7話 居座る女
長いですが、ヒロイン登場しません。酒飲み仲間たちと。
マジでムカつく。
こんなに苛立ちが長引く相手には今まで出会ったことがない。
大体人の事など普段なら大して気にもならない。
ムカつく奴がいても、腹の中で馬鹿にして終わりだ。
その後かかわりがあったとしても、そいつはそんな奴だと思えば人に嫌われる気の毒な人間としてちょっとした憐れみさえ感じる。
まあ実質馬鹿にしているのだが、とにかく腹立たしさなど持続しない。
あの女に対する苛立ちが腹の中にずっと居座っているのは、おそらく同じく居座っている深江さんに関わりがある女だからだろう。
間違っても、つるんと柔らかそうな肌の質感や、目の前にあった色の薄いぷっくりとした唇が頭から離れないからではない。
「藤堂君」
待ち合わせた店で考え込んでイライラしていると、女の声がした。
「ああ、急に呼び出して悪かったな」
「いいわよ。随分久しぶりね」
資料室での苛立ちを持て余し、どうにか憂さを晴らしたかった。
しかし、濃い化粧で作られたその顔を見た瞬間後悔した。
以前もお互い欲求解消の相手として割り切った関係だったが、この後の展開を期待したその顔にうんざりした。べたべたしない性格と容姿も込みで選んだはずだったが、これでは深江さんどころかあのムカつく女の方がましだ。
すっきりしたくて呼び出したのに、その気になれもしないのなら一緒にいても無駄だ。
女が席に着くと丁度携帯が震えた。
小島さん達が飲んでいるとの報告だ。こっちに行った方が有意義だな。
一応申し訳なさそうな顔を作り手を合わせる。
「悪い、急ぎの仕事が入った。誰か他の奴呼べよ」
呆れた様に溜息を吐く女の前に札を置いて立ち上がった。
店には深江さんもいたが、あの女が資料室での俺の愚行を深江さんに伝えていないのは明らかだった。
知っていたらいつも通りの顔で話しかけては来ない。
「あんた社内にいなかったんでしょ?どっか行ってたんじゃないの?」
「ああ、女に会ってたんですけど久々に見たらその気になれなくて、小島さんのメール見て飯食う前に逃げて来ました」
深江さんが呆れた顔をする。
やはり美人ではあるが、肌だけで見ればムカつくあの女の方が断然綺麗だ。
まあ、深江さんと種類が違うがあの女もかなり可愛らしい顔の作りをしてはいる。
今会ってきた女とは雲泥の差だ。
見た目で選んでいたはずの女があの程度だったのかと自分でも驚く。
「ああ、腹減った」
そう言って席に着くと、深江さんに非難された。
「あんた最低ね。逃げるにしたって一応デート終了してからしなさいよ」
「いや、無理でした。食事済ませたら自動的に俺も食われそうな雰囲気だったんで」
小島さんが笑う。
「食われりゃいいだろ。お前欲求不満だろ?」
「小島さんもでしょ」
軽くそう返すと小島さんが焦った顔をした。
「止めろ」
そしてちらちらと、香織先輩お気に入りの後輩河合さんを見ている。
分かりやす過ぎて呆れるが、河合さんが凄く真っ新らしいので丁度良いようだ。
時間はかかるかも知れないがこの二人はいつか上手くまとまりそうな気がする。
「河合さん久しぶりだね」
真面目な河合さんは週末にしか顔を出さない。
まあ、週に3回も4回も5回も同僚と飲み歩くのは女としてどうかとも思う。
と、新婚のはずの深江さんと、独身だけど男の影を見せない香織先輩を見て思う。
「はい。お疲れ様です」
河合さんがにっこり微笑んで挨拶してくれる。
あの女の笑顔とは全く違う。
河合さんの素直な笑顔を見て、やはりあの女の笑顔は感じが悪いと再確認する。
素直で真面目な河合さんを香織先輩や深江さんが可愛がっているのは良く分かる。
でも、あの女はなんでなんだ。
深江さんに尋ねてまた険悪な雰囲気を作る気にもならず、こっそり息を吐いた。
「河合さんって髪染めてないの?」
あの女の茶髪と正反対のまっすぐの黒髪を見ながらなんとなく尋ねると、河合さんが短めの髪に手をやった。
「はい。中学生みたいだから染めたらって友達には言われるんですけど、似合わない気がして」
「いや、何でも似合うと思うけど、今の髪型が可愛いと思うよ、絶対。中学生には絶対見えない」
小島さんが必死だ。
小島さんが河合さんの豊かな胸に目をやらないように必死なことは、河合さん以外の全員の目に明らかだった。
「河合さんの髪、艶々で綺麗だよねえ」
深江さんが呆れた目で小島さんを一瞥した後、河合さんに言った。
「そうですか?ありがとうございます」
河合さんが嬉しそうに笑う。素直だ。
「あんたも若い時は河合さんみたいな艶髪で羨ましかったけど、最近傷んでるわよね」
香織先輩が深江さんの緩やかに波打つ暗い色の髪を持ち上げる。
香織先輩の茶色い髪と比べると真っ黒に見えていたが、河合さんの黒髪よりは少し色が薄いようだ。
それが黒髪のわりに柔らかい雰囲気につながっていたのかも知れない。
「そうなんだよねえ。髪の傷みなんか気にしたことなかったのにさ。20代終わり位から急に傷みやすくなっちゃって。何も出来ないし」
深江さんが自分の髪を目の前に持ってきて残念そうに呟く。
「ああ、それでお前最近頭黒いのか?」
深江さんが嫌そうに小島さんに頷いた。
「深江さんって髪染めてたことあったんですか?」
俺が尋ねると先輩ら3人組が一斉に俺に目を向けた。
皆、はあ?と言うような顔だ。
「こいつの頭が黒い方が違和感あるぞ。お前間違ったイメージのせいで深江なんかに惚れてたんだな。現実を見ろ。こいつはケバい女のなれの果てだ」
「なんですって!」
深江さんが小島さんに噛みつくが、香織先輩がいい加減な手振りでそれをとめた。
「間違ってないでしょ。若い時ケバかったのは事実じゃないのよ」
「香織だって同じ様なもんだったでしょ」
深江さんがむくれた。
「ケバかったんですか?」
信じられずに、いや、そう言われればその方が中身にしっくり来る深江さんに問う。
「まあ、面倒で大分化粧は薄くなったわね」
「髪も傷まないならカラーリングしたいんですか?」
「あーそうね。カラーは飽きるほどやったから今は地毛で良い。黒髪でいられるのも白髪が出るまでだもん。白髪出始めたら嫌でも染めなきゃいけないでしょ」
俺の好きな深江さんの黒髪がそんな理由?
本気でがっかりした。
「お前、白髪出ても面倒くせえって放置するぞ、絶対!」
「言えてるー!」
小島さんとなぜか馬鹿にされた深江さん本人が馬鹿笑いし合っている。
しかし、物凄く深江さんらしい理由でもあった。
それにこの外見と中身のギャップにやられたのも事実だった。
深江さんはこんな人で、だからこそ可愛いかったのだと諦めるしかない。
「そう言われればそうね。あたしもしばらくカラーやめようかしら」
香織先輩が河合さんの髪をなでながら呟いた。
「お前さっき河合さんに溜息ついてたな。何だよあれ、横取りするつもりじゃねえだろうな」
女性陣が先に帰り、残った小島さんが俺に絡んできた。
「違いますよ。河合さんはほんとに物凄く良い子だと思いますけど、全く好みじゃないです。安心してください」
小島さんが疑わしそうに俺を見る。
「俺、ぽっちゃりより細めの方が好きなんで」
そう言うと小島さんが落ち着いた。体形の好みはわりと融通がきかない。
「じゃあ何だよあれ」
「河合さん良い子だなあと思って、良い子じゃない女思い出して溜息吐いてたんすよ」
「今日会ってたって女か?」
小島さんに問われて首を振る。
「ああ、深江の後輩か」
無言で返すが、当然ばれた。
「やっぱりな」
「なんですか」
にやにやする小島さんを睨むように言うと、いっそう笑われた。
「いやー、いっつもすかして飄々としてるお前をあの子がそんなにイラつかせてんのかと思うとな。面白くって」
「面白くないですよ」
「面白いだろ。あの子にそんなムカついてんのお前ぐらいだと思うぞ。実際一緒に仕事してる奴には評判悪くねえだろ。多分お前の最初の態度のせいで嫌われたんだろうな。自業自得じゃねえか」
いつもの馬鹿笑いが続いた。