十二話 リリ先生無双
本日二話目です。
リリの登場に驚いてる僕と同様、他の子供たちも驚いて、ざわついてる。
子供が教卓に立ってれば、そりゃ驚く。実年齢なんて誰も知らないし。
十一歳のレッド君を筆頭に、かなり大人びてる子供もいるから、下手したらリリの方が年下に見える。
「今日から先生になった、リリ・リローです。リリ先生って呼んでくださいね。ちなみに、先生はこれでも十九歳です。子供じゃないですよ」
話し方にも威厳なんてなくて、先生って言われても信じられない子供が大半だ。
それでも、リリは構わずに話す。
「ではでは、さっそく授業を……と言いたいですが、そこの子はなんで床に座ってるんですか? 机と椅子はどうしました?」
「ぼ、僕、ですか?」
リリがいきなり話しかけてきたんで、僕は面食らった。
いじめられてる事実は家で話したし、僕の席がないことも知ってるはずだ。
わざわざ聞いたのは、僕を庇うためかな。でも、なんて答えよう。
考えてるうちに、僕に代わってレッド君が答える。
「手違いで、一席足りなかったみたいです。気にせずに授業を開始してください」
「手違いですか? おかしな話ですね。一人だけ床に座らせるような真似はできませんし、用意しましょう。レイドレッド君、持ってきてください」
リリがレッド君を名指しして命じた。
この一年、先生から特別扱いされて、雑用を命じられた経験なんてないレッド君は、流麗な眉をひそめて不機嫌になる。
「ワタシが?」
「はい、そうです。私は、クラスの生徒のことを、あらかじめ聞いて覚えています。君はレイドレッド君ですよね。床に座ってるのはロイサリス君」
「覚えていただけるのは光栄ですが、なぜワタシが?」
「レイドレッド君は、みんなのリーダーで、何事にも率先して取り組む優秀な生徒だとうかがっています。机と椅子を持ってくるのも、当然やっていただけると思っていますよ」
「それは……本人の責任ですし、グレンガーにやらせるべきでは?」
「席は、どこに座ってもいいですよね? 足りないのがロイサリス君の席と決まっているわけじゃありません。ロイサリス君の責任ではなく、もちろんレイドレッド君の責任でもありませんが、リーダーであれば動いてもらえませんか?」
リリ、うまいなあ。理路整然と話すから、レッド君も反論に困ってる。
先生から、ここまで突っ込まれたこともないし、余計にだ。
「……話になりませんね。先生は、何も分かっていない。いいですか。優秀な人間とは、優秀な人間にしかできない仕事をするものです。誰にでもできる仕事は、無能がやればいい。例えば、グレンガーのような。些事にワタシを使うのは、無駄だと思いませんか?」
まあ、割と正論かな。戦闘能力に優れた兵士に、前線で戦わせず雑用をさせるようなもの、とでも表現すればいいのか。
人にはそれぞれ見合った仕事が割り振られるべきって意見は、正論だと思う。
一生徒のレッド君が自分で言うと、あまりにも自惚れてるけど。
貴族じゃなくただの生徒だって、レッド君は言い切ってる。
毎日繰り返し雑用を命じられたなら、抗議もするだろうけど、一回だけじゃないか。それをやる前から、自分は優秀だから雑用をやらせるな、は傲慢だ。
リリの態度が、急激に冷めていく。目は笑ってるけど、顔は笑ってない。
「そうですか。レイドレッド君……キルブレオ君は、そういう子なんですね」
レイドレッド君、じゃなくて、キルブレオ君、って呼んだ。
この意味に気付いたのは、クラスの中でも半分くらいだった。
一般常識として、授業で教わったと思うけど、覚えてないのかな。
レッド君は、当然気付いてる。
先生とはいえ、あまりにも失礼な呼び方だから、抗議の声を上げる。
「先生、無礼ですよ! 訂正を要求します!」
「ああ、そうですね。キルブレオ君と呼ぶのは不適切でした……オザ君」
「なあっ!」
うわあ……リリ、めちゃくちゃケンカ腰だ。キルブレオどころか、オザって……
日本人だと馴染みがないんだけど、この国は、個人名で呼ぶのが一般的だ。家名で呼ぶのは失礼にあたる。個人を尊重してないって受け止められるんだ。
だからみんなは、下の名前で呼び合う。じゃなきゃ、僕みたいな人間が、初対面の時から「マルネさん」なんて呼べないよ。
僕が「グレンガー」って呼ばれてるのも、バカにされてる証拠だ。
明確な上下関係があれば、家名で呼ぶ場合もあるから、先生が生徒を家名で呼んでもそこまで変な話じゃない。
だけど、貴族のレッド君は、先生すら必ず「レイドレッド君」って呼んでた。
キルブレオって家名で呼ばれたのは、学校じゃ初めてのはず。
しかも、リリは「オザ君」に変えた。こっちは、家名よりも失礼だ。
レイドレッド・オザ・フォス・キルブレオ。
長ったらしい名前には、それぞれちゃんと意味がある。オザの意味は、予備。
主に、貴族の次男坊につけられる名前だ。
家の跡継ぎである長男の、予備となる子供。ゆえに、予備。
実は、レッド君って次男なんだよ。お兄さんよりも優秀らしいけど。
自身の優秀さを自覚してるレッド君にとって、面と向かって「お前は予備だぞ」なんて言われるのは、屈辱以外の何ものでもない。
顔を真っ赤にして、わなわな震えてる。
「どうしました、オザ君? オザ君は、机と椅子を運ぶという雑事すら、こなせないのでしょう? レイドレッド、などという立派な名前で呼ぶ必要がありますか? オザ君で十分ですよね? ねえ、オザ君?」
畳み掛けるように言い放ったリリは、してやったりってドヤ顔なんだけど……
いくらなんでもやり過ぎじゃない?
ここまで「オザ君」を連呼するとか、僕だったら怖くてとてもできないよ。
「せ、先生……ご自分が何をおっしゃってるか、分かってるのか?」
動揺したレッド君は、敬語とタメ口が入り混じった口調になってた。
ぶち切れる一歩手前ってとこかな。僕も当事者だから、気が気じゃない。
子供たちも、剣呑な空気を察してるのか、不安そうに成り行きを見守ってる。
堂々としてるのは、リリだけだ。
「仕方ありませんね。オザ君は動いてくれませんし、先生が持ってきます。それと、ロイサリス君。服が汚れていますが、どうしました? 席を準備する間、寮に行って着替えてきなさい」
席だけじゃなく、インクで汚れた服にまで言及したところで、ラナーテルマちゃんがチャンスとばかりに発言する。
「先生! グレンガーは、ヒョンオ君のインク壺をひっくり返したんです! なのに、弁償しようともしません! しかも、あたしの靴まで汚しました!」
「なるほど。では、ひっくり返した時の状況を、詳しく説明してください」
「……え?」
「え? ではありません。インク壺は、蓋が閉まっていますし、普通に倒したのでは中身がこぼれたりしませんよね。なぜ、こぼれてしまったのか。なぜ、ロイサリス君の服だけが汚れていて、ヒョンオ君は汚れていないのか」
「ヒョンオ君は……で、でも、あたしの靴はグレンガーがインクをつけて……」
「服でも顔でもなく、靴ですか? そこだけ汚すのは、かえって難しいですよね。なぜ、靴だけなのですか? どこをどうすれば、今の状況になったのですか? 答えてください、ラナーテルマさん」
「…………」
ラナーテルマちゃんは無言になった。下唇を噛んで、悔しそうにしてる。
すると、他の子供たちが、「グレンガーが悪い」って次々に声を飛ばした。
数の暴力で押し切るつもりかな。クラス全員で「グレンガーのせいだ」って言えば、リリも認めざるを得ない。
だけど、リリには通じなかった。
「今、ロイサリス君が悪いと言った人たちは、状況を詳細に説明できるのですよね? 知らないのに、無責任にロイサリス君が悪いなんて言っていませんよね? 先生、ちゃんと覚えましたよ。カッツャ君、ヒョンオ君、ヤガ君、スウダ君……」
リリは、一人ずつ名前を挙げてから、彼らに指示を出す。
「私が名前を呼んだみなさんは、ロイサリス君がインク壺をひっくり返した一部始終を紙に書いて、提出してください。できないとは言わせません。見ていたんでしょう? だったら、みなさんが書いてくれる内容は、一致するはずです」
「そ、そんなことより、授業を!」
「オザ君は黙りなさい。私は今から、机と椅子を運びます。その間にちゃちゃっと書いてくださいね。辻褄を合わせようと相談することは許しません。私が戻ってきた時、席に着いていなければ、相談したとみなします。ロイサリス君は、早く着替えてきなさい」
言われて、僕は教室を出た。リリも一緒だ。
やり過ぎだって言おうと思ったら、リリの細い人差し指が僕の口に当てられた。
耳を澄ますと、教室の中からガタガタって音が聞こえる。
「相談するみたいですね。私は教室に踏み込みますので、坊ちゃまは着替えてきてください。リリ先生にお任せです」
中途半端なやり方だと思ったけど、泳がせてから現場を押さえるつもりなんだ。
年の功……は失礼だよね。所詮、子供だし、リリには勝てないみたいだ。
とりあえず、この場はリリに任せようか。
でも、僕って情けない……守られてるだけだ。