五十話 アーガヒラム体術
僕を心配する騎士が、一歩近付いた。
僕も一歩後ずさる。
この騎士が殺人鬼だって確証はない。殺人鬼の男って発言しただけだ。
ミステリだと、犯人しか知り得ない情報を知っていたせいで、犯人だとバレるって展開があった。
殺人鬼の性別は、果たして犯人しか知り得ない情報になるのか。
なる、と断定するのは乱暴だ。僕は、事件の中心にいて捜査してる探偵でもなんでもないのに。
だけど、この人が怖いんだ。
疑いの目で見てるからかもしれない。僕の錯覚かもしれない。
疑って悪いとは思いつつ、心を許せないでいる。
どうすればいい?
この人について行きたくはない。
助けを求めれば、いたずらに刺激してしまう。
お店の中に逃げ込めば、アムア先輩や他のお客さんたちを巻き込む。
戦う? 武器もないのに無理だ。
「……あの、殺人鬼ってどんな奴なんですか?」
仕方なく、会話をして時間を稼ごうと考えた。
人目のある中で事件を起こす気はないんだろう。あるならとっくに殺されてる。
捕まりたくない、正体がバレたくないって思ってるから、詰所に連れて行くって口実を使ってるんだ。
気を許したところで別の場所に連れて行かれ、その後は……
完全に犯人扱いしてるけど、間違ってたら謝ろう。
「殺人鬼がどんな奴か? 変なことを気にするね」
「知ってれば、身を守れると思いまして」
「正体は判明してないよ。とにかく、怪しい人には注意してもらうしかないんだ。一人きりでいるのも危険だし、ボクと一緒に行こう」
引き延ばすのも難しいか。
そもそも、時間を稼いでどうするって話だ。
時間稼ぎは、助けを期待できる場合には有効だけど、今のケースだとあまり意味がない。
有効な手を考えつかないかって思ったものの、僕の頭じゃ無理だ。
アムア先輩が出てきてくれたら、あるいは帰ってくれるかもしれない。
それは、危険な賭けだ。アムア先輩に危害が及ぶ可能性もある。
……一か八かだな。
「わ、分かりました。じゃあ、ちょっと友人に伝えてきますね。黙っていなくなるのは悪いので」
騎士に背を向けて、お店に入るために歩く。
さあ、僕は隙だらけだぞ。
お店に入って行こうとしてるぞ。余計な人に情報が伝わるぞ。
この騎士の外見をアムア先輩に話し、すぐに僕が行方不明になったりしたら、捜査の手が及ぶぞ。
それは困るよね? なら、どうする?
背後を気にしつつ、お店に入ろうとして。
僕は大きく飛びすさった。手に持ってた荷物が地面に散らばる。
騎士は、僕に向かって手を伸ばしただけだ。剣を抜いたわけじゃない。
攻撃を加えようとしたわけでもないかもしれない。
マンガみたいに、殺気を感じ取るなんて真似はできないけど。
大げさな反応になったのは、警戒してたからだ。
犯人じゃないなら、気分を害する程度で済むはず。
もしも犯人なら……
「その反応、ひょっとしてバレちゃったかな?」
「……誤魔化さないんですね」
「誤魔化したところで、どうせ他の人に伝えるでしょ。あーあ、もうちょっと楽しめると思ってたのに」
騎士は――いや、猟奇殺人鬼は剣を抜いた。
「僕を殺したって捕まりますよ。罪が重くなるだけでは?」
「今でも縛り首になるよ。それだけの罪を犯してる。だったら……最後に楽しまなきゃ損だよね」
クソ、開き直った。
丸腰じゃ勝てない。僕にも武器があれば……
「しっ!」
殺人鬼が斬りかかってきたのを、体を沈めてかわす。
踏み込みが甘いな。騎士の格好はしてるけど、偽物なんだろう。
本物の騎士の攻撃なら、僕ごときが避けられるはずがない。
だからって、このままじゃまずい。
「殺人鬼です! 誰か助けてください!」
声を張り上げて助けを求めたけど、一般人じゃ二の足を踏むだろう。
この辺は治安のいい場所だし、近くにいるのも争いとは縁のない人だ。
助けてくれるのは難しいかもしれない。
「動きがいいね。度胸もある。まともにやり合えば、よくて互角。ボクが負ける可能性が高いかもね」
持ち上げてくれなくてもいいからさ、見逃してくれないかな。
無理だよね。ここまでやっておいて、心変わりしてくれるとは思えない。
こいつは、そこまで強いってわけじゃないけど、弱くもない。
破れかぶれになってるように見えて、頭は冷静だ。
無茶苦茶に剣を振り回してくれれば、まだしも付け入る隙はあるのに。
僕を子供と侮らず、しっかり殺そうとしてるから厄介だ。
彼我の力量差を把握し、僕が丸腰であることも考慮に入れた上で攻撃してる。
このままじゃジリ貧だ。
そこへ。
「グレンガー君!?」
アムア先輩がお店から出てきた。
僕のせいだ。僕が大声で叫んだから。
「ははっ!」
殺人鬼が、標的を僕からアムア先輩に移した。
アムア先輩は、状況が呑み込めないようで棒立ちになってる。
くそったれ!
アムア先輩に駆け寄って、思い切り突き飛ばした。
「つぅっ!」
僕の方が近かったおかげで間に合ったけど、代わりに背中を斬られた。
あまりの痛みに視界が歪む。
涙でぼやける視界の端に、僕に向かって剣を振り下ろそうとしてる殺人鬼の姿が映った。
とどめを刺そうとしてるからか、動作が大きい。
これなら、もしかして。
「ああああああっ!」
はっきり言って、成功するとは思えなかったけど、やれるだけやってみた。
雄叫びを上げつつ、殺人鬼の腕をつかんで投げ飛ばしたんだ。
アーガヒラム体術。
リリみたいにうまくはいかなかった。たいしたダメージも与えられてない。
それでも、僕の予想外の抵抗に、殺人鬼は動揺してた。
チャンスだ!
地面に転がる殺人鬼の顔面、口元の辺りを、全力で踏んづけてやった。
バキバキって歯が折れる感触が、足の裏から伝わる。
次は剣を持ってる右腕。こっちも全力で踏み潰す。
子供の体重でも、勢いをつければ腕を折ることくらいは可能だ。
右腕を折り、剣を取り上げる。
僕が殺人鬼を倒したところで、やっと助けがくる。
男性が何人か集まってきて、殺人鬼を取り押さえた。
とりあえずは、これで一安心かな。
「アムア先輩、怪我はありませんか?」
「わ、私より、グレンガー君が!」
「あ、あはは……凄く痛いです」
格好悪いけど、強がるのも難しい。
だって、斬られた背中がめちゃくちゃ痛いんだ。
でも、この程度の傷で済んだのは運がいい。殺されてても不思議じゃなかった。
殺人鬼を投げ飛ばすのに失敗してたら、一巻の終わりだったね。
さっき、三十分ほど本を読んだだけで、曲がりなりにも成功するなんて。
イメージトレーニングをしてたおかげかな。武術の授業でも、ワード君とかナモジア君に頼んで、練習に付き合ってもらったし。
今度、お礼を言おう。僕の練習に付き合ってくれたおかげで、ぶっつけ本番でも成功させられた。
もう一度やれって言われても、多分できない。
成功してよかったよ。死なずに済んだ。
はあ……安心したら、力が抜けてきた。
「アムア先輩……肩を貸してもらえます?」
「う、うん! なんでも貸すよ! 早くお医者様に診てもらわないと!」
お医者様か。これって、シロツメに診てもらえるのかな?
痛み止めで、変な薬を飲まされるかも。
なんでもいいや。とにかく終わったんだ。
安心し切って、アムア先輩に体を預ける僕の耳に。
「……クアニム君?」
アムア先輩の呟きが聞こえた。