと思ったら、大していつもと変わらなくなっちゃうよね。でも、服装はともかく、良い歳の大人が待ち合わせ30分前に来ちゃうぐらい俺的には浮かれてるんだけど。……でもそっか。普通に見えるんだ。へーぇ。ふーん」
ニヤッとちょっと黒い笑みを浮かべる原嶋さんが何を考えているかなんて、私にはよくわからない。
私にわかるのは、こういう余裕そうなところが、悔しいことに無駄に有能そうで頼もしく見えることだ。
私にはない部分に、不覚にもときめく。
あ、別に悪いわけじゃないか。
ってなんか、混乱してきた。
「そういう優さんは、余裕ないの? 地元で、これから打合せする時間があって、その後自分の親と会食なのに?」
興味深そうに、面白いものを観察している風に言い募ってくる原嶋さんは、やっぱり微黒だと思う。
眼鏡系腹黒紳士。
何それ大好物ですけど、素なんだよね?
「普通、ドキドキするでしょ。だって未経験ですからこんなシチュエーション」
そう。
完全な干物系お局と化していた私は、親に恋人を紹介するなんていうイベントすら経験がないのだ。
これは、母上に「だから女子大に行くのなんてやめなさいって言ったのに」っていう、恒例イベント的お小言の具になるヤツだ。
「えぇー……とか言っといて、俺もこういうちゃんとした席設けられたの初めてで緊張してます。たぶん、これから落とせない難しいクライアントのコンペ行くっていう時より、緊張してるかもね」
そう言ってフッと笑った原嶋さんの目が、優しい。
私は、この人のこういう何気ない気づかいが出来るところとか、本当に好きだなって思う。
私を全力で弄りに来ているちょっと意地悪なところも含めて。
「じゃ、行こうか」
「はい」
さりげなく取られた手が、ちょっとだけ汗ばんでいたのは多分、暖房のせいじゃないと思う。




