8、中央軍入隊
それからしばらくして、中央軍の任命式が行われた。これは数年に一度開かれるもので、今年はタイミングの良いことに竜胆やヒナギクが入隊するのと時期を同じくしていた。
今年の任命式の目玉はやはり竜胆とヒナギクだった。少なくともクローバーはそう考えていた。だが、あまり注目を浴びると嫉妬による排斥が行われるのではないかと考えて、派手な演出などはせず、1軍の妖精の名前を読み上げる時に2人の名前を口頭で伝えただけだった。2人にも無論、決して目立たないようにと言い含めておいた。
任命式は仰々しいものだった。数年に一度の中央軍の晴れ舞台なのだから仰々しいのも当然だった。他の隊員達は慣れているせいか淡々と式をこなしていたが、竜胆もヒナギクも生まれて初めて経験する固苦しい儀式だったため居づらそうで、特にヒナギクは見ていて気の毒になるくらい動きがぎこちなかった。だからヒナギクを見ている妖精達の間から、時折押し殺したような笑い声が起こった。
こののち数々の激戦を生き抜き、最終的にはヒナギクはこの国で最も重要な存在になるのだが、今現在のヒナギクを見ている妖精達にまさかそんな予想を立てられるわけがなかった。
ヒナギクと竜胆からすれば地獄のような任命式が終わったあと、食事会と称したパーティーが開かれた。任意の出席だったため竜胆はすぐに用意されている部屋に帰ろうとしたが、クローバーから顔合わせのために極力出てほしいと頼まれて、竜胆は仕方なく食事会に出席することにした。
食事会とは広大な宮殿の中庭で開かれるバイキング形式の食事のことだった。白いテーブルクロスを敷かれたテーブルの上に庭国中から集められた美味と珍味が並べられて、それを各々好きなように食べて回ることが出来た。
全部で千もあるというからとても食べ切れるものではないが、ヒナギクは膨大な料理を前にして元気を取り戻し、
「絶対に全部食べて来る」
と言うと、そのまま竜胆とクローバーから離れて行ってしまった。
「あらあら、食に対する好奇心が旺盛なのね」
とクローバーが言うと、
「煩悩深いの間違いだろ」
と竜胆が訂正した。そんな2人に、
「やあ」
と近付いて来た妖精が竜胆を見て軽く会釈をした。
「誰だ?」
という視線を竜胆がクローバーに送ると、
「紹介するわ。6番隊副隊長のクレオメよ」
とクローバーにそう言われた。それに、
「竜胆だ」
と便宜的に返すと、
「クローバーから聞いてるよ」
と言ってクレオメにいきなり肩をはたかれた。ニコニコ笑っているからスキンシップのつもりらしい。だが竜胆はそれを受けて、愛想が良いというよりは変に馴れ馴れしいやつだと思った。そのクレオメが、
「おーい」
と呼びかけて遠くにいる妖精を手招きした。相手はそれをジッと見てウンともスンとも言わずに近付いて来た。そして近付くと、
「シクラメンだ」
と聞かれる前にそう言った。
「そうか、シクラメンか」
と竜胆が返すと、ウンと頷いたあとに、
「魔法は使えるのか?」
と唐突にそんなことを聞かれた。竜胆が使えると言うと、
「ステルス性は?」
と続けてそう聞いてきた。始めは何のことを言われているのか分からなかったが、やがて魔法陣の有無のことを聞かれているのだと気付き、
「魔法陣は必要ない」
とそう答えた。それに相手は少しだけ驚いた顔をしたあとに、
「なら王女と一緒か。選ばれるだけのことはあるということか」
とそう言った。そしてあとはひたすら黙ってクレオメの持って来る食べ物をひたすら口に運び続けていた。竜胆は何だこいつと思ったが、
「シクラメンはこういう性格なの。クレオメと対照的に写るかもしれないけど、無愛想というわけではないの。武骨で無駄口をきかないだけなのよ。多弁になるのは怒った時だけ。ちなみに、6番隊の隊長でクレオメとは名コンビ」
と言われて、分かったような分かっていないような気になった。武骨で無駄口をきかないのを無愛想と言うような気もしたが、確かにムスッとした表情ではないから無愛想ではないのかもしれなかった。それに竜胆も無愛想だから人のことは言えなかった。
ただ沈黙というものがこんなにも空気をぎこちなくさせるものだとは知らなかった。だから、シクラメンといて勉強にはなると思った。
「あら、大変、花粉入りの蜂蜜ブレッドがなくなっちゃう。早く確保しに行こうよ、シクラメン」
と言いながらクレオメが向かいのテーブルまで飛んで行った。そんなクレオメを見ていたシクラメンだが、羽を羽ばたかせるまえに竜胆の方を向いたかと思うと、
「是非今度実力を見せてもらいたいものだ」
とそう言った。
「お安いご用だ」
という竜胆の言葉を聞くとシクラメンは頷き、そのままクレオメの所まで飛んで行った。値踏みするような言い方を受け、
「俺はあまり歓迎されていないらしい」
と竜胆が言うと、
「そんなことないわ」
とすぐにクローバーがそう言った。もちろんこれは嘘だった。竜胆は歓迎されていなかった。正確には竜胆が歓迎されていないと言うよりは、庶民出身の妖精が歓迎されていなかった。理由は繰り返すように、排他的な身分制に問題があった。
貴族と言ってもピンキリだが、隊長を任せられる妖精は特に家柄の良い妖精だった。高い教育も受けていた。だからと言って勉強が出来るというわけではなかったが、学校の成績よりもどのような教育を受けたのかということが貴族達の間で重要なステータスだった。
恵まれた環境で育ち挫折を知らないのだから、どうしても考えに幅が出来なかった。一面的になり柔軟性に欠けた。これが貴族出の妖精の選抜意識が強くなる原因だった。もちろんそれは性格の貧しさを表すものでもあった。
だがこの時代、貴族制が絶対の正義だった。これが様々な矛盾を作り出していたが、天才が出て革命でも起こさない限り、この正義は崩れなかった。
竜胆の中央軍入隊の動機はこの貴族制を崩すことにあった。撫子に言ったように勲章ほしさではなかった。クローバーには言わなかったが、平等な世の中だったら軍隊に入るということに竜胆は興味を示さなかった。竜胆は非合理を憎んだが、同じくらい束縛も嫌いだった。当たり前だが、軍隊というものは私生活を強く拘束するものだった。
だが時代が竜胆を必要とした。現在の庭国の情勢や軍隊の実情を鑑みるに、これだけの劣勢を立て直し、非合理を排することが出来るのは竜胆以外にありえなかった。
だから抜擢の話を聞いた時、竜胆には野心が芽生えた。身分制に邪魔されて貴族制をぶち壊す端緒を掴めずにいたが、クローバーという英明な王族のおかげでその病巣に手が届く所まで来ることが出来た。あとは排除するだけだった。
どこまで行けるかは分からないが、もし自分が軍事権を掌握したのなら、その最終目的は軍の強化よりも貴族制の解体を考えていた。劣勢は無論立て直すつもりだったが、それは貴族達のためではなくこの国のためだった。
以上のことは、竜胆は中央軍にいる間は誰にも言わなかった。盟友だと思っているヒナギクにも言わず、自分の良き理解者であるクローバーにも言わなかった。黙して語らず、ひたすら戦争に没頭している風を見せた。
ただ周りの妖精達とは戦う動機が違ったから、認識もそのままずれた。現に竜胆はのちに公言するように中央軍の貴族を仲間だとは思わずに、いつかは力を削ぎ落さなければならない敵と見た。
そういう冷徹な視点を持って戦い続けたのだから、竜胆は非情と言えば確かに非情な性格をしていた。