三話 学校が怖い
「おう、目が覚めたか。急に倒れるから心配したぞ。ガハハ!」
剣だこができてる大きな手で、僕の頭をワシャワシャかき回しながら、父さんが笑った。
昼まで寝て、母様と一緒にリビングへ行けば、父さんが待ってたんだ。
今日は仕事のはずなのに、休んだのかな。僕を大切にしてくれてるって分かる。
外見は怖いのに、内面は優しい人だ。
大柄で筋骨隆々とした、男らしい体格。ひげをもじゃもじゃ生やしてて、熊みたい。
美人で小柄な母様と並べば、美女と野獣になる。
僕が、「父さん」、「母様」って呼ぶ理由、分かってもらえるかな?
熊みたいな外見の男性には、「父様」の呼称は不釣り合いだ。
ぶっちゃけると、凶悪犯罪者って言われれば信じるような見た目なんだし。野盗や山賊の親玉って言ってもいい。
二十代後半なのに、頭には髪の毛の一本もなくてスキンヘッド。顔には、痛々しい傷跡がいくつも刻まれてる。
身長は百九十センチ以上あって、体重も百キロ近くありそう。脂肪でぶくぶく太ってるんじゃなく、筋肉の鎧で覆われた重さだ。
自分の父親じゃなかったら、絶対に泣いて逃げ出すね。
顔立ちそのものは悪くなくて、むしろ美形の部類なんだけど、とにかく威圧感がある。
父さんとは違って、いいところのお嬢様然とした母様は、「母様」がピッタリ。
お嬢様然というか、実際にお嬢様だ。父さんとは、駆け落ち同然で結ばれたらしい。
二十一世紀の日本じゃ絶滅した、古きよき妻にして母。
男性を立てる控えめな性格で、でも芯はきちんと通ってる。家事や育児に精を出して家庭を守る女性だ。
外見も凄く綺麗な人なんだよね。黒目黒髪で、顔立ちも日本人風。
あまり、異世界の人って雰囲気じゃない。
元の世界基準だと、日本人は童顔だって言われてたように、母様も童顔だ。十代後半に見える。
身長は低くて、百五十センチもない。でも、胸は大きくてスタイル抜群。
小柄で童顔、だけど胸は大きいって、めちゃくちゃモテそうなんだけど、なんで父さんを選んだんだろう。世界は不思議に満ちている。
両親の紹介はここまでにして、父さんから撫でられ終わった僕は、椅子に座る。
これから昼食だ。普段なら母様が作るのに、今日は僕の看病をしてたから、父さんが作った。
いかにも男の料理って感じの、豪快な肉の塊がドンと置かれてる。
パンもスープもサラダもなくて、肉オンリー。
病み上がりの六歳児に、これを食べさせようって? あんまりじゃない?
案の定、母様が渋い顔をする。
「あなた、これはちょっと……ロイは病み上がりですよ」
「何を言う。肉を食っとけば、病気なんて治るもんだ。ロイも俺の息子なら、じゃんじゃん食え食え。残すんじゃないぞ」
なんという脳筋な考え。見た目通りって言えばそれまでだけど。
「お肉を食べるのはいいです。お肉だけはいけません。リリはどうしました? 彼女に作らせなかったのですか?」
「リリなら、カイの面倒を見てるぞ」
人の名前が次々に出てきたね。
そういえば、父さんと母様の名前も紹介してなかったし、紹介しておく。
父さんは、ゴウザ・グレンガー。
母様は、ハナフミグサ・グレンガー。
で、リリってのは、我が家のメイドをしてくれてる女の子だ。
リリ・リローって名前。ロリじゃないよ、リローだよ。
見た目はロリだけど。十七歳なのに、十二歳くらいにしか見えない美少女だけど。
カイは、カイセラス・グレンガー。僕の弟だ。まだ二歳で、可愛いんだよ。
噂してると、カイを抱っこした美少女が、リビングにやってくる。
「お、奥様、お呼びでしょうか?」
「リリ、この惨状を見て、何も思いませんか?」
「あ……も、申し訳ございません……」
「リリを責めるな。料理を作ると言い出したのは、俺だ」
母様がリリを咎めて、父さんが庇う。
父さんは優しいけど、意味もなく他人を庇う人じゃない。僕も、悪いことをして、よく拳骨を落とされた。
リリがサボろうとしたのなら、父さんもお説教に加わったはずだ。
庇ったのは、事実リリが悪くないからだろう。
父さんの性格を知ってる母様は、それ以上強く言えなくなった。
「ごめんなさい、リリ。私が悪かったです」
「い、いえ、そんな……!」
素直に謝罪した母様に、リリは恐縮していた。
諸悪の根源の父さんはというと、仲直りした二人を見て、満足気に頷いてる。
「うむ、自らの過ちを認められるのは、よいことだ。ガハハ!」
いや、あなたが原因なんですよ。分かってます?
母様も似た感想を抱いたようで、若干冷たい目になったけど、脳筋の父さんには言っても無駄だと判断して深いため息をつく。
「はあ……いいです、私が軽く作りますから。ロイ、少し待っててね」
母様が台所に向かって、僕と父さん、カイを抱いたリリが残される。
椅子に座って、大人しくしていることにした。
父さんは、何が悪いのか分かっておらず、首をかしげてる。
メイドのリリは、家事全般は得意でも、今はカイを抱っこしてるから手伝えない。
父さんにカイを預けると、料理以上にとんでもない事態になるのは、全員知っている。
剣の腕前は抜群なんだけど、家のこととなるとてんで役に立たない人だ。
昼食の準備は母様に任せて、四人で待つと、父さんが僕を見ながら口を開く。
「ふむ、顔色は悪くないな。足取りもしっかりしていたようだ」
「もう大丈夫だよ。元気になったし、食欲もあるし」
「ロイ坊ちゃま、無理はしないでくださいね。急にお倒れになったので、私も奥様も心配しました」
「ごめんね。大丈夫だから」
本当は、あまり大丈夫じゃないけど、むやみに心配させても悪い。
前世の記憶が戻ったのはいいんだ。
僕は僕だ。松井秀一でもあったけど、今はロイサリス・グレンガーだし、僕の父はゴウザ・グレンガーで、母はハナフミグサ・グレンガー。
姉のようなリリに、可愛い弟のカイもいて、温かい家族だ。
問題は、学校。
頭に思い浮かべるだけでも油汗がにじみ出てくる、忌まわしい単語だ。
数ヶ月後には、僕はこちらの世界の学校に通う。
前世で嫌な思いばかりした場所に、また通うのだ。
前世とは違うし、今回もいじめられるとは限らない。
でも僕は、不安で仕方ない。また、前世と同じような経験をするのか、と。
「父さん……昨日言ってた学校なんだけどさ……」
「ん? おお、学校か。その話をしている最中に倒れたんだったな」
「うん……あの、僕、学校に通うん……だよね?」
自分で言ってても気分が悪くなる。トラウマって、こういう状態なんだろう。
行きなくないってのが本音だ。
学校に行きたくない。僕をいじめるような連中とは会いたくない。
家庭教師でも雇ってもらって、家で勉強できたら、どれだけありがたいか。
希望を伝えようと思ったけど、父さんは僕が学校に通う前提で話を進める。
「この国では、七歳からの三年間、初等学校に通って勉強をするのが義務になっている。お前も勉学に励むのだ。といっても、俺は勉強が大嫌いだったからな。勉強はほどほどでもよい。ハナに聞かれれば怒られそうだが」
ハナは、母様の愛称だ。ハナフミグサが長いから、親しい人はハナって呼ぶ。
さておき、学校って義務教育だっけ?
日本と違って、こっちの世界は決して裕福じゃないし、農民なんかだと学校に通わない子供もいるはずだけど。
「初等学校に通うのは、義務なの?」
「正確には、義務ではないな。だが、よほどの理由がなければ通うものだ。各家庭の事情も考慮してあり、七歳じゃなくても入学できるようになっている。最高で、十二歳まで入学可能だな。学校でしか得られない経験も多く、特に同年代の友人は貴重だぞ。将来、お前の力になってくれる友人がな」
その同年代の友人ってのが、僕が学校に行きたくない理由なんだよ。
勉強はいくらでもする。他のことも頑張ろうって気持ちがある。
友達だけは無理だ。コミュ障の僕に友達が作れるとは思えないし、いじめられる恐怖があるから仲よくしたいとも思えない。
「友達……できるかな?」
「なんだ、情けない。学校中の子供を友達にしてやる、くらい言ったらどうだ」
「でも……」
「でも、じゃない。お前は、ただでさえ他の子供と遊ばんからな。俺もハナも、そこを心配してるんだ。学校で友達をたくさん作って、俺たちを安心させてくれ」
思えば、今の僕に、同年代の友人は碌にいない。
僕が暮らしてるのは、小さな村だけど、子供が皆無なわけじゃない。
なのに、同年代の友人がいないのは、僕が無意識のうちに拒否していたからだ。
リリくらい年齢が離れてれば平気だ。年下も、割と平気。
僕と同い年ってだけで、いじめを思い出して気後れする。
幸運なことに、僕の少し上の子供は、学校に通うために別の町に行ってる。
この村には学校がないから、別の町に行かなくちゃいけない。
毎日家から通うのは無理だから、寮暮らしだ。
小学校低学年くらいの子供たちが寮暮らしってのも無茶だけど、この世界では常識。それも勉強のうちって考えられてる。
村の子供が学校に行ってるおかげで、これまでの僕は、平和に過ごせていた。
遊び相手は、もっぱらリリ。それに、父さんから教えてもらう剣。
身内とだけ付き合って、元気一杯に暮らせる幸せがあった。
今後は、そうはいかない。
家族の庇護を得られない状況に放り込まれて、同年代の子供と寮暮らし。
とても耐えられる気がしない。
耐えられなくても、父さんは行かせる気満々だし、母様も同じだろう。
憂鬱だ。学校が怖い。行きたくないよ。