四十二話 皇女様の愛称
「はい、終わりました」
「ありがとうございました」
今日の分の治療が終わった。
毎回、二時間くらいかかってるかな。
まずは問診から始まる。
痛みはある? 動く? 何か変わったところはある?
みたいな質問に僕が答えて、シロツユメンナ様は几帳面に全部記録を取る。
次は触診だ。初日にもやってたみたいに、僕の左腕に触れてあれこれ確認する。
ここまでで、大体一時間。
本番として治癒魔法をかけてもらうのに、四十分から五十分。
僕は魔法に詳しくないけど、長時間やればいいってものでもないらしい。
凄く気持ちいい時間だから、何時間でもやってもらいたいんだけどね。
シロツユメンナ様の体力の問題もあるし、怪我にもよくないって言われちゃうと、諦めるしかない。
そして最後は、薬を飲む時間だ。これが問題でさ。
「今日のお薬は自信作です。ロイサリス様もお気に召していただけるでしょう」
「お、お手柔らかにお願いします」
シロツユメンナ様が、いつも通りに小瓶を持ってくる。
……今日は銀色か。前回のどぎついピンクよりはマシかな。
僕が薬の味を褒めたのが嬉しかったみたいで、シロツユメンナ様は味の改良に余念がない。
効果を維持しつつ、いかにおいしく、飲みやすくするかを日夜追及してる。
で、実験に使われるのが僕だ。
おいしいことが多いんだけど、たまにとんでもない代物を出してくる。
味見をしないのかって聞いたら、「患者でもないのに薬は飲みません」だって。
なんかもうね、正しいんだけどおかしいよね。
やる気になってるシロツユメンナ様を止められなくて、でも実験は嫌で。
遠回しにやめてくださいって言うために、素人が勝手に薬を作ってもいいのかって突っ込んでみたり。
ちなみに答えは、「売るのはいけませんが、ロイサリス様個人に与えるのでしたら問題ありません」だった。
逃げ道は塞がれた。僕は付き合うしかないんだ。
銀色の液体を喉に流し込もうとして。
落ちてこなかった。
「皇女様、これ飲み薬じゃないんですか? 固まってますよ?」
「こちらをどうぞ」
……スプーン? ゼリーじゃあるまいし。
「い、いただきます」
薬を飲む時の挨拶としては不適切な言葉を発し、僕はスプーンですくった。
さあ、今日はどっちだ。アタリかハズレか。
意を決して口に入れ――
すぐさまトイレに駆け込んだ。
「お、おいしくなかったですか?」
トイレから戻ってきた僕を見て、シロツユメンナ様が不安そうに聞いてきた。
こういうの、ラブコメ系のマンガとかであったような気がする。
メシマズヒロインの手料理を食べた主人公が、判断を迫られるシーン。
正直に答えるか、優しい嘘をつくか。
どっちのパターンもあると思うけど、僕の場合は。
「人間が口にしていいモノではありません」
バカ正直に答えさせてもらった。
だって、あれはない。いくらなんでもない。新種のバイオ兵器だ。
気遣って嘘をつけば、もう一度食べさせられてしまう。そして僕は死ぬ。
「逆の立場で、僕が皇女様に食べさせたとすれば、殺人未遂になるでしょう」
「殺人未遂……」
「拷問用の道具として有効活用できるかもしれませんね。肉体を傷つけるよりも人道的であり、かつ効果も見込めます。ある意味、大発明かと」
「拷問……」
「というか、一体何を混ぜたらあんな味になったのですか?」
「……わたくし、ゼリーが好きでしたわ」
僕の質問への答えに、なってるようななってないような。
シロツユメンナ様は、過去話を聞かせてくれる。
「幼い頃、体調を崩して寝込むと、よく作ってもらいました。苦い薬を飲んだ後、ご褒美として食べるゼリーが本当に楽しみで」
「食後のデザート感覚で食べられる薬を目指した?」
「はい。固めるために用いた材料がよくなかったのでしょうか」
言い過ぎたかと思ったけど、シロツユメンナ様は落ち込むどころか分析を始めてる。
意外と図太いね。皇女様相手に図太いなんて、失礼な感想だけど。
「……ロイサリス様、わたくしを図太い性格だと思われました?」
「なん……のことですか? 思っていませんよ。ええ、思っていません」
内心を見抜かれて、「なんで分かったんですか?」って言いそうになった。
危ういところで誤魔化したものの、シロツユメンナ様はジト目で僕を見てくる。
「何度もロイサリス様を治療しているのですよ。患者の様子を見抜く目も養われてきました。今のわたくしに、ロイサリス様の嘘は通じません」
カマをかけてる感じじゃない。確信を持って言ってる。
僕の負けだ。大人しく認めよう。
「すみません、思いました」
「やはりそうでしたか。酷いですわ。わたくしの繊細な心は、いたく傷つきました。責任を取ってください」
繊細を強調したのは、図太いに対する反論かな。
それはそうと、責任って何をさせる気だろう。
「責任ですか?」
「無茶は申しません。わたくしのお願いを一つ聞いていただきたいのです」
「……僕にできることでしたら」
また、薬の実験台になるとか?
シロツユメンナ様のために僕ができることなんて、このくらいしか思い浮かばない。
ところが、全然違った。
「名前で呼んでいただけませんか? いつまでも『皇女様』では少々寂しいです」
「名前……ヴェノム様、ですか?」
「違います」
「シロツユメンナ様?」
「悪くありませんが、もう一声。愛称でお願い致します。シロツメ、と」
シロツメってのが愛称なんだ。シロツメクサみたい。
でも、僕が皇女様を愛称で呼ぶの?
心の中では、ずっと「シロツユメンナ様」って呼んできたから、こっちならまだ平気だ。
愛称では呼びにくい
「いきなり愛称はちょっと……『シロツユメンナ様』ではいけませんか?」
「仕方ありません。では、ひとまずそうするとして、いずれは愛称で呼んでください。楽しみに待っております」
楽しみにするほどのことかな。
シロツユメンナ様は人気者だし、友達も多い。愛称で呼んでくれる相手もいるはずだ。
一瞬、「もしかして僕を好きなの?」なんて妄想したけど、あるわけないよね。好かれるような真似をした覚えはない。
前世で読んだ物語だとさ、一人の女の子として見てもらえて嬉しいって展開が定番だった。
生徒会長じゃなく一人の女の子として。アイドルじゃなく一人の女の子として。
リリみたいな幼い容姿の女性なら、大人の女性として見てもらいたい、とか。
本当の自分を見てもらったことがきっかけで、相手を好きになるんだ。
外見や肩書にとらわれず、本質を見れる人間だって褒められてね。
僕はひねくれてるから、あるわけないって思ってた。
本質を見てもらって好きになるのはいいんだよ。
本質を見る人間が、一人だけのはずがない。他にもいっぱいいて当然だ。
現に、シロツユメンナ様を「皇女様」じゃなく「一人の女の子」として扱ってる人は、学校にもいる。
僕は違う。これまでずっと、皇女様として見てきた。
だったら、シロツユメンナ様が好きになるのも、僕じゃなくて他の人だと思う。
まあ、長々と思考にふけったけど、友達として仲よくしたいとかだろう。
愛称で呼べるように努力してみようかな。