4、3大天才
この時代の中央軍は最強というのは名声ばかりで、実質が伴っていなかった。いや確かに個人としては強かったが、軍隊としては戦略を分かる妖精と、強力な統率力を持つリーダーがいなかったため決して強いとは言えなかった。
だからビースト相手に劣勢だった。
政治の無能と軍隊の貴族化が天才の台頭を阻害していたのだが、それに気付いているのは歴代の王族で最も聡明と言われているクローバーだけだった。
クローバーの前はセイントクロスとステビアという優秀な司令官がいたためビースト相手に優勢だったが、2人が元老の謀略で追い落とされ、十年の空白ののちクローバーの代になると、形勢が完全に逆転していて、中央軍が完全に劣勢の世の中になってしまっていた。
もちろん総司令官を務めるクローバーには責任はなかった。若年であったし、ただの箔付けで勝手に総司令官にされただけなのだから、クローバーに罪があるわけがなかった。問題があるとすれば、硬直化を起こした軍事制度と、それを正す者を排除しようとする政治の腐敗だった。
それを見抜き、誰か才能のある者を抜擢しようとしているのだから、クローバーが無知無能なわけがなかった。色彩魔法を使えるということからも分かるように個人としても優秀で、部隊指揮も優秀だったから戦術家としても優れていた。ただクローバーに欠けていたのは、大局において勝利を見定める戦略眼と、非合理的なものをぶち壊して前に進むという独裁性だった。
これが抜けていたために、クローバー率いる中央軍は負けはしないものの勝ちもしないという、波の満ち引きのような戦いをビースト相手に繰り広げていた。状況が優勢であればそのクローバーの資質でも何とかなったかもしれないが、悪いことにビーストが圧倒的に優勢ときていた。これでは状況の打破にはならなかった。
そこでたまたま見かけたのが竜胆だった。
場所は件のスラム街の上空だった。ザナルヘイムの目撃情報が入ったから1軍を率いて行ったのだが、クローバーが到着するとザナルヘイムが悲鳴を上げて炎上し地面に落下して行くところだった。
竜胆が黒炎を圧縮したプロミネンスという魔法をザナルヘイムに直撃させたのだが、威力は絶大でザナルヘイムはその一撃で致命傷を負いそのまま黒い炎に焼かれて死んでいった。
「これは」
と唖然としたのはクローバーだけではなかった。1軍の精鋭全員だった。繰り返すがこの当時最強と言われるビーストがザナルヘイムだった。それを竜胆はいとも簡単に屠ってしまった。
どこの馬の骨か分からない者に選別意識の強い貴族は声などかけないが、クローバーはこの点違っていた。相手が天才かもしれないという予感を無駄にはせず、それをすぐ行動に移した。
運命どころか国を変える出会いだったが、その自覚を持ったのは時代を変える推進力を持つ竜胆ではなく王族のクローバーだった。供の者も付けずに一人だけで竜胆に近付いて行った。そして、
「あなたが」
とそう言って一度言葉を止め、黒い炎で燃えているザナルヘイムに視線をやった。そして視線を竜胆に戻すとこう続けた。
「あのビーストを倒したの?」
分かり切ったことだったが、クローバーからすればこれは挨拶のつもりだった。だが言われた竜胆は答えずに不機嫌そうに黙ってザナルヘイムを見つめているだけだった。あまりにも沈黙が長かったため、
「そうだよ」
と竜胆の近くにいたヒナギクがそう言った。そしてすぐに驚いたような声を上げた。それはクローバーも同様だった。2人に限らずクローバーとヒナギクを見比べた者は恐らく同じ反応をしたはずだった。瓜二つの姿恰好をしているからであり、2人はあまりにも似通い過ぎていた。唯一違う所を言えば、クローバーの右目の下に小さなホクロがあることくらいで、恐らくそのホクロをヒナギクに移してしまえば、中央軍を構成する貴族達でさえ、クローバーとヒナギクが入れ替わっているということに気付かないはずだった。
実は竜胆とクローバーの出会いよりも、ヒナギクとクローバーの出会いの方が庭国にとって重い意味を持つのだが、当然2人はそのことには気付いていなかった。そんな2人に一瞥をくれたあと、竜胆はクローバーを見据えてこう言った。
「お前はきっと優秀な司令官ではない」
普通このようなことを言われたら不快な表情を作るものだが、クローバーはイヤな顔一つせず、
「あら、どうして?」
と普段通りの声音でそう聞いた。そのクローバーの表情を採点するように窺いながら竜胆はこう答えた。
「あいつに背中を向けているからだ」
この時点ではクローバーは一体何のことを言われているのか分からなかった。だが次の竜胆の言葉で、ただの嫌味ではないのだと知った。竜胆はこう言った。
「確かにあいつは燃えているがまだ死んだという確証はない。生きている確率は1%かもしれないが0ではない。だったら、まだ攻撃は起こりうるということだ。仮定の話をするが、もしあいつがお前に向けて砲撃か何かを撃ち込んで来たとして、お前その背面からの攻撃を防げるのか?」
言われてクローバーはハッとした顔をした。すぐに竜胆の脇に移動してザナルヘイムを見下ろせる場所に移った。そしてここで竜胆がなぜ自分の言葉を無視し、ずっとザナルヘイムを見下ろしていたのかということに気付いた。反攻に注意していたのだ。だから自分の言葉を無視し、睨むようにずっと相手を見ていたのだ。
それだけでなく、中央軍の無能に苛立ちを覚えていたからクローバーを無視したという背景もあるのだが、それはクローバーの知る由のないことだった。純粋に油断を諌める忠告としてだけ竜胆の言葉を解した。
ただここでクローバーもクローバーらしいことを言った。
「そうね、戦いの場での配慮が足りなかったのは私。あなたのような直諌の士がいたのなら、今の政治の腐敗もなかったでしょう。是非身近に置いておきたい貴重な人材です」
そこで竜胆はザナルヘイムに移していた目をまたクローバーに戻した。このクローバーの発言にはあなたを引き抜きたいという願望が込められていたのだが、竜胆はそこではなく、どのような動機で言ったのかに注意した。
確かに公職に就いている者からオーソリティー批判を聞くのは気分の良いことだが(この時の竜胆はまさか今目の前にいる妖精が王位継承権第一位の王女だとは思わなかった)、このようなことを言う者はそういう言葉を使っている自分に酔っている似非君子か、強い知性を持ち本質を見抜いている者かのどちらかだった。
前者である場合を警戒して、表情から人格を読み取るつもりでクローバーの顔をまじまじと見たのだが、竜胆が見た感じではクローバーの性格にはそのような虚飾はないようだった。
だからと言っていきなり許容はしないが、融通の利かない性格はしていないのだろうくらいの認識はクローバーに対して持った。
「それで何の用だ? もうあのビーストは戦闘不能になった。お前ら中央軍は用済みだ。何でいつまでもここにいる?」
相手を試すつもりで敢えて「用済み」という言葉を使ったのだが、それにもクローバーは乗らずにこう言った。
「私には使命があるの。この国を良くするという使命が。あなたは中央軍に入れば貴重な戦力になるわ。もし仮に法律が変わって中央軍に誰でも入れるようになったとするじゃない? そうしたら、あなたはどうする?」
それに対して竜胆はこう答えた。
「そんなこと出来るかよ」
「法律は変えられるわ」
「なら、待遇によるな」
「待遇?」
「俺は誰かの下に立つことはできない。一番上の役職だったら受ける」
「総司令官ね」
クローバーは頷くと、自分の元へと飛んで来た隊員に「すぐ戻るわ」とそう言って、今まで話していた竜胆とヒナギクに会釈をし、あとは自分を待つ隊へと戻って行った。
クローバーの元へと駆け付けた隊員は竜胆とヒナギクを怪訝そうに見ていたが、これが選抜意識の強い貴族の庶民に対する見方を如実に表しているものだった。
優越感でも良いが、この時代の貴族は自分達を特別な存在だと思っている節が強く、庶民を下に見る傾向が強かった。のちにそれは破壊されるが、竜胆が最も嫌ったのは戦闘者の無能と、そのように恵まれた環境で育った者の持つ下らない優越意識だった。