八十二話 供物になった少女
僕が留学してきて一年が経過した。
進級試験を乗り越えて五年生に進級し、最高学年となった。
僕は十四歳だ。前世の記憶を取り戻したのが、七歳になる少し前だったから、あれから七年以上たってるんだなあ。
今じゃ、前世のことを思い出す機会もほとんどなくなった。
むしろ、本当に前世なんてものがあるのか? とすら思う。
日本で生きていた松井秀一の記憶は、僕の思い込みなんじゃないかって。
まあ、思い込みだろうと転生したんだろうと、どっちでもいい。
僕はロイサリス・グレンガーとして、これから先も生きていく。
てな感じで未来に思いを馳せてたら、ちょっとした事件が起きた。
僕とスウダ君の二人で、ご飯を食べに行った時のことだ。
普段はマルネちゃんやサクミさんがいるのに、今日は男二人だけ。
なんでも、女性たちだけで集まって、女子会をしてるとか。
ハブられた僕たちは、たまには男同士の友情を深めようってなった。
二人で食事をして、その帰りだ。一人の女性に声をかけられた。
「ス、スウダ? グレンガー?」
僕と同い年くらいの綺麗な人。
そして、彼女の顔には見覚えがあった。僕の記憶よりも成長してるけど、多分間違いない。
「……ひょっとして、ラナさん?」
スウダ君も気付いたみたいで、彼女の名前を呼んだ。
初等学校時代のクラスメイトであるラナーテルマちゃんだった。僕をいじめてた子供の一人でもあり、今はレッド君の迂愚女になったって聞いた。
レッド君の結婚は、少し前に大々的に執り行われたんだ。王都全体を巻き込んでの一大イベントだった。
なにせ、英雄と王女様だ。妾の女性四人も高貴な家柄の人ばかりで、そりゃあもう盛り上がった。
当然ながら、迂愚女は結婚式に参加してない。
レッド君の妻ではなく、所有物だからね。奴隷に等しい身分だ。
ラナーテルマちゃんも見かけなかったし、具体的にどうなってるかは知らなかったんだけど。
目の前にいる彼女を見ると……幸せに暮らしてるとは言えなさそうだ。
学校一の美少女って言われてただけあり、美しく成長してる。綺麗な服を着てて、宝石とかも身に着けてる。
なのに、表情が暗い。目の下には濃いクマができてて、化粧で誤魔化してる。
そのラナーテルマちゃんは、僕とスウダ君に対して哀願する。
「お願い……あたしを助けて……」
化粧が崩れるのもお構いなしで涙を流し、「お願い、お願い」と繰り返す。
ただごとじゃない雰囲気だ。
僕とスウダ君は、弱ったように顔を見合わせた。
どっちも声を出さないけど、「どうしよう?」って視線で通じ合う。
これが、全然知らない人なら無視してもよかった。
ラナーテルマちゃんは、一応元クラスメイトだ。知らない間柄でもないし、見捨てにくい。
「とりあえず、話だけでも聞く?」
「聞けば、後戻りできなくなりそうだが……」
僕の提案に、スウダ君は渋い顔をした。
どっからどう見ても厄介事だし、後戻りできなくなりそうって言葉には同意する。
「お願いしますグレ……ロイサリス様……」
乗り気じゃないスウダ君よりも、僕の方がくみしやすいと見たのか。
ラナーテルマちゃんは、「ロイサリス様」って呼んだ。
グレンガーじゃなく、ロイサリスでもなく、ロイサリス様。
それだけ追い詰められてるんだろう。
「チッ、面倒な」
スウダ君は舌打ちしたけど、最終的にはラナーテルマちゃんの話を聞くって決断した。
鬼が出るか蛇が出るか。
留学生用の屋敷には連れて行きにくいし、スウダ君が住んでる集合住宅で話を聞くことにした。
賃貸用の物件があって、家賃を支払えば家を借りられる。
十畳ほどの広さのワンルームで、スウダ君はここに住んでるんだ。
各々腰を落ち着けてから、ラナーテルマちゃんが切り出す。
「あたしは……レイドレッド様が成り上がるための道具なの。お兄様に負けないために、都合よく使える道具」
レッド君のお兄さんの名前は、ユッケキッド・ミザ・フォス・キルブレオ様。
キルブレオ侯爵家の嫡男で、武神のご加護を授かってる。
レッド君と同様、若き英雄と目される傑物だ。
両雄並び立たずというか、どちらが家督を継ぐかで争ってるらしい。
争うのは好きにすればいいとして、ラナーテルマちゃんが道具っていうのは。
「レイドレッド様と、お兄様のユッケキッド様は、双方譲らない。お互いに、自分こそが後嗣にふさわしいって主張して、他の貴族を味方に取り込んで派閥を拡大してる。あたしは……ううん、迂愚女はみんな、レイドレッド様の派閥に入ってくれた貴族に捧げられる供物」
分かりやすい話だ。自分の味方になってくれたら、美女というご褒美をあげますよって。
「こんな生活は望んでなかった。あたしはただ、レイドレッド様が……レッド君が好きだっただけなの。レッド君と結ばれて、幸せになりたかったの」
ラナーテルマちゃんの瞳から涙がこぼれる。
泣き落とし作戦でこちらの同情を引こう……って感じとは違う。
本当に悲しくて、辛くて、耐えられなくなって泣いてるんだ。
「もう嫌……こんな生活は……好きでもない人のおもちゃにされる生活は嫌……」
「それを、俺たちに言われてもな」
「レッド君に直接言えば? まあ、言えるなら僕たちに頼らないだろうけどさ」
耐えられなくなって逃げ出し、そこで偶然僕たちに出会った。
だからこうして助けを求めてる。レッド君には言えないから。
「レッド君は、あたしたちに優しい言葉をかけてくれる。『苦労をかける。だが、ワタシのために頑張ってもらいたい』って。レッド君がキルブレオ家を継げば、迂愚女のあたしたちも妻にするって。その言葉を信じてる人もいるけど……」
さほど変な話ではないと思う。
いや、ラナーテルマちゃんたちを供物にしてるってのは許せないよ。酷い話だと思う。
妻が夫を支えるのは変じゃないって言いたいんだ。
妻は夫を支え、夫は妻を支える。一方的な依存や庇護は、夫婦とは言えない。
迂愚女は妻じゃないけど、いずれ妻になる身なら愛する人を支えるのは普通だ。
だからこそ、レッド君もそこに付け込んでるんだろう。自分のために働くのが当たり前だって。
ちゃんと働けば、将来的には幸せにしてあげる。
甘い言葉でそそのかすやり方だ。
「念のために聞くけど、妻にするって言葉は嘘なの?」
「あたしは、レッド君に抱いてもらったことがないし、まともに触れてももらえない。レッド君が抱くのは妻だけで、あたしたちのことは汚い物を見る目で……言葉に出さなくたって分かる。あたしは、何年もレッド君を見続けてきたから」
「吐き気がするな」
スウダ君が忌々しげに呟いた。僕も同意見だね。
「そこまで理解してるなら、レッド君との関係を切れないの? 貴族相手だから難しい? それとも、ラナーテルマちゃんはまだレッド君が好き?」
「レッド君は、あたしたちを愛してくれない。あたしたちの愛も迷惑に思ってる。でも、他の男性を愛することは許さない。あたしたちは貸し与えられる存在であって、所有者はレッド君だから。自分の所有物を奪われるのは嫌だから。当然、逃げ出すことだって……」
「俺たちに助けを求めるくらいだし、他の手段もあるだろ?」
「無理よ……あたしはどこにも行けないの……だからお願い、あたしを助けて」
ラナーテルマちゃんはそう言って、いきなり服を脱ぎ出した。
服も下着も脱ぎ捨てて全裸になる。
美しい裸身があらわになれば、僕たちもさすがに動揺した。
「お、おい! 何やってんだ!」
「服着て、服!」
二人がかりで言い聞かせるけど、ラナーテルマちゃんは止まらない。
全裸のままで扇情的なポーズを取りつつ、恥じらいもなく告げる。
「なんでもします。あたしを好きにしてくれていいです」
冗談で言ってる雰囲気じゃない。完全に本気だ。
ラナーテルマちゃんは、限界まで追い詰められてる。
好きでもない人のおもちゃにされるのが嫌って言ってたのに、僕たちに体を差し出そうとするんだ。そこまでやってでも助かりたいんだろう。
「迂愚女の立場から逃れたいんです。お願い、あたしを……」
どうやら、予想以上に大変なことになりそうだ。




