5:4月1日 (5)
《10:27/車内、景色は新都・朱雀区》
窓から見える景色は、先までの町とは違う。廃墟都市、建物であっただろうそれはほとんど嘗ての形を維持せずに瓦礫の集合体であった。建物と呼ぶべき建物が存在しない、どこもかしこもそれは瓦礫と亀裂で地面が剥き出しとなったアスファルトの世界だった。晴れているのにその世界は霞がかっている灰色の世界であり、同じ国の同じ島にいるにもかかわらず、変わらぬ快晴がより一層、その薄気味悪い感じを際立たせ、明るい午前が暗い夜方に思えた。とても人が住んでいる状況ではない、いや住めないし住んでいる方がどうかしているとそこまで言い切ってしまうほどだ。実際に僕自身がここに長期間住んでいたら気が狂うに違いない。
「とても空気が爽やかに思えないわね」
松本さんは窓から見た街を見て一言そう言った。確かにそれは見たところ埃っぽくて少し煙たいという固定観念がすぐさまに脳内で築かれるほど、いやもう完全に形成されてしまった。
『まもなく、【朱雀駅】……【朱雀駅】……お出口は左側です』
と再び無機質で人間味皆無のアナウンスが流れた。そろそろ降りるかと思い窓を見ていた僕らはドアの前に立つ。どこを見ても廃墟の町は細かく見ればそれは確かに違う景色なのに、あくまで全体としてみている僕としてはそれこそまさに一切の変化がない、究極言ってしまえば退屈そのものだった。
《10:40/朱雀駅のホーム》
ちょうど20分モノレールの旅を終える。車内を降りると、そこは先までいた玄武駅のホームと瓜二つで本当にここは新都・朱雀区で合っているのだろうか? と思わず錯覚してしまうが、灰色の町の埃で少し鼻がむずむずしてきた。町の香りというものも全く違う、あまり心地のいいものと言えない。排気ガスのようなそれこそ人体に悪影響を与えるものとは違うが本能がここの空気を過剰に吸えば肺辺りに深刻なダメージを与えかねないと警鐘を鳴らしている。
「あまりいい空気とは言えないね」
僕は考えもせずに思わずポロッと出た一言を口にする。それは思えば松本さんが電車内で最後に言った一言を推測から断定にしただけで要約すれば言いたいことは一致していた。
「えぇ、そうね。あまり長居せずに回りましょう」
少しだけボーッと街を俯瞰していた僕の一声に返答する松本さんはすでに改札機の方へ歩き始めていた。僕はそれを応用に少し小走りで進む。
「ねぇ、佐藤君。いいかしら?」
約10歩以内にして松本さんは立ち止まりそう言い出した。モノレールは発進し、走行による風が彼女の後ろ髪を靡かせた。その揺れる黒い髪はさざ波のようにおだやかで、決して激しものではなかった。
「ん? なに………あ、もしかして」
「さすが佐藤君ね」
そう言って振り返った。僕は彼女の聞きたいことをすぐに察した。それは玄武駅にて、モノレール乗車直後の「佐藤君。今目の前の人がそういう風に見えているよね?」という質問だ。彼女はこのセリフの次に「そう、やはりね。この質問、目的地に着いたらもう一度訊くわ」と念押しするかのように言った。だからこそ、僕は意識して先のセリフをここまで鮮明に覚えることが出来た。
「再び同じ質問をする必要はないわね、君の答えを教えてくれるかな?」
「……車掌用の制服を着た茶髪の若い女性だね」
そうこの場合における人物はつぶさに明瞭に記憶の中で認識できている。
「なるほどね、なるほど。同じね。これが佐藤君の言う『重要えぬぴーしー』というものなのね」
松本さんの重要NPC(が少し言い慣れていないように感じる話し方だった主にNPCの辺り)。
しかし改めて考えると想起させる際に認識できる人間と認識できない人間の二種を用意した必要性だ。現状そこに意味を感じない、むしろそれは蛇足でしかないとも考えてしまう。少し話題が逸れるが、思い出す際に曖昧な人間のイメージしかない彼らは、石などのものをぶつけてもホログラムのような透明なものとなって透過させる、では認識できる彼らに同じような真似をしたらどうなるのだろうか、という謎が今になって新たに生まれた。今はわからないことばかりの環境にいる以上変に深く考えてしまえば他の疑問にぶつかった時に情報量の多さに脳内がキャパオーバーになってしまいそうだ、なので僕は一旦そのような事柄があるとだけ脳内にインプットさせることにした。他のぶつかる可能性をはらむ疑問と言えばまずこの街自体だ。僕は手始めに深く考え込む必要もない、考え込んでも情報量の少なさで答えを得られる可能性の低いこの街の謎に衝突することとした。
ホームから改札機に到達し支給フォンをリーダー機に当てる。ピピッと音を出したのと同時にそこのディスプレイに99.9と表記されていた。一駅片道0.1ポイント消費のようだ。これで一つわかったことはこのポイントはコンマ1刻みで消費されることだ。僕はてっきり今回の片道の移動で1ポイント消費するものだと考えていた、しかし実際それは間違いだった。ここで判断するのも些か早急だが、もしかしたらポイントって普段の金額に換算したらとんでもない額になるように思えてきた。
さてホームのみならず、ここの構造は玄武駅と同じであった朱雀駅は僕らを迷子にさせないための親切設計であり、難なく外へ出た。車窓からの景色変らず、灰色の廃墟都市は人っ子一人感じさせない閑散とした世界であった。
「佐藤君、ここの町の地図ってないわよね?」
「そんなものあるわけがない…」
渡されていた地図にはここの地区の詳細な道等々は暈かしで隠されていた。
「そうよね…。佐藤君は記憶力が良いと推測しているからだいたい通った道くらいは覚えることができるわよね?」
突然に彼女から謎の圧力を掛けられた。そりゃまぁ、できないことはないけど……下手したら相当量の記憶を要求されてしまいそう。
「なら適当に進んでもここに帰れるわね」
直接的にはっきりと『可能』となんて言っていないのに身勝手に了承して先を急ぐ松本さんであった。勘弁してくれよ……。新都・玄武区とは違ってこの町は駅の内装は普通でもそれ以外は嘗ての残骸で、至る所の廃墟はみんな同じにしか見えないんだよ……。と内心で愚痴を漏らしながら僕は一つ一つの廃墟の特徴を覚えながら彼女の後をついていくことにした。
街の様子はと言えば、コンクリートのビルだったと思われる建築物と呼びにくい固形物だった。例えば銃撃爆撃を受けた直後の街、ついさっきまで戦争があったような場所だ。進めば埃の舞う、時折小さい硝子の破片も転がっているせいで一歩踏むとパリパリと小さな音もする。道路なのか歩道なのか区別のつかない道は一切舗装されず亀裂や歪曲の連続で歩くのも少しだけ困難だった。ビルだった固形物もしばし、その地盤に耐えられなかったのか斜めになっていたり完全に倒れ障害物になっていたりしている。しかし障害物とは雖も通れないわけではなく、うまく道を見つけられたら通れることができるようになっている。さすがにこればかりはどこかご都合主義的な力が作用している、とても偶然の産物としか思えないものだ。そんなこんなで数十分、僕らは街を散策していたが、結局この街が何なのか、どうしてこんなことになってしまったのか等々の疑問に対し答えを得ることなく過ぎ去っていった。
《11:02》
静かで何もなく退屈この上ない街を歩み続けて、まず大きくわかったことは完全に機能している施設、例えばコンビニやスーパーマーケットといったものが一切合切ないということだ。いよいよこの土地は、新都島の4分の1を占めているのにひどく無駄遣いに思える。まだ大規模なゴミ捨て場として機能している方がましにも思える。
「佐藤君、あれ見て」
唐突に松本さんは僕に声をかける。僕は彼女を見るとどこかを指を差している姿をしていた。その指差す方向に視線をずらすと先までビルだった固形物の瓦礫でできた森とは打って変わった、妙に開けて壁や空を今まで以上に広く拝める場所があった。先まで見てきたところとは少し浮ついて過度な表現であるかもしれないが異端だった。そこはこの島ほどでない、僕の身長(162cm)×3程度の高さの壁に囲まれていて、その土地の中心地には今まで見てきた直方体寄りのものどもとは違う瓦礫の山、それはまさにピラミッドを思い出す四角錐の幾何学的なものであったそれが堆積していた。
「なんだろうあれは、今までとは違う建物だ」
「行ってみましょう」
足早に松本さんは走って行った。あんなガタガタになって、亀裂もあれば小石などなどが転がり落ちている道を躊躇なく走るなぁ……と呆れ気味な心の溜息を吐きながら僕は彼女を追う。しばらく進んだ先で松本さんは突然その足を止めた。突然止まる松本さんに僕は驚き、止まるの失敗して躓く。躓くと言っても思いっきり転んだのではなく、少し膝をつく程度のものだったが、その際に支点となっていた左手に鋭く焼けるようなもの、要約すればそれは痛みを感じ、思わず手をパッと挙げる。運悪く道には硝子の破片が落ちていてそれが左掌を食い込んだのだ。地面を拝めば、小さくも視認できる程度の硝子破片に僕のものと思われる真っ赤な、物的に例えるならそれはまさしく新鮮なトマトのような色合いの鮮やかな赤い血がついていた。掌を見ると、刺さり具合がそれなりに深かったのか、自分の中でたいしたことはないなと感じた痛みの範疇を越えた血液が溢れていた。角度を変えたら滴り落ちそうな量であった。いや、実際に角度を誤って血が手首の方へ流れて行き、焦りながらもそれは傷口から溢れる血をためる瓶のnような形で掌を固定した。
「佐藤君!? すまない、私としたことがあまりに驚きのものを見てしまって思わず止まってしまったばっかりに………大丈夫か?」
いつも冷静でこれといって表情の変えることがなかった松本さんからは意外とも受け取れる『動揺』の表情を示し、僕の方を見ていた。
「あぁ、うん。思いのほか深かったみたいで出血が多いけど大したことはないよ」
とりあえずの返答をすると松本さんは慌てて上着のポケットに手を入れ、1枚の薄い無地の見るからに綿製のこれといった柄のない水色ハンカチを取り出し、それを差し出し
「まずはこれで止血をしてくれ」
と言った。僕自身もハンカチの1枚は持っているのだが、今この場でそれを言っても「使ってほしい」の一点張りになりそうに感じたので僕は「ありがとう」と一言告げ受け取り、一旦立ち上がってから血をふき取った。ついでで流れて行った手首のあたりも上着の袖を捲ってから、サッと拭いた。あまり乾いていなかったため跡なしに拭き取れた。そしてハンカチを広げ、患部をおさえながら手の甲で結び目を作り縛った。じわじわと傷口のところは滲み出し赤というより黒に近くなってきた。早くここを離れてあとでコンビニかあれば薬局に訪れ、絆創膏等々を買わないと。ついでにこのハンカチも洗濯しないと……。
「ありがとう松本さん、おかげでなんとかなったよ。しかし君が思わず止まってしまうなんて一体何を見たっていうんだ?」
「あぁ、それなんだが………これを見てくれ」
松本さんはそう言って、僕から見て右側に数センチずれた。そして彼女を足止めさせたそれが僕の目にも入ったがそれは彼女の言う通り、驚きものだった。
【鳥籠[終焉]学園】
と確かにそこにはそう書いてあった。それは壁に手書きで書かれたものではなく文字盤であり、つまるところ看板のようなものであった。そして看板の壁の横を見ると壁は一旦途切れていてまた同じように続く形になっていた。もはやそれは間違いなく校門の様であった。
「これは一体? ここは鳥籠[終焉]学園だっていうのか?」
僕の口は思わずしてそのセリフを出す。
「私も同じセリフを言いたいところだったわ」
彼女はおもむろにその文字が書かれている方へ近づきそれを撫で始め
「埃を被っていてだいぶ汚れていて、擦り減りも進行している。おっと……こうも簡単に剥がれてしまうとは」
と分析する言葉を小さくつぶやいた。彼女の言葉の通り、右手には剥がれた文字の一部があった。
「この場所を含め、新都・朱雀区がこんな廃墟都市になってからもう『10年』は経過していると推測するわ。それでもこの文字盤がほとんど剥がれずに原型を留めたのは人が来ない上に全く整備されていないということも考えられるわね」
松本さんは文字盤の欠片を握ったり軽く上に投げたりしながら言う。なるほどここはもう10年も前に………うん? 待てよ。いま松本さんは「『10年』は経過している」と言ったよね、ざっくりとした表現でなくちょうど10年前ということなのか。少し遡った記憶の中にちょうど『10年』というワードが存在していた。それはそう―――
「佐藤君、もしかして気づいたかしら」
また例のごとく彼女は得意げにこちらに目をやり言った。そう確かに、これはあくまで彼女の仮説が正しかったらの場合であるが、ある一つのことに気づいた。
「うん。ちょうど10年前っていうのはこのゼミ、42-死人-(シニ)ゼミが最初に行われた年になる……」
この情報は遡ること出発前、このゼミに関する書類等々が封入された封筒が届いた時に概略の一部に『今回のゼミは開始から10年目という節目の年であるため、毎年10数人程度しか選ばれないが、此度は各鳥籠学園から1人ずつ選出されのべ42人の生徒が1つの学園に集まる』と書かれていた。
「そう、君も覚えていたのね。覚えていること自体は私の中でも推測の範疇ではあったわ。じゃあ佐藤君、ここが10年前のゼミの舞台でしたということが真であるとして、何が言える?」
言えること……それは松本さんの前の言葉から何となく読み取れる。
「42-死人-ゼミ1期生の時、この町が………廃墟都市になった」
にわかに信じがたく言うことに躊躇してしまったがそうとしか言えない。松本さんは先のセリフ、「この場所を含め、新都・朱雀区が~」で10年経っていると言ったが、この表現を改めると『10年前に新都・朱雀区が廃墟都市になったとも言える』。またこれは意訳しすぎかもしれないが『10年前にこの町が廃墟都市になるきっかけとなる事件が起きて、それが年数を経てじわじわと現在の状況になったわけではない』とも取れる。
「私もそうであると推測したわ」
「いつからそうであると思ったの?」
「そうね………自分で『10年』って言った辺りかな、違和感を覚えたのでね」
「なるほど…でもこの町は整備も全くされていないんだよね、松本さんのセリフを参照したんだけど。ということはこの町が廃墟都市化したまま時が止まっていると言ってもいいの?」
「そういうことになるわね」
「松本さんはどう思っているの、これについて」
「私としては、この町の真実、この町がどうしてそうなったのか………いや違うわね、10年前の42-死人-ゼミで何が起きたのかという真実を追ってほしいと、私の中ではそう思っているわ。誰が、なにを理由にこんなことをしているのかはわからないけど少なからずそう思っている」
「なるほど……確かにそう思うのが普通か。とりあえず中に入ってみよう」
「そうね」
そうして僕らは校門をくぐり抜け、その先へ進んだ。
この中がかつて学校であったと意識するとどこかその雰囲気を感じる、通い慣れたありがちな風景に感じはする。確かにするのだが瓦礫の山以外それはもうグラウンドでしかない。風が吹けば砂埃が舞う、殺伐とした風景だ。僕らは門を通り直線に進み、例の瓦礫の山に近づいた。近くでそれをおがむと随分と壮観な山が聳え立っていた。その気になれば簡単に登れそうだが下手なことをすればさきの左手の二の舞になってしまいそうでとても行く気になれない。
「さすがにこれはもはや学校というには言いづらいね…」
僕自身の感じた第一印象はそれであった。そう実際見ると壁なのか窓ガラスなのかもわからない瓦礫の集合体はただの集合体であってかつての原型を失っていた。
「ねぇねぇ! 佐藤君! こっち来て!」
少し遠くから松本さんの声がして、その声の方向に目をやるとおおよそ20メートル先に彼女はいて手招きをしていた。いる場所としては同じ瓦礫の山であるのにわざわざその場所に止まって手招きをするということは余程のことなのだろうか、と内心で思いながら僕はその方へ進んだ。
到着したところで僕は「また何か見つけたの?」と声をかけると、彼女は特に何も言わず指をさした。僕は深く追求せずに松本さんが指差した方向を見るとそこには瓦礫の山にあとからつけられたような真新しい、そしていかにも丈夫そうで脆くなさそうでそしてあからさまに怪しい鉄製扉があった。その鉄製扉のノブには1から0までのボタンと決定と書かれたボタンとそれから細い隙間があった。これはあれだ、パスワードを打ってカードをスキャンするための機械だ。結論から言うとこの扉は関係者以外立ち入り禁止のあれだ。スタッフオンリーなんて貼り紙があっても納得できるところだ。しかしそうすぐに結論は出せたがそれはかえって疑問を生むのは言うまでもない。あくまで推測の範疇ではあるが、この町が廃墟化してから10年、人は住まず放置状態であった。何も手を付けられていないはずなのだ。しかしこのドアはとても前からあったとは思えないほど正位置に無傷でそれこそ新品とも思わせる光沢もわかるものであった。ドアノブをひねったり、ボタンを撫でてみたりしたが校門前の看板とは違って全く剥がれ落ちる気配もなく頑丈なままなのである。なんとなくではあるが言えることが一つ、この扉は何か意味を持っている、重要である、そしてこの先にはどうも禍々しいものが含まれている………と。
「松本さんはこれを何だと思っているの?」
「……ごめんなさい、こればかりは推測で答えを出せるものではない気がするの。でも君が思ったように意味はあるし、重要だし………確かにそうね、禍々しい気配を感じるのは私も同感よ」
松本さんは鉄製扉の前に立ち、キー解除機に触れる。ボタンを適当に押したり細い隙間に爪をいれなぞったりした。しかしその扉が一度たりとも開くことはなかった。ボタンを押した際にピピーッと少し耳に突き刺さる電子音がした程度の出来事はあったがそれはエラー音であるのかなと思った。
「駄目ね。びくともしないわ」
そりゃそうだ。大体このボタンによるパスワード入力は何桁打たなければならないのかさえ不明瞭なのだ。それにこの細い隙間のことだってある。恐らく専用のカードキーみたいなものが必要なのかもしれない。恐らくここは探索ポイントではあるが、来るには早過ぎた場所なのかもしれない。でもいずれはどこかでこの扉の真実に触れられるかもしれない。
「……さっきからピーピーうるせェな」
僕らが扉の前でいろいろとしていると、突然だった、聞きなじみのない声がした。それは男声で重みの低音ほどではなかったがやけに重圧感はあった。僕と松本さんは同時にその声の方を向く。そこには砂埃が付いたのか、無造作にわずかながら汚れていた黒の学ランを着て、髪はその人自身の右目を完全に覆い隠すようになるほど長く、もう片方はそこまで長くない黒い目がハッキリと見えるアシンメトリーなさまをしている。そして窺える片方の目は鋭く、ハッキリ言ってしまえば目つきが悪い。そして彼の右手には開いていた恐らく読んでいる途中であったのだろう文庫本があった。
「ったく……こっちはようやく静かな場所を見つけて本を読んでいたっていうのに来客かよ」
ため息交じりにその人は吐き捨てる独り言のようにつぶやいた。少なくとも服装が学生服の時点で僕ら同様彼もまた同じゼミ生であるのだとはすぐに察しがついた。しかし休日でも学生服なのかと思ったがそれはそれで珍しい話ではないか。
「えっと……君は僕らと同じゼミ生だよね?」
「………まぁ、そうだな」
少し間をおいて答えたがその表情はあまりいいものではなく、面倒そうであまり関わりたくないような拒絶に似た心理状態を感じた。
「そうなんだ。あ、僕の名前は佐藤 タケル。そしてこっちは松本 アスカさん。」
とりあえず彼の名前も知っておくのも大事と感じたので僕から名乗ることにした。
「はぁ……仮屋 アキラだ」
彼は、仮屋君は一度深いため息をつき自身の名前を言った。拒絶の感情はあってもある程度の返答はすべきであるのだろうという感情は持ち合わせているようだ。仮屋君の名前はもちろん、初めて知ったわけでもない。何度も言っているが事前資料に確かにあった名前だ。
「仮屋君、これから一年間よろし―――」
と僕は彼の元に近づき軽く握手みたいなものでもしておこうかと思った、しかし拒絶の心を持つのか彼は少しだけ後ずさりをした。そうそれはまるで自身のパーソナルスペースの維持、「この先は俺の陣地、領土だから入ってくるな」と言わんばかりのものであった。そこから彼の愛想のなさを感じた。既に薄々察してはいたが。
「悪いがあまりお前らとつるむ気は全くない。いや、お前ら限定じゃない。他のやつらも同じだ」
そう言って彼は振り返り、背を見せる。
「俺はあんまり人と付き合うが苦手でな。部屋に篭ってたらどっかの学級委員長面したあのクソアマに声かけられそうで面倒だからわざわざここまで逃げてきたんだ」
恐らく彼の言った『学級委員長面したあのクソアマ』というのは今まで会ってきた同級生の人たちの中で探ってみた結果、結城 アマネさんのことだろうと思った。なるほど彼は孤立主義だったのか。
「まぁ、こんな静かな場所は他にねぇよな。俺は戻る、ここを探索すんのは勝手だがあまり俺の邪魔をするなよ」
「待って」
去ろうとした仮屋君を引き留める。不思議なことに僕は彼に対して嫌悪感を抱けない。どういうわけか、僕は彼と話す機会を重ねれば少しずつ関係性の距離を縮められる気がしたのだ。そこまで選別に長けているわけではないが、僕の中の本能が彼を悪人と認めなかったのだろう。
「なんだ?」
仮屋君は歩むのをやめた。しかし背を見せるだけで一度も目を合わせなかった。
「君は読書が好きなの?」
「…それがどうした?」
「僕も本読むの、好きだよ。」
この時のこの言葉はぎこちなく歯切れの悪い言い方だと自覚はした。
「だから何だっていうんだ?」
仮屋君はここでようやく振り返った。長い前髪が少し靡いていた。表情はあまりいいものとは言えず『鬱陶しい』の文字に人の顔面のパーツが付いたようなものだった。
「あのさ! 本の話、いつかどこかでしようよ。根拠はないんだけど、君とならそれで盛り上がれそうな気がするんだ…」
「………」
何も言わずに再び背を向けどこかへ去っていった。そしてしばらくこの町は静寂に改めて包まれた。それはどうしても仮屋君の邪魔をしたくがないための感情でこちらが意識していて、際立ってそう感じるのだと思った。
「佐藤君、案外人と話せるのね」
「松本さんがそんなことを言う心理状況を伺いたいところ今はよしておくよ。僕だってそこまで人見知り気質ではないさ」
と言いながら僕はここを後にしようとした。松本さんも引き留めようとせずについてきた。僕の感情はこの町の探索より仮屋君のための環境を与えることを優先にしようとしていたのだ。松本さん自身もそこには同調していたのかあえて何も聞かず言わずについてきた。
「あまり、いや一言も私は彼と話せなかったからわからなかったけど彼は、仮屋君にどういう印象を持った? やはりこればかりは直接話した君のリアリティーある解答を知りたいのよ」
「なるほど、それもそうだね………愛想が悪くて、口が悪い、孤立主義。でも悪い人ではない、いやむしろ善人に感じた。断言はできないけど、彼の学ランのポケットには手に持っていたサイズと同じくらいの文庫本が入っているように見えたからそれなりの読書家に思えて、何かで一致した話題を見つけて話したらきっと盛り上がって距離を近づけると思った。ってところかな」
「ふむ、おおよそ好印象をもっているのね。君、随分とポジティブな性格ね。私はあの会話だけでそこまで持とうと思えないわ」
「そのセリフ、どこかで聞いたな」と言いそうになった言葉を飲み込んだ。話題性の欠片もないと思った。これだけは言える、それが僕の恋人、マリアのセリフであった。
「それともう一つ、これは偶然気づいたことなんだけど、仮屋君の前髪で隠れていた方の目なんだけどね………」
僕が一度彼を引き留めて少し話したとき、彼は一度こちらを振り返った。その時に靡いて揺れた前髪越しに偶然映った光景を思い出す。それを口にした。
「黒い目に対して、前髪で隠れている方の目が青だった」
そう、仮屋君の目は黒と青のオッドアイだった。
「オッドアイ……にしてはその色合いはきいたことないわね。彼の顔はもう日本人顔だったけどもしかしたらハーフなのかしら」
「僕もそうであると思うよ、でもどうして隠す必要とかあるんだろうか、今はカラーコンタクトもあるしわざわざ髪を伸ばさなくても簡単にごまかせるよ。それにあれだと本も読みづらそうだしね」
「そうね…」
松本さんは考える仕草をしていたがそれ以降口にすることはなかった。答えを得られなかったのだろう。それにしたって仮屋 アキラという男は不思議なことが多い。だが接するのは悪くないと思った。
こうして僕らはこの町を後にすることにした。
仮屋、周囲に牙を向ける読書家ですがこれは『イキっていた高校一年生の私』をベースにしています。
そして目についてはいつになるかわかりませんがちゃんと丁寧に扱っていきます。