Pre05:船上での邂逅 推測少女
《11:10/ニュー・シティ号船内》
このフェリーの名前が『ニュー・シティ号』であると知ったのは入ってしばらくした頃だった。
チケットを係員に渡すと数枚の紙が綴じられたものを貰った。そこにはこの船内で行われるガイダンスの内容が書かれていた。なんでも今から50分後の12時ちょうどに集合するようだ。それから30分後に昼食をとり、新都島に到着するのは16:00の予定だそうだ。それまでの間は自由行動というものだ。
さてそんな時間の僕だが、屋根があって日の光もあまり受け付けない日陰のある船尾の方から海をただ眺めていた。物思いに耽けていたのだ。やはりマリアのことを考えると心のどこかに小さな穴が開いてどうしようもない。
「はぁ…………」
ため息をこぼす。すっかり船からの景色は海一面になり少し遠くに船着き場が見える。そこに彼女がいるかどうかはさっぱり全くもってわからない。
涼しい風が横を通る。そこには海の香りも含まれていた。清々しいものではあるが、それを冷たく感じる僕にはまだ心のどこかに哀しみの感情を抱いているのだろう思ってしまった。
「さすがにずっとここにいるのもよくないか、少し探索でもするか」
僕は気分を一新するため動く決心をつけた。二度と会えるわけではない、またどこかですぐに会える。そう自分に言い聞かせた。
確かにすぐに手を引くのもどこか引っかかるところであるが、逆にウジウジしている状態の方がもっと良くないと思えた。
一つ、少し強めの息を吐き、「よし」と小声で手すりを軽く叩き―――
「そこの君――――」
動こうとした瞬間の出事だった。突如、一つの女声が僕の後ろに突き刺さる。僕はパッと声の方を向くとそこには黒く長い髪に黒縁眼鏡を掛けた紺色のブレザー姿の少女が立っていた。彼女もまた僕と同様このゼミに選定された一人であることに間違いはない。
「一応聞くけど、僕のことだよね?」
「当たり前じゃないか」
少女はきっぱりと答える。
「君はそうだな―――佐藤 タケル君であると見るが、どうだ?」
もちろん今目の前にいる彼女とは初対面だ。その上、まだ名乗ったわけでもない。
そうであるにも関わらず突如、彼女は僕の名前を的中させた。どうして? 何を根拠に? 僕の疑問はただ膨らむ一方だった。だが、その気持ちと同時に一つ、あえて「違う」と嘘を吐いたらどんな反応を取るのか気になる感情が生まれた。
後者の気持ちが高まり、行動に移すことにした。
「えっ…? 違うよ?」
「……むっ? これは失礼した。私の推測では君が佐藤君であると思っていたが。
では、教えてほしい。君は誰であるのか」
少女は表情一つ変えず、クールさを残しながら僕に訊いた。
「ノガミ イゾウ、それが僕の名前だよ」
「ノガミ……」
彼女は手を顎にあて、考える仕草をした。
「おかしいわね、そんな生徒の名前は事前の名簿に載ってなかったわ……!」
突然、大きな声を上げて言った。
確かに彼女の言う通り、ノガミという名前は名簿に存在していないものだ。僕もそこはしっかりとわかっていた。あの程度の名簿は覚えるのも容易いもので、わざとそこをついて考えたのが先の名前だ。我ながらのアドリブ力に手前味噌ながらよくできていると思った。
だが、名簿をしっかりと覚えていたのは僕だけではないようだ。そうでなくては彼女は僕が偽名を使ったことを看破できるわけがないのだから。
「いや、なるほど、私を欺いたということか。ふむ、随分とした記憶力とアドリブ力ね………。つまり君は私の推測通り佐藤君であるのだな」
少女は小さな笑みを浮かべた。
「うん……よくわかったね。君、どこかで会ったことあった?」
「いや、初対面だ」
少女はキッパリと答えた。そして続けて
「これも私の推測だが、君が先ほど偽名を使ったのは単なる興味本位みたいなものでやったってところだろ。私はそう見るがどうだ?」
と言った。
「……なんでわかるの?」
彼女と会ってからずっと気になっていた疑問をぶつけた。会話数が少ないのにここまで綺麗に看破されると戸惑う。
どこかに僕の心情やらなんやらが文字として浮いていて、それを読んでいるのか…?
「なぜわかるのか? 残念ながら君の期待するような答えは出せないと思うが、さっきからやっているのは単なる推測なのさ。私はただ『根拠のない推測』を君にぶつけただけだ。そしてその推測は見事的中したのさ、偶然にもね」
偶然でここまでいけるのか…? どうやら彼女は僕の知らない次元の話をしているようだ。
「おっと、そういえばまだ名乗ってなかったわね、佐藤君。私の名前は、松本 アスカだ」
少女、もとい松本さんは自分の名前を告げる。
確かに、彼女の名前は名簿にあった。それは明確に覚えている。
「佐藤君。早速だが一つ質問をしていいだろうか」
「ん? なにかな?」
「君は先ほどからここでボーッとしていて、ようやく動き出そうとしていたが何を思って海を眺めていたのだい?」
「それもさっきの推測で言ってみたら?」
半ば冗談で言ってはみた。実は少しだけ、看破されることに少し緊張感を覚えている。というのも、松本さんは僕のその一言でさき先よりもかなりの真剣な顔で僕のことをじっくりと見始めたのだ。まるでそう、僕の心の中を必死になって覗き込んでいるような。
「そうね……、恋人と別れていたけどやはり心細くなっていたといったところかな。私はそうと見るがどうだ?」
彼女はスラスラと答えた。そのあまりにも正しすぎる解答に僕はというと
「…………」
沈黙を貫く。
それは確かに驚くものであったが黙ってしまった。人間というものは本当に驚いたとき黙り込んでしまうことを以前耳にしたことがあってそれを思い出した。
「どうやら当たりのようだな。耳が赤い」
松本さんは得意げな笑みを浮かべ言った。彼女の言う通り僕の耳は赤かったのだろう。熱気が伝わってくる。
「もしかしてアレを見てたの……?」
今思えば実に羞恥的なあの僕とマリアが別れる前に取ったあの行動のことを代名詞で彼女に伝える。
「む……? 何のことかさっぱりわからないわ。でも些か、別れ際に大勢人がいる中で抱き合って別れたとかそういうものだろう」
「見ていたでしょ!?」
僕は大きな声を上げてしまった。少し向こうまで響いたようにも思えた。
「なぁに、推測さ」
一方、松本さんは冷静沈着に答えた。本当に彼女はこうも容易く推測をしては当てられるのだろう…?
「君は実にわかりやすい。確かに私の推測は……しばし外すことはあっても9割方当たるが、君相手なら10割当てられそうだ」
勝ち誇ったような表情にも見え、小さな敗北感を覚えた。
「すごいね……松本さんは」
僕は思ったことをそのまま口にした。
「まぁ、佐藤君。これから共に一年間を過ごす者同士、よろしく頼むよ」
そう言って松本さんは細くて白い右手を差し出した。握手を求めているのだろうと僕は察し、右手を出した。そして握手を交わしたのだ。これが僕と彼女の出会い、僕を除いた41人のゼミ生の中で最初に会話を交わした人物でもあった。
「さて松本さん。推測していたからわかっていると思うけど、僕はここを動くよ。これから共にする他の生徒たちに会えたら挨拶ぐらいは交わしておきたいしね」
「無論その動機で動こうとしていたことぐらいおおよそ掴めてはいたさ。私も同行するよ」
松本さんはそう言った。
「ちなみになんだけどさ、ここに僕がいたことも推測の内に含まれていたの?」
「誰かいるのだろうとは推測していたが、そこにいるのは君であったというところまではできていなかったわ」
「なるほどね」
僕は船内の移動を始めた。
佐藤君と松本さんのコンビはこの先の展開としてもマストのコンビとして書いていこうと思う第一陣ですね。
ただ佐藤君の中でもあくまで御國啼さんが本命であるため、その辺の線引きはしっかりしています。
それは同時に松本さんも色恋沙汰に一切合切の興味を示さないというスタンスもあります。