九話 マルネ・クナ
学校に入学して一ヶ月もすれば、子供たちの人間関係もある程度形成される。
仲よしグループや、逆に仲のよくないグループ。
大抵は男同士、女同士でつるむけど、男女一緒になって騒ぐ場合もある。
ませてる子もいて、誰それが可愛い、格好いいって、恋バナで盛り上がったり。
僕のクラスの中心人物は、言うまでもなくレッド君だ。男女関係なく人気ある。
僕はいじめられてるし、カースト最底辺なのも、やっぱり言うまでもない。
で、いつも一人の女の子がいる。友達らしい友達がおらず、ポツンと一人きり。
マルネ・クナちゃん。ミカゲさんの娘さんで、僕とは違った意味で浮いてる女の子だ。
原因は、母親であるミカゲさんにあるみたい。
父さんとの話の中でチラッと言ってたけど、ミカゲさんは未亡人だ。
女手一つで娘を育てるために、ミカゲさんは水商売をしてる。
もっと露骨に言うなら、男性に体を売ってお金を稼いでるんだ。
化粧が濃かったのも納得だ。
商売道具だからだね。出会った時刻も夕方だったし、仕事の時間なんだろう。
最初は、自分の化粧品を買う余裕があるなら、マルネちゃんに服の一着でも買ってあげればいいのに、とか思ったけど。
化粧品がないと仕事もままならないから、仕方なくって感じ。
なんで僕が、ミカゲさんやマルネちゃんの家庭事情を知ってるかっていうと、他の子供たちが噂してたからだ。
人は、異物を恐れ、排除しようと攻撃する。これは、子供でも変わらない。
水商売をしてる女性の娘なんて、格好の獲物だ。
水商売の意味は分からなくても、親が「あの子の母親は汚らわしい仕事をしてる」とでも吹き込めば、子供は信じる。
母親が母親なら、娘も娘。そう言って、マルネちゃんを汚物扱いしてた。
僕が隠れ蓑になってるからか、マルネちゃんへのいじめはそこまで過激じゃないけど、小さい女の子には辛いだろう。
いつもうつむいて、暗い顔をしてるのが印象的だ。
正義の味方を気取るレッド君なら、いじめを止めてくれるかもって期待した。
でも、止めるどころか、レッド君までマルネちゃんを汚物扱いだ。
同じ教室にいて、同じ空気を吸ってることすら嫌だったみたいで、先生にクラス替えを要求してた。特別扱いはやめるように言ってたのは、口先だけだったね。
マルネちゃんは別のクラスに移されて、そっちでもやっぱり汚物みたいに。
助けてあげたかったけど、いじめられっ子の僕に関わると、余計に悪化しそうな気もして手を出せなかった。
いや、これは言い訳かな。
コミュ障で、人付き合いが苦手な僕が、尻込みしただけだ。
入学してからの一ヶ月間、僕とマルネちゃんの接点はゼロだった。
初めて話したのは、図書室で偶然出会ったのがきっかけだ。
初等学校では、一ヶ月ごとに筆記試験が実施される。子供の理解力を確認する意味の試験だ。
先日、一度目の試験が行われたけど、結果が悪くても留年や退学にはならない。
だから、図書室に通ってまで勉強に励むような子供はいない。
僕にとっては非常にありがたく、いじめから逃げて一人きりになれる空間だったんだけど、今日は僕以外の人を見かけた。
それが、マルネちゃん。
図書室にきたのは初めてみたいで、キョロキョロとしてる。
何か探してるなら、職員に聞けばいいんだけど、図書室の職員はお世辞にも仕事熱心とは言えない。子供が本にいたずらしないかどうか見張るだけの閑職だ。
普段、マルネちゃんを助けられない罪滅ぼしの意味も込めて、話しかけてみる。
「マルネさん、何か探してるの?」
僕が声をかければ、マルネちゃんはビクッと大きく震えて、泣きそうな目で僕を見る。
というか、青い瞳には涙がたまってて、今にもこぼれ落ちそうだ。
僕の感想は、「これはいじめられるな」ってもの。
マルネちゃんにとっては不服だろうけど、いじめてくださいオーラを発してる。
僕はいじめる気なんてないし、なるべく優しい声になるように心がけて話す。
「ごめんね、驚かすつもりはなかったんだ。探してる本があるなら、手伝うよ」
「あ……えと……あぅぅ……」
マルネちゃんは、せわしなく視線を動かしてた。助けを求めてるのかもしれない。
僕、怖い外見じゃないんだけどな。
辛抱強く待てば、マルネちゃんは半泣きになった声で、ポツリポツリと呟く。
「わ、わたし……試験……できなく……て……」
「筆記試験の結果が悪かったから、自主的に勉強しようと思った?」
「は……い……」
「偉いね。じゃあさ、僕でよかったら教えようか?」
スラスラと言葉が出てきたのは、僕にも意外だった。
人と話すのは大の苦手だったのに、マルネちゃんなら不思議と平気だ。
僕と似た者同士だからかな。他の人は、マルネちゃんみたいにビクビク脅えて会話もままならないと、苦手意識を持つんだろう。
僕は、凄く親近感がある。力になりたいって思う。
傷の舐め合いかもしれない。それでもいいじゃないか。
マルネちゃんの返事は、今度も小さな呟きだった。
「お願い……します……」
「うん、任せて」
こうして、僕とマルネちゃん、二人きりの勉強会が始まった。
マルネちゃんは、まだ文字の読み書きが完璧じゃなかったみたいだ。
教科書を読むのも一苦労だから、授業についていけない。
まずは、読み書きから教えた。要領のいい性格じゃないから大変だったけど、毎日少しずつステップアップしていくつもりで。
マルネちゃんとの勉強会は、僕にとっても楽しかった。
会話なんてほとんどない。勉強に関する最低限の会話だけで、人によっては気まずいって感じるかもしれない。
何度教えても、なかなか覚えてくれなかったりもした。頭がいいとは言えないだろう。
それでも楽しい。マルネちゃんと一緒なら、無言の時間だって苦にならない。
徐々に打ち解けて、お互いを「マルネちゃん」、「ロイ君」って呼べるほどになった。
「ロ、ロイ君は、怒らないの?」
「怒る? なんで?」
「わ、わたし、こんな性格だから、『鬱陶しい。ちゃんとしゃべれ』ってよく言われるの。物覚えも悪いし……」
ああ、それね。前世の僕もよく言われてたっけ。
普通に話す。人に教わったことを一発で理解する。
できて当たり前のことが、僕にはできない。
だから怒られて、ますます萎縮して悪化するっていう悪循環だ。
「焦らなくていいんだよ。マルネちゃんは、マルネちゃんに合った成長をしていけばいい」
「う、うん……ありがと……」
ちょっとキザだったかな。まあ、このくらいならいいよね。
こんな感じで、勉強会は一ヶ月続いた。
二度目の試験は、マルネちゃんは上々の結果を残した。
正答率は七割くらい。目覚ましい成長ぶりだ。
「ロ、ロイ君! わたし、頑張れたよ!」
初めて見るマルネちゃんの笑顔は、歳相応に可愛くて、思わずドキドキした。
僕、ロリコンじゃないはずなんだけど……
今なら一歳しか違わないし、ロリコンにならないのかな?
そうそう、マルネちゃんは、同い年かと思ってたけど、僕より一つ年上だった。
入学金や授業料を工面するために、一年遅れで入学してるから。
ミカゲさんが、必死でお金を貯めたんだ。
娘思いの人だよね。周囲は無責任に悪く言うけど、ミカゲさんがマルネちゃんを大切にしてることを、僕は知ってる。
じゃなきゃ、僕に「娘と仲よくして」なんて言うわけない。
さておき、勉強会の成果は十分に出た。
これで終わりだと寂しいなって思ってたら。
「ロ、ロイ君がよければ……これからも、お勉強、教えてくれる?」
なんと、マルネちゃんの方から、今後も勉強を見て欲しいって言ってきた。
マルネちゃんが自己主張するのも、何気に初めてじゃないかな。
僕の返事は、もちろんイエス。こっちからお願いしたいよ。
マルネちゃんと親しくなった僕は、暇さえあれば図書室で勉強会を開いた。
学校では、相変わらず酷いいじめにあってる。マルネちゃんもバカにされてる。
マルネちゃんにこれ以上被害が及ばないよう、普段は話しかけたりしない。
図書室の中でだけの関係だ。
心安らげる場所が一つでもあれば、僕もいじめに耐えられる。
「ご、ごめんなさい……」
ある日、マルネちゃんは急に謝ってきた。
何に対する「ごめんなさい」なんだろう?
「わ、わたし……ロイ君がいじめられてるのに、何もできなくて……」
それか。別に気にしなくていいのに。
こうやって言ってくれるだけでも、僕は救われる。優しくていい子だな。
「いいんだよ。これは僕の問題だし、マルネちゃんまで殴られたり蹴られたりしたら大変だ……可愛い顔に傷がつくと、僕も悲しいし」
最後の一言は、言おうかどうか迷ったけど、勇気を出して言ってみた。
前世も含めて、初体験だよ。女の子に、直接「可愛い」なんて言ったの。
勇気を出したおかげで、マルネちゃんは喜んでくれた。
「か、可愛い? え、えへ、えへへ……」
はにかむような顔も、とにかく可愛い。
語彙が貧弱で褒め言葉が出ないけど、過度な修飾なんていらないよね。
可愛いものは可愛いんだ。
僕は有頂天になった。あわよくば、十年後くらいには恋人に、なんて考えたり。
でも……世の中って理不尽だよね。いつまでも幸せに浸らせてはくれなかった。
僕とマルネちゃんの勉強会が、レッド君たちにバレた。そっとしておいてくれればいいものを、わざわざ邪魔するんだから始末に負えないよ。
しかも、子供じみた悪意じゃない。
小学生だと、よくあるよね。女子と仲よくしてたら、「お前、誰々が好きなんだろ?」ってからかわれること。
これなら、子供っぽくて微笑ましいとも思える。
僕への過激な暴力が日常になってる子供たちは、そんなちゃちな悪意じゃ済ませてくれなかった。
僕はもちろん、マルネちゃんも酷い暴力を受けた。
この時初めて、僕はいじめっ子たちにやり返した。
マルネちゃんを守りたいっていうよりは、罪悪感が勝った結果だ。
巻き込んじゃって申し訳ない。僕のせいで酷い目にあわせてごめん。
後ろめたい気持ちだけがあった。
何人かは殴り倒したけど、多勢に無勢で、何倍にもして返された。
冗談抜きで、死ぬって思ったね。死ななかったのは、運がよかっただけだ。
いじめっ子たちも、僕が死んでたらどうするつもりだったんだろ。
何も考えてないんだと思う。
もしくは、レッド君が握り潰してくれるって思ってるのか。
比喩じゃなく、生死の境をさまよって。
復帰後、即座に勉強会を打ち切った。
マルネちゃんにも、僕に近寄らないよう言い聞かせた。仲よくないって見せつけるために、衆目がある中でマルネちゃんの頬にビンタまでした。
マルネちゃんは泣いてた。心は痛んだけど、しょうがないんだ。
これで元通り。苦い経験だった。