2、麒麟児ヒナギク
だからと言ってヒナギクが沈着な性格をしているのかと言うとそれは違う話だった。戦闘で優しさが裏目に出る可能性があると竜胆が勝手に思っているだけで、普段のヒナギクは呑気で楽天的な性格をしていた。
冗談が好きで、面倒見も良いため、ヒナギクはスラム街での人気者だった。ただでさえ足りない食べ物を小さい子にあげたりするからガリガリに痩せていたが、ヒナギクの内部では外で起こった5の苦痛が1くらいに変換されるらしく、「腹へったー」と言いつつも、その声の芯には明るさがあった。
記憶力が悪く、起こったことをあまり思い出さないというのも、ヒナギクの性格の明るさを維持する助けになっていた。この点、竜胆はまがり間違っても真似できないと思ったが、本人に言っても、
「え、何が?」
と不思議そうな顔をするだけだったから、ヒナギクの持つ明るさは竜胆の合理主義同様、天性のものらしかった。つまり自覚の乏しい美質だった。
もう一人、スラム街には2人の友人である撫子がいてよく3人で一緒にいた。だが、撫子はものに感じ入りやすく、起こった出来事に過敏に反応してしまうという性格をしていた。恵まれた環境なら優しく育つだろうが、いるのが悪いことにスラム街だった。尊厳を傷付けられる機会が多く、それが生真面目な撫子の心を頻りに摩耗させた。
歪曲までしなかったのは妹がいるからだった。撫子には大分年の離れたフリージアという妹がいて、これが撫子の心の潤滑油になっていた。小さい頃に親に捨てられたという薄幸の姉妹だが、その分絆が強く、撫子にはフリージアがいるというだけで、地獄のような環境からの緩衝材になるようだった。
だからと言って自らの尊厳を傷付けた者を許すということは決してなかったが、憎しみが心に深い根を下ろすということもなかった。これは心の繋がりの功績だった。
3人の出会いはザナルヘイムという当時最強と言われていたビーストが作り出した。最強という肩書きはのちにセシルという純白の少女に取って代わられるが、この当時庭国を破壊して回っていたのはザナルヘイムという漆黒の魔女衣を身にまとったビーストで、中央軍の中で最強と言われている1軍や5軍でさえ、倒すことが出来ないほどの強さを誇っていた。
それが竜胆のいる街を攻撃した。
夜襲だったから被害が甚大になった。竜胆が地方軍の入隊試験で街から離れているということも悲劇に拍車をかけた。この当時の竜胆の戦闘能力は誰にも知られていないが、もし仮に竜胆が始めからこの街にいたのなら、被害は劇的に抑えられたという戦いだった。このニブルヘイム戦で、街の人口は五分の四に減った。
それでも、それだけの殺戮をしておいて周辺の地域に変事が伝わらないわけがなかった。深夜で大分伝令が遅れたが、ザナルヘイムの襲撃はちゃんと竜胆が試験のために宿泊をしている町まで伝わった。変事を聞き竜胆が自分の街に駆け付けた。着いてみると街は地獄絵図だったが、竜胆がザナルヘイムを攻撃することにより被害が収まることになった。地獄の黒炎を呼び起こす暗黒魔法によりザナルヘイムが後退を始めたからだった。
この時に竜胆は信じられない光景を目にした。竜胆が攻撃を仕掛けている間、中央軍とこの街を管轄する地方軍が到着したのだが、2つの部隊とも攻撃する姿勢を示したものの、相手がザナルヘイムだと知ると、いきなり動きが鈍くなり、攻撃に加わるどころか、竜胆のサポートすらしようとしなかった。
地方軍は街の火消しや怪我をした妖精の救助に回ったからまだ良かったものの、中央軍はそれすらしようとせず、遠巻きに竜胆の戦いを見ているだけだった。
竜胆は生粋の戦闘者だけにその性情として無能を嫌った。一般市民が弱いというのは罪ではないとして、軍隊にいる者が戦わずに戦闘を傍観するとは一体どういうことなのか。竜胆はそう思い、それぞれの部隊の隊長を密かに憎悪した。
この時の中央軍の隊長がラフレシアという王女で、地方軍の隊長がアザミという妖精なのだが、この時竜胆が抱いた感情はのちののちまで尾を引くことになった。顔は覚えていなかったが、ザナルヘイム戦で逃げた臆病者が2人いるということだけは記憶した。
地方軍の長官はのちに竜胆に半殺しにされるに留まるが、中央軍のラフレシアは物理的な制裁こそなかったものの、総司令官になった竜胆に徹底的に嫌われ、あからさまな排斥を受けるに至る。
ラフレシアはクローバーの妹で、王位継承権も第2位という貴族の中でも特別な存在だった。だが、能力主義者の竜胆にはそういうものに対する遠慮がなく、最終的には「無能」ということで隊長から降ろされることになった。これは言うまでもなく、ラフレシアの尊厳をなぶる屈辱的な措置だった。
ラフレシアの性格にも問題はあったが、竜胆の処置も苛烈で、のちに竜胆の最大の理解者となるクローバーでさえこの処置を聞いて眉をしかめたほどだった。
だからと言って竜胆は自分の命令を変えなかったが、これがのちの870戦線の悲劇に繋がっていくことを思えば、竜胆の合理主義も純度が高過ぎたと言えた。
話を戻すが、その竜胆が攻撃を仕掛けるとザナルヘイムが撤退を始めた。スピードが速かったため始めは距離を開けられたが、しばらくしてから追い付き、街から外れたスラム街の上空でまた戦火を交えた。
ザナルヘイムは人型のビーストだったから、戦闘本能だけではなく知能もあった。竜胆の注意を逸らすために攻撃の合間を縫ってスラム街に魔法を落ち下ろしたが、不思議なことにその魔法は全て青白い障壁で掻き消された。
これには竜胆も驚いたが、すぐに魔法だと気付いた。ここでもザナルヘイムは竜胆に対して劣勢だったが、状況を変える出来事が起こり更にザナルヘイムは劣勢になった。
障壁の中から一人の少女が飛び出して来て、植物のツタのような光の触手で、ザナルヘイムの片足を捕らえたからだった。ザナルヘイムが態勢を崩したところに竜胆が黒炎弾を叩き付けようとしたが、それよりも早く斜め上から七色の砲撃が放射され、ザナルヘイムは竜胆の攻撃を受けるまでもなく数百メートル弾き飛ばされた。
竜胆が七色の砲撃が出たところに目をやると、そこには下方にいたはずの少女がいて、ザナルヘイムを見て、
「倒したかな?」
とそう言った。
「吹き飛ばしただけだ」
と竜胆が返した頃には竜胆にはその少女がテレポーテーションをして空間移動をしたのだということが分かった。
「お前、万能魔法を使えるのか?」
と聞くとその少女は不思議そうな顔をして、
「え?」
とそう言った。遠くまで弾き飛ばしたためザナルヘイムには逃げられたが、妖精庭国を変える出会いがここで起こったということを考えてみれば、この日は庭国始まって以来の吉日と考えることができた。言うまでもなく、この少女がヒナギクだった。