三十九話 ありがとう、ごめんなさい
治癒魔法をかけてもらうこと数十分。
僕から手を離したシロツユメンナ様は、閉じていた両目を開いた。
疲れてるのか、少し息が乱れてるし汗もかいてる。
魔法をかけてもらってる僕は気持ちいいだけだったけど、使ってる方はきっと大変だったんだろう。
僕のために、ここまで。ありがとうございます。
心の中で感謝を述べるだけじゃなくて、口に出さないと。
って思ってたら。
シロツユメンナ様の汗が、額から頬、顎と伝い、ポツリ。
十二歳にしては豊満なお胸にしたたり落ちた。
「ありがとうございます」
「……ロイサリス様、今のお礼は何に対してですか?」
タイミングが悪かった!
違うんだよ! 胸に汗が垂れたことに対してお礼を言ったわけじゃなくて!
「ふ、普通に、治療に対するお礼です。他意はありません」
「それでしたらよいのです」
あ、危ない。皇女様にセクハラしたら、僕の首が物理的に飛びかねないよ。
いやまあ、エッチなことを思い浮かべなかったかというと……
汗って胸に落ちるんだな、とは思った。服装次第じゃ胸の谷間に落ちてたな、とも。
ごめんなさい。
シロツユメンナ様は皇女様だ。男の前であられもない服装になるわけがなくて、肌の露出が少ない服を着てる。
部屋着なのにドレスっぽいのは、さすが皇女様だ。
でも、夜会に着るような派手なドレスじゃない。何度でも言うけど肌の露出は少ないし、胸の谷間が見えてたりもしない。
なのに、妙にエロティック。
見えるだけがエッチなんじゃないんだなあ。
僕は一つ大人になった。
……ごめんなさい。マルネちゃんもシロツユメンナ様も、みんなごめんなさい。
なんかもう、色々とごめんなさい。
僕も男だし仕方ないんだ。って言い訳しちゃうのが余計にみっともない。
ピンク色の妄想に自己嫌悪だ。
シロツユメンナ様は、僕を糾弾することなく椅子から立ち上がる。
お部屋にある戸棚から小瓶を取り出すと、それを僕に差し出してくる。
「お薬です。治癒魔法をかけ過ぎると、ぶり返しがきますので、抑えるためのお薬になります。飲んでください」
「え゛……これを、ですか?」
濁った声が出ちゃった。
小瓶に入ってる液体は真っ黒で、醤油みたいだ。
醤油ならなんとも思わないけど、薬として出されると毒々しいとしか思えない。
これを飲むのか……
エッチな僕を毒殺? ま、まさかね。
ええい、僕も男だ。勇気を出せ。
小瓶を受け取って、一気に流し込む。
「……あ、甘い? おいしい?」
毒々しい見た目に反し、薬は甘くておいしかった。意外にもほどがある。
僕がお医者様から処方された薬って、にっがい物だった。甘い薬なんて飲んだことない。
前世の記憶を思い出して倒れた時に飲んだ粉薬とかさ、子供が飲む物じゃないって思ったものだ。
シロツユメンナ様の薬は、甘くて飲みやすい。ジュースみたいな甘さじゃないけど、これなら子供も喜んで飲むんじゃないかな。
「飲みやすいように甘くしてあるのです。甘味をつけようとすると、余計なお金がかかってしまうのが難点ですけれどね」
「それでも、これは凄いですよ! こんなに飲みやすい薬は初めてです! 僕、超苦い粉薬とかばかり飲んでたんで、画期的です!」
初めてってのは、もちろん転生してからって意味ね。
こんな薬もあるんだって知って、思わず興奮しちゃった。
お世辞じゃなく凄いと思う。子供でも大人でも、苦い薬が好きって人はほとんどいないだろうし、飲みやすいに越したことはない。
「あ、ありがとうございます。わたくし、自分の体が弱く、幼い頃は毎日のように薬を飲んでいまして。苦くて嫌だった思い出しかないのですわ」
「僕もです。飲まなきゃいけないってのは分かってて、でも嫌なんですよね」
皇女様と平民で、まさか共感できることがあるとは。
お体の弱さ以外は欠点のない完璧超人って印象だったのに、一気に親近感が湧いた。
「わたくしが作る薬は、できるだけ飲みやすいようにと考えました」
「凄いですね。患者のことをしっかりと考えるなんて」
手放しで称賛できる。本当に凄いよ。
経験を積めば、いいお医者様になるんじゃないかな。
あ、皇女様だとお医者様にはなれないか。もったいない。
僕とシロツユメンナ様は、自分が飲んだ薬のまずさを暴露し合って盛り上がる。
飲んだ薬の多さでは、僕は足元にも及ばない。シロツユメンナ様は表現力も豊かで、味を詳細に話してくれるから、想像してしかめっ面になった。
おかしな話題だけど楽しい。意気投合できてよかった。
そこで、扉をノックする音が。
シロツユメンナ様が入室許可を出せば、さっき出て行った執事さんが再び入ってきた。
「シロツユメンナ様、お水をお持ちいたしました」
「ありがとう、爺」
高そうな銀のトレーに乗せられた水差しとコップだ。
執事さん、気が利くね。さすがだよ。
よほど喉が渇いてたのか、シロツユメンナ様は二杯も飲み干した。
疲れてそうだし、僕はお暇した方がいいかな。
「皇女様、本日はありがとうございました」
それと、ごめんなさい。エッチな妄想ばかりしてしまって。今後は注意します。
繰り返しになる謝罪を心の中で述べてから、最後の挨拶だ。
「僕はこれで失礼します」
「わたくしの方こそ、楽しいひと時でした。次は二日後にお越しください」
「はい」
どれだけの時間がかかるか分からないけど、当面はこうやって治療してもらうことになる。長い付き合いになりそうだ。
なんとなく、シロツユメンナ様なら治してくれるんじゃないかなって。
そんな期待を抱いた。