百十九話 人を殺すということ
マルネとリリに両側から支えられた状態で、僕はレッド君に近付く。
……酷い有様だ。人間の形を成していない。
今、楽にしてあげる。
ヒューヒューと、喘息みたいに息苦しそうな音を漏らしながら、大量の血を吐いている。
放っておいてもじきに死ぬ。僕が手を下すまでもない。
僕は……いまだに人を殺したことがない。初等学校時代、ゴロツキの男と戦った時も、結果的に相手は死ななかった。
中等学校時代の猟奇殺人鬼。人身売買をしていたソンギ・クアニム先輩。ハンターとして一時的にパーティーを組んだベイさん。
最近なら、王都の屋敷が襲撃された時とか。
人間と戦った経験は何度もあるし、僕の行動が人を死に追いやったこともあるけど、直接手を下したことはないんだ。
人を殺すのは怖い。手を汚したくない。
血に濡れた手で、マルネに触れられるか? いずれ子供が産まれたとすれば、我が子を抱けるか?
初等学校の先生になった時、子供たちになんて教える?
このまま放置し、レッド君が死ぬのを見届ければ、僕は人殺しにならずに済む。
レッド君が自滅したから悪い。助かる傷じゃなかった。僕の責任じゃない。
いくらでも言い訳はきく。
手を汚さず、綺麗なままでこの先の人生を暮らしていけるけど。
今、初めて、人を殺す。
それが最低限の責任だと思う。
戦争を止めるために、レッド君と戦うと決めた。その時から、自分の手を汚すことは予想できてたんだ。
リリは、「私がやります」とか言ってくれた。リリの厚意を断って、僕がやるって言った。
だから、やる。
レイドレッド・ドン・ソリュート・ドラグスドラグ・タンレー・シンフォスキルブレオ・スタニド。
国の英雄を、僕の手で殺す。
「やめ……て……レイドレッド様を、殺さないで……」
僕を止めようとしたのは、正妻の王妃陛下だ。
この部屋には、シロツメの薬で意識を失っている人がいる。
王妃陛下もその一人だ。意識を取り戻したのか。
「わたしが……レイドレッド様が間違っておりました。認めます。過ちを認めますから、どうか……」
クソ……覚悟を決めた矢先に。
やめてはこっちのセリフだ。今になって言われても困る。
王妃陛下は、元々はお優しい人なのかもしれない。レッド君に都合よく動いてたせいで、見せしめに拷問とか残酷なことを言ってたんだ。
絶対神の呪縛が解けたため、生来の優しさが顔を出している。
呪縛が解けているのにレッド君を庇おうとするんだから、愛情は本物だ。
レッド君も、あれだけ暴れてたのに、王妃陛下は巻き込まなかった。倒れてる貴族なんかは、巻き添えを食らった人もいるのに、王妃陛下はご無事だ。
ただの偶然なのか……
「…………」
言葉をかけようと思ったけど、何も出てこなかった。
何を言っても言い訳にしかならない。
ますます言い訳ができるようになってしまった。
王妃陛下に懇願されたから、レッド君にとどめを刺さない。
放っておいても死ぬんだ。最期の瞬間まで、二人でいさせてあげよう。
とても綺麗で優しい。現状で実現可能な中では、一番幸せな結末だ。
だからこそ。
無言のままで、剣をレッド君の心臓に突き立てる。
レッド君は血を吐いて。
瞳から光が失われた。永遠に。
「あ……あぁ……レイドレッド様……」
愛する人が殺される瞬間を目撃した王妃陛下は、再び意識を失った。
僕を恨んでるだろう。
終わりだ。戦いは終わった。
僕たちが勝ったのに、最低の気分だ。
人を殺すって、楽しいことじゃない。覚悟はしてたはずなのにね。
前世の僕が死んだ時のことを思い出す。
僕は、いじめっ子と同類に成り下がりたくなかった。
いじめの暴力が原因で死んだ人間としては、人に優しくなりたかった。
いじめっ子は大嫌いだし、復讐したいとか殺してやりたいとかも思ったけど、勇気がなかった。
理想は、僕が手を下さずに、社会的な罰を受けて死んでくれること。
そしたら、指差して笑ってやれた。自業自得だ、ざまあみろって。
直接殺すのって、こんなにも空しいのか。
「復讐なんて空しいだけだ」みたいなセリフも聞いたけど、綺麗事だと思ってた。いじめっ子に復讐すれば気持ちよくなれて、スッキリすると思ってた。
全然だよ。気分悪い。
「……ざまあみろ。僕をいじめるからこうなるんだ。いじめられる人間の辛さを思い知ったか。いじめられていた僕の苦しみは、こんなもんじゃないんだぞ。毎日毎日、地獄のような日々だった」
「ロイ君……」
「もっと苦しませてから殺してもよかったのに、楽にしてあげたんだ。感謝してもらいたいね」
「坊ちゃま……」
「いじめっ子が死に、いじめられっ子は生きて幸せになる。世の中が正しく動けばこうなるんだよ。地獄に落ちろ、クソ野郎」
「もう、いいよ。やめよ、ロイ君」
マルネが僕の顔に触れてくれた。
それで気付いたけど、僕は泣いてたみたいだ。そっと涙を拭ってくれる。
レッド君のために泣いてるんじゃない。
僕はいじめっ子が大嫌いだし、特にレッド君が憎い。死ねって思ってた。
死んでくれて清々した。これで二度と、苦しめられずに済む。
僕が人殺しになってしまい、この手が汚れたから悲しいんだ。
よくも僕の手を汚させたな。どうしてくれるんだ。
僕が泣いてる理由は、それだけだ。
マルネは優しいから、僕がレッド君のために泣いてるって勘違いしたかな。「ざまあみろ」の言葉も本心じゃないって。
僕は聖人君子なんかじゃない。嫌いな相手の死に涙する人間じゃない。
本当に、死んで清々したんだ。本当に。
「……行こう」
国王レイドレッドは死んだ。
これで、絶対神の呪縛も解ける。シロツメの薬がなくたってね。
スタニド王国は、新しい国王陛下や貴族たちの下で、国を建て直していく。
僕たちはどうなるか。みんなはまだしも、国王殺害の主犯である僕は……
それは、僕が決められることじゃない。
死にたくはないけど、死んじゃうかも。
まさか、地獄でレッド君と再会しないよね?
さすがに嫌だなあ。天国に行かせて欲しいとは言わないから、再会だけはしたくない。




