Pre03:発端にあたる3/16(下)
《8:32/1階廊下》
1時間目の授業は45分からだが、その時間は綿鍋先生の古典の授業であるため遅れることは許容してくれるようだ。
しかし僕が校長室に呼ばれる理由ってなんだ…? そもそも僕は校長先生と直接会話を交わしたことなんて一度たりともない。
ここで僕の心には謎の、根拠が存在しない恐怖心が生まれた。そしてそれは変な緊張を生んだ。心臓が早く動いているのが嫌でもわかる。走ったわけではないのに長距離走り終えたときの鼓動と似ている。ドクンドクンという音がうるさく感じてきた。
進む足も重く感じてきた。例えるなら沼の中をただただ歩いているような、一歩でも止まってしまえば沈んでしまいそうな。沼と例えたが沼よりも実に深いものであるようにも思えた。
背筋に細長く冷たい何かが下から上へ高速で駆け上がった。それが寒気であることはすぐに気づいた。
足元もガタガタと震えていた。少しでも油断すれば躓いてしまいそうだ。
そうやって考えていくうちに校長室前に立っていた。
《8:34/校長室前》
いつも朝、玄関から教室に向かうまでの途中に見かけるなじみのある木製の扉。僕の身長よりやや高いその扉はこの時、更に大きなものに思えた。普通の大人が通るにしても大きすぎるほどに。これが今の僕の心境を表しているのかと思ったほどだ。
だけど躊躇っていては何も始まらない、僕は気持ちを立て直そうと心中で自身を鼓舞させようとそう言い聞かせた。
さすがに長くここに立っていることに違和感を覚えたので、覚悟を決めノックをした。
「失礼します」
そう言って僕は中へ入った。
《同刻/校長室》
室内の様子を見るのは初めてだった。だがイメージ通りのものでもある。棚の中には大量のトロフィー、壁にはいくつもの写真、真ん中にテーブルと向かいあうように配置された長椅子、机の横には大きな旗。おおよそ校長室にありそうなものがあった。そしてその部屋の奥、先に挙げた旗の近くにある机に一人の男が立っていた。
「来たかね、佐藤君」
渋い中年男性の声が室内に響いた。何を言われるのだろうかという緊張で心臓のスピードは増す一方だった。今にも視界が暗転して倒れてしまいそうだ。
「突然呼んで申し訳ない……だが安心してくれ、私は君を褒め称えるために呼んだんだよ」
「……えっ?」
校長先生の一言は僕に安堵を与えた。少し気持ちが軽く早く動いているとわかっていた心臓の音も穏やかなものになった。さっきまで暗くそれを黒と例えるには適している心情も白へと一気に変わった。
だがなおさら疑問点は生まれる一方だった。褒める? 僕がそのようにされることをしたことはないはず…。少なくとも『アレ』は、『あの事件』は対象外のはず…。
「まぁ、そこに座ってくれ」
校長先生は長椅子に座るよう促した。僕は言われるがまま座った。
「さて、今回呼んだ理由だが、君は『第43番目鳥籠学園集結ゼミ』というものを知っているかな?」
「それは……噂程度の物ですが、耳にしたことがあります」
この場で嘘を吐くのは適していないと思った。むしろ真実のみ貫き通した方がいいようにも思えた。
日本でトップの大学である神皇大学に試験なしで入学することのできるというゼミ。というものがあるというのは噂話程度の物であったが何度も聞いたことはある。
「そうか!ならば話は早い! 実は佐藤君、君が今回のゼミ生に選ばれたのだ!」
「えっ?…へっ?…」
あまりにも突然のことだった。そのため理解するのに時間が掛かった。頭の上に『?』が浮かぶマンガでよくあるあの絵がまさに今の僕の姿であるようだ。
「諸々のことはこの封筒内に封入されている。だけど秘密にするべきことがあるから郵送という形になる、そこは了承してほしい」
校長先生は僕にA4サイズの茶封筒を見せながら言った。随分と紙は多く入っているのか、分厚そうに見えた。
「私は君に対し大きな祝福を告げたい、おめでとう。これは君がとても優れた学生であると証明したのさ
来年度からはここを離れることになるが向こうでも活躍を期待している」
校長先生の顔から誇らしさが伝わる。背景の窓から射す日の光がその喜びを再現しているようだった。
「これ以上長話してもしょうがないし、もう少しで1時間目が始まるな。もう戻っていいぞ」
「あっ…はい」
そういって僕は椅子から立ち上がりこの部屋から去ろうとした。そして彼は最後に
「あ、そうだ。このことだけど極秘で家族以外に話すっていうのはやめてね」
と言った。
なるほど、このゼミが曖昧な存在であることが何となくわかった。このよう
にして口止めをしていたのか。それでも知れ渡ったということは過去に選ばれたゼミ生が口外してしまったのだろう。僕はそう考えながら教室を出た。
このあとのことを話すと、教室にも戻った後、クラスメイトには朝先生が話していた不審者の件でと嘘を吐いた。それから放課後になって、僕が所属している部活動に向かい、そこにいる先輩後輩には訳あって転校することになったと説明した。
そしてマリアについては帰宅後、2人だけになった時に話し合った。先までのことは有耶無耶なもので話したがマリアには真実を話した。彼女はただ笑みを浮かべながら「おめでとう、やっぱりタケルはすごいよ」と言った。笑みはあったがそこにはどこか淋しげなものを感じた。
確かにそうだ。彼是2年、一緒にいた部屋もしばらくすれば一人になる。もし僕とマリアの立場が逆なら彼女に対して同じような気持ちで同じようなことを言っていただろう。
そういえば、綿鍋先生は字は違えど当時お世話になった先生でした。いい先生でしたね。学生時代の先生なんて覚えている人はそう多くないでしょう。その中でも作中で特に意味をなさなくとも反映させるということはそれだけ大事な存在だったのかなと、思ってしまいますね。
佐藤君の緊張を表す表現は、別段校長先生に呼ばれるような悪さをする学生ではないためリアリティーに欠いていますが、「もし自分だったら…」という置換でこんな風に書いたなぁと思います。