それのどこが悪いのか、良く分かんない。
「ただいま〜」
家まで送るというのを固辞して、バッチリ連絡先を交換させられた上に名前の後に(彼氏)とまで付けられるに至って、ちょっと早まったかもと思う自分は間違いなく照れ隠しです、ごめんなさい。
本音では、私みたいな人間にそこまで執着されることに畏れ多いやら、嬉し過ぎてどうにかなりそうです。
このお花畑っぷりが恋愛脳というものなんですね。
これ、間違いなくなんかの異常状態だと思う。
前にテレビでそんなことを言っていた脳科学者さんの言うことが、今なら身に染みて分かる。
「お帰り〜。って、何その顔。何かあったの?」
「うん、買い物してたら無駄にイケメンな誰かさんに遭遇した」
色々と顔がおかしいのは自覚しているから、自重しようか、母上。
って、まだ特に何も言われてないか。
うん、間違っても、年甲斐もなくマジ泣きして致命的に腫れ上がった目をしているくせに、頰を染めてぼんやりと薄桃な空気振りまいているとか、言われてません。ただの被害妄想です。
「無駄にイケメン?」
「そう、無駄にイケメン」
「え、どこ? 私も見たいんだけど」
慌てて私を押しのけてサンダルを履こうとする、無駄にアグレッシブな母上の服を掴んで引き止める。
何気に素早いな、この人。
「いないから。駅から自宅に直行してるはずだから、そこら辺にはいないから」
「えー」
本気で残念そうに口を尖らせる母上。
可愛いなコンチクショウ!
私よりも女子力高いんじゃないかと、ちょっとだけ悔しい。
この人を見ていると、何で私なんかが娘なんだろうといつも言いようのない気分になる。
色んな要因で勝手に歪になってしまった私がいけないのかもしれないとは思うけれど、妙にコンプレックスを刺激される相手なのだ。
大好きなのに嫌い。
大切にしたいのに、傷付けたくなる。
私の距離感が滅茶苦茶で人間関係が致命的なのは、間違いなくここら辺に原因があると思う。
だからと言って、それが自分自身だから決別なんて出来ないけれど。
どれほど嫌いでも、自分自身だけは捨てられない。
熱を持っていた心が、急速に冷める。
「そんなことより、お肉とか生もの冷蔵庫入れなきゃ。遅くなっちゃったから、保冷剤が心配だし」
さっと靴を脱いで重い荷物を持ち直し、小走りに台所に急ぐ。
「えー。ゆうちゃーん、知り合いに会ったって言ってた人ってその人でしょ? え? 男の人なの? え、本当に?」
浮かれた様子ではしゃぎながら後ろを付いて来る母に、隠したはずの傷口を言葉で刺されているような気分になる。
分かってる。分かっているよ。
これは私の勝手で卑屈な心が、悪意のない言葉を、態度を歪ませるだけ。
「偶然再会しただけだから、そんなんじゃないって」
「だって、偶然で会えるもんじゃないでしょ?」
無意識のうちに、連絡先が追加されたばかりの携帯を握りしめていた自分に嫌になる。
「奇跡なんて、信じないから。私は、奇跡なんて信じない」
言葉になろうとしていた幸せそうな声を、刺々しい言葉で封じる。
気まずい沈黙が落ちる。
優しさも、何気ない言葉さえ悪意に変換しようとする自分自身に吐き気がしそうだ。
いつの間にか視線が下を向いて、息を詰めていた自分に気が付いて、意識して息を吸い、吐く。
込み上げて来た感情を何とか飲み下そうとして唾を飲んだ瞬間、唐突に携帯が鳴った。
「携帯、鳴ってるよ」
「あ、うん」
家族以外から着信しなくなって、機種変するのをやめたボロボロの携帯のディスプレイに、真新しい登録名が流れていく。
思わず硬直した私の手元を、母が覗き込んでいるのに気付いて慌てて電話に出る。
「も、もしもし?」
「もしもし、あ、良かった。……無事着いたか、気になって」
険悪になりかけた空気を、馬鹿な私がぶち壊した空気をたった1本の電話が払拭していく。
何だか涙が出そうだ。
さっき泣いたばかりなのにまた泣けるとか、私の涙腺はどんだけゆるっゆるなんだろう。
「先ほど、帰宅しました」
あ、思わず口調が報告調になった。
「…………うん」
沈黙が長いのが、重いですごめんなさい。私が間違えました。
え、でも正解が分かりません。分かんないんですが、この場合何が正解ですか?
スペックが低すぎて分かんないんだがどうすべきか誰か教えてプリーズ!
「あ、のぉっ!」
携帯を奪われた。
背後から、親に。
ヤーメーテー!
「こんばんは。いつもお世話になっております、初めまして、優子の母です」
おおおおおおお母さん!
やめてあげて、その攻撃力、過剰だから!
至近距離でナパーム弾だから!
骨まで残らず灰になるやつだから。私が。
え、原嶋さん?
知らないよ、どうにかするでしょ。だってデキる人だから。スペック違うから多分大丈夫。
「まぁ、ご丁寧にどうもありがとうございます。それで、今週末ご予定は空いていらっしゃいますか? はい、空いてらっしゃるのね、そう。それは良かったわ」
え、何の話よ、母上?
良くないよ? 私は全然良くないよ?
「詳しいことは後で娘から連絡させますから。では、失礼致します」
そして私そっちのけで私の携帯で話した母は、とても満足そうな笑顔で電話を切った。
「ちょっと、お母さん!」
私の抗議の声に、不機嫌MAXの般若みたいな表情の母上が冷たい目線を投げ掛ける。
「だってあなたに任せてたら一生掛かったって彼氏さんになんて会わせてもらえないじゃない」
全くの正論にグッと詰まるも、このまま言い負かされてたまるかという意地と負けん気だけで口を開く。
「だからって、私の!」
「お母さん知ってるんだからね。あの人、かなり前に言ってた優しくて仕事の出来る先輩、でしょ?」
またもや繰り出された無駄な記憶力による攻撃に、今度こそ反論を封じられる。
「うじうじと何年も気づかないフリを続けてきた優ちゃんにいい加減焦ったくなって介入したって、それのどこが悪いのか、良く分かんない。お母さんに説明して」
真っ直ぐに見つめ返されて、何も言えなくなる。
でも、なんか違うと思うんだよ。
グズグズして、うじうじして、遠回りすることの何が悪いの。
そんな言葉を、私は結局飲み込んで何も言い返さない。
口では勝てないから、不毛だということを知っているから。
心配とか、思いやりとか、愛情とかがこういう形になるんだろうと思っても、いつもそれを素直に喜べない。
私は、多分近道じゃなくていいから自分の選んだ道をしっかり踏みしめて歩きたいだけ。
だけどそれは焦れったいのだろう。
互いに肝心な部分が微妙に噛み合わない母のことが、私は大好きで、嫌い。
「……お節介なんだよ」
「はいはい。そういうことはもっと一人前になってから言いなさい」
「はぁ〜い」
それでも最終的には反発なんてしないから、なんだかんだ言って世話になってしまっている不甲斐ない私に情けなくなる。
いつか、これから時間を積み重ねていけば、私は原嶋さんに相応しい自分になれるのだろうか。
自分で自分を認められるのだろうか。
考え始めると、自分が小さく小さく縮んでいくような気がする。
私はまだ、この不安との向き合い方を知らない。