5話 2度目の遭遇
小島さんと竹原に聞いたところによると、ミサちゃんと呼ばれるあの女は竹原よりも年はいかないが、短大卒で入社が早いらしい。
俺の4,5歳下という計算になるが、勿論竹原と同年入社の俺より勤続年数は長い訳だ。
自分の見た目が竹原と変わらないらしいのもあって、周りには未だ俺を竹原と同い年だと思ってるやつも多い。その方が年下の先輩らと接する上で都合がいいので放っているが、あの女には何故か先輩面されたくなかった。
「お疲れ様です」
不運にも二日連続で遭遇した。
縦に長いビルの為、用がない限り他のフロアの事務員と顔を合わせることは少ない。
俺がこの女の顔を知っているのは、深江さんの所へちょこちょこ顔を出していた時期があるからだ。
この女の指図で動いていたとも知らず、噂の悪印象から殆ど無視していたような気がする。
「お疲れ様です」
一応決まり文句の挨拶は敬語には含まれないだろうと、今日も乗り込むなり早々と女に背を向け適当に返事をした。
今日も今日でひらひらした格好をしている。
元からこう言う男受けを意識したような恰好をする女が嫌いだ。
髪も顔も服装も、体中がひらひらフワフワして、どれだけ男に媚びたいんだと思いたくなる。
まあ深江さんもスカートばかりではあるが、そんなにヒラヒラはしていない。
香織先輩もスカートばかりだが、大してヒラヒラはしていないと思う。
いや、分かんねえな。してる時もあるかも知れないが、二人とも中身が全くひらひらフワフワしてないのでそう見えないのかも知れない。
それにこの女とは年も違う。
この女は甘ったるい格好でも特に違和感はないが、深江さんや香織先輩が同じような服を着たらヒラヒラやあざといなどではなく、どちらかというと痛い印象になりそうだ。でもやっぱり、年いってても深江さんは可愛かった。
深江さんを思い出しぼんやりしていると、ドアが開き、俺の脇をフワフワした明るい色の髪が通り過ぎた。
「失礼します」
今日も一瞬だけ俺を振り返り挨拶をする。
今日はその笑顔に大した嫌悪感は湧かなかったが、別段喜ばしくもなかった。
目線だけを下げ会釈した。
「深江さん新婚なのにいいんですか。こんな所にいて」
結婚式から1週間もたっていないというのに、平日の居酒屋に座っている深江さんに言った。
「今日当番日だもん。どうせ今日は実家に帰るし」
深江さんが悪びれずにグラスに口を付ける。
川瀬さんは消防士のため夜勤がある。
大方深江さんを一人にするのが心配とかで、夜勤の日は実家に帰すのだろう。
「過保護ですね」
「近いからどっちに帰ったって大して変わらないもの。勝手にお風呂が沸いてて朝ご飯食べられる方で寝た方がいいじゃん」
また面倒臭がり気質全開のダメ人間発言をする深江さんに溜息を吐く。
これが可愛く見えるんだからなあ。思い通りにならないよな。
例えこの人と恋人になれていても、俺なら物凄くイラつくと思う。
「じゃああんたんちに同居で良かったんじゃないの?」
香織先輩が余計なことを言う。
「ああ、いちいちホテル行くなら部屋借りろって母親にも言われたし、うちで一緒に寝てたら智久を刺しそうな人間もいるからね。無理だった」
「深江さん止めてください。俺深江さん達の性生活を想像したくない」
そう言うと、小島さんがぎゃははと笑った。
「そう言えばあんた式の日、ミサちゃんに態度悪かったわね。本人の前で言えなかったけど」
深江さんが俺を睨んだ。
小島さんと竹原が、奥からほら見たことかと言う顔をしている。
「本当にね。あたしも言わなきゃと思ってたわ」
「何であの女をそんなに気に入ってんですか。さっぱり分かんねえ」
香織先輩にまで非難され苛立った気分のまま言葉を返すと、深江さんがすっと表情を消し、すぐに冷めた薄い笑いを浮かべた。
怒ってるな。
「私がミサちゃんを気に入ってるのは良い子だからよ。ろくに話したこともないあんたが、何か文句あんの?」
俺の一言で予想以上にキレる深江さんに、小さく溜息を吐く。
「いいえ、ないです。すいませんでした」
俺も別に空気が読めない訳じゃないし、あんな女のために深江さんに嫌われたい訳でもない。
あっさり謝罪すると小島さんが口を出した。
「こいつら、あの子がお前に仕事押し付けて働かねえって言ってたぞ」
「ちょっと小島さん!俺巻き込まないで下さいよ!俺はもう以前怒られて反省してます!」
竹原が小声でびびっている。
今日は俺が深江さんに怒鳴られるのかと、半ば諦めて深江さんに目をやると、意外にも驚いた顔をして固まっていた。
これから説教しようという顔ではなかった。
それからすぐに、まずそうな、何か失敗した様な表情を浮かべ、俺に視線を戻した。
「そんな噂になってんの?」
「え?あ、はい。いつでも嫌な顔せず残業引き受けてくれる深江さんと、一切残業しない後輩でわりとセットで噂されてます」
深江さんが更に苦い表情になる。
隣の香織先輩も何か微妙な顔をしていた。
「そうなの。私が遅刻常習犯だって噂はないの?二人で就業時間ずらしてるだけよ。今回は許すけど、くだらない噂真に受けてまたミサちゃんのこと悪く言ったら、次こそあんたとは二度と口きかないからね」
深江さんは何か俺に言いたそうな顔をして、でも口をつぐんで飲み込んだ後、おそらく本当に言いたかったこととは違うことを言葉にした。
それでもあの女をかばっていることにはかわりない。
明らかに俺より優先順位の高い女にまた腹が立つが、俺も阿呆みたいに喚き続けるほど若くはない。
「分かりました」
そう言うと深江さんが頷いた。
その後、深江さんは新婚を理由に殆ど残業をしなくなったらしい。
勿論緊急のものや他に回せなかった様などうしようもないものに関しては今まで通り深江さんがやっているらしいが、残業をしない理由が川瀬さんではなくあの女だと言うことは安易に想像できた。
自分が残業すると、あの女の評価が下がると思っているのだ。
大して人のことに興味がない深江さんが、なぜそこまでしてあの女に気を使うのか不可解だった。