7、悪魔
中央軍入りが決まった竜胆とヒナギクは、スラム街の一角にある粗末なバラックに顔を出した。慰問のためだった。
「撫子」
とヒナギクが声をかけても、撫子は妹のフリージアを抱き締めて何も答えなかった。それを見てヒナギクは当惑した。竜胆はいつも通りの無愛想な顔でその場に突っ立っているだけだったが、珍しく、
「辛かったら泣けばいい」
という声をかけた。それを聞いてヒナギクは内心驚いた。てっきり「いつまでも死体を抱き締めるな、気持ち悪いやつめ」くらいのことを言うのかと思ったのに、その予想に反して竜胆らしからぬ優しい言葉をかけた。それを聞いてヒナギクは、竜胆は武張っているようでいて実は根に優しさを持っている妖精なのだと思った。ヒナギクは優しい性格をしていたから、同じように優しい妖精が好きだった。
それでも撫子は反応しなかった。流行り病で死んだ妹を強く抱き締めて、何かブツブツと独り言を言っているだけだった。フリージアが死んでもう3日経っていた。死体は放置すると腐る。だから早めに処理しなければならないが、この状況で「早く焼け」「土に埋めろ」などとてもではないが言えるものではなかった。
言ったら、まともな心をしているとは思われないだろう。
「あのね、撫子、私達実は中央軍入りすることになったんだ。それで、あの、もし良ければなんだけど、撫子も誘いたいんだ。私達が頼めばクローバーも配慮してくれるって。撫子の防御魔法すごいじゃない? だからどうかなって思うんだけど、どう?」
ヒナギクが遠慮がちにそう声をかけると、撫子は今までの撫子とは思えないような淀んだ目でヒナギクを見て、
「裏切り者」
と呪うようにそう言った。今まで聞いたこともないような声に、聞いていてヒナギクはゾッとした。
「いや、そうじゃないんだ」
と言ったが、なぜか恨まれていることに動揺して、ヒナギクはそれ以上何も言えなくなった。代わりに竜胆が言葉を繋いだ。
「俺達が中央軍入りするのは名誉のためじゃない。やりたいことがあるからだ。今の国の制度は腐っている。それはお前も知っているだろう? 俺達が中央軍で力を持てば国の制度を変えられるかもしれない。貴族制とかをなくせるかもしれないんだ。だから裏切りとかそういうのじゃない。大義のためだ。お前もくればいい。どうする?」
「ハ」
そう言って撫子が笑うと、
「何がおかしい?」
と竜胆がそれで顔色を変えた。
「結局あんたらはこの国に魂を売ったんじゃないか。あれだけ身分制度を憎んでおきながら、公職という餌をちらつかせられたらすぐにそれに食らい付こうとするんじゃないか。それが笑わないでいられるか」
この時の撫子はフリージアを失った悲しみでいつもの撫子ではなくなっていた。それは分かっていたのだが、竜胆の怒りの沸点はかなり低く出来ていた。感情は理性よりも優先されると言うが、竜胆の場合それが顕著だった。
「もう一度言ってみろ」
と言うと、右手に圧縮した炎を発生させた。次下手なことを言えば、脅しではなく撫子にぶち当てるつもりでいた。
「何度でも言ってやる」
撫子がそう言ったところでヒナギクが魔法を使って、撫子の言葉を掻き消した。撫子の口は動いているのだが、音波として伝わらないため竜胆には言葉を聞き取ることが出来ず、おかげで殺し合いにならずにすんだ。
「止めなくて良かった」
「ごめん」
それは竜胆に言ったというよりは、撫子にも向けた言葉だった。言い終わるとすぐ竜胆の手を引いてバラックから遠ざかった。
「ケンカは良くないよ」
と言うのだが、竜胆からすればこれは条件反射で、好きでやっているのではなかった。熱い物に触れると反射的に手を引っ込めるのと同じで、自らの尊厳に触れる言動をされると竜胆は必ず報復した。
性質的に我慢が出来なかった。生まれ持ってのものだからこればかりは変えようがなく、本当に変える気になればもう脳みその構造を変えるしかなかった。だがそんなこと出来るわけがないから、竜胆は別にこれでいいと思っていた。逆に竜胆からすれば、尊厳に触れることをされても許すことの出来るヒナギクの性格が異常なのだった。そんなヒナギクを見ながら、竜胆はこう言った。
「もういいだろ。あいつとは決別だ。俺達は俺達の道を進もう」
「うん」
と答えつつもヒナギクは迷っているようだった。どうしても撫子を中央軍に入れたかった。だがあのような状態では、とてもではないが貴族達のいる中央軍に入れそうもなかった。入ったらすぐに修羅場が展開されるのは間違いなかった。
撫子の妹のフリージアの死因は悪性のウイルスによるものだった。急性だったため病の進行が早かったが、免疫剤を打てばすぐに治せるものだった。だが不幸なことに今いる場所がスラム街だった。血清などあるわけがなかった。
だから妹のために医療施設の充実している中央軍の前線基地まで飛んで行ったのだが、撫子は前線基地にいる貴族達に門前払いをされた。いや、それどころか尊厳をなぶられて追い払われた。
貴族制が強烈に幅を利かせている時代だった。能力などよりも家柄が何よりも物を言った。撫子の持っている才能は天賦のもので、身分制などがなければ中央軍の隊長には軽くなれるくらいの才能があったが、捨て子でスラム育ちだったため、
「どこに住んでいるのか?」
と聞かれ自分の住んでいる場所を言うと、中央軍の隊員達はイヤそうな顔をして、
「帰れ」
とそう言うだけだった。帰れと言われて帰れるわけがなかった。フリージアの命がかかっていた。生まれて初めて土下座をしたが、それでも貴族達は首を縦に振らなかった。それどころか冷笑を浴びせ、撫子が生涯忘れられない言葉を浴びせかけた。
「貴重な免疫剤を賤民になどやれるか。勝手に死んでおけ」
この時の前線基地に配属されている隊長はマリーだった。この言葉を言ったのも実はマリーだった。マリーは貴族主義の権化のような妖精だった。これを言われて追い払われた撫子はマリーを憎悪したが、これをあとで又聞きした竜胆やヒナギクもマリーを激しく憎んだ。無論撫子のために恨んだ。のちに両者は究極的に対立するが、その原因はここで作られた。
免疫剤を打てないフリージアの命運は決まっていた。ウイルスで高熱を出してそのまま衰弱死するしかなかった。
日に日に弱まっていくフリージアを抱き締める撫子の姿は悲壮そのものだった。数日後にフリージアは死んだが、ここで撫子の心は完全に壊れた。そして傍から見ていて分かるくらい殺気を出すようになった。竜胆もヒナギクも撫子の貴族に対する憎しみは分かっていたが、その憎しみを建設的な方向に向けようということで中央軍入りを誘った。だがこの誘いは、今の撫子には憎しみの油に火を点ける発火源にしかならなかった。
「あのさ」
撫子のいるバラックに一瞥をくれたあと、ヒナギクは竜胆の方を向いてこう言った。
「死んだ妖精って生き返らせられないのかな? 魔法とかで」
それを受けて、
「出来るわけないだろ」
と竜胆。ただ、
「でもな」
と続けてこう言った。
「長い年月をかけて無理やり転生ならさせられる」
「え、それなら」
とヒナギクが言うと、
「でも邪道だ」
と竜胆がヒナギクの思惑を制するようにそう言った。
「それに生き返るわけじゃない。悪魔に生まれ変わるんだ。ラフルル山という所で出来る。ただし余程の魔力と膨大な魔法陣を描く技術が必要だ。だから、普通のやつらには出来ない」
「でも、撫子なら」
「まあ恐らく出来るだろうが、まさかそこまでバカなことはしないだろう。それに10年くらいの時間と山の封鎖が必要になる。それに魔法陣を乱されたら効力が消える。だから実質的には不可能だ」
それを聞いてヒナギクはそうだろうかと思った。不吉なことだから口にはしなかったが、撫子の防御魔法なら山全体を覆うことなど容易いことだったし、妹を生き返らせたいという執念があれば10年くらいの年月何とも思わないのではないだろうか。
竜胆は自分と比べ撫子といた期間が短いから分からないのかもしれないが、ヒナギクは撫子の持つフリージアに対する愛情がどれだけ強いものであるかを知っていた。強烈な愛情が引っくり返ったのなら、それは凄まじい憎しみになり、そこで生じた憎しみは対象者を次々と焼き殺す炎になるだろう。
もし悪魔の転生のやり方を知ったのなら、間違いなく今の撫子はそれを実行するだろうと思った。